智慧の言葉
 
自分自身を祝福するのは、あなた自身です    Part 2
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女性は最も美しい 生きものです 私は五十歳ですが まだあなたに 非常に興味があります どうやって自分の 興味を制御して五戒を 保てるでしょうか これは私が唯一 制御できないものです 女性にですか(はい) 女性はすべての 年齢に影響します 愛には若い年寄りかの 制限がありません それではなぜ あなたのエネルギーを 制御しようとする 代わりに 自分に 美しい女性を得ようと いないのですか 私は 五つの戒め つまり 戒律を守っています 殺さず 自身がベジタリアンで 嘘をつかず 盗まず 邪淫せず 薬物を摂りません

私が神に近づいて 永遠に神の存在を 感じるために 何をすべきでしょうか 印心しなさい 智慧眼を開けると 他の何もかもが 自然にやって来ます 戒律を守るだけでは 神を見ることは できません 神を見るためには 私達の中の天の門を 開けねばなりません 私達は鍵を 忘れてしまったので  自身でそれを 開けられないなら 鍵を持っている誰かに 頼むのです 病気は私達の魂が 間違った道にいる 警告だというあなたの 意見について すべての病気に霊的な 根拠があるのですか はいある意味そうです それは神に戻るべきと 思い出せるものです

神はすべての癒しの 源だからです 伝統では マスターが 個人的に弟子を 知っている場合だけ 印心を与えます でもあなたは その人を知らなくても 印心を与えます なぜなら私は 誰でも神の子として 見ているからです 私は神つまり天の父を 知りたがっている人を 拒否する権利はなく 神は誰でも知っていて 私は道具にすぎません 私は誰かのマスター ではありません 私を何と呼んでも 姉 兄弟  妹 マスター 先生 友達 ガイドでも 私にとっては同です 神だけが私に 栄光を与えるからです 人間の言語ではない 神だけが神の元に 戻る人を 選択するのです

ある教えでは セックスで神に 到達できると言います 他の教えは セックスに反対します あなたのご意見は セックスなしでは 神に到達できず セックスを通して 神に到達できません 神は性的な喜びのため その狭い局所には 住んでいません ですから私の意見は 神が本当にいる所で 神を見つけることです そしてあなたがまだ 子供を作りたいなら 神は構いません あなたがこれ以上 子供がいらないなら  または性的な方法で 奥さんやご主人と 愛を 祝いたくないなら それも神は構いません

はっきり分りましたか ありがとうございます 「即刻開悟」とは 何を意味しますか あなたが私と座る時 あなたが悟りたいなら すぐ得られるという 意味です こういうことです スプリームマスター とは何を意味しますか それはあなたの真我 内在の真我のことです 皆さん一人ひとりの なぜなら聖書には 「あなたは 神の神殿であり 聖霊があなたの内に 宿る」と述べています ですからあなたが 神なのです これはただの寺院です 神こそがスプリーム マスターなのです

あなたがスプリーム マスターです あなたはそれを 忘れたので思い出させ 証明するために 私がここにいるのです ありがとう イエスは菜食ではない あなたのご意見は 自分の内面で直接 神に尋ねたほうが 良いと思います 私にはそう言いました あなたが信じないなら 私から瞑想を学んで 内面に入り イエスと会って 話してみてください この法門は脳制御の 瞑想テクニックと 類似していますか いいえ 何もコントロールする 必要はありません 神が来る時あらゆる 闇は消えます

神は私達の内にいます 二番目の問題も ありました 肯定的な考えは 精神的な毒によって 悪影響を受けます ええ そういうわけで私達は 自身を純粋に保ち 十戒を守り 菜食をすべきです そうすることで 純粋な考えと純粋な 意識を持ち 人間の エゴがありません 霊性の目を開くため 悟りを開くための 実践的な アドバイスが ほしいのですが 毎日どれぐらい 瞑想しますか それは後で お見せます そういうわけで 少々時間を 必要とします 私がいなくても 一人で毎日の修行が 出来るように 説明します 私達はあなたに すべてを見せます 更に霊性の目を 開くのも手伝います

毎日 神と会うために 私は何をすべきですか 祈るべきですか いいえ 神はひとりでに いらっしゃいます 神を知らない時のみ 私達は祈るのです 神がそこにいると 直接加護がもらえます あなたはなぜ 仏陀でなく神について 話すのですか それは 神は仏陀よりあなたと 親しいからですか それでは次回は 仏陀について話します 彼らは同じです 私達には一人の天の父 神がいます ある人々は 「仏陀」と呼びます

