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神を愛することは神の戒律を守ること 3/4 一九八九年十一月二九日 パナマ(スペイン語)    
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永遠の原則は 私達が 神から来ていることで それは唯一無二で 愛と全能の神であり 私達は皆兄弟と姉妹で あるということです それで私達がどんな 信仰を信じているかは 重要でありません 私たちは互いに愛し 互いに尊敬し 互いに助けるべきです 可能な限りの能力で 毎日神を思い出すのを 忘れないでください 私達が神を思い出せば 思い出すほど 私達の生活は さらに平和で 滑らかになるからです

神を覚えていることは 戒律を守ることを 意味します 「汝が私を愛するなら 私の戒律を守るべし」 ですからそれが 私も 人々に菜食に従うよう 強調する理由です それは 他のものの生命を 犠牲せずに私達の 生命を支える 最も平和で最も愛情の こもったやり方です 非常に新しく聞こえる かもしれませんが 聖書で そう言われたので 新しくありません 旧約聖書には こうあります 「神は野にすべての 草と果樹を作られた それは汝らの 食物となる」 聖書は述べています

「神は人間の協力者で 友人とするために 動物を作られた」と 彼らを統治しますが 彼らを統治しますが 殺すべきでは ありません なぜなら戒律は「汝殺すなかれ」 とあるからです 何でも生命がある ものを奪うのは 殺生を意味します 私達が肉食を 常食とするなら 私達の食欲のために 他の人々が 殺し続けるでしょう 従って間接的に私達は 殺生を支持するのです たぶんこれを 受入れるのは難しいと 知っていますが

私の意見でありません 私の法則でありません それは神の法則です それは聖書に非常に 明確に述べられてます また 仏教の教義にも ヒンズー教の教義と イスラム教の教義にも そうあります

毎日聖書を読みますが 私達は どこを読む べきか気付きません

時々そのような事を 言うのは難しいです 人々に多少 不快感を与えることに 気づいています しかし誰かは真実を 言わねばなりませんし 勇敢でなければ なりません 必ずしも権威と無知に 屈するとは限りません 神は私達に 天の神のように 完璧であるように 命じないのですか 天の神はどんな意味で 完璧なのですか 神は賢明で 慈悲深くて いつも優しくて創造的です それで私達が神ほど 完璧になりたいなら 智慧を求めるべきで 無知を放棄すべきです

私達は賢者から 本当に神聖なものに それを求めるべきです 私達は愛情深くて 慈悲深くて 非破壊的でなければなりません そういうわけで 神は 私達に創造の権利 子供を作る権利を与え 私達は子供を作ります 私達はこの地球上に とても多くの 美しいものを作ります 神はその計画の中で 創造的な案に対する 権利を私達に与えます 私達は神の協働者では ありますが  まだ神の智慧に 達していません ですから私達は 神の計画とデザインを 尊重すべきです なぜなら神が最高のボスだからです

神は何を残すか 何を 取るべきか 何を修繕 すべきか 何を破壊 すべきか分っています たとえ彼が破壊すると しても 再び作ります 私達が壊す時は再び 作ることはできません それが問題なのです 私達が十分に賢くなく 十分に強力で ないからです 私達がある日  神の理解に達するなら たぶん  自身の手で破壊と 創造について 話すことができます ですから 私達は 神の創造的な計画で 一切衆生を尊重します 彼らが苦しみと死に 抵抗するのを自分の 目で確かめられます

ゆえに動物を殺したり  殺されるのを見る時 彼らは苦しんでいて 逃げようとします それは神が 彼らに生存の本能を 与えたという意味です 私達が彼らの生命に 干渉し 奪うのを 強制するなら 私達は 神の意志を妨げます 自分が扱われたいのと 同じようにすべての 存在を扱うべきです そうして私達の人生は 恩恵 長寿 智慧で 加護されます 「蒔いた種は 自ら刈ることになる」 そうして私達は 決して不幸なことで 神を非難しなくなり  なぜなら不幸が少なくなるからです

より自分を磨くほど 言葉 行動と考えが より良くなります 私は自身の経験や 私のいわゆる学生 つまり修行仲間の 経験から これを知っています 私達は毎日 神と接触するからです 印心の過程を経て 私達は再び 神と接触しています 毎日神を思い出すと  毎日神が私達を 覚えていることを思い出します それで神と私達は 即座に一体となり 同じ目標をもち 同じ方向に向かいます それが私達の問題を 解決する方法です それが地球の平和に 貢献する方法です それは神の法律を 守る方法です

ご静聴 ありがとうございます

私が関心があるのは いくらか人間の対立の 一因となる報道 ラジオやテレビの 役割についての あなたの印象や 個人の見解なのですが

本当です 同意します

彼はマスコミや テレビが 世界の対立の いくらかの一因で あると言っています 私はある部分で 彼に同意します なぜならマスコミ テレビやラジオなどの 通信システムは  人間のサービス  人々の心の悟り 人々の娯楽にとって 一番良いもの だからです 彼らは既にやりました その義務の一部分は 果たしました しかし他方では  この通信の力には いくらか不注意な 操作があるので 時々間違ったニュース 誤解 歪曲された ニュース ある種の 暴力の映像や 非常に悪い公演が テレビや  ラジオまたは劇場で 上演されます

