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仏国土の定義 1/4 一九八九年十一月四日 米国 、ニューヨーク    
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こんにちは 皆さんがいらして 嬉しいです 土曜日の午後ですし 皆さんのお時間は 貴重です お忙しい中お時間を 割いて下さって 嬉しく思います 時々話をするのが 難しいと感じます 人間の日常的な 考えのレベルに戻り 言葉で交流するのは 難しいですが ベストを尽くします 三十分もすれば自然に スムーズになります では 私と一緒に 祈りましょう それでこの講演会が 多くの実を結び  皆さんと愛する人達の ためになるのです しばらく祈りましょう 祈りましょう 全能の神が私を通じて 話をするように  皆さんの内面の 全能の神が目覚め  話を聞きますように ありがとうございます

迦牟尼仏が 在世の時 つまり 彼がまだ 物質的な次元にいて 肉体でこの世にいた時  彼は私達に 仏国土という多くの 素晴らしい地について 紹介して下さいました イエスキリストが 地球にいたころ 彼も私達に多くの いわゆる天国  異なる意識レベルを 紹介して下さいました また彼は言いました 「天なる父の家には 多くの邸宅が あります」 覚えていますか 「多くの仏国土」とは どういう意味でしょう 「天なる父の家には 多くの邸宅が あります」とは どういう意味でしょう ここでは 一つの仏国土を 紹介したいと思います

それは神の邸宅の 一つと言っても いいです 仏教によりますと 非常に美しい 一つの仏土があります ええ たくさんの 仏国土があります でも今日はその中の 一つについて話します この仏国土は 薬師仏の国土だと 言われています 薬師仏が肉体で この世界にいて 世界を歩き回り 衆生を済度していた頃  彼は人々に 利益をもたらすよう 十二の発願をしました 「発願」とは どういう意味でしょう 菩薩の位を 修行する時  つまり聖人になるため 修行をする時 どんな方法であれ 人々を助け  人々がその方法により 確実に自分から 利益を得られるよう 心の中で 誓うことです

これがいわゆる 「誓願」です 修行のパワーと あなたの徳と意志 良い意思通じて これらの願いは 実現するのです 中国で薬師仏と 呼ばれている 薬師仏の誓願の一つは 次のようなものでした 体あるいは心が 病に苦しめられる人が 彼の所に求めて来たら  彼はまず その苦痛を無くし  食べ物を与えて 健康のためになる薬を あげます それから徐々に 彼らに内在する 最高の潜在的パワー 即ち「仏性」或いは 「神の王国」を 意識させ 認識させます 仏陀の弟子達が 薬師仏の仏国土に 行ってみたところ  そこはどこも 高級な宝石だらけで  高級な宝石だらけで   地上は水晶で 作られていました

ほとんどの仏国土は その特徴が 同じようです 薬師仏の仏国土と 阿弥陀仏の仏国土は 似ていて 同じような特徴が あります 大地は 水晶あるいは 琉璃で作られています 家は七種類の宝石で 作られています ルビーや ダイヤモンド 金など そこに住んでいる 人たちは永遠に 楽しく 幸せです 困難は一切ありません 苦痛を聞いたことは ありません そこでは「苦痛」という 言葉すら存在せず ましてや 苦痛を体験するわけは ありません でも 私達の世界 地球と呼ばれる所では 苦痛と幸せが 混在しています

苦しむ時もあり 幸せな時もあります 苦痛の人もいれば 幸せな人もいます 仏国土では違います 幸せ 喜び 至福 愛だけです 苦痛はありません 誤解はありません 暴力 非難 ケンカ 戦争はありません 仏陀はなぜ 人々にこの美しい 仏国土のことを 教えたのでしょう それで人々は 他にも   美しい惑星があり そこに行って 永住出来ると知り この苦痛の世界に 執着する必要はないと 分かるからです 自分には この世界が みじめだと思ったら ここに残らなくても いいのです 選択できます それが 仏陀がこの世界に 降りてきた目的です

