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マスターの唯一の務めは人々を解脱させること 3/3 一九八八年十二月二日フォルモサ 屏東(中国語)    
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マスター 毎日念仏し 仏陀を拝むと 極楽浄土に 生まれ変わることが できますか 誰か念仏し 仏陀を 拝んで極楽浄土に 生まれ変わった人は いますか 私もいないと言います マスター  二つ目の質問です 人間の欲望は 切りがないのに どうやって 解脱しますか

切りのない 欲望があって 解脱できない ということですね 昨日話したように 無量無辺の パワーを使って 洗い流すことです 例えば とても汚い ものがあるとします ここに中も外側も ひどく汚れている バケツがあります 水道の水できれいに することはできません しかし仏陀のパワーは 無量無辺で限りがなく だから仏陀のパワーは 無限だと言います

私達の内面のパワーに 出来ないことは ありません  どんな悪いカルマ (報い)も消せます 私達観音法門を 修行する人は 印心の時無数の生涯で 作ってきた 悪いカルマ(報い)を 完全に消し去る ことができます 悪いカルマ(報い)が 消されたからこそ 仏陀の光が見え 開悟の体験があり 真我を聞き 内面の声を聞くことが できるのです 話し声ではなく とても美しい 内面の音楽です 聞いたことのない 不可思議な音楽です それを聞くと 体はリラックスし 悪いカルマ(報い)が なくなった感じで 本当の喜びを感じます

ある台北にいる 修行仲間は 印心を 受けたばかりの時 彼は太極拳を やっている人ですが 印心を受けた後 嬉しくて嬉しくて キックしながら 一人で 歩き回ったそうです 余り目立つ事をすると 変な人に見られるので 止めなさいと 私は彼に言いました 彼は嬉しかったのです マスター 死ぬ時 まだ三界以下に いる場合 マスターは引き続き 教えてくださいますか しかし 肉体を持って ここで修行するより 上では進歩がより遅い のではないですか そうです 私は 引き続き指導します ただ進歩が とても遅いです ここでの一日の 修行は上では三十日か 二、三カ月 かかります

二つ目の質問です 聞くところによると 瞑想の時 体が動くと もう二度と戻れないと いうことですが マスター 観音法門の瞑想中 体が動かされたり 傷つけられると 死にますか 死にません 私がついているので 大丈夫です 簡単には死にません 私達の肉体と 霊体を連結する 銀色の線があります その銀色の線が 切れると死にます 切れないと死にません 私はそれが簡単に 切れないように よく面倒をみます この線は 簡単には切れません 鋏かナイフで切ると 切れるような簡単な ものではありません 従って観音法門を 修行すると 一番安全です 私が二十四時間 化身でそばについて いるからです 肉体ではありません

マスター あなたが得たのは 真理の力で 神通力でないことを どう確認できますか

昨日 皆さんは私に 観音法門を修行すると 近視が治るのかと 質問しましたが 治らないと答えました 私は皆さんの 仏眼を治して 全ての境界を見られる ようにするだけで 肉眼は気にしない ようにと答えました ルルドの泉は 肉眼だけを 治しますが 霊性の目は治せません 私の法門は霊性の 目だけを治します 肉眼も治るかも しれません 治った人も いますが 私は それは保証しません 私は神通力で 病気を治したことが ありません 皆さんがどれだけ 利益を得たかは どれだけ誠心誠意 修行したかによります 肉体も大分 よくなります しかしこれは 神通力ではありません

神通力は違います すぐに分かります 神通力は 病気を治したり 過去 現在  未来を見たり 風を 吹かせ雨を降らせたり 肉体から離れて また戻ってきたり 人の心を読んだり テレパシーができる など等です これは 神通力です  私はしません 皆が知っています そうですね(はい) マスター 経典には 一心不乱に 「南無阿弥陀仏」を 念仏すると 死んでから 西方極楽浄土に 行くと言っていますが なぜ多くの 世々代々霊修行した 出家者達が いまだに 西方極楽浄土に 至らないのですか それは彼がまだ東方の 境界にいるからです 皆は経典を 誤解しています 私はこれについて 何回も話しました 私の本にもあります 阿弥陀経について 解釈しています 「即刻開悟の鍵」の 第一巻に 書いてありますね (第一巻にあります)

