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六波羅蜜 3/4 一九九四年十月二日 マレーシア(マレー語)    
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阿羅漢と 仏陀の違いは何ですか 時には 阿羅漢は仏陀で 時には 仏陀は阿羅漢です 時には 仏陀は阿羅漢ではなく 時には阿羅漢は 仏陀ではありません

皆さんがどのように 見ているかによります 最も明確な定義による 阿羅漢とは 沢山の超能力を 持っていて 野獣を従順に出来たり 風を起こせたり なんでも出来る人です 仏陀は同時に 無数の化身を 持てる存在です いつでもどこでも 同時に一切を 聞き取れ 見れる存在です 彼と宇宙とは一つです 彼らは遍在しどこかに 居るのではありません 如来と呼ばれています 定義による阿羅漢は 通常の理解では ちょっとした 超能力があり 解脱してる存在です しかしまだ完全には 究極の力や智慧を 得ていない存在です わかりますか? マスター 神がこの 世界を創造したのか 自ずと存在してるか

神の所へ行って 尋ねるべきです 行きたいと 思いませんか 印心を受け 観音法門を修行します そして直接 神に尋ねて下さい 「何が最初でしょうか 卵ですか 鶏ですか」と

完全菜食をしてる人と してない人の 違いは何ですか 瞑想に影響しますか 影響します どんな影響があるか 知りたいなら 会場の外で 会場の外で 本を見て下さい 弟子が 印心後 戒律を破りす 肉食をすると どんな影響があるか 書かれています 「師弟の内なる便り」 (師への手紙)と呼ばれ これらは通常の手紙で ないからです 聞いてるのではなく 「ご機嫌いかが 「天気がいいですね」 いいえ 違います 私達は 内在での 智慧 戒律 悟りを 深く論じて いるからです そうですね 「戒律」と呼ばれてる コラムがあります 菜食と非菜食について 多くの体験が読めます 瞑想や成長に どのように影響するか 自分で 解るでしょう

私は体験から全てを お話しているのです 弟子の悟りの証明や 体験から お話しています 解りますか 無理やり何かを信じさ せたいとは思いません 証明があるのです

瞑想中 心に あるものは何ですか 何もないのでしょうか 何もありません 何も欲せず 余り多くを考えません 何かやって来たら それに任せ 煩ってはいけません ただ法門に 集中して下さい 呼吸法を修行し 呼吸を数えるなら 数えて下さい 仏陀の名前を 唱えているなら 唱えて下さい イエスの名前を唱えて いるなら唱えて下さい ここに集中して下さい 瞑想の修行で 到達すべき目的と なるものがありますか ええ 恩恵と智慧を 祈って下さい 解脱を祈って下さい 世界の平和と自身の 内在の平穏を祈ります それが最高の目的です 宝くじを当てたいとか 美しい奥さんを 得たいとかも 望めますが 最高のものを得るよう お勧めします そう 智慧を 平和を幸福を 祈って下さい 自身と全衆生のために 祈って下さい 瞑想の修行を望むと したらどんな助言を 頂けますか 私はその答えによって 心から開悟したいと 望んでいます

あなたは瞑想を したいのですね 私はとても嬉しいです 既に方法を知っていて それが助けになるなら 続けて下さい 助けにならないなら 私が昨日と今日の夜 皆さんに話した方法を 試してみて下さい これでも満足せずに 深い悟りや より深い 智慧を得たいなら また内面に深く入り より多くの 守護を得たいなら 印心を受けて下さい そうすれば 私は 最も安全で効果の高い 最高の観音法門を 教えたいと思います 親愛なるチンハイ マスター 智慧以外に 瞑想の利益を 話して頂けますか 分りました 沢山です

皆さんは幸せや 平穏を得られ  自他共に助ける力や 皆さんの五、六世代を 救い上げる力を得られ 後には皆さんが仏陀や イエスになれます 皆さんは一切を知り 困ってる人や他の人の 罪を浄化でき災害に 苦しんでる人や悩みの ある人誰でも助けられ 多くの超越的な力を 持つようになります 家族のいる人が出家し 家を離れることなく 開悟できますか もちろん出来ます マスター 自分の大事な人や 家族 国を守るために 嘘をついたら罪ですか いいえ 大丈夫です 罪ではありません