それが イエスがこの世界に 降臨してきた目的で 私達の世界の人々に 他に沢山の惑星を 紹介することです そこでの生活は楽しく 私達の精神性や望みに より適しているのです 今 私達は仏陀は 死んでしまいイエスは この世界を去り 死んだと思いますが それは違います イエスも仏陀も同様に まだ生きています 彼らは違う場所で まさに生きていて 時間も彼らの仕事も 彼らの永遠の学びも 進化しています 私達の学びに 終わりはないのです 仏陀やイエスのように なった後 私達が 学びを止めるなどとは 思わないでください

違いますそれでは 袋小路のようです 智慧への道に 終わりはありません 聖書を思い出すと イエスは時々非常に 奇妙な事を言いました 彼は言いました 「どんな奇跡も どんな偉大な事も 私が今日行えた事は 明日皆はそれらをより うまくさえ出来する」 少し補足しましょうか 例えばちょうど 皆さんが先生に 出会いたての頃や いわゆる 「印心の過程」で 皆さんは天国の味や 内在のパワーの ほんの一部しか 得ていないはずです ですからイエスや 先生を非常に称賛し 言うはずです

「ああ それは素晴らしい 体験でした 先生は私に何をしたの 信じられません」と そうするとイエスは 謙遜して「違います 大したことではない 皆はより偉大になる」 つまり彼はたぶん 皆さんがもっと進歩し 今日知ったことより もっと多くを知ると いう意味です それはその当時の 可能性の一つです 私は彼の言葉には 他の可能性と 他の意味があると 思います それはイエスが当時 彼が進歩できるはずの 段階まで 到達していなかった ということです イエスが今 地上に再臨したら 彼は当時よりずっと 偉大に違いありません

それもまた数ある 推測の一つです また別の可能性として その当時彼のパワーは すでに十分で 偉大だったけれども それを人々に広め 与え 提供するのが 難しかったのです なぜなら 当時 私達人類の心も 十分に発達して いなかったからです 現在のように 文明化されてなく 知的でなかったのです 偉大なイエスでさえ 大した事ができません ちょうど皆さんが 優秀な医師や技術者か 何であれ アフリカへ 行くのと同じです 全ての肩書きや知識を 総動員しても 密林で何ができますか 皆さんに出来るのは 薬草を与えたり 石鹸で患者を 洗うことくらいです

その患者が癒えれば 人々は称賛し皆さんは 答えます「いいえ 大したことでない」と 医師が ちゃんとした病院で 普通の状態の時 あらゆる種類の機材や 彼の仕事の補佐をする スタッフに囲まれて 出来るはずの事は 何もしていないと いうのは本当です それにイエスが 地上に来たのは 二千年前です 二千年経ったので 彼はさらにもっと 学んだはずです なので よりよい環境 より近代的に 文明化した 未来の人々 イエスの後来る人々は もちろんより偉大な 素晴らしい事が できるのです 聖書を読むと イエスは 多くを語る機会が 全くありませんでした 彼が言ったのは 「すみません それは とても偉大ですが 大した事ありません」 意味が分かりますか 彼が偉大ではない という意味ではなく 多くを語る機会が なかったという事です

それに当時の人々の それに当時の人々の 理解力は さほど優れておらず イエスの智慧に 見合うほど偉大では なかったので彼は 人々を覚醒させるため 比喩や物語を話し ある種の癒しの能力や その種の力を使う 必要があったのです 彼はまた人々に非常に 単純で簡単な言葉で 語りました また人々に 戒律を守り 神を信じ 神に祈りなさい などとだけ言いました 選ばれた少数の 弟子達の中から さらに幾人かだけが イエスのメッセージの 使者に選抜されました

