智慧の言葉
 
How Suffering Can Lead Us To Happiness    Part 3
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Part 3
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なぜ観音法門を 修行すると 霊力で 病気を治療しては いけないのですか

簡単に言いますと 医者になりたければ 看護婦の仕事に 干渉したり関心を 持ったりしない事です 簡単な説明ですが でないと時間が かかってしまいます あなたはポーランドに 行く予定はないですか

そうですね 招待があれば行きます ただそこには 私の弟子がいません 多くのポーランド人の 弟子がいますが 皆アメリカにいます 招かれれば行きますが 歓迎されない所には 行きません ある師は厳しく禁欲し また性関係を 禁じます この種の苦行は 必要ですか いいえ いいえ 必要ありません それは開悟のレベルと 関係があるだけです あなたが とても開悟していれば 世俗の欲求は 強くありません それらに強く引き付け られることもなく 無欲の生活を 送ることができます これは禁じられません 禁じても悟りを 得るとは限りません 時々私達は自分を 抑え過ぎると かえって精神が傷つき 混乱してしまいます 私達はのびのびと 自然に生活を 営むべきです これがいいと思います 極端に走ることは 誰にもよくないです 天国と地獄は 本当にあるのですか

本当にあります 私は両方に行きました 多くの私の弟子達も 両方を見ています ただ通常 私達は地獄を訪れる ことはありません 感じが悪いからです そこは環境が よくありません 時々誰かを救うために 地獄に行きますが そこに行っても 長く留まりません 私は心からマスターを 尊敬しています 信頼しているからこそ この質問をします スプリームマスターは 本当に存在しますか いるとしたら 基準は何ですか 皆に何度も 質問されました スプリームマスターは 天なる父の名前です あなたも自分のことを スプリームマスターと 天なる父の名で 呼んでいいのです あなたが使わないのは 私の過ちではりません これで分かりましたか 私達は皆スプリーム マスターです 誰も低くありません あなたが忘れたとして 自分の高い身分を 忘れているのであれば やや残念です しかし構いません 千年後には 思い出すでしょう なぜ内面の世界には 男女の性別が ないのですか

それは私達が達した レベルによります あるレベルには やはり男女が あります しかし高いレベル 最も高いレベルには 男女の性別が ありません 私は極端に自己排斥の 中で成長しました そして十三年間精神 分裂症に悩んでいます

この社会はあまりにも 多くの抑圧と 多くの好ましくない ことがあります 時々それ以上我慢 できない場合 頭は混乱します 正常な考え方に 戻らねばなりません 私達の内面には神の パワーがあるのです 自分があんな低い レベルに落ちることを 許してはいけません 自分がそのようになる 事を許していけません 強くなることです 私達は神の子なのです 狂ってはいけません 神の子なのに 狂って いいでしょうか

そうです 自分の 尊厳を保つべきです 自分のために 口実も 作らないことです 永遠なる生とは どういう意味ですか 現在の私達の生命と 逆であることです 例えば私達は 最高でも百歳くらい しか生きられません 別の境界 最も高い境界では 永遠に生きます そこでは生まれ 死ぬ必要はありません それが永遠の生です 人生の意義とは 何ですか 素晴らしい質問です 私もそう思います

ある人は死ぬ時が 生の終わりでこれが 全部だと思います 私達は生まれて 学校に行って 仕事して子供を産んで お金を稼いで そして死んでいきます 実に 無意味です 人生の意義は この地球を加護し 他の衆生を 高い意識レベルに 進化させることです 私達がこの責務を 果たせなかったら 繰り返し戻って こなければなりません これを学ぶまでです 神とは誰ですか どこにいますか (神はとても忙しい) 忙しいというのですか いいえ忙しくないです あなたの隣を見て 隣の人を見て下さい 左右を見て下さい 神はそこに 座っています