どうしたら自分が 良い瞑想をしてるかが 解るのでしょうか それがあなたに平和と 満足を与えていたら それが良い結果です 瞑想に良い時間帯は いつでしょうか 定職に就いていれば 朝早く三時~六時位に 起きるのが いいでしょう 深夜からが 瞑想には良い時間です しかしちゃんと休んで 良く眠ってからです でないとそこに座って 眠ってしまい 何にでも同意して しまいます 働いているのが朝か 夜かに関わってきます 夜ぐっすり眠ってから 最高の時間帯です

どうして今日世界には こんなに沢山の宗教が 存在するのでしょうか どうしてそれらの 多くが矛盾した 教理や哲学を有し なぜ 神はこれを 許してるのですか いいえ 違います 矛盾していません ただ私達の智慧が こうした宗教の 基本的意味を 理解するために 開いてないのです 矛盾してはいません 神は望んではいません 別なものにしたのは 私達自身なのです マスターチンハイ 創造主について 話されました

全能の神や 仏陀やイエス 観音菩薩などの聖なる マスターについて 彼らと神とは どんな関係ですか 彼らが神の弟子なら 直接全能の神に 祈った方が 良いのではないですか ええ それなら全能の 神に祈って下さい でもこれらマスターは 折々神のメッセージを 携えてこの世に やって来ました 彼らがやって来るので 私達は神を知るのです 解りますか 彼らのつながりや 恩恵 加護 助けゆえに 私達は神と つながれるのです ですから私達は彼らに 感謝します 間違ってはいません

過去のマスターを あまり 気にしてはなりません 在世のマスターを 探すべき 解りますか そうすれば神と直接 つながれるのです あなたの質問ですが 「こうしたマスターを 崇拝すべきかどうか」 すべきではありません 神を崇拝すべきですが マスターに祈るべきで 神と接触できるように マスターの助けを 求めて下さい 分かりますか 在世のマスターです 過去のマスターは 仕事を終え 他の事をしに行って しまい もう この仕事はしません

敬愛するマスター 私は多くの人々が 宗教の存在で 論争するのを 聞いてきました ある人はキリスト教が 最初である人は仏教が 最初だと言っています 私にすれば どっちの宗教が先かは 重要ではありません (そうです そうです) だから心より敬愛する マスターに悟りに 導くよう願っています 重要ではありません 正しいです 最も重要なのは 私達が信じてる 宗教の教えを 守ることです 一つの宗教に従って いれば全宗教の教えに 従う意味だからです それら殆どの教えが 同じものなのです

悟りの道では 瞑想と数珠を使っての 念仏にはどんな 違いがあるのですか 瞑想とは 静かに座り 内在のマスター 神の導きに 耳を傾けることです 数珠を繰っての念仏は 忙し過ぎて 聞くのを 忘れてしまいます 念仏や数珠を繰るのは 神に助けや導きや あれこれと祈る ことですが 求めた後で静かに座り 聞かねばなりません 違いますか 皆さんに質問したら 私は静かに 座るべきですね そうすれば皆さんは 私に何か答える 機会が 得られるからです そうですね

ですから 瞑想は 祈りや数珠を繰った 後でやることです でないと数珠を繰って 祈っても 効果的ではありません どうすれば悟りの道を 教えてくれる相応しい マスターを得たか 解るのでしょうか ええ 簡単です マスターはあなたを 悟らせる必要があり それで正しい悟りの 道か解るのです 違いますか 悟るとは光を得る ということです どんなマスターでも あなたに ある光や 神の導きを与えられ 光を伴う神との直接の 接触をもたらせれば 悟ったマスターであり あなたは悟りの道に いることになります

