智慧の言葉
 
悟りはすべての答えのキーであり    Part 3
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ここ二日間 私は二種類の 修行法について 話してきました 一つは受身的な修行で もう一つは 積極的な修行です 受身的な修行とは 私達の言動 考えなど 私達の言動 考えなど 自分や他人を 傷つけることを 一切止めることです 積極的な修行とは それらの行為を 止めるだけでなく 逆に悪い事と 対照的な良い事を することです 皆が知っています 例えば 以前は盗みを働いたが 今は止めて 一生懸命働き お金を 貧しい人や必要とする 人と分かち合うという 意味です 末法の時代において 最も良い修行法は ダルマ(真の教え)を広めることです

貧しい人にはお金を 病人には薬を 貧しい人や 必要とする人に 例えば 服を 与えることができます また愛を与えることも できます  人を慰めたり 精神面においても 面倒を見てあげて これも慈善の仕事です しかし経典を読むと すべての宗教は 人を永遠に 解脱させる方法を 与えることを 暗示もしくは 強調しています ここ二日間 二つの修行法について 話してきましたが 積極的なものにしろ 受身的なものにしろ 両方とも 十分ではありません

というのは私達の 身 口 意をどんなに 浄化しても それはこの世界や 隣の人に対し 役立つだけで 自分を 楽にしてくれるだけで 生死から解脱する ことはできません すると皆さんは 私達の身 口 意が 完璧だとすると なぜまた輪廻するのか と聞く人も いるでしょう 理由があるわけです 例えば 身 口 意を 自己管理するのは 大変難しいです それを願ってもです 完璧な人間になるのは 大変難しいです さっき私達の 修行仲間が 報告したように 彼女は精神的な 葛藤が多かったです 霊修行の中で 必ずこういった 問題に遭遇します

なぜでしょうか それは決して私達が 穏やかな人になりたく ないわけではなく 隣人に優しくしたく ないわけでもなく 怒りをおさえたくない わけでもありません できないのです なぜできないのか 私が初日に話した ように 海に風が立つためです 分かりますか 太平洋は風がないと 波は立ちません 風が吹くと すぐ波が立ちます 決して海自身が 人が船酔いするように 風と嵐を起こす わけではありません これは自然の法則が そうするのです それで私達は時々人に 親切にできないのです 水の上で風が 吹くからです これは風と水により つまり風水です

これを因果の 法則といいます そこで皆は 良い人 親切な人に なりたいのです 人を怒ったり 人に腹を立てたり 人と争ったりしたい わけではありません しかし完ぺきに できる人はいません それは因果の法則の ためです そこで時には私達は 子供や家族の 世話をよくしている のに子供達はなぜ 親不孝なのか理解に 苦しむことがあります そうでしょう 又はあんなに奥さんを 愛しても彼女はやはり 離れていきます 皆が分かっている 事です 

不思議です 事実はかくも簡単です または私達が あんなに夫を尊敬し 彼の意思に 反したことがなくても 彼はやはり外に行って 私達より器量の悪い 女性を探すのです 相手が私達より 美しいのなら 理解できますが しかし醜く 教養もなく 「特殊な」臭いが するかもしれません 私達から見た場合 彼女は何でもないです しかしなぜ夫は彼女の 所に行くのでしょうか 本当に訳が分からず 心が痛いのです 私達が何のミスを 犯したか分かりません これは必ずしも あなたがミスを犯した わけではありません 分かりますか

必ずしも私達の せいではありません これは因果の法則 輪廻の法則のせいです たぶん前世で私達が 彼にそうしたのです そこで今生で彼は 仕返しをするのです 意味が分かりますか 悪いカルマ (報い)を償うには 彼らに借りを 返さなければ なりません 例えばこうなのです または法律のせいで ないかもしれません 時には因果の法律は こうでもないです これは一つ目の 原因に過ぎません 二つ目の原因は世界は 逆さまになっています 意味が分かりますか 私達がどんなに 良くても人は私達の 良さが分かりません ある人は 善良とは何か 分かっていません

そして常に何でもない ことで邪険になります そこで私達は永遠に 大衆を完全に満足 させる事はできません 意味が分かりますか 皆さんも見ての通り 例えばフォルモサ (台湾)政府は 私から見ると素晴しい と思いますが しかしやはり不満に 思う人もいます そうですか そうですね(はい) そういう人がいますね (います) 私も驚きました なぜ不満なのか 私には分かりませんが 彼らは不満です 彼らは満足せず 十分と言うほど ではないと思います 例えばこうです またイエスを 見てください 彼は偉大な 開悟したマスターで 間違った事は 何一つしていません

