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戒律の意味 4/5 一九八九年十二月三日 米国、カリフォルニア州    
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私達が在家者として 修行しても  仏陀になれますか はい あなたは在家仏陀に なれます いわゆる「在家」という 場所はありません 分りますか どこれあれ仏陀の 境界は 仏国土です 法華経が説いている ことを覚えていますか 経典はこう説きます 「大日如来は 遍在である」と 大日如来は 古代の仏陀です 分りますか 「ヴァイローチャナ」は サンスクリット名で 無上の仏陀の意味です こう言いました 「経典は 大日如来は 遍在であると説く」 仏陀の境界は 永遠の悟りと 呼ばれています

ですから 私達は すべての法は 仏陀の法と知るべきで 私達はこれを知らずに 無明でい続けます 従って 「内面の完全な智慧 純粋さを感じず 解脱において まだ執着する」状態 分りますか いわゆる「在家」という 場所はありません すべての場所が 仏陀の境界で 私達は それを知らないだけ 分りますか 出家者とは 自身の身口意を 犠牲にし 大衆に役立つよう 人生を捧げる人で それで経典を学ぶ 時間をさらに得て 学ぶ時間のない 在家者に 説明します

ですから 在家者は 僧侶が勉強し 経典を読む時間を得て 更に修行できるよう 時々在家者が 暇なときに僧侶に 質問しに行けるよう お金を布施します 出家者に教える 良いマスター 在世のマスターが いれば  その出家者の智慧は 開き とても早く 発展するので在家者は 尋ねるからです 出家者はマスターに 毎日従い多く学びます それで出家者の知識は 多忙な在家者よりも 多いのです そう言う訳で 在家者は 出家者に布施をする 伝統があるのです 出家者が自由に学び 生活費を稼ぐのに 忙しく働く 必要はありません

それで私達多忙な人は 時々 時間があるときに 尋ねに行きますし 在家者が私達に説明 するのはより早いです だから私達は 「家を出た者」と 呼ぶのです 出家者は仏陀になれ ないとか 在家者は 仏陀になれないと いう訳ではないのです それは私達の心次第で 私達の霊修行と 純粋さ次第です しばしば出家者には 良い先生がいません 名誉と利益のために 在家者ほど純粋では ないかもしれません 分りますか 敬愛する聖なる尼僧様 法(真の教え)を 伝える時に なぜ より大規模の 大きな寺を 選ばないのですか

なぜこのような場所を 選ぶのですか 大きな寺は ありますか すべての場所が寺です 私は何度も寺のない 場所に行っていますが 私に何ができますか 例えば パナマには 寺がありません では感覚ある衆生は 済度されないという ことでしょうか 方法を探さねばならず 助けねばなりません 寺に行く必要は ありません 寺はここです 私は完全に仏陀と 菩薩に仕えるよう 専心しています 全く他のものは いりません ですから 釈迦牟尼仏が 生きていた頃  寺を建てませんでした ただ毎日歩いて 食べ物を乞いました

感覚ある衆生のために なりたかったのです でも一日一食だけです 品位を持っていました 分りますか 品位とまっすぐさの 明示と呼ばれています 私達はその方法で 無条件で他者に 奉仕します オゥラック (ベトナム)に戻って 法(真の教え)を広め 法(真の教え)を広め オゥラック (ベトナム)の苦しむ 人々を救おうという 意志をお持ちですか 現在 私は海外の オゥラック(ベトナム) 人に説明するのに 最善を尽くしています 将来考えます 海外のオゥラック (ベトナム)人も沢山 苦しんでます なぜ オゥラック(ベトナム) にいる人々を区別 せなばなりませんか 海外のオゥラック (ベトナム)人は 国内の人より 多く苦しんでいます

なぜ?自国に 住んでいるからです まだ私達の国ですね 私達には大勢の 身内や友人がいます 外国に行くと 苦しみの思い出が 私達を悩ませます 私達が他の国に 出国するとき しばしば人々は私達を 高く評価しません 言語も 私達は勉強しますが 把握できません 勉強し続けますが 飲み込めないのです 土地や食事は私達の ものと大変異なります