残りの人々については 病気を癒したり 精神的に 目に見えない方法で 僅かに引き上げたり 慰めたり 神や神の戒律を 思い出させただけです ですからイエスと 同じ能力を持ち 同じ悟りの段階に 到達して 彼の後に来た人々は 彼がした事より 多くの事が出来 より多くを話せます そしてそれは 現代社会に見合うよう より論理的で より知的で より科学的な 方法で行われます ですから私達が 昔のイエスや仏陀の イメージに執着すれば あまり得には ならないでしょう 私達は進歩すべきです 今日私達が学ぶ事は 必ずしも過去の人々が 学んだ事では ないはずです ではなぜ仏陀は 多くの時間を費やし 沢山の仏国土について 話をしたのでしょうか 話したのは「彼」では ありませんでした それは彼の弟子で 仏国土に連れて行かれ 戻って来て いわゆる日記に 書き記したのです もちろん 仏陀は仏国土に いました 仏陀がそれらの弟子を そこへ連れて行き 彼らに紹介したのです

しかし人間の言語で 地球の人々に 話す必要は ありませんでした 何人かのいわゆる 私の追随者 弟子 学生 修行仲間 呼び方は 何でもいいのですが 彼らにも類似した 一種の体験があります 彼らは美しい地に 連れて行かれました そこの地面は 瑠璃や水晶で舗装され 黄金の宮殿があります そしてまた 地球の意識に 戻って来て 彼らもこれらの天国や 仏国土での体験や 歓びについて 書き記したのです ですからこれらの 仏国土はまさに存在し 私達の地球より もっとずっと美しく 厳かなのです

宇宙には 私達の肉眼で 見ることができる 多くの種類の惑星が 存在します 科学者は今 この種の惑星を 人々が住んでいるか 住んでいないか 発見しようと試みます そこの人々は私達と 類似しているか していないかと 宇宙のそれらの 惑星のシステムには 異なる存在が 本当に住んでいます ある惑星は 異なる振動力を持ち 肉眼では見つからない かもしれません 私達が宇宙船を その惑星に送っても 宇宙飛行士も 全ての設備を使っても 彼らを見られません ですから 宇宙飛行士が 月へ行った時も 彼らには何も見えず 幾つかの石を家に 持ち帰っただけです

非常に高価な石です 私達はそれらを購入し 首飾りとして 身につけるべきです 月の石です ダイヤモンドより 高価で 宇宙船費用に比べたら 違いますか 銀河系の他の惑星の 不可視の存在を 私達はなぜ肉眼で 見ることが できないのでしょう 私達は密度の異なる 物質でできている からです 実際物質は全く 物質ではありません 科学は その物質の本質は実際 空であると ただ異なる密度だと 証明してると思います 非常に論理的だと 思います それで仏教で「万物は 皆 空である」といい 「空」の意味は 万物は本質において すべて「空」であり 密度が違うだけです

よく言われることに 「宇宙の全存在は 一つであり  同じ本質である」と 私は今日その事を 悟りました 皆さんのおかげです 私がこの事を 話さなかったなら 私はこの智慧を忘れ 思い出さなかった かもしれません なぜなら本日皆さんは ここに来て これを知る必要があり 私はこの情報を 掘り下げ皆さんに渡す 機会を得たからです 皆さんのためでないと たぶんこの情報は 私には不必要でした 倉庫に安全にしまい 恐らく忘れてしまった でしょう また開悟することも こういうことです

私達は自らの記憶の 鍵を開けねばならず 私達はそれを毎日 日々の私達の修行や 日々の生活で 使わねばなりません 私達は 休眠状態の脳の 倉庫にある 更に神秘の 能力の 鍵を開け引き出します これがいわゆる 「開悟」であり 「更なる智慧を得る」 と呼ぶものです 神秘的なことは何も ありません 全てが すでに自身の脳に 私達の倉庫にあります ただ私達が それを使わなければ 忘れてしまいます まるでそれは存在して いないかのようです 私が話している事は まるで多くの水 空気 氷のについて 話すほど沢山あります それは同じ要素で できています 私達もまた同じ 本質からできています 同じ要素からです それは光であり 振動力であり 聖書でいう 「言(ことば)」です 言(ことば)は 振動力という意味です 古代 人々はそれを 振動力と呼ばす 言(ことば)と言います

