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神を知るために 私達は神にならなければならない 2/4 一九九九年五月二二日 イタリア ローマ(イタリア語)    
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あなたは神へ至る道を 人々にどのように 教えられるのですか ご自分で 教えるのでしょうか 他の人を通してですか 私がここにいれば すぐに印心は出来ます 私がいなければ 皆さんは 少なくても 三カ月の菜食をして 待たなければなりせん 私の代理でも 指示を 与えられますから

指示は すべき事と してはいけない事を 指示するだけです 印心は内面において 直接 神から もたらされるものです 言葉で伝えられる 印心は本当ではなく 本当の印心は 沈黙の 中で もたらされます 私はその場にいる 必要はありませんが いることも出来ます 今日は私が行います

観音について何も 聞いた事がないですが それを耳にするまでは 私も聞いたことは ありませんでした 皆さんに会ったことは なく これが最初です 全てのものに 「最初」があるのです 以前は 皆さんは ガールフレンドや ご主人のことを 知りませんでしたが 知ってから 好きになったのです 観音を知ってますが 忘れただけです 印心の時に 思い出すでしょう 観音を 思い出すだけではなく 天国も思い出し そこから 来たことも思い出し 知って楽しむでしょう

私達が この肉体の牢屋に 生まれた時 霊的知識の前に ベールが掛けられ 皆すっかり 忘れてしまったのです それで また学び直す 必要があるのです よろしいですか ありがとうございます 拍手は結構ですよ 仏教の日蓮大上人を どう思いますか イタリアでは 殆ど知られていません 法華経について 答えて頂けるなら グル マハラジに ついてアメリカにいる インドの人ですが どう思いますか ありがとうございます

法華経は 仏教経典の宝物です 人々には様々な 好みがあります 例えば 経典に礼拝したり これは 仏教経典のことですが また 仏像に礼拝したり あるいは数珠を繰って 仏陀の名を 唱えたりします この南無妙法蓮華経も 仏教信者の 好みの一つです もちろん 沈黙の中で 何かに集中したら 何らかの 結果が得られます 法華経がもたらすので なく貴方の誠心誠意が 結果をもたらすのです 私達の法門は 仏教の本質に 神の王国に 直接入っていきます

いかなる経典の名前も 唱えたりはしません よろしいですか どんな教師でも 皆さんに真理を提供し 光を見させ神の教えを 聞かせられたなら 内在の言葉 内在の音 内在の音楽を 提供できたなら その人は 偉大なる教師です より高い神の住みかに 導ければ導けるほど より高いレベルに達し ているということです 少なくても 皆さんを 第五界まで導けて 神と対面させられたら 神の王国の 代理人であると 証明 できたことになります こういう教師は永遠に 無償の奉仕を 提供して行きます

ですから どうぞ お選びください 少なくても 幾つかの 判定基準があります その人は同時に 多くの場所に 自分の化身を 現せねばなりません 教師は 世界に教えを 広める以前に 遍在で なければいけません というのは 遍在は 神の品性だからです その人が遍在してれば 神と一つだという 意味ですから ええ もしあなた 教師を探したいなら これらの品性を 念頭においてください そうすれば貴重な 時間を無駄にしないで 済むでしょう 

ありがとうございます 他人を愛したいと 思いますが世の中には 私達を傷つけたり 損害を与えたりする 危険な人がいます 奪われた物を取り戻す 為に戦うべきですか そうせばならないなら また そうしたいなら そうしてください 自分の家族や自分を 守らねばならないなら 守ってみてください また 全てがいずれにしても 神から来るのだと 思うのなら 起こったことに あなたを委ねるという 第二の選択もあります あなたを霊的指導した マスターについて少し 話して頂けますか

もっと皆さんについて 話したいです 皆こそ 現在のマスターで マスターになる事が もっと重要です 自分自身を救い 自分の智慧を知ります これは 過去のマスターを 知ることより良いです 瞑想は 自身を見つけるための 神に会うための癒しの テクニックでしょうか

そうです 私達の魂を 無知を癒すためで 苦しみを癒します 慰めがなく 神を知らず 私達は いつもあらゆるものに 満たされていないと 思っているからです また あらゆる肉体的な病も 神を知らないことから 来ています 大抵の場合がそうです ですから 時々患者が ある種の病気になり 医師があらゆる 治療を施しても 治らないのです ある種の病は 内在の深い所から 生じているからです その場合 それを治す のに 私達には 神意識が必要なのです その人が 内在の彼自身 神意識に目覚めると 全てのものが自然に 癒されてしまいます