それが神です 私達は自分が誰なのか 忘れているのです マスターになるまで どれほどかかりますか とても長くかかります ここからミュンヘン までの距離です あなたの努力と 修行の 背景によります 過去世で よく修行していれば 早いです でないと 数年か 十数年かかります ここでマスターに なれなくても天国で 引き続き修行できます 問題ありません 天国には 沢山の学校があります イエスはなぜ 聖霊の火で 洗礼を受けたのですか なぜ彼は先ず天国に 上がって行ってから 五旬節にだけ 聖霊を送ったのですか 彼の肉体が天国に 上がったのではなく 上がったというのは 魂が上がったのです

私達が印心を受ける時 私達の魂は天国にあがります 体ではありません 聖書でいう「火」は この世界の火ではなく 世界の火ではなく 一種の光です イエスの肉体が天国に 上がったのではなく 魂が上がったのです 印心を受けると 多くの人が 天国に行き 再び戻ってきます 私達は毎日 これを練習します イエスは「私は道で 真理であり 生命である」と言い また「私はこの世の光」 と言っています

あなたが言っている 真理とは 違うものですか 別の種の 開悟ですか または同じ光を 体験するのですか 同じです 同じ光です イエスの言葉の最後の 一句をあなたは忘れて います「私は道であり この世の光である」と これは間違いないです 「私がこの世界にいる 限り」と言いました 彼は死ぬ時 彼の後別の聖霊が 別のマスターが来る とも言いました 正しい指導なしに どうやって瞑想による 敵対的 破壊的な エネルギーから 自分を守ることが できるのですか 正しい指導がないと それは難しく 危険です 私達の内面には 強い力があるからです それの扱い方が それの扱い方が 分からないと 致命的です 先生の指導があった 方が一番いいです

私達の寿命は 決まっているのですか または自分の行動で 死亡時刻を変える ことができますか 開悟すると自分の 寿命を変えることが できます しかし開悟した人は そうしません すぐ 天国に行くからです 死の世界に地獄に 似た法廷がありますか はい あります 私達が善良だと 天国に行きます 餓える方法で体を 浄化することについて どう思いますか

それは極端ですね あなたがよければ それでいいでしょう 以前私が瞑想して 禅定した時 一週間か二週間食べず 数週間でも 体にとって 役に立ちませんでした それで私の体がよく なったということも ありませんでした 前と同じように 小さく より小さく なったかもしれません あなたの体が不調で 医者にそう言われたら それに従っても いいでしょう でも医者の監視の下で やることです でないと 危険が伴います 私はその種の方法で 体を浄化しません 印心を受けた後も 悪い考えが あるのですか あります まだ低いレベルの 段階にいる時は ありますが レベルが上がるにつれ 段々少なくなります

印心後私の責任は 何ですか ないです 瞑想だけ 瞑想は責任ではなく 魂の糧です 私達は食べなければ なりません  そこで瞑想が必要です 印心後どんな才能を 得られますか 印心していないのに 注文が多いですね そうです 沢山の 才能を持ちます  ただそのために印心を 受けるのではなく 再び神の王国を知る ために受けるべきあり 神の力でこの世界を 加護するため受けます カルマ(報い)を どう思いますか

何とも思いません 私にはカルマ (報い)がないので 敢えて理解しません ただ聖書や 仏典で クリスチャンは 蒔いた種は刈り取る ことになると言います それがカルマであり 因果の法則です

外的な世界は ただの社会環境の 反映ですか そうです みすぼらしい反映です とてもみすぼらしい 影のようなものです 私達が太陽の下に 立っているとその影は 美しく映りません 美しい女性でもです この世界も 真の世界の影です 私は生命の目標を 失うことが怖いです 私の位置はどこに あるか 今生での 私の具体的な任務は 何か教えて頂けますか エネルギーをどこで どう使うべきですか 開悟してください 開悟することが 最も重要な任務です 他の任務はついでに やるものです ヒンズー教キリスト教 仏教は各自自分の神を 持っています 

そこで 沢山の神があります 私はどれを信じたら いいですか 神は何ですか誰ですか まず私達は自分自身の 神を見て始めて彼を 信じることができます 即刻開悟は 本当に可能ですか 今まで私が読んだ 本には 開悟は 相当長い準備期間を 経て無数の輪廻の後 得られるものだと あります 即刻開悟は可能です 今すぐできます 信じられないとしたら ここに残ってください 印心を受けるとき それを体験します 開悟するには沢山の 準備が必要である事は 間違いありません あなたはすでに長い間 準備してきました この世界で長く 輪廻しています 今はまさにその時です 菜食をし嘘をつかない 戒律はいつまで 守るべきですか 印心するまでですか 後もずっとですか あなたが答えなさい