良い事を教え 人に盗みを働いては いけないと教え 仇を自分を愛するが 如く愛せよと教えます 凡夫にこんな愛は ありますか ないです  これはイエスは偉大で あるということです 彼は殺される時も 神に父よ彼らを許して 下さい 彼らは何を しているか分かって いませんと祈りました 偉大な聖人ですね 彼がどんな人か行動を 見れば分かります 彼のレベルや彼が 真理を教えたかどうか 論じるまでもないです 私達が口を開けて 彼を批判する瞬間 私達のレベルが低い ため彼の行動を判断 できないということが 見て分かります

果実を見れば どんな樹か分かります そうですね 使い物になるかどうか 分かるわけです 他の事は 語る必要もありません イエスの道徳は 彼の行動を見れば 分かることであって よって彼の内面の レベルも分かります 彼はきっと 偉大な菩薩です 普通の人以上の 慈悲と寛大さを 持っています 従って私はいつも 彼を讃えます こんなにも 偉大で寛大で 慈悲深い人でも 十字架に貼り付けられ 人に中傷され 打たれ 罵倒され 残酷に 死んでいきました 聖人はおろか 普通の人間扱いも されませんでした

多くの偉大な 修行者達は 人々に善行をするよう 教えていますが 最後には同じような 目に遭っています もうこれ以上 羅列したくありません 余りにも多くて枚挙に いとまがないです 二、三挙げると 例えば 釈迦は 四十九年間 民衆に奉仕し 社会を浄化させ 衆生を解脱させ 渇望する人々に 修行法を教えました しかし多くの人が 彼を中傷しました そうでしたね 多くの人が 彼を殺害しようとし 彼を冒涜し 不当に非難しました 妊娠を装って 彼を非難した人さえ いました

現在でも 多くの人が 釈迦やイエスを 非難しています ですからよい事を するとよい報いがある などと言えないのです そうではありませんか そこで昨日と おととい皆さんと 私は二つの 修行方法について 話してきました 身 口 意を 浄化して 完璧にする方法も 社会にとってよく 世界平和に役立ちます しかしそれで 十分とは言えません というのはこの世界は 私達がどんなよい事を しても嫌な人がいて いつも嫌う人が います 私達がどんなに 耐え忍んでもそうです いつの時代もそうです 必ず敢えて 挑む人がいます これがこの世界の 慣わしです

ですから 私達が 真剣に修行して 身 口 意を 清潔に保つと 世界は平和になると 思ってはいけません そうでないと 世界はとっくに 平和になったと 思います たとえイエスや 釈迦がここにいる 時でも世界を平和に できませんでした 意味が分かりますか かえって 邪悪な人達に攻撃され 傷つけられたのです 従って別の法門を 使うべきです 身 口 意を 浄化する方法は この世界での方法で 私達は超世界の 法門を習って 早く離れなければ なりません

意味が分かりますか 時間がくれば 離れねばなりません 私達は早かれ遅かれ この世を離れます 従ってカラフルに 化粧して自分を派手に 飾る必要はありません しばらくすると私達は 離れていくのです 私達がここにいる間は なるべく完璧な地球の よき客人になる事です 意味が分かりますか 私達はここの客人です でないとしたらなぜ たった百年留まって離れるのでしょう 私達の家だとすると 永遠に留まっても いいはずです ある人はとても 留まりたがりますが できません それは私達がただの 客人だという意味です

客人だとすると 時間がきたら 家に帰る準備を しなければなりません 荷物と お金を準備すべきです 旅する前には お金を蓄えるべきです しかしこの世を 離れて別の世界に いくには功徳を準備 しなければなりません 福報ではありません 功徳と福報には 大きな違いがあります 福報は物質的なもので 交換できますが 功徳は自分の 不可思議な力で 得るものです 私達にはすでに これが備わっています 功徳はすでにあります 隠れた宝のように それを持ち出せば すぐ使えます 物質的なものと 交換できません

すべての衆生がこの 功徳をもっています 仏菩薩も聖人も 凡夫も ミミズにも 昆虫にもありますが 人間だけが得られます なぜなら この体は最も 完璧だからです   体は汚く病気したり しても完璧です すべての機能を 持っています 意味が分かりますか 他の体は 完璧ではありません たとえば 天使も体があります しかし肉体がないので この宝を持つことが できません 動物の体は私達の 体と異なります 知的な 頭脳がないので 宝をどう得るか 分からないのです 従って私達の体は 最も完璧でこの 宝を得る事ができます