皆さんは 第一巻を買って 読んで下さい

それについての 解釈は「花が咲いて 仏陀を見るとは」の 章に載っていると 思います

マスター 地蔵菩薩も 仏陀ですが なぜ地蔵法門を 教えてくれる先生が いないのですか あなたは地蔵法門を 教えることが できますか できます 私の教えは 地蔵法門でもあります 人々を解脱させ 地獄に落ちないように する法門です 地蔵菩薩も 人々を 地獄から救い出し 地獄の苦しみから 救い出すために 地蔵法門を教えます 私も 地蔵菩薩法門を 教えています 皆さんが沢山修行を 積むと 私が誰で 誰のために仕事して いるか分かります 今それを言うのは 不都合です 言っても 信じないでしょう 自分で修行して 私が誰か見て下さい

マスター  私は警官です 同僚たちは賄賂を 受け取っています 私も受け取らざるを 得ません 私ではこの堕落した 風潮を変えられません あなたなら この場合 どうしますか 皆が裏金を貰っていて 彼も貰わねばならない ということですね

(そうです)これも 大変困った状況です 受け取りたくないと 言えないですか 私のことではなく 人のために聞きます 分かりました 私は警察になった事が ないですが 気の毒に思います 彼は警察ではないので 答えられないですね とにかく誰が 質問したであろうと 人に自分を知られたく ないのですね 気持ちはよく分ります 私は自分の立場で 話すしかありません

私は供養を頂きません

というのは 私は仏菩薩のために 仕事をしています ある組織のために 働いていません あなたも同じで 国や人民のために 働いているのであって 局長とか上官の ためではないのです 彼らに 「皆さんは裏金を 受け取っても結構で 私は何も言いません だが私は 受け取りません」と 話せばいいと思います

耐え難いのであれば 仕事を変えて別の 仕事を見つけて下さい

マスター どうか全ての衆生の ためにもう一度 「無私」とは何か 宇宙と一つになるとは どういう意味か ご説明お願いします

無私の状態は 例を挙げて 分かりやすく 説明すると こういうことです 人が自分の存在を 感じないことです 何をするにしても 自分がやったのでは なく仏陀がやったと 思うのです 褒められても 褒められた 感じがなく 人に中傷されても 中傷された感じが ないことで 動じない 状態にいることです 毎日ゆったりとし 内面は幸せです 外見では 人と接するとき 喜怒哀楽の反応を 示しますが 内面は 静寂な状態にあります 一人の人間なのに 二人のような 感じです 分かりますか 食べていますが 食べません 寝ていますが 全然寝ていません 誰かと関係を 持ちますが しかし関係があるのは あなたではありません

これは一番簡単な 例えです さらに詳しく 説明するのは困難です

観音法門を 修行すると この境地に達する ことができます 他の人があなたに 質問すると私と同様に答えるでしょう マスター 仏陀曰く 私には 真の正法眼蔵と 涅槃妙心 (最高の楽園) 相のなき真の実相 妙法をもっていて これは言葉や文字に よるものではない 経典外に特別に 伝授する法で これを摩訶迦葉に 託したとありますが マスター 仏陀が言う 正法の眼蔵とあなたの 観音法門とはどんな 違いがありますか 開示をお願いします 何も違わないです

正法眼蔵とは 私達に特別な 目があってそれは 秘蔵の宝物だという 意味で その目をいったん 開けると真理を得て 全宇宙の法が 分かります この目を開けると 宇宙のいろんな 境界が分かり いつも自問したり 人に質問しても説明 できないいろんな事が 分かるようになります この目は沢山の事を 知っています ですから「眼」と という言葉は正確な 表現ではありません しかし「眼」と 言わないとそれも 正しくありません というのはそれで 沢山見えるからです