淫らな性生活をしない 淫らな性生活をしない という教えは 結婚する前は含まれていないのでしょうか いいえ いいえ あなたが誰かを 愛した時 既に内面で結婚しているのです 結婚は一枚の紙で 成立するものではなく 淫らな性生活をしない とは たった一人の 伴侶にすることです 皆さんのためです 性的営みは互いに 喜びを伴い 結婚生活と愛の絆を 強めて行くべき ものです 異性を弄び この性的贈り物を 乱用したなら 私達は肉体的に 感情的にそして霊的に 好ましくない因果を 作ってしまうことに なります 誰かを愛し 肉体的接触を持つのと ただ肉体的な 実験のために 神の神殿を使うのとは 違うことなのです 言い替えれば 愛の営みと セックスとは 違うことです よろしいですか 命とは何でしょうか

私にただ言えることは 本当の命は この肉体の中に あるものではなく 永遠で いつでも ある所からある所まで ある存在から 別の 存在へと受け継がれて いるものだということ 質問の意味に 合っていますか この真実の命を 知るために 悟らねばなりません そうしないと 私達はこの肉体の 存在のみに執着し 死んだ後で他に 何もないと 他の命が 存在しないと思います あなたは 私達が神に 触れられ 神を見 声を 聞けると言いましたが あなたがこのような 体験をしたかどうか 知りたいのです 当然です

これはあなたにとって なにを意味しますか 私にこの体験がないと どうやって 同じ体験を 与えられるでしょうか 英語が解らないのに どうやって 英語を教えられる のでしょうか 私がお話した事は 全て自分の体験です 同様に 世界中で いわゆるこの法門を 分け合った仲間達にも 沢山の数えきれない 体験があります 私に意味することは あなたが見つけるべき 答えです 神を知ることが出来る 神と話せるとは いったい何でしょうか 何か他の意味が あるでしょうか それは無上なる喜びで 説明出来ません 体験できるだけです でも私は大変苦しんで います 世の中の人が 依然苦しんでいるから それが唯一私の精神を 弱らせ 幸福を 削いでいるのです さもなければ 神を知ったなら 何も欲しくなくなり たとえ食べる物が なくても 着る物がなくても 満足していられます 全世界があなたを 見捨てたとしても 気になりません あなたの瞑想と 仏教の瞑想とは どう違いますか

仏陀からもたらされた 本当の 元々の瞑想は 私のと同じです しかし現在では元々の ものが欠けたために 沢山の種類があります 私は責任が持てません 古代における キリスト教の 本当の瞑想も同じです

だからモーセは神を見 芝の中に燃える炎を見 大水の轟く音として 神の音を聞きました この同じ体験を もっと多くの体験を 今私達には出来ます 聖書が唯一神の霊感で 書かれた書物ですか 或いは他にありますか

ありがとうございます 他にも沢山の聖典が あります 時間をかけ研究すれば 解りますが それらは 聖書と全く同じです でもその必要はなく 聖書で十分です もちろん望むなら 比べてみてください

キリストの死と復活は 私達に 永遠の命を 保証していますか それは主イエスが 生きてる時に 彼によって洗礼を受け 教えに従った人に 保証されています それで主は言いました 「私は光であり この世の道である 私がこの世に ある限りには」と マスターがこの世を 去る度に 他の誰かが その任に就きます それでイエスは 彼の去った後に 聖霊を送ると約束した 世々代々 私達には 沢山の聖霊がいます 彼らを探し出すべきで 探し出せれば幸運です というのは 彼らは時々意外な所に 現れるからです

意外な状況で 遭遇します 同様にイエスが生きて いる時 人は彼を 認識できませんでした 人々は彼を苦しめ 磔にしてしまいました 人々は天からの使者を 待っていたからです 人々は彼が聖者を冒涜 したと非難しました ですから自身の智慧に 耳を傾け 神に心から 導きを祈ることです そうしないと また 機会を逃すことになり 神を見るのはとても 簡単ですが 神を見る機会を逃す ことはもっと簡単です 私は本当に心の底から 話しています 本当にどうすべきか お解りだと思います ありがとうございます 現実の中で感じる 空虚感 落ち込んだ時に感じる 空しさと 神秘の中で感じる 無限への ノスタルジー 空へのノスタルジーは 同じでしょうか

いいえ 違います 私達が落ち込んだ時に 感じる空しさは 鬱であり 神を 神の愛を私達の 内に感じ取れない ことから来るのです 瞑想中に経験する 無とは超越的なもので 全てのものから 解き放たれた状態で 肉体からも 離脱している状態です

私達は万物と 一体であると感じ 個々の肉体的重荷も 肉体も感じません 前者は嫌な気分で 悲しく希望がないけど 後者は深い喜びと 至福で高揚を覚えます まったく違うもので 夜と昼の差ほどです ですから瞑想の正しい 指導を受けるよう 気をつけるべきです そうしないと 本物と幻想とを 取り違えてしまいます 悟ると エゴには 何が起こるのですか 瞑想と悟りとは どういう関係が あるのですか 悟りの高いレベルに 上がって行けば行く程 エゴは小さくなって いきます 瞑想はその悟りを 強化して行くものです 意識のより高い所へ 上がって行くのを 助けるのです 瞑想の方法には 何が含まれますか また なぜ菜食になる 必要があるのですか