この宝を得るには あれもこれもすべき と多くの人が 言っていますが しかし一つ一つ 比較してみた場合 いずれもこの世界の 法門に過ぎないことが 分かります 例えば昨日神通力に ついて話しましたが 神通力を修行すると 幾つかの能力しか 得られません 例えば 飛ぶことを習うと 空を飛ぶ事ができます 私達はその能力しか 持っていません 他の能力は 持っていません たった一つの能力 飛ぶ能力を得るにも 十数年練習して 一生費やして習います たぶん 飛べる前に 地獄か棺桶に 落ちるかも知れません 地獄でなくても 棺桶に落ちます 分かりますか

上に飛べないと 必ず下に落ちます なぜなら余りにも長い 時間がかかるからです または海を歩くことを 習うことができますが 習い終わったら 死ぬかも知れません 海はそのままですが 人は行ってしまって いません または病気を治す 力を持っていても 明日彼は また病気になります 来年また病気します たとえ今年 この病気を治しても 次の年 彼はまた別の 病気にかかります  一度に全ての病気を 治して二度と病気 しないようにできる 神業の医者がいますか それは可能ですか 

いいえ 私を信じられなければ 治療の力を持った人に 聞いて見てくさい 彼はきっと後から 別の病気にかかると いうでしょう ある病気は 神通力でも 治せません なぜでしょうか それはその病気の 根本が深いからです それは肉体の 病気ではなく 内面の体が病気です 目に見えない体が 病気なのです 沢山の体があります 目に見える体を 肉体といいます もう一つの見えない 体は阿修羅の体といい その他因果の体 ブラーマの体など 沢山あります 服を脱ぐように一つ 一つ全部脱いでこそ 自由になります 私達の真我に 戻るには外に 何も着てはいけません

真我は何重も 包まれています 例えばこれはすでに 包装されていますが この上に更に包装し それにまた更に 何重も包まれています 例えばこうです クリスマス プレゼントと同じで それは 包装紙で何重も 包まれていてその 中身が身我なのです 私達の真我は どこかに隠れていて 私達には探せません それを見つけるには 大きな功徳が必要です きっと隠れ場所を 知っていて私達に 教えてくれる人が いるはずです すると私達は毎日 探し出す事ができます 言い換えれば 自分の真我を 探し出すことです

さっき私が言った 病気治療の能力は たとえ今年誰かを 治しても来年また 病気します 例えばこうです 沢山の法門があって いかにも 面白そうですが それらは完全な利益を もたらせません 他にも沢山の 修行法がありますが 一々説明する時間は ありません 時間はありません 皆さんにどんな 法門を習うとどんな 能力が得られるか その修行法などを 話すつもりでしたが 例えば 空を飛びたい人 地面に潜りたい人は 私がその方法を 紹介できます

例えば催眠術に係り 仮死してから 数日後にまた戻って くる方法とか 人に死んだと思わせる 方法など私はそれを 見せることができます 健康になりたい人は やり方を見せられます 私はこの肉体を あまり気にしません 自分は元気に感じます 時たま 病気もしますが それは自然なことで 病気したらそれでよく 皆が時々病気するので 私が病気しないと 不公平です 私達は一つなので 皆が病気すると 私達も病気します 私は沢山の法門を 知っててそれぞれ何が できるか知っています

これらを気軽に教える わけにはいきません 責任を取らねば ならないからです 十年以上かかります 十年以上かかって 飛ぶことを学びます この十年間私は その人と一緒に飛び 彼が海に落ちる時も 上に飛ぶ時も一緒で なければなりません 例えばこうです 運転を教える人を 見たことがありますね 彼はその人と 一緒についていて 責任を取ります 古代でも人に勝手に 教えるのではないです だから私達は 霊修行の法門をあまり 聞いた事がないのです

私達は 古代の人が 雲に乗って飛び 地面に潜り 海の上を歩く法門を 習うには必ず開悟した マスターを探さねば ならないと聞きました 彼らは長い時間を かけてマスターを探し 何年もの試練を経て マスターのために働き 沢山供養しなければ なりません すると少し 教えてもらえます マスターは気軽に 人に教えると 人はその力で持って 悪い事をすることを 心配したからです 分かりますか 私達はどんな法門を 修行するにしても どんな呪文 どんな神通力を 習うにしても その呪文と神通力を 守る守護神があります

ある日 その法門や 神通力を使って 悪い事または 利己的な目的に 使う場合 その守護神は怒って 私達を懲罰します 古代の マスター達が 弟子に厳し過ぎる のでもなく 教えたくないわけでも ありません 苦労して弟子達に 厳しくテストするのは 学生達を守るためです 意味が分かりますか 先ずは教える前に 彼が資質を 持っているかどうか 高い道徳を持って いるかどうかを 確かめねばなりません よって 他人を守ると同時に 弟子達を守るのです 意味が分かりますか 複雑でないのは ただ一つ観音法門です