気候さえ異なります それは心理的に 影響します 沢山苦しみがあります 海外のオゥラック (ベトナム)人には 沢山苦悩があります ご存じないでしょうが 収容所に監禁された オゥラック(ベトナム) 人を訪ねて行きました そこに行った時 私は法(真の教え)に ついて一言も 言えませんでした 私はそんな悲劇の中の 人々を目にして ただ大泣きしました

瞑想中 私は頭が上がっていく 感覚を体験します どうすれば良いですか その感覚を 全身に広げるべき でしょうか それとも一定の点に 集中すべきでしょうか その一点とは体の どこにありますか 放っておきなさい ただここに集中する だけで構わないのです どうすれば観音法門を 修行できますか 後で登録して下さい 戒律を守れるのなら 生涯菜食になるならそれで良いですよ 他のすべての戒律は 基本的に 五つの戒律です 最も重要なのは 菜食になること 生涯菜食をすること 殺生をしないことです 他の戒律は守るように 最善を尽くして下さい 毎日 私達が 完璧になる時点まで 自分を少しずつ 変えるのです 嘘をつくなどの それらの習慣は 急に変えるのは 難しいからで しばしば私達は口を 開くときに忘れます  本当に嘘をつきたい わけではありません ですから徐々にですよ 飲酒を控え 肉食をやめるのです それだけです 他の戒律は 比較的軽めです

何故人々は苦しむ 時だけ霊修行を するのでしょうか 裕福で幸せな人たちは めったに 霊修行を口にしません そういう人もいますが 多くはありません なぜそうなのでしょう それは彼らには 沢山お金があるからで 彼らの人生は物質的に ほんの少し快適です 単に快適さだけでは ありません また時には過度に 耽溺する機会も あります 例えばお金があるので 妻を三、四人 求めます 或いはお金があるので 大変高級な ワインを飲み もっとおいしい 食事をします

高級なワインを 飲めば飲むほど 高価な食べ物を食べ 自分の身体が弱くなり 脳が衰えるまで 食べます それらに良いことは ありません そして当然ながら 衰えれば 脳は一層大きく 衰弱するので 霊修行への切望が より少ないのです それだけですよ 彼らは知らずに 毒を摂っています この世は本当に さかさまです 有害であればあるほど 高価なのです ウイスキーウォッカは 最も高価です そうですね 最も有害で 最も高価です そしてタバコは より有害で より高価で またはそんな感じです

麻薬は 最も有害です 最も有害で 最も高価です この世はそのように さかさまです 私達が働きに行き 最も有害なものを 飲んだり食べたり できるように お金を稼ぐことに 命を懸けます そうして私達が 飲食をすればするほど 害を得ます  身体は悪くなります 悪くなると 私達は病院に行き 更にもっとお金を 支払わねばなりません 病院に行き 身体を回復させ 家に帰ってまた 毒を飲み食いします 再び病気になり医者に 診て貰わねばならず その後身体を保つのに 更にお金を 稼がねばなりません そのように続きます

悪循環です それで 裕福な人々は 多くの功徳を得る 必要がありません 仏陀と 法(真の教え)は どこから来たのか 教えて下さい 仏陀は私達の 頭脳からで 法(真の教え)は 仏陀から来ます すべては頭脳によって 作られます それを証明する 必要はありません 例えば 今  あなたは仏陀になると 決心したとしますね そうして私と 修行します ある日 あなたは仏陀になり 仏陀は頭脳で作られる のではありませんか なぜなら私達の頭脳が そう望むからです それで「仏陀は私達に 内在する」と言います