親愛なるマスター 仏陀は女性は男性より 下の存在だと言って どう思われますか 決して言いません それは大きな誤解です 私達には女性の仏陀も 男性の仏陀もいます 経典の中にさえです ですからどうして そんな事が言えたのか たとえ彼がかつて何か そんな事を言っても 当時のインドの習慣の ためで 女性は男性の 後ろに座らねばならず 女性は男性に敬意を 払ねばならないとか 解りますね 彼がインドの習慣を ひっくり返し 社会秩序を 壊したくなければ 女性は男性の後ろに 居て 男性の後ろに 座らねばならない 男性に敬意を払うべき と言ったでしょう 彼が広く行き渡ってた 習慣を尊重したからで 同様に私達が この国へ行けば そこの習慣や法律を 尊重せねば なりません 解りますね ですから私達が 何かを広める時 仏教徒やキリスト教徒 あるいは無宗教の人の ためだけに広められ 何故ならこの国の法を 尊重しているからです 解りますか

それは国家の法律で その法律を尊重します 同様に 仏陀がインドにいた時 彼は女性を 男性の下に置きました そんな社会だったから 解りますか そうでなければ 男性も女性も平等です

沢山の人が 霊界や死後の世界の 存在を話していますが これは真実ですか そうです 真実です 私達の世界を超えて 多くの世界があります より美しく より永遠でより愛深く よりゆったりした所 仏教の教えの涅槃とは 実際なんですか 涅槃は至福に満ちた 静寂で 瞑想中に小さな涅槃を 得られます 大きな悟りを得た後で この世を去れば より大いなる 涅槃を得られます この涅槃が仏教徒の 人生の究極の的ですか そうです

印心を受けるための 与件項目が多く 怖い感じがします

どう印心を受けるよう 鼓舞してくれますか 怖いと感じる どんな事でも 弟子に説明を求めて 私に聞いて尋ねて 全てが怖い訳ではなく そんなに怖かったら これほど多くの弟子は 集まっていません 沢山の仲間がいます 菜食をしたり 肉や麻薬を禁じたり するのは なんら怖い事では ありません 解りますね 殺生や盗みを 禁ずるのは 少しも怖くありません よく考えて下さい 病人を治す 手助けをするのは 悪い事ですか そうなら慈悲心は どこにあるのですか 病気なら医者がいます 病気なら医者がいます

また望めば 神霊治療師もいますが 私達は別の道を歩む 解りますか 人々の解脱を望み 小さな病気治癒を 望むのではありません 人々が病気になれば 病院に連れて行き 世話をすべきです 治療するのに あなたの限定的な力に 頼らず 祈り 自分の力に 頼るよう言って下さい 解りますか 小さな慈悲心と 大いなる慈悲心は 違います たとえば学生で まだ医者に なっていない時に 看護婦が皆とても 忙しく患者の世話を してるのを見て 医者になる勉強を投げ 人々を助けるべく 看護婦になってしまう のと同じようなもの それも構いません

しかしそれでは あなたは医者になれず ずっと看護婦です 神霊治療で人々を 治せば それは単にヒーラーに なっただけで 病人を助けるだけで 全衆生を助け 自由にし 解脱させ 仏陀にして あげられません 解りますか 神霊治療師に なりたいなら 可哀想な人々に 神霊治療を施して それも慈悲心ですが 皆に仏陀になるように 教えたいです そうすれば単に人々を 癒すだけでなく 人々を解脱させられ 世界を解脱に 導けるからです それはより大きな目標 医者になるのであり 看護婦ではありません 選択の問題です

あなたは在世仏という 肩書きを 受け入れますか

受け入れようが否や 何ら差はありません 私をそう呼ぶのは 彼らで そう呼ぶよう 言ったのは私ではない それに 報道関係者に 在世仏と呼ばせるのは 非常に難しいです 解りますか 彼らを買収できません 彼らが初めて 私を知った時 私は彼らを知りもせず コスタリカを去った後 そう呼んだのです 彼らは私の仕事や 私について報道して 私が既に去った後で 沢山の事を 記事にしたのです 弟子がそれらを集めて 掲載しただけです 弟子への情報用にです マスターがどこへ行き 何が起きたか