もちろん 印心を受けるまででは ありません それはスタート時点で 嘘をつき 盗みを働く などといった行為では 天国の目標に 到達できません マスターはこれだけを 認めます チンハイマスターは 人が瞑想する時の 妨げを 除去できますか それはどんな障害物か それを持った人が 誰であるかによります 哲学的な質問です なぜ私は他の誰でも ない私なのでしょうか 「他の誰かさん」が すでに場所取りした からです 天国の 言葉とは何ですか 世界の任務は 何ですか 天国の言葉は 内面の神からの 直接な教えです 印心を受けた後 それを聴く事ができ それが何か分かります 世界の任務といえば 多すぎます 長いリストになります これは何の質問ですか 私の息子はてんかん性 疾病を持っています 治せますか どう治しますか 相手を間違えています 私は医者ではないです 病院にいって 聞いてください 私は開悟のためだけに ここにいます

憂鬱を どう解消しますか

私に何が言えますか 菜食をしてください そうです よかったら 菜食し瞑想して下さい この世界のものが 憂鬱を解消してくれる と思うでしょうが それは役に立ちません 本当です あなたは 私より開悟しています どのように 内面の導き手 または 自分自身と繋げますか 印心を受け 毎日瞑想することに よってできます 神に病気の治療を 祈ると神は 治してくれますか 時には助けてくれます その人が 深く真摯に祈れば 治りますが いつも そうとは限りません 私達に影響を及ぼす 悪霊は存在しますか あるとしたらどう 自分を守りますか 常に神を思うことです

瞑想したくなければ 常に神を思うことです 印心を受けた後 マスターとの 連絡を断絶したい場合 それは可能ですか この連絡線は あなたがゴールに 到着した時解消します 第五界に到達した時 マスターと 何の関係も なくなります それまでは切れません 第五界の上に 沢山の世界があると あなたは言いましたが 最高のレベルに達する ことができますか 最高のレベルはどんな 状況ですか あなたは そこに行きましたか 最高のレベルとは 世俗的な表現で 実際は屋根のような ものが私達の頭上に あるのではありません なぜなら 天国は無量無辺 だからです

自殺するとどんな 結果になりますか 自殺してはいけません よくないです 自殺する時 とても低い 意識レベルに 陥っていて そこで死んだら ずっとそのレベルに 留まって 大変長い期間 苦しみます 脱出できません ですから希望を持って 辛抱強く 待つことです 明日はより良いかも しれません 自殺は絶対しては いけません 印心の時マスターは どう前世の悪いカルマ (報い)を 洗い流しますか マスターのパワーが 過去の記録を 消します 例えばコンピュータを 知っていれば コンピュータに 保存してあったものは 何でも 簡単に削除できます

とても簡単です 問題ありません 人は皆自分の 悪いカルマ(報い)を 支払う義務が あるのですか そうです ただどう 払いますか 余りにも 多く集めています 自分で徐々に払って 払い終えることは 不可能です カルマ(報い)を 消すのは不可能だと 彼に言って下さい 余りにも重いからです 神のパワーに 頼るしかありません さもないと うまくいきません 観音法門を修行する 時間を二時間半より 短くできませんか

この方が日常の生活に 適していると思います 皆さんは買い物する ように交渉しています 皆さんは一日八時間も 十時間も働いては 二千か三千マルクを 稼いでいても 文句一つありません 私はあなたに神の 王国を毎日二時間半で あげるとしても 要らないと言います あなたの「苦行」の 精神を賞賛します なぜ神の真言を 避けて 別の道に 追随しますか 国や人民のため新たに 現代的な宗教を発明 していいでしょうか 皆の心はすでにその 宗教を銘記し聖書にも 銘記されているのです 誰も新たな宗教を 発明していません 宗教は二つに分けます