ある人々は 「アッラー」と呼びます ある人々は 「神」と呼び ある人は 「天の父」と呼びます ある人々は 「最愛の人」と呼びます ある人々は 「全能なるもの」と呼び どうでもいいです この世ではあまりに 多くの異なる言語が ある そういうこと 宇宙を超えた所には 何がありますか 宇宙を超えた所ですか 宇宙を超えた所です

宇宙を超えた所は ありません なぜなら宇宙には 始まりも終わりも ないからです 五戒の第一の注意点は 植物について 述べていません それらも感覚のある 存在でありませんか 命を奪っても良いのか はい植物には中立的な エネルギーがあります 私達は生き残るために 一時的にそれらを 摂らねばなりません 植物は動物ほど 苦しまないので 私達は栄養として 摂ってもいいのです 例えば ペパーミントの 一本の枝を切ると その後 三 四 五枝が 出てきます

しかし 豚の腕や脚を切っても 二 三足には なりません 本当のマスターを どう見分けられますか 最近多くの人が自分を 本当のマスターだと 自称します はい それは 非常に良い質問です 知らなければ 帰って心から 神に祈らなければ なりません マスターを知るには 非常に高い意識を 必要とします とても残念なことです だから彼らは イエスを殺したのです

この肉体の 牢獄にいる人々は 真理に盲目です イエスと彼の 弟子が在世の時 彼らがどこに行こうと 光を発し 光輪が頭と 体の回りに ありましたが それが見える人は まれでした 現在も同じです 現代の聖人にも 光がありますが より高いレベルの 目でしか見えません しかし一般的な判断の 方法は誰であろうと 内面の素晴らしい光を 見るのを手伝える 人です 彼はあなたに 神の意識を与え 神に接近させることが できるという意味です そしてもう一つの 判断法はマスターが 誰であろうと 遍在すべきです

同時に多くの場所に 現れることができると いう意味です 弟子たちは 多くの異なる場所に いるので マスターが多くの 場所に現れることが できなければ 弟子たちの祈りを 聞き入れられなくて 効果的に彼らを 助けられません それであなたは直接 マスターに聞けます 彼が遍在するかどうか それはマスターの あるべき資質です あるいはマスターの 他の弟子に聞けます 彼らがマスターの 遍在を 体験したかどうか 少なくともマスターの レベルが分ります 地獄というものは あるのでしょうか

信じない者は 地獄に落ちますか 聖書では多くサタンと 地獄に言及しています 私達は皆ある程度 信じていますが ただ 信念に対する感覚を 描き出せません 神を見ないと私達も 神を信じるのは 難しいです 彼を知らないからとて 神は私達を罰しません 少なくとも良い人間に なるよう努めたら 私達は地獄に 落ちません そして来世で私達は 再び神を知る もう一つの機会を 与えられます なぜ神はホームレスを 助けないのですか なぜ病人を 苦しませるのですか 神は誰にも苦しんで 欲しくありません

神を知らないので 私達は苦しむのです そういうことで 先ず神の王国を探せば すべては 汝についてくる と言うのです 私達の内面には 宝がありますが 使うのを忘れたため 私達は苦しむのです マスターは病人を 癒やすことできますか 私は何もしません 神に任せます 彼の思わくで 適当な時機に 選んだ人に何をするか 私が癒したと 言う人がいますが それは神のお手柄です 私は単なる 道具にすぎません 神の加護が 私を通して 彼が選んだ人を 癒します 

でもそれは起こります 赤ちゃんが生まれて 数分または数時間後に 死んだり精神障害者 として生まれて来る のは何の意味ですか 魂がどうこの世に 現れるかを選ぶのには 多くの方法があります 神の手配で 魂がすることを 私達は全部 理解できません 時には 神に到達するために 魂は 障害者であることを 選びます 例えばですが 時には 特定の親の愛を 呼びさますために 生まれてまもなく 死ぬことを選びます 神の手配はすべて 説明するのが不可能で 私達の指では 数えられません

すべては 霊性の成長のために 最良のことです これらは皆 瞑想に関連した 質問です 印心した人が 戒律を守らなかったら どうなりますか 蒔いた種は 苅らねばならない なぜ私に聞くのですか 人生を歩むのに どんな方法を選んでも 結果があります だから慎重に選択して 最後の質問は なぜ一日に二時間半 瞑想する必要が あるのですか 仕事のある人には 多すぎます ベストを尽くしなさい より多く瞑想すれば あなたのためになり お金を多く お金を多く 儲ければ儲けるほど より裕福になるのと 同じです それはただ 望ましい数です

しかしできるだけ ベストを尽くしなさい 私達は十時間 十二時間または八時間 働きます この無常な 体に供給するだけの ために そして本当の 体を知るためにわずか 二時間半さえ  割く気がありません それは残念なことです 多くの宗教があり 混乱しています 解決法は何でしょう 私達は神を 知らないので 多くの異なる法門を 試します 神を知りさえすれば 唯一の 一つの道しか ありません もうどんなラベルも 名称も外在の儀式も 必要としません