というのは 観音法門は 悪い事には 使えないからです 悪い事には効きません 全然効き目がないです 悪いことに 使おうとすると 機能しません 協力しないのです 「それ」は何か 分かりますか それって誰でしょう 自身のマスターです マスターは私達の 賢明な真我なのです 私はただ その真我の代表です 意味が分かりますか だから私は皆さんが 私に礼拝するとか 複雑な儀礼をする事を 許しません 皆が自分自身の マスターがいます なぜマスターが別の マスターに礼拝するの ですか おかしいです 従って私達は 平伏したり儀礼などは 必要ありません

私達は自分自身の マスターを探すべきで するとマスターは こうだと分かります 従って私が印心する時 皆さん自身の 知的で智慧に満ちた マスターの許可を 得なければなりません その人の許可と 了解が必要です 「今それが欲しい  家に帰りたい」と 許可したら始めて 印心できるのです これがマスターの やり方です マスターを 探さないと 印心を与えられません これがマスターで 時間が来たら 私達自身のマスターが 分かっていて私達を 家に連れて帰ります 私はただドアを開け スイッチを入れて あげると彼自身が 独りでに機能します

言葉では説明しにくい ことですが 言わねばなりません 従ってマスターを 探す前に自分自身を 探さねばなりません 自分自身の マスターが 現れたかどうか 彼らが家に帰る 用意ができたか 時間か来たかどうか 確認することです ですから真摯であれば きっと開悟した マスターを探すことが できると知るべきです 開悟したマスターが 見つからなかった場合 私達がまだ十分真摯 でないということです また良い 霊的体験がないのは 真摯な心が足りない ということです 真摯なつもりでも 実際は違います

又はまだ時間になって いないということです 努力すべきです でないと 分かりません 時間が来たかどうか 家に帰る時間に なったかどうか 仏陀になる時かどうか 又は輪廻し凡夫になる べきかどうか試して みないと分かりません 私も印心の前は 印心すると仏陀に なるかどうか定かでは ありませんでした 心の中で渇望した だけです 何を渇望しているの かも分かりません 定かではなかったです とにかく学んで 解脱する扉を探したい と感じただけです

この世界に 包囲され無力で 海に投げ出された ような感じで もうこれ以上 泳げなく早く何かを 掴みたいという感じで 必死でした 私は 必死でしたので それを探し当てました 自分は何がほしいのか と考えるとしたら それはまだ知識を運用 しているという事です 分かりますか 知識は 智慧と違います 昔こんな人がいました 彼は鉄のチェーンで 片足を縛って 樹に吊るし 何年も逆さまに ぶら下がって いました 分かりますか 樹に逆さまに ぶら下がっていました 現在でも多くの インドの人が この法門を習っていて 古代で起きたことでは ありません

インドには多くの 修行法門があって 枚挙にいとまないです それを語る時間も ありません それを語りたいと思ったら 先ず本を書いて 記録せねばなりません でないと忘れます 多すぎるのです 各法門の重点を 記録せねばなりません 私は ビデオテープや テープの中で 幾つかの外的 修行法について 話した覚えがあります 例えば ある人は本当に釘の ベッドに座っていて ある人は下着の パンツの代わりに 鉄のパンツを身につけ 錠をかけ 鍵をガンジス川に 捨てます

永遠に結婚しないと いう意味です 全ての女性に遠ざかれ と言わんばかりです 鉄のパンツをはいて チェーンで周りを縛り 施錠します 鍵はとても大きいです というのは錠が 大きいからです 鍵は捨てます どうやってお風呂に 入るのでしょう 大変だと思います

自分を 逆さまに吊るした 話に戻ります 彼は片足を上に吊るし 頭は下に向けて こんな感じです 毎日食べる時と 寝る時お手洗いに 行く時以外は 戻って来てそのように 自分を吊るします

やってみたいですか 見方が違って来るかも 知れません  きっと逆さまです ある人がそこを 通るとき彼に 「何をしていますか こうする目的は 何ですか」と聞くと 大修行者は 「これで神が見える 私は神を待っている」 と答えました その人は 「そうですか  これで神が見られるの ですか」と言うと 彼は確かに そうだと答えました その人は早速 わらや 草の縄を 見つけてきて 自分を縛って すぐに樹に 吊るしました 彼は自分を 吊るす前に わらで縄を ない始めました