記載された理論と 記録されていない 本質の部分です あなたが 記録されている 内容だけ分かっていて 大事な記録にない 本質を忘れていたら 完璧ではありません 私達は光とか天国の 境界といったことを 読んでいますが 光も真の天国の部屋も 見ていません 自ら体験していません もちろん充分ではなく 従って私 達は新しい宗教を 創るのでなく ただあなたのために 宗教の別の半分を 提供するだけです それぞれ違った 宗教の経典には いずれも 光と天国の音楽に ついて語っています 私達はそれを聞く事も 見ることもできません ですから理論は宗教の 半分にすぎません 印心の時 別の半分を提供します つまり真の光と 真の音楽です これは全ての宗教の 経典がすでに語っているものです いいですか 私達は宗教を完全な ものにするだけです 新たに創っていません 分りましたか ええ

私達が神に感謝を 示さないのは 神のせいですか 自然現象ですか 私達が苦しむのは 私達のせいですか

私達が感謝の気持ちを 示しても示さなくても 神はすべてを 知っています 感謝を示すまでもなく 神を見つけることです 神を見つけることが 神に感謝を示すより 重要なのです 神は私達が 神に感謝するよりも 神と一つになることを 望んでいます ありがとうございます 沢山欲しがると 神は怒るでしょうか

いいえ 神は怒りません
舞踊をご覧頂くことに 致しましょう これはタイの北西部の 舞踊です マスターチンハイを  舞台にお招きしたいと 思います 会場の皆様 スプリームマスター  チンハイを 歓迎致しましょう

次に私達は修行者の 一人をお迎えして 修行後の 彼女の体験を 分かち合って頂きます

こんにちは皆様 まず最初に マスターチンハイに 心から 感謝したいと思います 昨年  観音法門の印心を私に授けて下さって それで私は観音法門を 修行する機会を 与えられました これは最高の法門です

長年にわたる 私の霊修行の 体験から 今まで多くの法門を 試みてきました ユブナウ ポンナウ (腹部に集中する) サラアマハン (心に集中する) そしてプドー(呼吸に 集中する)ものなど 私は五年間間 ノンタブリーの郊外の 寺院に尼僧として 滞在していました 最初の三年間の 私の修行は 沢山の障害に直面し 多くの異なる魔との 戦いでした 私は小さなクティ (小さな僧の家)に 一人で住んでいました 静かに誰とも話をせず 二年間暮しました 私の修行は少しだけ 進歩しました 心は落ち着きましたが 私は多くの努力を いわゆる魔との戦いに 費やさねば なりませんでした

可視 不可視のもの 両方がやって来て 私を邪魔したからです これらの障害により 私の最初の隠匿生活は 三年間あまり進歩が 得られませんでした 私の霊修行においての 体験から 多くの問題に直面し また苦しんできた事を 思うと この苦しみの 生死の輪廻の環から 抜け出したいと 望むようになりました それで仏陀に 祈りました 私を加護し 智慧に導いて下さる ようにと 涅槃(最高の天国)に素早く到達するダルマ(真の教え)を知るためにです 霊修行が 四年目に入った頃 不可思議な現象が 幾らか起こり すべてがより良くなる ことを見せたのです

昨年初めの ある日 帰宅した所 私は近所にスプリーム マスター チンハイの 瞑想センターがあると いう事を聞きました アーリーサムファン 通り3にです それで私はそこに行き マスター チンハイの 本を勉強するために 買いました マスターの本を読み終えると内心は とても良い気分でした容易に理解しました それはまさに私が 長年探し続けてきたものだということを第一巻を読み終えると私はマスターへの強い信心を持ちました 彼女は本当に偉大な マスターで衆生を救う ために来た方で非常に  幸運だと感じました

私は彼女ほど偉大なマスターに会えるとは 思いもしませんでした なぜなら彼女は 宇宙の最高のパワーを 伝達できるのですから それで彼女は私達を即座に開悟させ 今生で解脱させられる のです それは私が最も望んでいた ことでした 昨年六月私は マスターから 印心を受け それ以来 観音法門の修行を続けています まるでマスターが 新しい人生を授けて 下さったように感じ 霊修行はそれに従って 進歩していきました 障害によって再び 妨げられることはなく マスターの保護が 常にあるからです 瞑想中 私は法 (真の教え)を仏陀から 直接学べます 私の智慧は徐々に 発達していきました マスターが私の 智慧眼を開けるのを 助け 仏陀が私を助け すべてが効果的に 働いているのです