音を出すもの それが言(ことば)です 見える音でも 見えない音でも  どう表せるか分からず 言(ことば)としました 老子はそれを 表現しませんでした 彼はそれを「あなたが 執拗に聞くなら それを道と言います 表す言葉がないから」 また仏教用語では いわゆる 「音流」 「内在の音」と呼び それは全て同じ事を 言っています だから聖書に こうあります 「初めに言があった 言は神と共にあった 言は神と共にあった 言は神であった」 それでこの振動力 光は更に濃くなり それは宇宙の階級の 異なるレベルに 降りてきます

そしてここで 最も濃くなり それで私達はこの種の 可視の肉体を持ち 動き回るのです でも最高のレベルまで 修行した人は 最高の智慧と 最高のパワーへと 自らを発展させ 自身を元々の起源へと 溶け込ませて いきます それで 時に肉体が消えるのを 見るでしょう それは彼らが 消えたのではなく ただ元来の姿に 溶けていっただけです ちょうど氷が太陽の光 または火に当たった 時のように溶けて水に なり 大気中に再び 消えて行くのと同じ でも私達が瞑想する時 修行する時 私達は 仏陀になり 偉大な 師となり ただ素早く 消えていきます

また私達は自分の体や 運命もコントロール できるようになり 他者へ恩恵を与える ために留まりたいけど 私達の体は必ずしも 本物ではなくなります ですから時々 そのようなマスターが サマディに入る方法や 他者に教える方法など 講話すると 人々はマスターの体が 全く見えなくなる事が あるのです ただ光の海を見て その光は講演会場の 全ての観衆さえ 包み込んでしまいます 時にこのような体験を するかもしれません この状態は半時間とか 二、三時間と延び 皆さんは 光の海と至福の中に 迷い込んでしまいます マスターは 光の大海に溶け込んで いるからです 時々マスターは ある弟子の前に 姿を現わします たぶん彼らに 確信させるためとか 多分その弟子には 過去世でマスターと 大きな縁があるのです

でも誰もが この現象を 見られる訳ではなく 全てのマスターが この種の現象を現わす ほど高い訳ではなく このようなマスターを 見つけるのは困難です 非常に普通だからです 彼らは袈裟も着ない かもしれません ただ普通の衣服を着て いるだけかもしれない 凡夫に見えるほど 偉大なのでしょう 時に通りを歩いていて 出会うかもしれないし 多くの菩薩や聖人を 見ているかも しれませんが 認識できません 人知れず仕事をします 仏教経典の中で 法華経と呼びますが 釈迦牟尼仏は こう言っています 私達の存在の あらゆる生涯において 菩薩(偉大な聖人)は 菩薩(偉大な聖人)は 常にこの地球上に現れ 偉大な教理を 守っていて 法を守っていると これを常に認識する ことは不可能です

彼らは数え切れず また異なる分野で 方法で各自が 働いているからです エンジニア 医者 タクシー運転手を 見るかもしれませんが 彼らは偉大な聖人です どうか他の人々を 尊敬するよう気をつけ 彼らに偶然出会うかも しれないからです 最良の姿勢は 全ての存在に対し仏陀 聖人として見ることで そうすれば素晴らしい 驚異を体験したり 素晴らしい変化が 人生に訪れるかも 私は既に言いました ヒマラヤへ行くことや 剃髪することは 開悟するためには 不必要です 私はそうしましたが それが私の道 運命だったからです 今 私が既に 開悟しているとして 私は既に僧なので 私の髪を伸ばそうが ジーンズをはいて 走り回ろうが 何が 起こるでしょうか 私が開悟を失うと 思いますか いいえ 全く同じです この世で何をしようが 関係ありません どれほどの責任を 免れようが 関係なく 一度悟開すれば 皆さんは永遠に 開悟しています ただ開悟には 鍵が必要で早ければ 早い方が良いのです もちろん 時間はありません

私達は現代社会にいて ただ何年も座って 突然の覚醒を 待てないのです 事前に開悟の味を 知らなかったら 科学時代の人々の 頭脳に  証明できなことを 信じさせることは 難しいです ですから いわゆるマスターが 現代 公に  人々に偉大な 意識レベルの証拠を 与え  神の王国や 仏陀の光を見せ 人々に信じさせ しがみつかせ 成長させるために 証拠をべきなのです 開悟には 異なるレベルが あるだけです 一度開悟したら   開悟するのです ただ貴方は偉大に なるために進んだり そこに留まることを 選んだだけのことです いったん印心すれば 違う人になり 違う段階になります

