智慧の言葉
 
我々はここにいるのが世界を祝福するためにであり    Part 1
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有り難う 有り難う

たとえ私が ちょっと悟っても 私の遺伝子 DNAは変わりません また体のサイズも 変わりません それで以前皆に見える ように私を担がねば なりませんでした 私が偉大な人であると 誤解しないで下さい 二本の足で歩けるのに あんな風に 神輿の上に座るのは やはり非常に 恥ずかしいです でも 人々の愛ゆえに 恥をしのんで 私の 主義をあきらめねば なりません 皆さん いかがですか 大丈夫  お元気ですか

サバディプロじゃなく ええ 同じです 同じね 分かりました いつかタイ語をよく 学んでこうした素敵な 人々と意思疎通できる ことを願っています 私は本当にタイが 大好きだからです 皆さん全員が 現在 大勢が知っています 私の大好きな国です たぶんチェンマイは タイで 私の好きな都市です タイの人々はとても 穏やかで 優雅です 彼らは急いで ことをしません それで 弟子が 「即刻開悟」の 標語を掲げても それがタイの人々に 訴えかけるかどうか 分かりません 「ゆっくり開悟」に 変えた方がいいかもと 思っていました

でも大勢来るのが 分かって驚いています 多分問題ないでしょう ほら実際 私達は 開悟するのに非常に ゆっくりして来ました なぜなら 多くの生まれ変わりで ある人々は数百 数千 または 何百万もの 生まれ変わりの間 物質的創造を楽しんで 来たからです それで 何人かは 疲れを感じていたり この物質界のドラマに 少し嫌気がさしていて 早くて迅速な方法を 持ちたいと願ってます 悟りを得るため または本来の家に 帰るため 仏土や神の王国に 戻るためにです これは 各々の宗教で使う 異なった用語です おそらく そういう 理由で人々は 即刻開悟を求めて 来るのです

私達の何人かは この世に必要以上長く この生涯より長く 留まっていたく ないからです 私はヒマラヤに 行く前に 同様に 感じました この世の多くの 苦痛と災難について 知った後 私自身も この世の人々の 苦しみや痛みを 共に感じ どんな手段を使っても 即座に救済したいと 願いました 私の命を 犠牲にしてでもです おそらく それで 神あるいは仏陀は私を 気の毒に思い 願いを 聞いてくれたのです ですから それは 世界中の何千もの 私達修行仲間も 同じです

彼らの心が泣いて 解脱を求めたとき 彼らの心が誠実に 真理を 究極の智慧を  切望していたとき 十方の仏陀 十方の仏陀 全能の神もやはり 彼らの願望をかなえ それで彼らも 悟るようになりました 彼らは悟るようになり 観音法門の 修行を通じて 日々 ますます 悟るようになりました そして 将来 他の人の誰でも また同じ祝福を 受けたければ 私たちはこれを皆と 共有できます 果実 悟りの種は 既に我々に 内在しているので どこかにそれを探しに 行く必要はありません

したがって 私たちは 昔の経典において 様々な仏陀や 様々なマスターが 様々な場所で 別の期間中に 別の修行努力で 開悟 したのを見てきました 彼らの何人かは 苦行をし また何人かは 在家で ゆとりある方法で 修行しました 完全な悟りに至るまで 非常に長い時間 数多くの生涯 かかったものもいます ただ数ヶ月のものも いれば 中には 多分 数年のものも また 即刻のものもいます それで 釈迦の 身近な仲間に その当時 一人の 菩薩がいて 彼は 仏陀の境地に達した 八歳の龍女の話を 私達にしました

ですから年齢や性別 例えば 男性女性とか DNAのような遺伝子  龍か人間か また 場所とかは 聖人の地位 悟りを得るのに 何ら 違いがありません ご存じのように 龍の種は 海の底に住んでいて そう考えられていて 彼女は八歳の子供に すぎません 蓮華経を読んだなら 分かるでしょう ところで 八歳の少女さえ 仏陀境地に達せるなら それは即刻か 最長でも二年で なければなりません 昔から今に至るまで マスターはより幼い 子供には 六歳以下の 子供には印心を 与えないからです ですから その龍女が 仏陀の境地を得るには 最長でも 二年でしょう

そしてよく聞きます 人間だけが 仏陀になれる 悟りを得られる 少年 男性だけが 仏陀になれると 今 それとは逆に 別の話があり 少女 女性 幼い子供でも 悟りを 得られるのです 私たちにも 同じ範疇に属する 沢山の子供がいて 彼らは非常に低年齢で 悟りを開きます それで人々は常に 幼少時から 真理を 探求してきた修行者を 賞賛するのです 若い時には 私達の心はより純粋で より高い理解レベルに 内面のより高い 意識レベルに自分達を 高揚させるのは より簡単だからです しかし こうした 昔の人は どのように 悟りを得て 最終的に仏陀の境地に 達したのでしょう