敬愛する聖なる尼僧 私は経典を読み その意味を理解すると いつでも 突然泣き始めます 再び泣くのを 止める方法は ありますか 泣くのを止めるの もっと泣かせる 方法はあります あなたが泣く時 カルマ(報い)が 少なくなるので 悪い事ではありません 涙もろい 失恋 いわゆる失望や お金がない時 人にだまされて 泣くのなら 良くありません 私達が経典を読み 開悟して 泣ける時は とても良いのです 理由は分りませんが 今日 講演を聞いている間 聞いた後しばらく 頭が軽く感じ 目を 閉じたいと感じました

それでも まだ正面に あなたが見えるのです それでその時 あなたと私の意識に おいて私達の間に 何が起きたのでしょう 理由を教えて 下さいますか きっと繋がりが あったのです 繋がりです 私が講演を している間 加護のパワーがあり 仏陀と菩薩からの 加護です それで 心が純粋な人々は この加護を受けます 誰もが受けられる 訳ではありませんが 感度の違いによります 例えば 私達が少し 更に純粋なら より はっきりと見られます わずかに それほど軽くなくても 受けられます でも私達のカルマ (報い)は大変粗いので そのため  純粋で軽い人々と 同じくらい速く 受け取れないのです

あなたの場合は 純粋で軽い人の 事例です ただ目を閉じて 座って聞くのです あなたが幸せなら 良いです 構いません 菩薩の順位における 観音菩薩のレベルを 教えて頂けますか 高いレベルにいます 古代の仏陀であり 菩薩ではありません しばしば私達は  菩薩と仏陀が 何であるか分りません 仏陀もまた菩薩です 大抵の場合 仏陀は 菩薩として現れます 大抵の場合 仏陀は 菩薩として現れます 観音菩薩は 大変高いレベルにいて 古代の仏陀です ずいぶん大昔に 仏陀になりました しばしば  多くの仏陀がこの世に 現れ 観音菩薩は 菩薩として現れ そばにいます

そうでないなら 二人の仏陀がいたら 大変厄介です 一人の仏陀で十分で 他の仏陀は 文殊菩薩のように 菩薩として現れます 文殊菩薩は 過去 現在 未来 すべての仏陀の マスターです ですが 釈迦牟尼仏が仏陀 として現れ 感覚ある 衆生を済度する時 その時は 釈迦牟尼仏のために 予約されています それで文殊師利は 菩薩になるのです 観世音も 菩薩になります ですがしばしば 観音菩薩は 仏陀として現れます それは時代によります 敬愛するマスター 私は観音法門を 修行したいのですが 健康状態により 生涯菜食するのは できないと思います

それで 私は開悟を 得られますか 一生菜食者で なければなりません 菜食が健康に 良くないと 思わないで下さい 病院は 肉食の人で 溢れています 見たことありませんか 肉を食べればたべる程 更に病気になります 病院に行く 菜食者はめったに 見かけませんね 病院には肉食者が 沢山横たわっています 肉を食べれば食べる程 多くの悪いカルマ (報い)を持ち 悪いカルマ(報い)を 持てば持つほど 多くの病気になります そのようなサイクルに まさに入ろうとして どう解脱できますか あなたを解脱させない というのではなく 解脱を得るのは 可能です 解脱だけなら 観音菩薩を 求めなくても 観音法門を修行する 必要はありません 解脱を望むのと 仏陀になるのを 望むのは違います

観音法門を修行する 必要はありません 菜食を食べるよう努め 多いほど良いです それが小乗です (小乗仏教) 自身だけ救われます でも 私と観音法門を 修行すれば 五、六、七、八 十世代 百世代が あなたと共に解脱し あなたは仏陀に 菩薩になります 分りますか 解脱だけでありません 従って 阿弥陀経の中に 蓮の階位が九つ あると言われます

上位と下位があります 下位のレベルは 生きていた時一、二度 阿弥陀仏の名を 祈った人々のことを 言います 彼らが死んだ時 そこへ連れて行き より高く上がれるよう 徐々に修行します それが「解脱」と 呼ばれます でも仏陀には なれません 私と修行する人は 私と修行する人は 仏陀になれます 分りますか 又菩薩か 阿羅漢になります 私の名を 祈るだけの人々も 解脱します はい 二つの選択肢で 小乗(小乗仏教)と 大乗(大乗仏教)が あります 「大」がそうで 「小」がそうです 分りますか 「大」は 他人も 助けられることです 菩薩となって 五、六、七、八 九世代が解脱します 菩薩になった時に話す すべての言葉は 他人に利益を もたらします