ここにカーテンがあり 窓のカーテンと 同じで カーテンを 開けると 他の境界に 非常に明確な境界に 入ることができます 私達がここで お互いを見ているのと 同じくはっきりして 自然です しかし傍にいる人には 見えません 私達はその境界を 行き来もできます 高い境界もあれば 低いのもあります 今日は 比較的低い境界へいき 明日はより 高い境界へ 明後日はもっと 高い境界へ 明々後日は更に高い 境界へ行きます ますます高くなって 仏土に到達します 究極の解脱の所 最高の境界です

従って正法眼蔵と いいますが 実際は眼ではないです それを 智慧の宝庫とも ダイヤモンドの宝庫 又は究極の 宝庫とも言えます 何と呼ぼうと実に 眼と同じです 肉眼を閉じれば その眼で見えます もっとはっきり 見えます 肉眼で見るのと 同じです ただ別の美しい所を 見ます そして世俗の 知識と違った 不可思議な 智慧を得ます 不可思議とは 表現できないことです だから昔から 多くの修行者が いましたが 私達は彼らが何を 得たか分かりません 彼らに聞くと 彼らは頭を 横に振るでしょう 華厳の境界と 阿弥陀仏の世界は まだ表現できる ほうですが 他の境界は表現 しようがありません

これが真の 正法眼蔵です これを修行すると それらの境界が 得られます つまり他の世界に 移住するとう意味です 私達がいったん その世界に住むと ここには二度と 戻る必要はありません これは智慧で 理解するものです

印心後 自分の家族が 観音法門を理解せず 私の修行を 反対したら 私は冷淡にしていて いいのでしょうか その苦痛を やり過ごすように また彼らの受難を 避けるために私は 待つべきでしょうか 彼らが理解するまで 観音法門の印心を 受けるということを 彼らがこの法門を 全く解らないと どうなるでしょうか どれぐらい長い間 あなたは待ちますか これはあなた次第です あなたがそれを 重要であると 考えるかどうか 生死の転生から 解放されることを それはあなたにとって 永遠の解放がどれだけ 重要かによります

あなたにとって非常に 重要であるなら 方法を見出すでしょう 内なる仏陀と菩薩に 助けを祈るでしょう 家族の理解を 得るために 雄弁を与えて欲しいと そして多くの忍耐力を 与えて下さいと 簡単ではありません 私達には時々あまりに 多くの障害があり テストが多過ぎますが それに打ち勝つよう 努力すべきです でなければ他の誰も 私達のためにそれを してはくれません 次の転生に戻ると 私達は再び両親 配偶者 友人を 持ちます 私達を縛る 私達はこの生でそれを 明確に説明すべきです

しかし私はなぜ 家族が不快に思うのか よく解りません 観音法門は誰かを 傷つけるのですか いいえ違います あなたは以前の仕事を まだ保持しています まだ両親の 世話をしています 配偶者と子供の世話を 前と変らず行う  なぜ人々が不快なのか 良く解りません あなたが外に盗みや 賭博や飲酒に行ったり 奥さんや子供を 殴ったりしたら 家族は恥じ入り 傷つくと思いますが あなたは理にかなった 霊修行者です 盗みも 嘘もつかず 姦通や殺人もしません 家族は理解し 援助すべきでしょう そうですね(はい) これは家族の することとは思えない 本当の家族は こんな風ではないです

子供が二人います 二歳と 三歳の子供です 彼らがマスターの 弟子の僧となることを 私達は切望しています しかし 機が熟すその前に どのように子供達を 教育すべきでしょうか

後にとっておきなさい 子供はまだ幼いです マスター彼には 書き留められない 他の思いがあるのです 教育を受けるべきか どうかを尋ねたいの だと思うのです 世俗の教育は 彼らの霊修行に あまり役に立ちません