例えば 高校を卒業して 大学入学の 手続きをして 大学生になる ということです もう戻ることはなく幼稚園生と 呼ばれたり もう高校生と 呼ばれたりしません もっと学ぶことを選び 博士になったり そこに留まったり やめたりと 選ぶことが出来ます とはいっても 皆さんは大学生です 高校の卒業生では ありません ですから皆さんが マスターの加護や 自分の努力により 開悟したら 永遠に 開悟しているのです もう以前の皆さんでは なくなるのです しかし その後の  勤勉な修行が問題で 重要なのです 一瞬だけの開悟が 皆さんを 仏陀にする訳では ありません いったん 大学に登録しても 何も学ばず それで医学博士になる 訳ではありません 簡単ではありません その他の 科学と同じように 一定の努力と勤勉な 修行が必要なのです

しかし 私達は  先生からの保証と 手伝いが必要です 時には滑ったり 時には自分の成長に 無知になったり 修行の道での 落とし穴を 知らなかったり それはとても長く 難しいものですから 友人が必要です 誠実で 寛大な賢い 友人はその道で案内と  援助をしてくれます 一人で 歩くべきですが 助けてくれる友人が おそらくもっと楽しい 速く 悟りを開く 旅にしてくれます ですから先生は 隣を歩いてくれ 落ちた時に助けて くれる良い友人であり 病気の時は 料理をしてくれ 疲れた時は 助けてくれ 熱意を失った時は 励まして くれるのです しかし先生は皆さんを 開悟させられません 先生は皆さん 道に置いてくれ それで歩けるのです その法門が正しいのか どうか どのように 知ることが出来ますか

その法門が最高で 学んで正しいものだと どのように 知ることが出来ますか 皆さんを仏陀に 仏性を近づける 法門ならどれでもよく 皆さんを神に戻し 神の力を 見せてくれ 神の光を 仏光を 見せてくれるなら それが正しい法門です

私達が仏性を 見れるなら どの法門でも それが正しい法門です 簡単です 私達に輝く本性 輝く仏性を 見せてくれるものは 私達が肉体ではなく 人間の脳でないと教え 自分の光を 仏光を 自身の仏光を 見せてくれるのが 正しい方法です 私が得た印心が どうして 本当の仏性だと 知ることが出来ますか 印心の間に どのように 仏性を得ることが 出来るのかを 彼は知りたいのですか ええ すぐに得られます 方法を聞く必要は ありません  すぐに分かります 例えば あなたに リンゴをあげたら それがすぐにリンゴ だと分かり待ちきれず 食べたくなります どうしてそれが リンゴだということを 知る時間が ありますか 良い印心を得るために どんな正しい行動を すれば良いですか 印心中に もっと高い レベルに達して もっと功徳を得られる 方法を 聞いているのですか

既に必要条件を 見ましたね 印心中は  全て私の仕事です 印心後は 皆さん次第です いわゆる  五戒を守れば 良いでしょう いいですか 自分の能力の 最善を尽くすのです 五戒を守り 最善を尽くします もちろん 私達は まだ人間ですので 時に怠けたり しますが 既に言いましたように ただ最善を尽くします 状況が許したら 私達は五戒を 守るべきです それだけです 印心の間は マスターの仕事です 印心には 何も持って来ません おそらく 昨日ステーキを 食べたかもしれません 聞く必要はありません 印心中は 私達は 何もしないのですか 皆の過去のカルマ (報い)を浄化します 将来が より重要なのです 過去に間違いを 犯したのは 私達が 無知だったからです 今はもう遅いです