どこに行こうとも 人々が加護を受けます それが 大乗と 呼ばれます 小乗は一人が 一人を助けます 私達が 在世の 仏陀や菩薩に祈れば 助けてくれますよ

尊いマスター あなたが法 (真の教え)を説く間 あなたの頭の回りに 煙の薄い層が見え 講義を聞いている間 私は泣きました

私の魂は深く 仏陀を想っています 何を意味しますか 仏陀を想うのは 良いことで  何も悪くありません 私が正法(真の教え)を 説く時あなたが仏陀を 想い泣くのであれば 悪いカルマ(報い)が 浄化されます 仏陀を想うのは 魔を想うよりは 良いですね 尊敬すべき尼僧様 あなたは(三宝に) 帰依する儀式を 行いますか 何のためですか 帰依するのは良いけど 心の中で帰依できます 儀式にする必要は ありません 帰依したい人は いますか したいならしましょう なくても気にしないで 帰依はこのようです 五つの戒律を 守ろうと努めたり その先生に力があると 信じることです

死んだ時 彼は 生死の輪廻から 私達を助けられます レベルが低くても 私達の蓮がいわゆる 低い品性にいて 低レベルに生まれても それで帰依するのです 私に帰依したいなら 複雑にする 必要はありません ただ帰依して 家で帰依すれば いいです 分りますね 行く先々で 帰依の儀式を行えば 多すぎて 皆さんを 覚えられないからです 正式に帰依したいなら それも構いません やりましょう ですが必要はなく 必要ないと思います 心の中で その人を 信じていれば十分で それが帰依です

ダーラニー法について 教えて下さい ダーラニーは呪文です サンスクリット語で ダーラニーは呪文です 呪文を知っていれば 智慧が開くのを 手伝います つまり 呪文を唱えるのは 私達に有益です それがダーラニー 霊修行です 尊敬すべき尼僧様 どのように 「内なる仏陀」を 育むべきですか どの法門で 最初にすべき 最も重要なことは 何ですか 発展させるには 二つの方法があります まず 前世で 霊修行を沢山したため 今生で度々 マスターに会うだけで 通り過ぎただけで 彼の力が自動的に 智慧を開いてくれます

私達が家に戻ると 開悟します 沢山の人々がそうです ですが 自身で 開悟できないと 思うなら 開悟したかどうかが 分からなかったり 力が十分でないなら マスターに 頼らねばなりません 彼はすでに開悟した為 開悟を手伝って くれます 印心と呼ばれます 印心の間に あなたは開悟します ですが  失われることから 保護するために 戒律を守らねばならず また霊的レベルも 日々 より高く 上げねばなりません 尊敬すべき尼僧様 両手を合わせ 観音菩薩を唱える時 手のひらをゆっくり 引き離す力を感じます

この現象は何か 教えて下さい 仏陀の名を唱えながら 何らかの動きが 現れたり  境界が現れたり その後 軽快に 快適に感じたら それは良いことです その後 体が重く 憂うつで 居心地悪く イライラすれば 偽りの境界か幻影です いいですか 病気か 妊娠している人で 薬を飲む必要があって それが植物由来か 動物由来か 不確かでも 罪を犯しましたか 罪ではありません 動物性成分が 体を重くさせるだけで 体を重くさせるだけで 罪ではありません 「罪」とは 重く感じさせることで それが罪です

私達を 進歩させないことを 罪と呼びます 知らないなら それを避けられない でしょう もっと瞑想して下さい その日 分っていたら もっと瞑想すれば より軽くなります