するとその修行者は 彼に それはだめだ 泥沼に落ちてしまう 安全でないと言います その人は言いました 構っていられないさ 神さえ見られれば いいのさ 早く神をみたい  待ち切れない 鉄のチェーンを 探すまで 待てません すぐに自分を吊るし たいのです すると 神が見られます」と 言って自分を 吊るしはじめました まだ吊るしていない 内に落ちてしまいした

皆さんは彼が 愚かだと思うでしょう 軽率に霊修行をすると 思うでしょう 霊修行する人はわらの 縄が丈夫でないことを 分かっているはずです 彼は体が大きいのです もちろん 落ちてしまいます だから皆さんはまだ 仏陀になれず 神を見られないのです 私達は 賢すぎるからです あの鉄のチェーンで 吊るしている人と 同じです 彼は何十年逆さまに ぶら下がっていても 無駄です そのわらの縄を使った 人はすぐ 神を見ました

神は彼が吊るし 終わらないうちに わらの縄が切れて 落ちてくるのを見るに 忍びなかったです 神は彼が泥沼に 落ちて死んでしまう のではと心配して さっそく降りてきて 自分の服で 彼を受けたのです こうして彼は神を見て 大変喜びました 頭の悪い人の方が もっと早く 道を得ます はっきりと計算して いる事はまだ余裕が あるという事です 分かりますか

私達は鉄のチェーンを 作る人を探し自分を しっかり縛るのに 気を取られます 落ちてしまうと 神を見られないと 心配しています 意味が分かりますか やはり疑うのです もちろん神を見られず

その人は 待ち切れません 待つ余裕がないのです その事を聞くと すぐ信じます 強い信念です 吊るし終わらない内に 落ちてしまいました 神は見かねて 神は見かねて すぐに掴まりました そうするべきです

ですから霊修行で 身 口 意を 浄化するだけでは 不十分です それは当たり前の ことです そうすることで 社会の平和を保ち 自分の生存を 維持する事ができます ただそれは 第一歩に過ぎません 私達は すべてを忍受しながら 忍受していると 思わないところまで 修行せねばなりません それこそ真の忍辱です 
今の時代でも 多くの人が 釈迦の時代と 同じように 宇宙を 行き来しています この世界だけに 留まらずに 昔は世界を 行き来できず アメリカの存在を 知らなかったのです 数百年後 たったの数百年で アメリカ大陸の 存在が わかったのです

たったの数百年 想像できますか 二、三百年前ですよ 私たちは アメリカ大陸や アメリカの存在は 知らなかったのです 今 アメリカは 世界で最も強い国の 一つであり 全世界に 影響を与えています 数百年前は存在も しなかったのです 数百年まえです 今のように飛行機や  ファクシミリ 電話 ビデオ機 カメラなど 便利な機器はそう多く なかったのです アメリカは 強国の一つですが 私達はかつて 知りませんでした

たった数百年のうちに アメリカは 建国されて 自国を管理し 国民を教育し 世界で一、二を争う 強国の一つと なったのです 考えられますか 数百年とは 短く聞こえますが アメリカは多くの事を 成し遂げました では数十年後や 数百年に地球に 何が起きるか皆さんは 想像できますか ですから夢は 単に夢ではないのです コロンブスは米国を 発見した英雄ですが 夢ではなかったのです 彼は内面でアメリカ 大陸を見たのです 彼はビジョンがあり 既に知っていましたが 誰にも言えなかった 彼はすでに  行くべき所 探すべき所を 見たのでした

もちろん人々は 彼を少しおかしいと 思うでしょう 小さな船で 食糧も十分ではなく このようにして  方向がないかのような 航海を続けました 実際には 彼は夢で 既に見ていたのですが 彼が夢で見て 必ず見つかると 分かっている と言っても 多くの人々は  彼を信じないでしょう 実際に当時 多くの 人が信じませんでした アメリカが間もなく 見つかる頃には 彼らの食糧は尽きて 靴底を食べなければ なりませんでした

それは皮製でした 食べ物が なくなったからです 当時 船員達は 彼を 殺そうとしました 自分たちを死への 道連れにすると思い 腹を立てたのです アメリカの存在など 信じてませんでした この時 コロンブスは それに耐えました 彼には それでも 自信があったのです 彼の自信と 不屈の精神のおかげで 私たちには今 強国があるのです それがアメリカです

この世は私達の 所有物ではありません そうですが 多くの 人々はそれを共有せず 共有を好みません ほら  実際にこの世界は 動物も含め 全衆生のものなのです そういう訳で 菜食の方針に従います なぜならこの惑星に 存在する者の思考力の 影響によって この世界が 存在するからです