神は既に他のすべてを 私達に下さっています 神は言っています 「私達の友として 動物を創った」と 動物を治めてもいいが 食べていいとは 言っていません

神は言っています 「庭にあらゆる果物を 野にあらゆる野菜を 作った それは あなたの目と舌を 楽しませるためである これらをあなた方の 食物とするが良い」と 神はまた言っています あらゆる生き物を創り 各々あらゆる種類の 食べ物を用意したと また聖書にあります 「酒や肉の飲食者と 同席してはならない」 聖書はまた言います あなた方の兄弟に 過ちを犯させるような 物は食べてはならない 聖書はまた 当時の人々に 神が怒ったと 述べてます 「誰がこれらの子牛や 羊をいけにえとして 捧げよと言ったのか あなたの手は 血まみれである 自身と手を洗い 罪を償いなわないなら あなたを許さない さもなくばあなたが 祈っても顔をそむける 汝の手は無垢なものの 血にまみれているから もっと沢山 書かれて ますが 皆さんの方が ご存知ですから この辺で止めます どうして 印心の後で 呼吸法の瞑想をしては いけないのでしょうか

呼吸は神そのものでは ないからです 神の贈り物のわずかな

一部で肉体の機能です 神を知りたいなら 肉体的道具に 頼ってはいけません 神は神ですから 私がお話したように 静かにしているだけで すると神は現れます 皆さんが呼吸をして いようがいまいが 神はいつでも 存在しているはずです ですから 私達は神を 探すのに 束の間の ものには頼りません

野菜の王国は その王国は どのレベルですか その意識は どのレベルでしょうか

この人は 自分も 自然の一部であり 植物も同様と考えます

ご自分が植物だと? いえ 自然の一部であると はい 共に一部です また 彼は 神に対する時 体の姿勢があるか 体の姿勢があるか 知りたいのです

いえ 必要ありません 私達も神も 物質ではありません ですから ひざまずいたり 片足や片手で立ったり どんな必要もなく ただ普通でいいのです 教えますから 大抵の人は瞑想時 足を組んで座るのを 好みます その方が バランスが取れます すぐに眠って しまったりしません また 床に座る方を好みます 倒れても大したことに なりませんから でもこれらは単なる 助言で 方法であって 真の瞑想では ありません 真の瞑想は 眠っていても 立っていても 食べていても お皿を洗っていても どこでも起こります 本当にしばらくすると そうなり 自然です 皆さんは24時間 神の臨在の中にいます 車の運転中でさえも 神を見れます

野菜のレベルがどうか ということでしたね 野菜も幾らかの意識を 持っていますが とても曖昧なものです 動物のように重い恐れ に満ちた意識はなく 実際少し瞑想をすると 植物が食べて欲しいと 皆さんを呼んでるのに 気づくこともあります 植物が彼らを食べる ように招きさえします 私達が自然から 何かを頂く時は もちろん 神の許しを請い 感謝をします 野菜は食べても いいです 一本の花を切っても また翌日 翌週には 三本の枝を伸ばします 豚の首を 切り落としても 二つの頭は生えません どのように 私達は 悪魔と戦えばいいのか 「悪魔」とは 私達の心にある暗い 考えのことですが 悟りのための印心の 浄化を受けていない 人々が  行為の ごく最初の瞬間に 作り出してしまう 考えのことですが

もちろん 悟ってからは あるいは悟ったと 思ってからは また悟ってないと 思えていても 悟りきって ないとしても 共にいる仲間に 気をつけた方がよく それで暗い影響を 受けません また 印心の時には どのように自分を 保護するか教えます ですから 少し時間がかかります それがなければ 悟りを得て 神に会うのは 瞬時に起こります

私はまた 私の代理を 世界中に派遣して いつでも皆の質問に 答えられるよう お手伝い出来ます これらは全て無料です まったく一銭のお金を 払う必要もありません 私はこれらの諸費用を 賄うだけのものを 働き出していますから 皆さんを何ら煩わせる ことはしません 食べ物や泊まる所や 何の迷惑もかけません 私達は全て自ら賄い 皆さんは気楽に安心し 自身になる 勉強が出来るでしょう

ありがとう また後で すぐに お目にかかりましょう そこで 皆さんは再び 神に会う方法を学び 歓迎します また人生の別の道を 歩くことを 選んだ方へは どんな道を行こうと いつも神の加護が ありますように 心から 愛を込めて お祈りしています イタリアでの 皆さんの愛に 感謝します
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