開悟に達するために クンダリニーを 高めるのに必要ですか 人が解脱する時 肉体は どんな 変化を体験しますか いいえ 開悟のために クンダリニーを高める 必要はありません クンダリニーは 開悟に必要ありません 観音法門を修行すれば 開悟します クンダリニーは 肉体に 影響するだけで 魂にではありません 体には 二種類の 動きがあります 一つは 体の規則を 世話しています 一つは 解脱して 智慧を発展させます 二番目のに 私達は 重要性を置きます

一番目のでなく クンダリニーは一種の 非常に低い物質の力で 見えないにも拘らず クンダリニーを 高めれば 時々 非常に痛みがあります ミラレパの物語で 彼のクンダリニーが 目覚めた時 彼はとても痛い 経験をしました 私には ドイツにいる オゥラック(ベトナム) 友人がいて 彼もクンダリニーを 手荒く扱った後 毎日痛みを感じました クンダリニーの過程は 安全ではありません 痛みも 危険もない 例えば 観音法門を 修行した方が良いです

なぜこの社会で 人々が善行をしながら 時々恨みを買い 正直な人が時々 災難に遭遇しても 悪人は時々 より長く 寛いだ人生を 送っていますか 誰が悪いか等私達には まだ分かりません 大抵の場合 私達には 今生の原因と報いを 明確に見る事はできず 前世においてもです 誰が悪い訳ではなく ほとんどの場合ですが 裕福な人々がいたとし それは前世からの 彼らの功徳なのです 今生の彼らの悪行の 形を成していません 今生での彼らの不実な 行為は来世で 或いは今生の後の方で 支払われたりします

彼らが受け継いだ 豊かな生活は前世ので 誰も自らが犯した罪に ついて懲罰から 逃げられません ただ 遅かれ早かれ 時間の問題です しばしば私達が善行を 行えば報われると 考えますが それは 必ずしも真実ではなく 好意で成した場合です 多分 私達の過去世で その人に何か借りが あったのかもしれず これらの事や行為は それに報いるだけ かもしれません 布施をしていると 思わないで下さい 私達はただ恩返しを していると考えれば 私達はがっかりせずに すむでしょう

善行を行います それは人間としての 責務であり他者を良く 待遇することですから 何か自分が善行を していると考えないと なぜその人は感謝 しないのかとがっかり しないでしょう 善行をしているとさえ 思いません この世に生きることは 互いに助け合う責務を 皆が負うことだったり 貧しいか 裕福か 裕福になりたいために するのではありません 裕福になりたいなら 私達は布施をすべきで 沢山与えるのです 人々を尊重し 霊的な開悟に到達し そうすれば 来世で私達は裕福に なれます いいですか

敬愛する聖人の尼僧様 この世でよく聞きます 四、五人の妻か 愛人を持つ男 または 四、五人の夫か 愛人を持つ女は 彼らは前世で互いに 債務を負っていたと それで彼らは再び 今生で再会しますか それは自身の欲望を チェックしていなく いかなる債務でも ないでしょう 敬愛する聖人の尼僧様 印心を受けた後 私が戒律を守り続け られなければ何が 起こるのでしょうか 因果の法則にによって あなたは影響を 受けることになります 多くの場合 以前より事態は深刻に なることを恐れます 既に知っていて それでもその戒律に 反しているからです 最初私達は知りません でしたと言いました でも今回 私達は 既に知っています

戒律を守ると約束して それを破るのです あなたが違反しても そんな状況で 守れないなら 正すように努力します 分かりますか 今すぐ修正するのです 神は全ての生物に命が あると言いました ですから野菜 豆 果物 木々も 命があります 私達がそれらを食べる ことは殺生ですか では 食べずにいて 飢え死にしますか なぜあなたの慈悲心は それほど度量が 狭いのでしょうか 私は肉食を止めるよう 頼みました それさえ できずに 果物を 食べることも止めると いうのですか