この場所が欲しいです だから動物も含め 皆が存在するのですね でもこの世界にやって 来ると 世界は私達に 属すると思いがちです 誰もが自分のものだと 思っています ですから 異邦人を 排除し始めるのです

赤いの 黒いの 黄色いのなどをです

赤いのは白いのを 排除したくなります そして白いのは 黒いのを排除したく なり などなど そして黒いの 白いの 黄色いのは動物などを 排除したくなるのです

そして 私達は この世界の単独所有者 ではなく共同所有者 だという事を忘れます そういう訳で  動物を殺してはならず 食べるべきではなく そして もちろん 特に他の生きものを 殺すべきでないのです けれども政治 または 愛国心や 宗教の名のもとに 時に私達は殺します ええ 私達は殺戮を 多くの飾り立てた 言い訳で弁明します 実際 これは正しくは ありません 今日殺したら来世で 殺されるからです ですから 

戦争が 私達の世界でいつも 続いているのです そして 私達はなぜか 不思議に思います 何も不思議に思う ことなどありません 驚くことはありません 何かの種をまいたら その果物を収穫します  そうですね 聖書でさえ言ってます まいた種は 刈らねばならないと そして 私達は 戦争や争いなどの 影響で苦しんでいない 人達は  暴力の種を まいていない ということなのです 私達がそのように 続けていったら たとえどんな瞑想法を 修行していなくても 神を崇拝してなくても つまり正式に 登録していなくても 再び 安全で  安定して 健康的に  生まれて来るでしょう 私達は損害の種  戦争 暴力の種を 持っていないからです

実際 私は誰でも 自身の智慧が すでに内面にあると 思っているので 互いに気づかせますが 教えたり話しすぎる 必要はありません 私達はベジタリアン ハウスの隣にいるので ベジタリアンの方針も 覚えているでしょう

なぜ最高の方針ですか それは 私達が動物を 殺さないとお互いに 気付かせられたら もちろん どのように 人を殺すかは 知っていますが 戦争は自然に根元から 排除されていきます 実際 それが 原理のようなものです 私達には希望があると 思います なぜなら 最近米国では ベジタリアンに なることが流行です (ええ)夢ですか いいえ事実です(本当) たぶん動機は健康です そうですね(はい) ある日 誰かが私のために 運転してくれました

私はこう言いました 今では至るところで 菜食が 見つけられます 簡単になりましたね たぶん二、三十年 前より簡単です 十年前でさえ困難で 私は言いました わあとても良い事です 私は高速道路に沿って 運転していて サンフランシスコ からの見事な橋を 運転していたからだと 思います ここに来る前に サンフランシスコに 到着しました そして 思いました 米国人を尊敬してます

彼らの力に 彼らの決断力に 仕事熱心な精神は 二百年以内で 彼らは全国家を 大国に築き上げました 広大な国なのに  少数の人々で つまり小さくて 人口の多い他の国と 比べた場合です 私はとても感動し 私はアメリカに 到着すると 常に感動します 今回サンフランシスコ だったせいです 町は非常に心地よく ええ まるで フランスのようでした

また 橋も道路も 非常に広く  とても良く整備され 手入れされていました 感動して言いました 何ということ アメリカ人でしょう 彼らが世界を先導する 国家なのは 無理もないと 彼らは懸命に働き たった二百年で 歴史を築きました 多くの国は 二千年 五千年でも 進歩がありません

私は考え 言いました アメリカ人も 難民だったと 以前がどうかではなく 今がどうなのかです それで違いが生まれ 何になるか変わります そうですね

本当にアメリカ人は 元々欧州から来たのだ と思いました

彼らは当時  暴力や 宗教戦争 そして争いによって 追いやられていました 彼らは自身の信仰を 守りたかったのです それは非常に高潔です

私は言いました アメリカ人も難民です ご覧なさい いかに

彼らがたった二百人で 歴史を築いたかを 非常に若いです 何もない所から 始めました 頭脳だけ 精神だけ 神に対する 誠実な信仰だけでした ご覧なさい 彼らは 荒野を 大きく 不毛の土地を  国家に築いたのです 私は非常に感動し とても尊敬し アメリカという土地へ 足を踏み入れました 以前アメリカへきた時 感傷的ではありません でしたが 今回は 少し特別でした