更にマスターは私の 家族も守って下さり 私の子供 主人を家では両親や兄弟にも良い暮らしを 与えて下さいました 観音法門を修行する 目に見える利点は 私は明らかに 健康になりました 私の慢性の頭痛は だんだん消えてきて 免疫系統も よくなりました 私の身体は以前より 強く健康になりました 菜食の明らかな利点は 私の胃腸を 丈夫にしました 二度と腹痛が起きなくなりました 観音法門を修行して 以来 私は疑いようもなく この法門は最高で 私達を今生で永遠の 解脱へと導くものだと 言えます 最後に 私はスプリーム マスター チンハイに 非常に感謝しています 私と家族に新しい 人生を与えてくれて それはつまり 計り知れない慈悲です それでは皆様 長らくお待たせ いたしました マスター チンハイの 講義をお聞きください 会場の皆様 どうぞスプリーム マスターチンハイを 歓迎しましょう

美しい踊りと 素晴らしい音楽 愛のある雰囲気を ありがとうございます 今しばらくリラックス した雰囲気になるのは 仏陀の話に行く前には 良いことでしょう

皆さん気分はいかが 良いですか サワッディ(お元気?) これしか知りません

美しいですね 舞踊は ここに来て 踊りを見て 音楽を聞くだけで 帰っても  既に価値があるのでは ないかと思われます

タイの人々の音楽と 踊りです そうですね

実際 弟子がすべて これらを準備しました 私達はこのような 彼らの無条件の奉仕と 愛に感謝すべきです タイの人々と多くの 世界中の人々のために

彼らは日夜 働いてくれました

きっとプレッシャーを 感じたに違いないです でも彼らは プレッシャーでなく 喜びだと言いました 彼らが言うには ここの人々は非常に 歓待の心があり 開悟の教えを 熱望している人々で あるということです ワーキングチームが 言うには 彼らがどこへ行っても 快く迎えてくれ 愛 支援 友好の心で 接して下さるそうです そしてまた私が聞いた 事によれば人々は 非常に勤勉だそうです

恐らくこの地域は この美しい景観の ためでしょう 好天候に恵まれ 山もなく平地である からかもしれません 私達が平地で 働くのは 山で働くより 容易でしょうから それに恐らく それで働きやすく 家の建設や何かが できるのでしょう それで人々は より勤勉なのです 同様に 霊修行においても 何か簡単な方法があり 私達はそれを好みます 困難な事よりそちらを やりたいと思います でも実際 時には 山々や川があれば その景色も 美しいでしょう

私達が環境を支配する ことができるなら それも素晴らしい ことでしょう 私達の瞑想場所は ほとんどが 山の中にあるか 山の近くにあり それで私達は山頂とか 山側に テントをはります 最初は難しく 思われ 人々は そうするのを怠けます でもしばらくすれば それに慣れてしまい それが好きになります それは異なる風景と なるからです

今 時に私達が 容易な修行に 慣れてしまったなら 新しく 少し難しい ことを見ると私達は しり込みする 傾向があります それができないと 思うからです 実際私達が それをやり始めれば 問題ありません 多くの人が 一生 菜食には慣れないと 言うのと同じです その人生でずっと 人々は 肉を食べるのに慣れ あらゆる種類の 動物製品を楽しみます また肉のない食事に なることが できないだろうと 心配します ですが実際には 全く問題ありません 自身の体験を語る 出家した尼僧の 話を聞きました なぜなら タイの出家した 僧侶と尼僧の ほとんどは 菜食をしません