これは私たちが 知るべき問題です それは苦行を通して 或いはリラックスして それとも幼年期の 純粋さでですか おそらくこれら すべてでしょう でも こうした要素に 全面的に頼って 悟りを得るのでは ありません 昔からの秘密があり 最近になってこそ それは多少 公になっています なぜなら 大昔は マスターと共に この秘密の法門を 修行したければ 人々は川を渡り 山を越え その時代の マスターの 愛と受諾を得る為 多岐にわたる 重労働をしなくては ならなかったでしょう 理由は沢山あります

なぜなら 昔は こうした 霊的秘法の修行は マスターや弟子達に 多くの危険をもたらし 民衆や政府そして 自分達の信仰の外に そうしたことが 存在する事を信じない 宗教団体から 迫害を 受けたからです ですからマスターと 弟子達は自分達の身に 危険が迫らない様に 秘密を維持し 目立たないようにする 必要があったのです 例をあげると イエスや 預言者ムハンマド 釈迦でさえ 伝道している期間に 全員が大なり小なり 迫害を 受けました

私はインドで 様々な宗教の 多くの経典を研究し 様々な宗教の多くの 偉大なマスターが 真理を説いたせいで 迫害され 生きたまま 皮を剥がされたり 焼かれたりしたのです 釈迦でさえ 彼は非常に有名でした 高貴な貴族に生まれ 王子であり 彼の名声 慈悲と智慧は インド中 近隣諸国に まで広がりました その時でさえ 異なる宗派や教団に 属する多くの人々が 釈迦を迫害し暗殺まで しようとしましたが 失敗に終わりました もう一つの理由は 多分マスターは 弟子が辛い仕事や 苦行を通じて稼いだ のなら 与えられた ものに感謝して 欲しかったからです

マスターは人間の 心理はそんなものだと 分かっていたからです 懸命に働いたり 稼いだり 追い求めた物は何でも 非常に簡単に 何の不自由もなく 与えられた物より ずっとありがたい事を そのためマスターが 受け入れる前に 弟子達に沢山の試験や 試練があるのです 昔 マスターは マスターに従い 重労働をさせる目的で 弟子に出家させ 肉体の喜びや 贅沢な生活を 全て捨てさせました それはただ 弟子の強さと 誠意を試すためです 古い経典には 同じような話が多く 書かれています でも現代ではそんな 仕事は不要でしょう 多くの人はマスターの 試験を受ける時間が ないからです

テストするのが 悪い訳ではありません それはとても良い事で 高い価値があり多くの 有利な点があります 有利な事の一つは マスターが弟子の ため込んだ悪いカルマ (報い)を背負わない ことです マスターは その為に働きますから マスターは 様々な試験や困難を 使い 弟子を「磨き」 身口意をきれいに するのです そのようにすれば マスターは 印心時に弟子のために 懸命に働く必要も その様な重荷を負った 弟子の悪いカルマ (報い)に耐える 必要もありません ですから昔の マスターが弟子達に 与えた試験や試練には 有利な点が幾つか あったのです でもこの方法は 人類にとって多くの 不利益もありました

それで私達の地球は 未だにこんなにも 遅れているのです 他の多くの惑星 遠い宇宙の果てにある もっと文明化され 進歩した惑星と 比べてです それで今になっても 一宗教内でさえ なおも差別や 内紛があり また世界はなおも 餓えや多くの不当な 行為で苦しむのです 現在でも 多くの国では 私達の教理や 仏教やイエスの教えは 公的に容認されません 今はもう 二十世紀もすぎて 人類は 月にも上陸し火星を 探検したりしますが 人々の考え方と 人々の考え方と 精神面では まだ遅れています

しかしこの秘密を 公に公開することは 私達の予想以上に 容易ではありません 多くのマスターが 命を落としたのは 危険を冒して 人々に智慧は 私達の内面にあると 教えたからです 彼らは命と名誉と 快適さを失う危険を 冒してまで私達の 霊性を高揚したのです 今日における霊性面の メッセージは何れも 古代のマスター達が 残してくれたものです 私達は彼らに 借りがあります 知っている事の全てと たとえ本の少ししか 残っていないとしても 過去の全ての偉大な マスター達の恩恵です

だから人は 寺院や 教会やモスクを建てて 偉大な マスター達を記念し 世界の幸せのために 全てを失った 偉大なマスター達に 感謝の気持ちを 表しているのです 寺院や教会を建てる だけでは不十分です 十分にマスター達に 対する感謝の意を 表せません マスター達が残して くれたメッセージを よく運用することです これは彼らが この世界にきた 目的で  要するに 私達の仏性と 智慧と神の大国を 思い起こさせる ためです 私達は 必ず全力で それを見つけ なければなりません なぜならマスター達が この世界に来たのは 人々に尊敬され 崇拝されるため ではありません 私達にも マスターに なってもらい 自身の内面の偉大さを 思い起こさせること これがマスター達の 目的なのです