この間違いは  修正されなければ なりません なぜなら 国や団体間の また教派間の敵意を深め 平和を 促進しないからです この問題について 私はこの紳士の見解に 同意します 私達はマスコミラジオ そして通信システムに 彼らの 高潔な責任を 思い出させるために 尽力すべきです この世界の部分的な 感情や名声に 屈しないようにです 彼らは健康で教化性を 持つものを選んで 人々に見せるべきです 有害で 暴力及び 悪影響のものを放棄し それらを一般庶民に 見せるべきでは ありません

私は彼らが実話を 報告してはならないと 言っているのではなく 彼らが フィルム ニュース  文字の中に 世界の暴力の性質に より多くの暴力や 想像された暴力や 一切の悪を 加えてはならないと 言っているのです それは子供達にとって 良くありません 子供達に悪い影響を 及ぼします 皆さんは同意しますか はい ありがとう 私達はいかに速く 神の認識に達しますか 助けて下さいますか はい それは私の 光栄であり喜びです 印心の際 あなたはすぐに神と 繋がります なぜそうなのでしょう

神は私達の内面にいて あなたはノウハウが 不足しているだけです 私がそのノウハウを あなたに示します ですから即時の悟りは 驚くべきではないです 私達の内面にはいつも 光があるから あなたの内面の光に 留意しなさい すると暗闇でなくなる 聖書でそう述べました あなたが光を再び 見付けるを助けるのは 光栄であり喜びです 光はいつもあります 神は常にそこにいます 神を見つけるために 悔い改め 間違った 幻想を浄化しなければ なりません 神を見付けることは 非常に簡単です 

神は 常に私達を見付けたい 今までに私達を 捜したいのは神だけ それでは50%です 片道です 私達は世界を捜すのに 忙しいのです   でも今私達は帰ります 私達も神を探したい ので 必然的に両者は 会わねばなりません 何も神秘はありません なぜ あなたはよく 仏陀に言及しますか 神が遍在するなら 仏陀と神の間で どちらが 違う哲学ですか 仏陀は 神の代表です 肉体での 神の化身です イエスが神の 代表であるようにです

「仏陀」は梵語で 「キリスト」を意味し 「キリスト」は ヘブライ語で 「仏陀」の意味です それだけのことです 「教授」と「老師 (先生)」は同じです 単に言語の違いです お分かりのように 私があなたを仏教徒か キリスト教徒に変え たいと誤解されない ために 私は両方とも 言わねばなりません いいえ 私は公平です 私は真理の本質を 言っているだけです 宗教ではありません ただ大半の人が仏陀や キリストのことを よく知っているので 私は彼らに言及し 彼らの教えを用いて 私が伝えたいことを 伝えています とても論理的です 有難うございました 私は彼ら二人とも 愛しています マスターはこの国で どのように観音法門を 伝えようと 計画していますか これは目下 大変困難な状況にある 私達にとってとても いいことだと思います 励まして下さって ありがとうございます 最善を尽くします 私は初めて来ましたが 皆さんの大きな愛と励ましを 頂きました

もしかしたらこれから 私達はもっと多くの このような事をする 機会があって 貴国の平和と 秩序のために 貢献できると 思います これは私一人の義務で なく皆さんの義務です 皆で頑張りましょう きっとできます お分かりのように 今日私が ここに来たのは 貴国の人々の要請を 受けたからです 彼らはすでに 私について学んでいて 人々に真理を 思い出させることは 貴国にとって 有利であると思って 私を呼んだのです 分かりますか これは協力関係です 私個人の栄光でも 私達双方の栄光でも ありません 

実は神の意思なのです 私達が誠心誠意 神に祈ると 神は助けてくれます 神は純粋な道具を 使って神の子を 助けるのです 神の道具に なりませんか あなたも私もですよ 神が本当の私達の中に あるとしたらどうして 悪い人が多いのですか これは神の法を 誤解したからです 私達には自由意志が あり 選択できます 時々 私達は この世界に降りて来て 環境の影響を受け 多くの情報と 経験を集めます とてもよく 役に立つ ものもありますが ある情報と 経験は害があり 役に立たないものです

意思が弱くて 悪いものを残し よいものを捨てた場合 もちろんバランスが 崩れてしまい もっと悪い方に 傾きます 悪い方に傾けば 傾くほど もっと 悪い事を引き付け さらに悪い状況に 陥ります 私達の高貴な魂の力は ますます弱まり 悪に完全に 包囲されるまで 神の法に反する 行いをするに至ります ですから慎重に よい情報を選択し 霊性の力を 取り戻すことです 神に頼り 神の加護を祈り 善行を積む機会を 与えてくれるよう 祈ることです 問題なのは私達が 神を忘れていて 神の助けを求めず 何でも自分で選択し 何でも自分で 決めることです