人はこう言います まあ アメリカ人は 少し物質主義の ようだと 私は「いいえ 違う そうであるべきです たった二百年です 彼らはそうあるべきで この国を築くために 彼らの心をすべて つぎ込んだのですから でも今 くつろぎ始めています  彼らは全てを手に入れ 全てを築きました 彼らは安全で健全です もちろん 彼ら自身の ために その後の 世代の子供達のために 家を建てる必要が  ありました 道路を見てください

何千キロの長い道を 見るだけで 砂漠や海を越える  道路を見るだけで 感じます

尊敬の気持ちで 彼らが懸命だったと 感じるでしょう 私は言います 「そうに違いない 物質主義ではなく 懸命だったのだ」と 未知の  敵対的な地で 現実的になるために こんなにも友好的な 繁栄している楽園に そして 世界の多くの 人々がうらやむような 国に育ったのです 全世界がアメリカに 来るのは 彼らもまた この地に来たとき 開拓者の驚異を 感じたからでしょう そして 彼らは 何もない所から築き 地球上で 最も強力な国家に 作り上げたのです だから私は彼らは そのはずだと言います

物質主義ではなく そうすべきなのです 最初に 家を建てる ためにどこかに 来ます そして 電気 水を引き 都市の安全を確保して それで精神的なことや 菜食主義について 話せるのです あなたがここに来た時 豆腐もなく どうやって他の事を 話せるでしょうか アメリカ人にとって 必要な物は全て 揃ったと思います そして今 彼らの 根源は霊性であるため 彼らは必ず 霊性に目を向けます どれ程多くの人達が 瞑想に注目しているか 観音法門にと言って いるのではありません 手の届くものなら 何でも掴むのです なぜならそれに 餓えているからです

何でも修行します アメリカ人の 問題点はここです 何をするにしても やり過ぎてしまうこと もう出来ないという 所までやることです

何にでも 機会を与えますね そして時間もかけます

とてもとても公平です

その事はアメリカ人が 最初からとても  霊的であるという事を 証明しています

彼らの根源は霊的です その霊性ゆえに ここへやって来ました 第一の理由として この土地へ落ち着いた 動機は霊的な 理由でした ですから その種は滅びません また彼らが 霊的である故に 自分たちの土地を 強力に築けました 霊的な人々のみが 真に強く知的で いられるのです ですからその様な 見方はしません 私達はアメリカ人を 物質主義者とは 思いません それは本当ではない 霊的な人も物質主義で あります 物質主義的ではなく 現実的です

何故すべてにおいて かたよる必要が あるのでしょうか 極端なのは良くない それは狂信でしょう

そして私が言います 今彼らは改心しました この世の存在としての 快適さを 全て手に入れたので やっと彼らの 準備が整いました 今彼らはとても 霊性に向いています ですからアメリカには これほど多くの 菜食家庭があり 多くの人  何万人もの人々が 菜食主義者なのです

車に乗り合わせた人は 健康のためにそうして いるのだと言いました

違います と私は言いました 多くが知っています 例えば喫煙ですが それは健康を害します 全てのタバコの箱には 健康の害になると 書いてあります 健康に危険であると 健康を脅かすのだと 一つ一つ 箱の全てに 書かれていても まだタバコを吸います 日に二、三箱も ですからアメリカ人が 健康のためだけに 菜食すると 言うことは出来ません

ですから時には 思考回路の 奥にあることに 着目するべきです

それが誰のでも 見えている部分が常に 問題や質問の 真の答えであるとは 言えません

建設的になり 非難 ばかりしないで下さい どの政府にも 全面的に協力しないと いけません 前回の選挙中の アメリカ国民のことを 覚えていますか 現オバマ大統領と クリントン上院議員の 間でのことを はい ヒラリーですね はい 両者の人気は わずかの差でした しかし最後には どちらか一人が辞退 する事になりました そうしないと民主党 投票があまりにも 分散することになり 他党候補者に負ける かもしれません 覚えていますか (はいマスター) 彼らは座って共に 話し合い ヒラリー クリントンは辞退し 辞退するだけでなく すっかり我を忘れて オバマ氏を支援した のです そうですね (そうです マスター) イエス ウィーキャン 彼女は言いました  そう その時 彼女の支持者の多くが 本当にこの状況を 望んだ訳ではないです なぜなら彼女も勝て そうだったからです 分かりますか 彼らは国益を 優先したのです (はい)

彼らは団結して 大人らしく振る舞う 姿を世界に示しました  (そうです マスター) 我々はアメリカ人だと 我々はアメリカの為に 働くという姿勢を 私達は個人の栄光や 損得のためには 働きません 分かりますか はい マスター それが私の言う 偉大な政治家です さもないと らちがあかないですね  (はい マスター)