二〇〇九年 十一月十六日に 国際会議 「SOS地球温暖化 阻止への素早い行動」 メキシコベラクルス州 オリザバ市で 開催されました ここは「高山の地域」と して知られます
釈迦は言いました 「私はあなたに自身の 仏性を分かってもらう ために来た」と 仏陀と衆生は まったく平等であり 何の違いもないと 言っています 私達は仏陀を 信じているとしても 仏性というものを 分かっていません 教える人がいないか 私達自身それを 知る努力を しなかったからです 自分の仏性を 見つけた人は幸運で 素晴らしいことですが 大半の人は 無数の過去世において 失敗を重ね 困難は毎回 増していきます 一部の人は千里眼が つまり 第三の目が開き 時空を超えて見る 能力を持っています

彼らの目で見ると 世界の人は古い魂で 充満しています つまり この世界の人々は 絶えずこの同じ 地球上に生まれ変り 同じ状況で 同じ生活を繰り返す ということです それは私達が 最初に家に戻る 試みが失敗し 二回目も 三回目も 四回目も四千回も 失敗すると自分が 来た所を忘れます しかし 自分の仏性を 忘れたのであって 失ったわけではなく 随時見つけられます この世界で 数百万人もの人々が すでにその宝を 見つけています 私を含めてです だから貴方もできます 多くの人が私に 開悟した後 どうなりますか 個性は変るか 生活に変化があるか

生活に変化があるか 考え方は変るか 開悟し 仏陀になってから 何をするかと聞きます 皆さんもきっと そう思うでしょう 私はこう答えます 開悟した後も 寝て食べたりします お腹が空いたら食べて 疲れたら寝ますと ただこれは 私の肉体の部分が することです 別の部分 霊的面では つまりすでに 目覚めた仏性は 肉体の機能とは 別に他のことを します ですから 仏陀になった人を 外見ではおそらく その内面のレベルを 測ることはできません 肉眼や 頭脳の理解力では その人が開悟したか どうか仏陀になったか どうか分かりません

しかし霊的知覚力を 持っていたり 智慧が開いていて 瞑想修行している人 生まれつき霊性の 能力のある人は 知ることができます または 仏陀について学ぶと その人の偉大さを 分かります これは私達が英語を 習えば習うほど 先生が英語で話すとき いかにすごいか 分かるのと同じです でないと 少ししか分かりません 先生の指導に 従わず 先生と同じものを 勉強しないと先生の 学識を判断できません ですから最も大事な ことはやはり自分の 偉大さを発見すると 他の人の偉大さが 分かるということです

そうでないと私達は ただ仏陀もお腹が 空いたら食べるし 一日一食でもです 疲れたら寝て しかも病気だってする としか分かりません 肉体や 環境衛生の影響で そうなります 仏陀の ある部分は 永遠に病気せず 永遠に疲れず 永遠に空腹にならない それが真我であり 真の仏陀であり すべての人の内面に 持っているもので 生まれる前も 死んでも ずっと持っています これが今日 私達が ここに来た目的であり 他の所にも行く目的で 人々とこの良い情報を 分かち合いたいのです 要するに私達は 再び仏性 真我を 見つけられます

つまり永遠に死なず 生もなく病気もしない 永遠に存在するのです もちろんこれは 常に無料で与えます 皆はただが好きです これは珍しいものです 今では無料の ものはありません これは無料ですが 努力せねばなりません つまり 一旦智慧が開いたら 私達はそれを保ち 発展させて仏陀の 境地に達するために 毎日瞑想に励まねば なりません 毎日二、三時間 瞑想する必要が ある以外は すべて無料です 私の時間と助言 労力 私が随時提供する 助けはいつでも無料で なぜなら 私は自分で稼いで 賄っているからです 寄付を必要としません

リッチな仏陀も なかなかいいですが 私が仏陀であればです 皆さんが私を仏陀だと 信じていればです 沢山の人が私を 仏陀だと言っています 私は何も考えません ただこの世界での 責任を果たし皆の 恩に応えるだけです この世の人々の お蔭で 私は成長し 教育を受けることが できましたし 智慧眼も開くことが できました ですから私が自分の 時間と労力を貢献 するのは自然な事です 子供が 年老いた両親がいて 成長してから 両親の世話をして 親孝行の責任を 果たすのと同じです 従って 人々のために 奉仕できて光栄です ですから私は 自分のすべてを 貢献します 