親の言う事を聞かない 子供と同じです しかし変えられます どんな悪も変えられ どんなに誤解して いても私達が分かった 瞬間変えられます 私達が再び神に 頼りたいと思う瞬間 再び智慧を 求めたいと思う瞬間 再び道徳を 求めるその瞬間 その瞬間悪は 私達から遠ざかります 従って再び 神に戻りたければ 自分の弱点を知って 懺悔すればいいのです すると 機会は現れます あなたが神の 許しを確認したければ 印心を受けてください きっと証明されます どんな悪事を働いたか 過去にどんな悪い人 だったか関係なく 神は永遠に私達を愛し 私達を許してくれます そして即座に 神の光を見て 神の声を聴きます これは神の無条件の 愛の証です いいですか 現在世界には 実際何人の偉大な マスターがいますか 何人欲しいですか あなたにとって一人は 足りないですか

あなたに言えるのは まず目の前の マスターをとって 試してみてください あなたがこれに 不満足なら 更に探すことです この世界に多くの マスターがいても ここにいないことには 何の意味がありますか あなたの 限られた頭脳で どれだけの智慧が 吸収できますか 私は偉大でもなく 偉大なマスターだと 称する事もできません しかし私は神の許可を 得てあなたに真の家に 帰る道を示せます ですから 現在の皆さんにとって 私で十分だと思います あなたの愛に 感謝します 罪をどう思いますか 罪が実際にあるとは 思いません

それは単なる 誤解だと思います 状況が人に 好ましくない決定を させたのです また神の戒律を 知らないからです 時に 皆さんは神の 戒律が分らないため 戒律に反する事をするのです ですから 神の戒律を 知っている人は 人々にこれを分らせる 責任があります 自分に この責任があると 称する人の大半は 責任を完全には 果たしていません 彼ら自身が戒律を 分っていないからです 以前イエスの時代の 祭祀者について話した ことがありますが 彼らは法の守り役と されています しかし無知な状態で 彼らが人々に何を もたらせますか 多くの人が彼らを 尊敬し 崇拝し 供養しました 彼らから智慧と 加護を求める ためにです

しかし彼らは人々に 何の加護と智慧を 与えたのでしょうか 何もありません これがこの世界の 悲しいことです 分りますか すべての普通の人が 時間がありあまって 神の戒律を学ぼうと するのではありません また彼らにはそれを 理解するための十分な 知性を備えていません ですから 誤解と無知は 避けらません しかしいわゆる法学者 聖職者 僧侶達は 理解すべきです 彼らには学ぶ時間が あるのです そして自分達を供養し これらの戒律を学ぶ 時間を与えてくれた 人々に 説明して あげねばなりません 人々が聖職者と 僧侶を供養するのは 彼らに仕事を させないで  神の戒律を学ぶ時間を 与えるためなのです

イエスの時代の 寺院の最も地位が高い 神父の 話を読むと 彼らは最も崇高で 最も尊く 最も智慧を 備えた神聖な神殿で 神と交流できる人だと 思われていた 人達です しかし実は彼らは そうではありません 彼らは政治的動機で ローマ当局に 指定された人達でした 彼らは神殿に来て ただそこで休んでいる だけで時間になると 帰宅するといった 具合でした 彼らはそこに瞑想や 神と繋がるために 行ったのではないです 儀式のために そこにいたのです 人に見せるためです さもなければ彼らが 本当に神と繋がれると したら彼らはもっと 賢かったでしょう 少なくともイエスの 半分の智慧はあるはず しかし 世俗の名声のために 謀略を めぐらしたのです

このような 最高の聖職者が その下の聖職者に教え この聖職者がまた その下の聖職者に教え 一番下の聖職者が 一般人に教えます 一般人が最後に どんな智慧を学ぶか 想像できますか 一番下の 最も低い部分です ですから一般人が 無知だとか罪がある などと責めることが できるでしょうか 私は一つの例を 挙げただけですが  皆さんは視野を 他の分野や他の宗教 他の時代に 広げることで 私がなぜ 本当の罪は 存在しないというのか 分かると思います すると皆さんも いわゆる罪人を 許すことができます 分かりますか 私達は欺かれ 騙されています 本当にそうです 私達は無明の状況に 引き込まれ 世々代々それを 受け継いでいます

私達にも責任が あります 自分の 論理的な知性を 呼び起こしていなく 時間をかけて 考えるのではなく ただ人から与えられた ことを受け入れて それの「奴隷」として 甘んじているのです 喜んで誰かを尊敬し 彼らは自分より 素晴らしいと思い込み 彼らのいう事は何でも 真理として認め 思考せず 分析もしないのです 私達の過ちでもあり でも希望はあります これは変えられます 神の目には 全ての存在は平等だと 私が思い出させます 他より 優れている人は いません

誰一人いません イエスや仏陀の他には 誰もいません 彼らはすでに 神を見つけているので 私達は彼らを尊敬し 彼らから学べます 分かりますか
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