全て許すことです 仏陀は 取り消してくれます(はい ありがとう) ABCから やり直すのです マスターは印心中は マスターが皆のカルマ (報い)をきれいに すると言いました 皆さん全員のをです またマスターは  この質問への 答えが 印心の必要条件だと 言っています 彼らは 従うべきですが 最善を尽くすべきです 私達は人間で 弱点があることを 理解していますが 最善を尽くせば マスターが残りを 世話してくれます 私は仏教徒になって 三年ですが 全く成長しません 問題は何ですか

彼は仏教徒になって 三年ですが 成長しません 問題は何ですか なぜならあなたは ただ仏教の理論に 従うだけで 修行はしていません 分かりますか 論理の成果を 得ていないのです あなたが 仏教を勉強するなら 或いは仏陀から学ぶ時 あなたは仏陀の 教理を唱えるだけです しかし仏性 仏陀自身の源を得る ことはありません あなたには内面の 体験がなく それで 三年経ってもあなたに 何の結果も 得られなかったのです 例えばリンゴは 美味しいと言いますね 外が緑色で 中は白いです そして甘酸っぱく みずみずしいです でもあなたが一度も 食べたことがないなら どんな味か分りません あなたは満足感も 得ないでしょう 例えば あなたが毎日 阿弥陀経を唱えたと しましょう  単なる例えです

その阿弥陀の地は 本物で 金色の地面が 色鮮やかに飾られ 八功徳水があり 小鳥は歌を歌い 蓮は移動する時に使う 輸送車等です でもあなたは阿弥陀を 一度も見たことがなく 行ったこともなく 甘露水も飲んだことが ありませんし 遠くでから 小鳥が歌うのも 聞いたことがないなら もちろん あなたは何も結果を 得てはいません そういうわけで私は この法門を提供します あなたは少し阿弥陀の 浄土を味わうことが できるでしょう 多分完全ではないです が全く悪くもないです 始めはほんの少しです そうですね

例えば私達は空腹で レストランへ食べに 行きたいとします どこのレストランへも まだ行ってなく すぐそこに あるとします 私達はレストランの 近くにいて料理や スープの匂いがします そこだと分かります 「そうだ そうだ これだ」とそうですね レストランへ入って いなくても私達は 正しい道にいます そうでなければ私達は 既に半日歩いて空腹で 死んでしまいます そのレストランの 料理が美味しいと 聞くだけで今まで 見たことも食べた こともなかったのです

問題は彼が誰か 他の人々の体験を 読んだだけなのです 彼自身には 体験はありません 例えば 仏教経典には 阿弥陀の地についての 記述があります しかし 彼は一度も 訪れたことがなく 毎日 彼は仏陀の地に ついて唱えている ばかりです そして 彼はほんの少しの 食欲さえないのです なぜなら どうして その食欲を持てますか 彼に食欲はあったかも しれませんが 食物が全くないのです それで私は言います この法門を提供する ことで仏国土の味見が できるように それであなたは 正道にいると分かり 遠くまで歩こうと 勇気がでます それで成功すると あなたは分かります でないと もちろん 三十年も学んでも 何の成功もないのです

三年など言うに及ばず 三年など 短すぎます 三十年も無駄に過ごす 人々もいます 一度も仏国土を 見たこともなく ほんの少しの仏光を 垣間見る事も一切なく 仏陀の音楽 声を 少しも聴いたことが ありません あなたに正しい 教師がいないなら 非常に困難です 正道を歩まなければ 決して 成功できないでしょう 誰かがレストランへ 連れて行くようで あなたは空腹でそこを 見つけたいと思い 少なくともその人は 正道に連れて行きます まだレストランに 到着していなくても 正しい道だと知り 遠くまで 歩き続けられます 遠くからでも少し 台所の料理の匂いを かいだからです それてあなたは 知ります「これだ 正しい道にいる」と そうでなければ何日も 多くの道を歩いても 何も得ることが できません

完璧な人とは 自らの短所と長所を 自らの短所と長所を 知っている人です その人は 短所を放っておくか 短所を放っておくか 管理下に置いておく ことによって制します 必要な時に それらを使うのです 長所に関して言えば それを他者や 自身の利益のために 更に発展させ続けます それが完璧な人です

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