後にマスターの 出家僧に加わった時 彼らはその先入観を徐々に洗い流さねば なりません 分かりました それで彼はどの位で 子供たちがマスターの 僧団に加わるとよいか 尋ねているのです マスターに問題を 起こさずにです ありがとう 私はとてもとても 感動しました このような事を 考える人は稀です 私達のほとんどは 子供達を手放せません また彼らの将来を あまり心配しません 非常に感動しました しかし私達は この国に生きています ここの法律を 尊重すべきですね

子供たちが 学齢に達したら 学校に行くべきです 私達は子供を学校に 行かせるべきです また家で教える時間を より多くして下さい 彼らに私の教えを 多く聞かせてください 私達は毎週 集まれますし 私の講義に連れて行く こともできます 子供はこの世の知識を 学ぶために学校へ 行ってよいのです その間に道徳的な 面を同時に学ぶ そういうのはよいです よいことです まだ均衡がとれてます 私達の国には 別のシステムが ないからです

マスター 印心の前 彼は法廷で公証された 金融契約に 入っていました 今は 時間が経ちました 彼は相手から 支払いを求めます しかしその相手は 払いません

どうすべきか思ってて 彼を放っておくべき でしょうか 相手を 訴えるべきでしょうか 訴えたらそれは悪い カルマ(報い)になるか 彼は土地の全てを所有 しているわけではなく 別の誰かと 提携しています 今その相手は資産の 取戻しを求めています 分かりました これもまた私達は 法に従うべきです お金の全てがあなたの ものではないので 相手の要求によります あなたは彼の決定に 従うとよいでしょう 相手が気にしないとか お金が戻らなくても いいなら 忘れて下さい 彼が訴えたいのなら 彼に訴えさせます あなたには他に 選択肢がないからです

また私達は詐欺師に 悪いカルマを作らせる べきではありません 相棒の要求を確実に 見分けるのですよ あなたは彼に従い  彼にリードさせて 全財産が彼の物という わけではないからで それは共同資産です 裕福なら 自身の半額を訴える ことは計画できません それは問題ありません しかしあなたの相手が 訴えたいなら 協力すべきですね

マスター 私達が 家で修行するなら 解脱は可能でしょうか 間違いありません 単に「可能」だけでなく 私達の多くの 在家の弟子が既に 解脱していますね (そうです) 彼はまたこうも 尋ねています 解脱するために 肉体と霊性の両方の 修行が必要でしょうか どうやって進歩し 霊修行をしますか 肉体的に 健康でない場合ですが 肉体的に不健康ですか どんな病気を 持っていますか 問題ないと思います 横たわっても まだ瞑想できます 必ずしも足を組む 必要はありません 椅子にも座れますし 毎日二時間半 座るだけです 大丈夫 できます

これは肉体とは 関係ありません 霊修行であって 肉体修行ではないです

マスター 観音法門 修行者は 死後 どこへ行くのですか 西方浄土へ 行けるのですか 転生の六道を 超えられますか どうか教えて下さい 彼らは輪廻の 六道を超えると 信じています しかし あなたが どの天国に行くかは あなたがどの天国に 行きたいか この人生でどれ程 修行したかによります この人生で あなたが既に 西方浄土に達したなら もちろん  あなたが亡くなるとき 西方浄土に 行くことができます それに達してないなら あなたが到達した 霊性のレベルに従って 私はあなたを 他の世界に 置きます それで私はあなたを 教育し続けて 遅かれ早かれ  あなたに同伴して 西方浄土に行きます マスター 私は以前 所有していたことを 諦めたいが 本当に 手放せないなら 何をすべきですか

それなら放さないで なぜですか あったら 利用して 彼は物質的財産を 言っているのですか (特に書いてません) 分かりました あなたに既に何か あったら ただそれを 使います 分りますか 全てを捨てるべきだと いうのではなく ただ それに 執着しないことです お金があったら それを使えます 良い服があったら それらを着続ける ことができます それらを捨てるのも 残念なことです ただそれに執着しない 私の言う意味はある日 それらが盗まれても あなたは沢山泣く 必要がないということ あるなら 着るのです 着ないならそのままに 尊敬し 親愛なる マスター 私は既に結婚して 子供がいます