偉大で  善良で知的な アメリカ国民と 一緒に再び同席できて 大変光栄に  思っています 例えば著名な来賓 高官 優れた演説者など 彼らは政治 科学 環境医療の分野の 指導者です

さて 素晴らしい 国の首都である ワシントンDCも含め 私は皆さんの国 アメリカ合衆国を 何度も 訪れたことがあります どこを訪ねても いつも 大変な歓迎を 受けてきました これには いつも 感謝しています 私はアメリカ合衆国と その国民に民主主義の 精神の輝かしい 手本として 特別な 思い入れがあります この若い独立独歩の 国にいつも感心します アメリカ国民の 純然たる決意と 誠実さと信念が故に 国は強さと指導力に 優れています この緊急事態に 必要な勇敢な行動は アメリカ人が 先導して下さると 信じています 高水準の高潔さと 家族や祖国に対する 深い愛は 大切な故郷の地球と 子供や孫に 残しておきたい 地球を守るために 必要な重大措置を もたらしてくれる ことでしょう

神は皆さんを愛し 祝福します

神は米国を加護します

アメリカ政府のみが 誰に対しても 非常に 尊敬を抱き こう言及しています 「彼は有能な」又は 誰が有能かそして誰が 少なくとも社会に とって良くないかと アメリカだけです 政府機関や 政府の重要な人物 ただ光栄ある 市長だけでなく つまり過去も そうですが 何人の市長が いくつの政府機関が 私が名声など全く 予期してはいなくとも 私を表彰して下さった でしょうか

アメリカだけが各自を このような方法で 人々を表彰します 私は言うべきですが 多くの国々にいて アメリカだけが 本当にこれ程までに 私に栄誉を 与えて下さいました 私は非常に感謝し とても感動しています 真実神はアメリカに 恩恵を与えています アメリカに神の加護をアメリカに感謝します 私に栄誉を与えたから 感動し感謝しているの ではなく良い政府に 感謝しているのです 勿論 政府も誤る事は そこ ここであります

恐らく状況が彼らに そうは望まなくても そうせねばならない 状況を強いられる事も あるでしょう けれど全体的に 政府が適切な状況を 米国人に与えたなら 彼らは非常に純粋で ただ歓待していて とても暖かいです 言葉ではなく行為で 表すのです そしてアメリカ人は 調査によれば 世界でも 最も思いやりある 市民です 他国に対し多くの寄付 彼らがするすべてに ついてそうです 再度 感謝致します どこでもこのような 素晴らしい政府が 私は大好きです

私は永遠にいかに 皆に感謝しているか 申し上げられます アメリカの人々 政府高官の方々に 対してです 世界中で皆さんの政府 機関の様な所は他には 見たことがないです 私が旅した中で 私は幸せなだけでなく 栄誉に思うだけでなく 驚いています 私は皆さんアメリカの 人々に対し嬉しく 思っています 結局 他の何をおいても これ程の恩恵 これ程の功徳を持つ 民主的な政府機関を 持っておられることに アメリカを 祝福致します

真の自由なる魂と 貴国について私が 思いつくどこよりもと 大声で 言えます 私は皆さんすべてに 感謝します 天にこのような国に このような政府に民主 主義に祝辞を述べます 貴国の人々の 全ての美 もてなし 愛 謙虚さに対して 私は非常に 感謝しております 政府は謙虚でなければ なりません これほど 謙遜で これほどまで 誰をも歓迎するために エゴが少なくなければ なりません 誰しもその人のことを 知らなくても 皆さんが彼らに 愛情を持つ価値が あると信じる限り 皆さんは可能な限り 表現しようとします

米国が民主主義の模範 なのは当然です 本当に感謝致します 単に芸術家としてだけ でなく貴国で開花した 全ての芸術家も この種の歓待 この地の愛の豊かさを もたらされます 私のこの言葉は準備 されていたものでなく ただ単に私は心に 感じたまま言います 以後何年経っても 私は覚えています 貴国の分別ある コミュニティの 市長 高官の方々の 存在によってです 世界中の他の何にも 変わらず私は未だ 米国は誰に対しても 素晴らしい機会がある 国だと感じます

真実自由な国です それは全てにおいて 尊敬と栄誉ある 尊重され栄光を 与えられる地です 貴国への称賛に言葉が 尽きる事はありません 私は米国が大好きです 本当にそうです 私は米国人が好きで 貴国を愛しています 私は民主主義が 大好きです そして 神は皆さんを加護し あなたを加護します 貴国に神のご加護を 私はジェンズ ホルム 欧州議会の議員です どうか ベジになって エコを実践しましょう 地球を救うために!

 
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