その尼僧もです でも止めたのです 問題ありません 私達の修行仲間の 体験のすべては 霊修行は簡単だと 証明するだけでなく 菜食も簡単だと 証明します それに身体と精神に 非常に良い結果を与え 素晴らしいのです また現代では 菜食の食品は 世界中で奨励され 実践されています 例えば いわゆる 大変文明化し 進歩した国アメリカや 欧州などもです 有名な科学者の アインシュタインも ベジタリアンでした もっと大勢いますが 思い出せません 図書館で調べられると 思います

さてそれは大変簡単な ことなのに私達は  難しいと思いますが 実際は違います 霊修行に 関する他のことが 沢山ありますが それも本当に簡単です また私達は 慣れていないか 聞いたことがないので 自分にはできないと 心配します ですが私達が 決心した後に 勇気を持って 確かな教えに従い 修行すればするほど さらに強くなるのを 感じます また私達にとって この世界で不可能な ことはありません 私達は「肯定的な 霊修行」と呼びます 肯定的である理由は 私達は家を捨てたり する必要はなく 仕事を変える 必要はなく 家族を変える 必要はなく 両親や子供 妻や夫から離れる 必要はないからです それは別れの苦しみの 原因になります 私達はまだ修行でき 聖人や菩薩に なれるのです

また同時に社会への  自分の役目を果たす ために労働や努力を つぎ込みます 自分の国がより豊かで 強くなり また家族が より豊かで 満足できるように なるために たとえ私達の 尊敬すべき尼僧も 修行をした後で 才能と能力が増加し 大変肯定的だと 述べていても 私達は尼僧や僧になる 必要さえありません

私達は才能もあり 元気で 自身の能力を 社会に貢献できます また菜食は 身体を強くします 自然界でも それがみられます 菜食の動物は より強く 大きく その強さは より持久性があります

あるいは病院でも 見られます すべての肉食者が そこで横たわってます それは菜食が 私達を強くする だけでなく それは瞑想の修行で 得られる 肯定的なエネルギーで それが私達の健康と 魂を維持するのです ですから私達は ヒマラヤやチベットの 大勢の偉大な修行者の ことを耳にするのです 彼らは時には 長期間  断食をします それで死ぬことはなく またいかなる健康上の 問題もありません 私達の魂は 身体と頭脳の 主要な 援助者だからです 私達が 真の援助者である 魂を無視すれば もちろん私達の頭脳と 身体も苦しまねば なりません

この世界の 苦悩の原因は 神が私達を罰したり 私達が罪深いから ではなく 私達がこの生命の 真の援助者を 無視しているからです それはつまり真我 あるいは魂 または神性 仏性などで 私達に内在しています それはちょうど 車を磨き続けていたり あらゆる種類の ガソリンを入れても 運転手を食べさせる ことを忘れれば その車は独りでには 動かないのと同じです あるいは車を 私達の意図しない どこかに走らせたら 事故の原因となります この世界は 良い学校であり 良い劇場です そこは私達が ある役を演じ また 自身の技能を高め 私達の存在の内にある 秘められた能力を 使うための場所です

でもこの進行中の 劇の背後にある 真の目的を 理解しなければ 私達の人生で 病気や 移住 低い存在レベルの中の 苦しみなどの 多くの 問題がおきます それは償われない 私達の罪でなく 許されない過ちでは ありません 背後にある目的を 知るのを忘れています この世界の全ての過ち すべての罪 いわゆる 罪の背後にあるものを 私達が生きている間に 私達がすべき 一番重要なことは 私達が生まれる前の  魂の中に戻り 人生の目的を 知ることです それでこの人生での すべての罪や すべての過ち またはすべての成功は 大変明白になります その全てが明白になり 私達も明白になります

私達は罪深く思わず 自身を責めたり そのため結果に 苦しんだりしません ですからこの世には 実際 罪人はいません ただ その人生の目的を 知らない 無明な人がいるだけで 宇宙の大計画に どのように 従って進むのかを 知らないのです この世の苦しみは 私達が真我を知り 神の王国や 仏陀の国の私達の 真の偉大な目的を 知れば大したことでは なくなります 私達がこの物質世界に 生まれる前に この肉体の道具を 得る前は どこにいたのでしょう なぜここに来たのか これらの問いを 知っていれば 答えが得られれば 私達には罪はなく また私達は本当に この世の 一切の大きな課題は