私はまだ尼僧になれ 霊修行できますか どう修行すべきですか あなたは尼僧に なるべきではないです 阿弥陀仏 あなたが尼僧になると 子供達は泣くでしょう 私達は家でも 修行できます 修行仲間の多くは 結婚しています 彼らには子供達 夫か 妻がいます 彼らはこのように 生活を送り続け それは 瞑想のために 毎日二、三時間を 確保することです 朝は少し早く起き そして 夜は少し 遅くに寝る このようにすれば すでに二時間作れます 子供が寝ている時 あるいは あなたが 仕事を終える時 再び座れます それであなたには そのように あと一時間半ができ 私達は状況を 変える必要がなく 中から変化することが 必要です

尼僧とは 家族の義務を持って いない人々です 彼らの運命が 尼僧になることです 皆が全て尼僧になる 訳ではありません 分かりますか 尼僧になる必要がなく 誰かがつい先私に 尋ねたのですが 皆が尼僧になると 家族のために 子供を生む人が いなくなります

だから 尼僧になる べきではいと言います あなたが あなたは家族の血筋を 継承し続けるべきです 秘訣は二時間半 観音法門を 修行することです あなたが尼僧になる なら 誰があなたの 子供の世話をしますか 釈迦牟尼仏は 違いました 彼は王子でした 彼の出家後 多くの人々が彼の 子供の世話をしました

私達の多くが 出家するなら 誰も子供の世話を することは出来ません 自分の子供の 世話ができないなら 尼僧になった時  誰を世話できますか

逃げないでください 残って 修行を 続けてください

印心者は供物を受け 取らないようにと マスターが言われて

それは彼らの両親 子供や兄弟も含まれて  いるか彼は尋ねてます

いいえ それはあなたの 家族の問題でしょう それは構いません あなた達は既に 一緒に結ばれたので なぜ 今になって 区別しますか

しかし私は 個人的な使用のために 供物を受けるべきでは ありません

マスターとして人々を 教えるので 彼らから  取ることは出来ません 分かりますか 取るのではなく与える そういうことです

つまり他の人々の 財産を欲しがるべき でないという意味です 何かを与えるよう人に 仄めかすべきではなく それは欲張りです 止めるべきです

他の人々の財産を 欲しがってはいけない それが私が皆さんに 教えていることです

私達が人々の供物を 受け入れても 彼らと何もせず 彼らのために 何もしていないなら それは正しくないです そういう意味です しかし私達はいつも 自分の親戚との間で  あげたり貰ったりして それは供物とは 見なしませんね  (はい)

親愛なるマスター なぜある人は金剛経を 読んでる時めまいを すると感じるのですか それは悪いカルマ(報い)のせいですか いいえ あまりに速く あまりに激しく 読むからです 金剛経を理解するのは 簡単ではありません 何を読んでるか 理解できないのに 頭をしぼりつづける からです それでめまいを感じる ようになるのです 観音法門を私から 学べば簡単に 金剛経を理解できます もうフラフラしません いいですか 簡単です マスター 慮勝彦上師によって 設立された新しい宗派 霊仙真仏宗についての あなたのご意見は どのようでしょう

名前の意味は なんですか 霊は霊魂で 仙は仙人で 真仏宗は彼の宗派は 最も真実な仏教の宗派 だと言う意味です そうですか 霊と仙の両方があり そのうえ仏陀 彼はすべてがあります なら私は彼を祝福し このようにとても 楽しくしているなら 彼を祝福します 私の意見は 人は何でもしたい事を することができます 彼らが幸せな限り 何も悪い事を教えて いないと思います そうでしょう やはり良い事をする のを教えてるでしょう 彼と学んで利益を得る と感じる限り 慈悲 力 智慧と 自由が発展される限り 彼から学ぶことが できます 彼を批評しないで 彼があなたの趣味に 合わないと感じるなら 彼から学ばないで 何も言う必要はなく 誰でもしたい事は 何でもする自由がある ある人はカンフーを 学びたく ある人は太極拳を 学びたく 他の人はゴルフをする それは彼の自由意志