ええ生物には皆 命が あります 正しいです でも生命が非常に 強い時もあります 内面に深く深浸する そういう時も あるでしょう 植物はそれほど叫び ませんが 動物は 私達が彼らを殺す時 生命を愛し死を恐れる ことを私達は知ります 動物は反抗し叫びます それはこれら(花々)と 同じではないです よく私達は バジルの芽を摘みます 一つの芽を摘んでも 四つの芽や五つの枝が でてきますね それは有益で 傷害ではありません

でも豚の頭を切りとり 後から四つ、五つの 頭が出て来ますか 論理的だと分りますね 肉を食べるのは自分の 味覚を満たすためです 野菜 豆を食べるのは 私達の生命を 維持するのに必要です 仕方なく食べます 死んでしまうので 生存のために他に 方法がないので野菜や 豆を食べるべきです それは私達は既に 自らの慈悲心を育む 最善を尽くす意味です でも自身に対しても 慈悲心を 持つべきです 仏陀が内在しています どうして彼を飢え させておけますか

敬愛する聖人の尼僧様 私は菜食を続けられる と分かります 私は一か月以上 既に菜食ですから まだとても健康的です

私自身 私は娘で 妻であり 母の務めがあります いまだに家族のために 肉料理を作ります 尊敬する聖人の尼僧様 そこから私は何か罪を 受けますか いいえ 何の罪もないですが あなたの進歩において 幾らか影響します 何の副作用もないとは いえません いわゆる「集合カルマ (報い)」です 知っていますか でも特別な場合です あなたの家族が共に 菜食を食べないなら 彼らを自由にさせる ことです 彼らに私達に従うよう 強要できません

ですからあなたは 何の罪も引き起こさず でも集合カルマ (報い)を共有する事は 免れられません いいです 構いません ある人が死ぬ時彼らは 自らの罪や福報を残し 地獄へ または天国の いずれかに 昇天します でも今生において その亡くなった人が 何も悪事を行わず 霊修行を行い 菜食をしていた場合 なぜその人は 彼の親類の夢に現れ 彼らに起こるであろう このことについて 教えないのでしょう この死んだその人は まだ解脱していない という意味ですか

ええまだですその人は まだ解脱していません 高い境界へと 解脱していません 彼はまだ低い境界です でも彼もまた解脱して いるという意味です 「解脱」の意味は 低い境界に生まれない ことです 苦しみの 世界 例えば地獄や 畜生道のような 従って 彼はまだ夢の中に戻り 予言するかもしれない その意味は 彼は 天国にいますが 低い レベルの天国です 神の王国 あるいは 涅槃(極楽浄土)では ないのです でも菜食になることは 仏陀になることを 意味する訳ではなく 永遠の解脱を意味する 訳ではありません

そうなら牛 馬 象は 解脱できている はずでしょう 既に仏陀になっている ことでしょう 菜食者になる他に 私達は修行し 私達の仏性を培う 必要があります 仏性を知る その必要があるのです 毎日 私達は瞑想し 仏陀の教えを 聞かねばなりません そうして仏陀になり 菜食になるから 仏陀になるのでは ありません 菜食をすることで 殺生のカルマ(報い)を 避けます 殺生を避け 元来の私達の慈悲を 育くまなければ 仏陀にはなれません

六十歳以上の人々は 印心を受けることは できませんか 特別な場合によります 例えば彼らが強く健康 なら六十五歳まで 大丈夫でしょう 又は 彼らが菜食になれたり ずっと長い間 菜食であった場合は 大丈夫でしょう でもあなたが健康では ないと感じ 既に年を 取り過ぎていると思う なら あなたは菜食に 切りかえるとすぐに あなたの体は幾らか 反応を起しそれは 良くないと思います または長い間瞑想する ことができません またはあなたの頭脳は もはや鋭敏ではなく 私が教える教理を 理解するのが不可能 かもしれません