達成します 私達が期待するものは 何でもできます それを知るのは 本当に容易です 知りたいと願う 意志だけが必要で それで私達は知ります それにもちろん 自分で知ることが できれば大丈夫です 自分自身がそれを 知らないなら それを知る人からの 助言や助けを 探すべきです

知っている人達は きっとヒマラヤや チベットの山に いるかもしれません あるいは隣人かも しれません 仏陀と弟子は 至る所を歩き 私達が必要とする すべての機会において 私達を救うのを 待っています なぜなら仏陀や神は 私達の心の深部を知り 源を知りたいという 切望があり 私達はどこから来て 人生の目的は何かを 理解したいと 知っているからです 私達のほとんどは 産まれてから 二歳から五歳位までは まだ自分の人生の 目的や 前世のことを 覚えていますが その後は 忘れてしまいます ある人は幸運にも 覚えていますが殆どは 前世を忘れています

しかし内面の本性 内在する智慧を 静観することを 修行すれば 再び思い出します それで私達は 内面の智慧を 修行しているので 瞑想中や睡眠中に すべてが 明らかになります そういう訳で私達は 生活の処理の方法 毎日の事柄を 処理する方法を 知るのです そういう訳で 生活が平滑になり  体が強くなり精神が より明確になります ほとんどの人々は最初に  文明開化した 進歩している惑星から 転生したり この世界に生れたら 彼らはどこから来たか 何のために ここに来たかを 覚えています  

そして彼らが 初めてその目的を 成し遂げたら 天国で 栄光が与えられ その地位が高くなり それで他の所か 再び この世界での任務が 与えられます でも彼らがその使命に 失敗したら 恐らく 再び この世界に 戻らねばなりませんが  より悪い状況になり  より悪い環境や 条件の中で 仕事と使命を 遂行するのです そのような状況下で より長くこの世界に 滞在すると 精神と心に より重い負荷となり その欠点や 環境での障害を 乗り越えるのが 難しくなります

それに彼らがもともと どこから来たのか 人生の目的は何かを 思い出すのはもっと 難しくなります それで時々 ある人や 小さい子供で 前世を思い出せる 人がいますが とても珍しいのです 仏陀は六年かけて 思い出しました 六年間の勤勉な 瞑想修行と この世界の全てを 捨てることによって 私達は同じことを しなくてもいいのです 彼の人生ではあまりに 沢山所有していたので 彼はそうしたのです ですからそれを捨てて 平等にするのは 良いことです 彼は 何不自由ない 王家に生まれ  夏 冬 秋 春の 宮殿を楽しむ以外 何もすべきことが なかったのです 

また 何百人の妻を享受し  踊りと祭りを毎日 楽しむ以外には 従って 彼は この世界の執着を 捨てるために極端に しなければなりません しかし 私達凡人や 当時の彼の 普通の弟子にとっては そんな難しい苦行は する必要がありません 彼のほとんどの弟子は 在家者ですが 阿羅漢や 菩薩(霊修行者) または他の称号を 取得しており 私達は経典から それが分かります 観音菩薩でさえ 美しい通常の在家者 として出現しています ですから修行者には 二つの方法があります 一つは出家です

外面と内面での もう一つは 内面的な出家です 内面的だけで 外面的にはまだ 平常通り仕事をします しかしそれでも 出家した弟子が たくさんいます 彼らは僧衣を着て いませんが 悟りと 衆生の幸福のために ために献身します それが出家の 本当の意味です 出家者は 家族に対する責任が より少ないか 家族に対しての 義務がない人で 自身のすべての時間と エネルギーと精神を 他の人々の悟りと 幸福のために 一生をかけて 献身する人のことです

在家者とは 他の人々の 幸せのために 献身する人ですが 同時に彼らの 家族の面倒もみます しかし私たちが 尊敬するタイの 尼僧から学んだように 良い法門もなく 方法も知らないなら 私達が何を着るか 何をするか またはどれ程誠実で あるかに関係なく 私達の仏性を悟る 目標にたどり着く事は できません ですから 最も重要なのは 方法 法門 そして 方法を知ることです

 
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