財産や 同情心 愛と時間を含めてです 仏陀の教えと 私の開悟した後の 見解から見た場合 すべての衆生は皆 兄弟姉妹です ただ中には この世界で 肉体的 精神的に 苦しんでいる人がいて 先生も弟子達も 全力で彼らを 助けてあげなければ なりません もちろん私達が 霊的智慧と 解脱を渇望している時 無条件に 助けてくれる友人が 見つかった場合 私達がまだ 無知の段階にいる時は 大変ありがたく思い もちろんその先生 霊性上の友人を 崇拝したりします そのいわゆる先生は 時には弟子からの 尊敬と愛と 崇拝に辛抱しなければ なりません これは不必要です

皆が平等で 私達皆が内面に 仏性と神の品性が あるとしたら 誰も他の人がして くれたことに感謝する 必要はありません 最も重要でかつ すべき事は 自分が信じている 先生の指示に従って 修行に励むことです 先生と同じ水準に 到達するまでです これが学生の最も 良い感謝の表現です もちろん全ての人が 古代の聖人達の 生活方式を 好むという わけではありません ですから私達は 修行者の仲間入り するのを嫌っています 恐れることが多いです しかしこれは 口実にはなりません

私達は 悪い事をし 自分自身や 家族や国に害を及ぼす 事を恐れるべきで 良い事 高潔な事 正しい事 霊性上の事を恐れる べきではありません ある人は私に 菜食すると人に 笑われるのを恐れると 言っています 私は「なぜですか 菜食は誰も傷つける 事はない」と言います 仏陀に ならなくても 菜食は 健康にいいのです 私はランナ王国で 30~40%の人が ベジタリアンで チェンマイにも沢山の 菜食の店があることを 嬉しく思います いいニュースです 大分前のことですが 私は休暇で タイに来たとき 菜食の店を探すのが 大変だったのを覚えて います

バンコクでも それに 他の地方でもです 私がこの 「仕事」をする前に 貴国を数回訪れました つまり 開悟する前の話です タイは仏教国で 菜食の店を 見つけることは 容易いはずだと 私は思っていました 時には 私は寺院に行くと 菜食の食べ物があると 思いましたが なかったです 出家者でさえ菜食を 食べられません ましてや私は尚更です 僧侶達は外で 托鉢すると 人は何でも供養します 僧侶達の健康のことを 心配したからです 僧侶達が沢山の 鶏肉や牛肉を食べると 壮健な仏陀になれると 思ったのでしょう 可哀相な僧侶達は 選択の余地がないです チェンマイでは ましだと思います

ここでは多くの人が 菜食をしているから 私は来られたのだと 思います ここに来た時 とても良い感じでした それに宗教的な 雰囲気が濃いです 雰囲気は以前 私が訪れた所と 違います それを感じ取れます 感じられるのです

長い期間 修行した後 私達は生活などの面で とても敏感になります 以前感じなかった事を 感じることができ 以前知らなかった 沢山のことを 知ることができます これが修行の利益です そうでないと外見は 以前と何の違いも ありません 外見は以前より 若くなり 以前より綺麗になった かもしれませんが 修行者にとってこれは 基準ではありません 内面こそが 重要なのです 内面で私達は より智慧があり 過去 現在 未来を知り これらの範囲を超えて ずっと前に失われた 智慧の大きなパワーを 得ることができます

私達はここに来て 皆さんと即座に自分の 宝を知る方法を 分かち合いたいのです そして引き続き それを発展させれば 偉大な本性を完全に 分かるようになります 結果はすぐに 立証できます 多くの人は 初日に彼らの過去と 未来が分かります また多くの人は 数日後又は数週間後 数カ月後に分かります ただこれは 個人の背景と 誠意にもよります これは私達が皆さんに 提供する朗報です 皆さんに質問の時間を 残します でないと 長くなるからです 私はいつまでも 話すことができます 

仏陀の仕事は 偉大ですが 私は皆さんが 自分で見つけて 欲しく 毎日修行し  瞑想することによって それを発展させます スリルな映画みたいに 最後にどうなったか 内容はどうなのか 人に言ってもらうと もうスリルに感じず 映画を見に行く喜びも なくなるでしょう いいですか だから皆さんに自分で 発見して欲しいのです 経の講義の後皆さんと 秘密を分かち合います この秘密を知りたい 人は今日から 菜食をすることを 約束せねばなりません 秘密を半分または 三分の一を 知りたい人は 方便法を習うことが できます これでまずやってみて 好きかどうか 考えて下さい 異なるのは 全部の秘法を 習う人は 今生で 仏陀になることもでき 多くの先祖や 友人や愛する人が 超昇する事ができます 方便法を習う人は 自分だけが 解脱できます ご自分で決めて下さい ご清聴ありがとう ございました

 
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