どこの国で 何が起きたかと

マスターがどこへ行き 何をし人々が どう言ってるかを 弟子に伝えるとても 正直なニュースです それだけです 皆さんが私を在世仏と 呼ぼうが 在世幽霊と 呼ぼうが 私には 何の違いもありません しかし私達は皆 在世仏です 私だけではありません 聖書によれば 私達は在世の神です 「汝自身を知りなさい 汝は神の神殿であり 聖霊が汝の内に 宿る」と 神はこの神殿に住み だから神なのです 体は単に殻に過ぎず 神殿に過ぎません 神は内面に居るのです 解りますか 私達は神 誤報を受け取っていて 皆さん自分が誰なのか 解っていません 自分の偉大さを知らないのです 私が知っているなら あなたは私のために 喜ぶべきでしょう

仏教における 最大の汚れの一つが エゴです あなたの写真を 外で売っているのを どう弁明なさいますか それは何かエゴと 関係がありますか 人々が好きなので 私達は彼らの願いに 応えねばなりません

それは皆 私の弟子がしていて 私とは関係のない事で 私が自分の写真を 自分で撮り 現像しに行き 売っている訳ではない そうですね 皆を助けたいという 善意以外 私は何も売らず お金も取らず 利益を得たりしません 私は自分の生活費を 稼ぐために 自らの手で働きます ですから私から 得るものは何であれ 無料の贈り物で 全て善意からのもの 私は毎日 手仕事をしています 自己経費を稼ぐために スカーフを作ります たとえ講演がある時も その前に少し こういう仕事をします

飛行機や 電車や バスの移動中にも 時間があれば 仕事をします それで 私には十分な 生活費があるのです 私は何一つ売りません 金銭であれ利益であれ 生じたもの何でも 再び無料で配布します 本に印刷されたり 解りますか 皆さんにただで提供し 無料で講演会に 来られる手配をします 無料で印心を 受けられたり 私達と食事をしたり 会いに来たりする 手配に使うのです 全て皆のために使って 私のためではないです 写真も 欲しければ 記念に持って行けます 欲しくなければ そうしないで下さい 私のエゴとは 関係ありません 気にも留めていません この仕事をするのは 非常に怖いことです 私の仕事を羨んだり 望んだり 羨んだりしないで 非常に怖い仕事です 時や場所に関わらず

恐怖やプレッシャーや 批判を浴びることに

皆は私を哀れむべきで 批判すべきではなく 私を守って下さい そうです 私にもっと 愛と勇気を下さい それで皆さんや人々に もっと奉仕できます ただ奉仕できます 何も取りません 親愛なる 大マスター 私は観音法門を 修行したいと思います しかし 菜食が原因で 受けられないと 思っています では 今晩 私が教える 方法を修行して下さい ゆっくりと 可能かどうか見て 可能かどうか見て 菜食へ移行して下さい

暫くして成功したら 印心を受けに来て いいですか 親愛なるマスター ニンニクと玉葱はなぜ 菜食品と見なさないか 説明して下さい それは仏教の 戒律によります 経典に ニンニクと玉葱は 情動を性欲を 刺激するとあります 修行しているなら 性行為を 最小限にしなければ なりません ニンニクや玉葱を 食べるとそれが 増大するので 私達は それを避けるのです また 玉葱は肝臓や 腎臓も害し 記憶力を鈍らすとも 言われています それで 出家者や 良い修行者は それらを食べない方が いいと考えています

解りますね 時々 瞑想中に 体が動いたり 揺れたりします トランス状態のような 説明して頂けますか はい それは瞑想中に 善の力と 悪の力が戦って いるからです あなたを 引き上げたい力と 引き下げたい力です それが続くのです 瞑想を続けて 力のあるマスターなら 誰にでも 助けを求めて下さい その人がダメなら 神や仏陀や信じる 誰にでも助けを求め ゆっくり根気よく続け これを克服できます また 生活を もっと清浄にして 菜食もして下さい 瞑想を習うことに 恐怖を覚えマスターを 見つけられないなら その恐怖心は成長の 障害になるでしょうか そうです

この恐れを 克服せねばなりません 瞑想したいなら 勇気を持って やってみるべきで 何も恐れるべきでなく 人間は 最上の創造物です 恐れるべきではない 物を見るのは目ですか それとも視覚ですか 視覚がものを見ていて それで たとえ 目を閉じていても 沢山のものが見えます 視覚という天性が ものを見ているのです ですから私達が死ぬと 目は開いてたり 閉じてたりしますが もう何も見えません なぜなら 視力が なくなったからです 生徒を悟りに導くため 触れたり 他の方法を 授けるのは マスターに可能ですか ええ可能です 触る必要はありません