僧侶は皆の 悪いカルマ(報い)を消せますか

いいえ

どの僧侶も他人の 悪いカルマ(報い)を 消せるわけではない 彼らは先ず 修行すべきです 多くの種類の 僧侶がいます 釈迦牟尼仏は経典で それに言及しました 聞きたいですか (はい) 数種類の 僧侶がいます そのうちの二種類は 凡夫僧と菩薩僧です 凡夫僧は頭を剃り 僧衣を着て 授戒します 彼は毎日香で 仏陀の像を拝み 仏陀の像を拭くか 床を掃きます 菩薩僧は 悟りを開いた僧侶です 悟りを開いた僧侶は 人々のために 悪いカルマ(報い)を 消すことができます しかし それも場合によります 彼は人々の悪いカルマ (報い)を消せます 彼らが望む場合だけ 例えばあなたは 悟りを開いた僧侶と 学びます 彼はあなたに印心し その時あなた方二人は 協力する 分りますか 一人は悪いカルマ (報い)を受け取り もう一人は悪いカルマ (報い)を与える意志があります 両方とも協力しないと 成功しません

敬愛なるマスター あなたは常に聖書の 句を引用します 聖書をお読みですね キリスト教と 仏教に関するあなたの ご意見は何ですか

同じです ただ悟りを 開いてない人には 違って見えます 悟りを開いた後 私が言ったことが 正しいと分ります 本当にそれを 理解したいなら 彼らもまた 私と観音法門を 学ぶべきです そしたら理解します 双方とも 同じことを話し 同じ法門を修め 大体同じレべルに 達します

敬愛なるマスター 両親と友人の反対にも 関わらずどうしても マスターについて 出家するのは 正しいですか

まず両親と友人と 交流を図る べきです

両親とよく 交流を図るほうが 良いです あまり彼らの感情を 傷つけないでください 私があなたのために 決定できる事ではなく 自身の状況に基づいて 決めるべきです

だめなら家でも 修行できます 問題を起こさないよう してください 尊敬すべきマスター 願力とは何ですか 加護の力とは何ですか

これらは 経典の用語です あなたはとても多くの 経典を読むので当然 混乱しやすいのです

願力は仏陀と菩薩が 言われた言葉です 例えばある修行者が 開悟したマスター あるいは最高レベルに 達する前に 彼は願をかけます 仏陀になったら これこれの人々を救う と彼は言います

彼はこのように 考え続けます 毎日修行して この願を放しません たとえば先ず両親 それから妻 それから 子供たちを救うと 誓います 次に村全部を救うと そこには多くの 養鶏場があります 例えばそのようにね 彼は常にそれに ついて考え この願は一種の力に なります

彼が悟りを開いた後 それは実現します 彼の絶え間のない願が 建設的な力に なったからです 塔を建設するように 彼は毎日少しづつ 造ります これを「願力」 と 呼びます 彼はそうすると決心し そればかり 考えているので 彼の願望は力に変わり 彼が望むものを 達成することが できます これを「願力」 と 呼びます 加護の力とは 無限の功徳がある 悟りを開いた修行者が 誰かを見た時 その人は無限の 加護を得ます 彼が触れる人は誰でも 解脱が保証されます 彼によって印心された 人は誰でも確実に 悟りを開きます 意味が分りますか (はい) 彼に触れられるものは 何でも彼の磁場がある それが私たちの言う 「加護の力」です それは既にともされた ろうそくのようです 何でもそれに触れたら 火を点けられます それがもう一つの ろうそくに触れたら すぐに火が点きます すべてに火が点きます 分りますか(はい) 良かった 皆さんの愛を ありがとうございます
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