ありがとう 世界の終末の予言は あたりますか 世界の終末ですか はい聖書で言うように  起こりますか とにかくあなたが 死ねば世界は終りです だから誰でも 自分の終末を 心配すべきです 世界がまだ存在しても 私達が往生したら 何の役に立ちますか ですから私は生き 続ける方法を教えます

いかにエゴと内面の 神の声を見分ける ことができますか どちらも 強くありえます 自性が本当に純粋な 時にだけ分ります そういう理由で あなたはきちんと 瞑想を学ぶべきです 印心の時 私はすべてを教えます 身を守る方法 肯定と否定を 区別する方法や 本物と偽物の区別です 自分がマスターなのを 完全に思い出すまで いくらかの必要な 指示を知るべきです 最後の質問です 瞑想は祈りより 重要だとお思いですか 瞑想は祈りの 最高の形式です この種の瞑想は 直接神と 接触できるからです だから何でも 神に告げたことは 直接の祈りです

どうもありがとう ありがとう 翻訳者 そしてありがとう 皆さん全員に ありがとう 私達の質問に答え またハンガリーに お越し下さって ありがとうございます ご招待ありがとう 長年経って私はついに ここに来ました 皆さんの 誠心誠意のおかげです 私は旅行があまり 好きではありませんが 皆さんがご親切に 何度も招待て下さって 私は要望に応じました 要請に従いました そしてついでに 他の人々にも チャンスがあり 私を彼らに会わせます 皆さんの国家 人民と世界に 神の祝福を 皆さんは非常に 美しい人々です とても霊的です ではまた さようなら

私は言いました アメリカ人も難民です ご覧なさい 彼らが たった二百人でいかに 歴史を築いたかを 非常に若いのです 何もない所から 始めました 頭脳だけ 精神だけ 神に対する 誠実な信仰だけでした ご覧なさい  彼らは「荒野」から  国家に築いたのです 
マスターが 講義をされる前に 少しお時間を頂き 皆さんに 私の個人的な体験 印心を受け観音法門を 修行してからの 体験を共有させて 頂きたいと思います 私は マスターチンハイに 会う前から何年も 霊修行者でしたが 私がそれまでに してきた瞑想法 つまり霊修行は 私が探し求めていた 霊的な満足を 十分に与えては くれませんでした それに多くの時間と 努力を費やしたのです ある友人がマスターの テープをくれて それで私はマスターを 紹介されました そのビデオを見て 彼女の教理を 聞いた後 私は即座にこれこそ 私がずっと 探し求めてきた師だと 認識したのです 印心前でもマスターは 私の面倒を見ました

印心を受けるまでに 私は数ヶ月間 待たなければ なりませんでした 当時 印心はなかなか ありませんでした そしてマスターは 私の心からの切望を 知っていて下さり 私の夢に現れそこで 印心して下さいました 印心前 私は長時間の 仕事をしていました 私はあらゆることを 心配していました 私はあまり幸せでなく つまり心が平安では ありませんでした しかし印心後 より良く集中できる 能力を得たので 私は物事をずっと早く 効率的にこなせる ようになりました 以前それをするのに 数時間かかったところ 今は一時間ほどしか かからないのです

私はもはや物事を それほど心配する ことがなくなりました きちんとやらないと いうのではありません ただ何であれ 私が行う事は 私が望んだように 結果が得られなかった としても それでも 大丈夫になったのです 何が起こったかと いうと結果にこだわる ことがなく気にしなく なったのです 他には 私は多くの愛 更なる平安を感じ どんな関係においても 協調できるように なりました そしてその愛は 人々を受け入れ彼らが 私の為にいるろいう よりむしろ私が彼らの ためにそこにいたいと 思う種のものでした

これらの変化は 印心後非常に素早く 起こりました そしてそのために この瞑想の法門が いかに強力か いかに効率的かを 非常に明確に 私に示したのです 私が仕事をするときは しばしば難しい状況を 切り抜ける指導や 助けが必要になり 私が内面で彼女に 祈ると彼女の存在が 非常に強く感じられ 困難な状況を通し 私を導いて下さって いることが分かります 一見恐ろしい 驚くべき状況の中でも 彼女はあなたを 保護しています

重要なのは 時々 予測不可能な 状況になり 彼女に助けを祈る暇が なかったとします そのような 状況であっても 彼女はあなたを保護し 面倒を見てくれます

これらは 在世の聖人つまり 完全に開悟した存在の 品性の一例です そして彼らは 遍在し 全能で 全知です 「遍在」の意味は その人はいかなる 時空も超え 同時に多くの場所に 存在できるということ 「全能」の意味は 全てにパワフルです 「全知」は全ての事が 聞けるということです 全ての霊性の師が この特徴を持ち合わせ 全ての霊性の師が 真の在世の師という 訳ではありません しかしあなたが助けや 指導を必要とし マスターに祈った時 彼女はあなたの祈りを 聞き どこにいようが 状況に関係なく 彼女は聞けるのです