チラッと見るだけで 名前だけで十分です マスターの名前を聞くだけで十分に あなたの助けになり 信心と誠実さと 謙虚さがあればです 私は仏陀の名や 宇宙の法を 唱えるという 信仰をしています 念仏や宇宙の法を 唱えながら 静かに瞑想するには どうしたら良いですか あなたは 唱えた後で 少し瞑想が必要だと 言われました 静かのと騒がしいのを 同時にしたいなら 私には何の方法もなく 暫く唱えて それから 座って下さい ええ 再び唱えたくなったら 唱えればいいのです 二四時間ずっとは 唱えられません

神の加護や仏陀の 助けを受け取るために しばらく静かに していて下さい 動物の殺生は罪ですか 罪です 彼らには魂があるのか あります 細菌や害虫を殺すのは どうですか それも殺生ですか ええ でもそうなると 自身を滅することに 食用の動物殺生は 不要です 分かりますか 第一と第二の場合は 異なります 第一の場合は 食用の殺生で 今日食物は大豆でよく 全種類の野菜が 食べられます ですから第一の場合は それほど必要ではない 生死に関わる問題では ないので罪は少し重く なってしまいます 第二の場合は皆さんは 自分の命のために 戦わねばなりません 人の命は非常に貴重で ですから有害な細菌は 医療的手段に従い 排除が許されるのです しかし 最小限に しなければなりません 解りますか

親愛なるマスター 菜食者か 非菜食者 殺生か不殺生仏教徒か キリスト教徒とか 悟りの鍵を 持っているとか 音の有無の観察に 印心を受けるとか これらは 単に頭脳に よる分別です これら全ての考え方に 執着することが 輪廻転生で これら全てに 執着しないことが智慧 これら全執着から離れ 無執着になることが 悟りです 私の考えが正しいか どうかコメント下さい アドバイスを下さい あなたが正しいと 言えば違います 智慧を得 開悟してれば 聞く必要はありません それはあなたが 悟ってないためです

その考えは不十分です 分かりますね 「私は階段には 執着しません 二階は階段ではない」 とは言えません でも階段を上って 二階に行かねば なりません 既に二階に上っている 時に 「階段は要らない」と 言えるのです 二階に上がってないと 階段は必要です この種の素晴らしい 考えがあれば それで 素晴らしい感じですが 完全開悟には 至っていません ですからまだ 私に尋ねるのです あなたには確信がない 智慧と悟りを得た者は 決して疑いません それが違いです 偉大なる先生 涅槃は場所でしょうか 精神の境界でしょうか 精神における境界です 涅槃に到達した人は 死後どこへ 行くのでしょうか 涅槃に 仏土に行きます 宇宙に戻って行きます しかしこれは 死後 解るのです

生と死 輪廻転生 天国と地獄の ようなものが あるのでしょうか どうやったらそれらを 証明できるのでしょう 昨晩 既に お話しました 修行により レベルに到達すれば 私達は自分達の 輪廻転生を見ます 生死の繰り返し そしてその法を見ます それで私達は解ります また地獄と天国が見 瞑想中に見られて その場所に行けます 人が死んだら 魂には 何が起こるのでしょう すぐ他の人間の体に 生まれ変わりますか その時より高い人間か より低い人間に なるかは その人の前世の行動に よるのですか そうです

観音法門のような 修行をしていれば 魂は完全に 解き放たれます 今生で 自分自身を 解き放てます そうすれば死後 何の重荷もなく 魂を覆うものもなく 解脱してなければまだ 少し覆いが掛かってる この世界では私達には 肉体という覆いがあり そして別の世界では より繊細で より不可視な 異なる覆いがあります でもそれもまだ覆いで 家をコンクリートで 建てたり 木で建てたりと いうように 密度が違うのと同じで それでもビジョンの 障害になります 解りますか 解脱した魂だけが 死後自由になれます 魂は生きてる間に 到達した所へ行きます どこへ行くかは 最終人生に関わります 当然です
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