そういう事いいですか あなたが理解し 菜食になれるなら 問題はありません 尊敬する聖人の尼僧様 私には分かりません 六つの感覚器官と 六感とはなんですか どうかそれを明らかに して頂きたいのですが 六つの感覚器官と 六感とは 何ですか 誰か知っている人 知っていますか 六感とは何ですか すぐ回答できるなら ご褒美を渡しましょう 眼 耳 鼻 舌 身体 頭脳です そうですね わあ 素晴らしいです これを彼女に 眼 耳 鼻 舌 身体 頭脳です 六つの感覚器官です そして六つの感覚の 対象はこの世界に よるものです

眼 耳 鼻 舌 身体 頭脳 分かりますか 例えば私達の眼は 美しい物を見て 私達はそれらに 魅了されます 魅了されているなら 私達は自分の注意力に 集中し続け見続けて 欲しがり続けます 内面の反映を 忘れさせます 私達は自分の仏性を 忘れ ただ外面を 見続け内面を 見ないでいるのです 私達の耳は甘い声を 聞き人々は私達を 惑わせます 私達を称賛し 私達にあれこれだと おべっかを言います 私達は元来の本性を 忘れてしまいます その意味は私達が 欲するいかなる欲望も 蓄積していきます 私達は思います

「これは素晴らしい これは美しい」と 私達はそれらを 望み続けそれら欲望を 持ち続けます 六つの感覚器官は この世のそういう 情報を集めます六つの 道具を通じていわゆる 六感覚器官のことです 「官」の意は道具です 何でも集めた事を通じ ます だから六つの 感覚器官なのです 「六つの感覚機能」と それらを呼びます 「六」の意は六です 四九年間伝道した 仏陀は これまでの四九年間で 一言も話してないと 言いました これについて詳しく 教えていただけますか それはこのようです ある人は仏陀にこの ように尋ねたからです

「四九年間あなたは 何を説きましたか どのような方法を 教えましたか」と 法(真の教え)は 言語で教えることが できず 法は 言葉で伝えることが できないと 私達は皆 よく分かっています 従って 彼は 「四九年間何も 説きませんでした」と このようなことです 従って 仏陀は 「法(真の教え)を 説きませんでした」 「四九年間 法(真の教え)を 説きませんでした 真理を伝えません でした」と そういう意味です 私が印心を伝える時 真理を伝授する時と 同じです このように話しません 完全な沈黙の中で あなたは悟りを 開くことができます

あなたの自性を知る ようになり 仏陀 仏性や仏陀の境界を 見たり 音を 聞くことができます 少なくとも 仏陀の音を 聞くことができます 尊敬する尼僧様 菜食をしながらも 頭脳は無明のままだと 菜食はどのような 利益がありますか 霊修行は ある程度の知的な 知識が必要ですか 霊修行には 知的な知識は 必要ありません 六祖慧能は 学校にさえ 行きませんでした 菜食はどうして 無明にさせますか 菜食を守ることは 私達の慈悲を養い 全ての衆生は平等で 私達の子供 家族のように 思いたいからです

それで どうして 無明なのでしょうか 「菜食を守る」はただ 菜食だけを食べる わけではありません 菜食の食事を 守ってから あなたは仏陀の音を 聞いたりすることが できるようになり 毎日ますます 悟りを開くことができ より賢明になる 方法を教えます 智慧はこの世の 知性より優れています この世の知性は ただ他人の知識の 蓄積の結果に 過ぎません 私達の本来の智慧 私達の本来の仏性 ではありません 誰にも教えられません この世の知識は 他人から蓄積して きたものです

大抵他人の考えは 必ず正しいという わけではありません ご存知の通り 何回も 真実である ことを証明されたのに その後 そうでない ことを証明されてます 本日は「この人の 話が正しい」 明日になれば「その 人の話が正しい」と ですから この世の 知識は必要がないと いうわけです 将来の仕事のために 学校へ行って ある程度の知識を 身に付ける 必要があります でもこの世の知識は いりません この現世は非常に 短いものです

人々を人生から 解脱させる霊修行は 実用的では ありません これが本当なら 何も悪いことをせずに 今の人生をそのまま 送れば良いのですか これで十分ですか はい 人生は非常に 短いです しかし 生命力は永遠です ですから この身体が壊れたら  別の身体を 得るでしょう この身体を捨てたら 永遠にいなくなったと 思わないでください 永遠にいなく なったら なぜ 仏陀になれた人が いるのですか どうして涅槃 (極楽浄土)を 得ることができますか 永遠にいなくなったら 死者は夢の中に 戻って予言することが できるのですか

何も永遠に失われて いません 私達は 外観を変えただけです 服を変えただけです 例えば 今日は 私が黄色い服 明日は 白い服を着るように 中の本人は 変わりがありません 従って この世を去ってから 永遠に去るとは 思わないでください 何も失われていません 例えば 水は 蒸発して雲になります 雲から雨に なります そして 再度水になります このようにずっと 再循環しています 何も失われていません

今はこの人生が非常に 短いと言って 霊修行をしないと 霊修行をしないと 生まれ変わったら また短い人生です そうでしょう いつまでたっても 短いままです 人生における この短い時間を 霊修行に使えば その後 私たちの人生は 永遠になります 悟りにおいて永遠です しかし霊修行を しないと 行ったり 来たりするだけで そのつど また短い人生で また このように無明です また挫折して混乱して それを解決する方法も 見つかりません

あなたが言ったように 永遠の生命を 信じなくても大丈夫 私達はやはり 霊修行をすべきです この人生しかないと 信じても 霊修行をすべきです ではなぜ霊修行が 必要ですか 残り 95%の脳を活用して 人生に奉仕するため 分かりますか この社会をより良く 発展させます 来世を考える 必要がありません 私達は人生の面倒 だけでも精一杯です なので より良く 生きていくために 私達自身を養って 鍛えるべきです 尊敬すべき尼僧様 これを説明して下さい 「与えずして与えるが 真の与えである」

私が先程 述べたようにです 他人のために何かを した時 見返りを 期待しないことです ほとんどの時 私達は 前世で彼らに 借りがあることを 知らないのです だから今生で彼らに 良いことをしてると 考えてはいけません 良い行いをするのは 自分達の務めだから 誰かを救うのです すべての生き物は 私達の親戚  兄弟 両親なのです 私達は 親戚 兄弟 そして両親が貧乏に 暮らすのを見て 助ける それだけです それを「与えずして 与える」といいます それが与える本当の 意味なのです 私は既に帰依している マスターがいますが あなたから学んだら 裏切りになりますか 昔は 先生と 幼稚園で学び そして小学校で 先生と 学んでいました 将来は 先生と 高校で学び その後は 教授と大学で学びます

それではそれは 小学校の先生を 裏切る事になりますか 学校に行くので 結婚をする訳ではなく ですから 他の人に変えても 裏切っていません 学生はどの先生も 所有していません 学生は 誰か より智慧がある人から 学び 自身を 成長させるのを 求めるべきです 先生が彼らに何かを 与えて 彼らを縛る 訳ではありません 学生を縛る 先生は無知な 先生です

有名な英雄 韓国軍の二大 将軍霊性のマスターに どのような質問を するでしょうか 更に解明するには スプリームマスター テレビジョン 十月二十日水曜日の 番組をご覧下さい 「体験こそ 最良の学習方法」は 智慧の言葉にて 有名な英雄 韓国軍の二大将軍は 霊性のマスターに どのような質問を するでしょうか スプリームマスター テレビジョン 本日の番組を ぜひご覧下さい 「体験こそ 最良の学習方法」は 智慧の言葉にて 未来は今現在に かかっています ただ自分の仕事を 正しく 良心的に行い 自身の知識や良心に 最善を尽くせば そうすれば 全てがうまくいきます

スプリームマスター テレビジョン 十月二十日水曜日 スプリームマスター チンハイの智慧溢れる 講義をご覧下さい 題して 「体験こそ 最良の学習方法」は 智慧の言葉にて

スプリームマスター テレビジョン 本日の 番組をご覧下さい 「体験こそ 最良の学習方法」は 智慧の言葉にて
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