こんな個人的な体験が あったらあなたは よりリラックスし 快適であると感じ 非常に幸せで平和だと 分かります あなたは保護され 世話されていると 知っているからです この法門を修行する人 あるいは 他の法門を 修行する人が 観音法門を修行する ことになったなら マスターチンハイは 真のマスターで 彼女は最高で 最も偉大で この地上において 最も高次な存在だと 認識するでしょう

それでは マスターチンハイを お迎えする瞬間が 参りました 本日はお越し頂き ありがとうございます この素晴らしい国に いられ 私は 非常に光栄に思います この国は 繁栄 平和 愛ある思いやりのある 人道的な国です というのは貴国は 多くの国々が 持ち合わせてはいない 暖かさ 人間愛を 互いの間に通わせ 霊的な基準も 高い国だからです 貴国に 死刑がないことを知り 私は感動しました この国で愛だけが 何ものにもまして 支配する事を示します そして他の国も 貴国を模範として学び 神に正義で支配させ 復讐がなくなることを 望みましょう

また私にはこの国に 住むある人々と 話す機会が ありました 例えば 移民の方々です 貴国に 愛を持って 差別されることなく 暖かく迎えられた オゥラック (ベトナム)難民は 彼らは皆この国で 幸せでいられます 私は 更なる恩恵と加護が この素晴らしい国に 起こりえることを 確信しています 非常に霊的に高い 国だけがこのような 品性を 優しく思いやり 人種差別がなく 区別しない 品性を保持します そして全ての国が こうなら少なくても 世界は小さな楽園に なるでしょう

しかし残念なことに 多くの事柄が人々の 基本的な真理を 理解することの 妨げとなっています つまり愛が最も偉大な 宇宙の法であると いうことです ですから多くの人々が あるべき人生を 楽しめないでいます その強要する方法で 私達が人生に執着 すればするほど それを味わえません 従って 開悟した人々は より幸せで より満足しています そして彼らの非常に 落ち着いた心の状態に よって彼らは多くの 奇跡が行えるのです なぜならどこに 彼らの智慧があり どこに彼らの偉大さが あるか十分理解して それを使うからです

非常に忙しい時や パニックになった時 急いでいる時 私達のほとんどは 何をしたかったのか あるいは物事を完全な 方法で行うことを忘れ ですから 開悟した人の穏やかな 心はより物事を 明確に見られます これだけが科学的な 論理といえます 「私が神だというのを 知っている」ことです 誰が「私」なのか それが私達の内に 住む「誰か」本当の 「真我」のことです よって私達が神です

この認識は 人々が話すことを 聞いたりとか あるいは信じること のみから来るわけでは なく 自己認識を 通してなのです ちょうどその他の 科学がそうあるように そこには特別な技術が 必要になります 私達がこの世で学び 習得することは 自身の体験を通して すべて行われます 同様に開悟は 幾らかの忍耐と 自身の体験を通して 到達できます ですからそれは 永遠に続くのです それが 多くの聖人賢者が 常に神は私達の内に あると聞く 理由です

神が私達の内にある なら 私達と神は一つ という意味です 私達と神が一つなら 私達は神です しかし私達がたびたび そのことを聞いても 何度も聖書の中で 私達はこれを聞いても 多くの偉大な人イエス 仏陀 ムハマンド等の 人がそう述べたのを 私達は聞いてきました しかし私達は本当には それを信じられません 神を見つけることも できないのです 自身の内に宿ると されているのに 自分の体験が欠けて いるからです

発見することで 知るのではなく ただ聞くだけです 古代 科学は今日ほど 高く発展してなくて 私達には多くの 問題がありました 雨でさえ私達に 問題をおこし 雪でさえ私達を 邪魔しました 何でも ほんの 小さな事も大きな事も 日々の日常生活の 障害となりました 例えば 雨でさえ 例えば 雨でさえ 現代私達には傘があり レインコートがあり 雨の中でも歩けます 私達は雨を 楽しむことさえでき 雨の中で 働くこともできます 車があるので更に良く バスもありますし 私達には自然の 異なる天候から 身を守るものは すべて持っています

なので私達は快適です 古代に会議が あったとしたら 多くの人々が 遠い所に留まりここに 来る事はできなかった かもしれません ただ距離があるという ことだけでなく 雨のせいでです 天候や全てそのような ことのためにです それで古代 人々は 洞窟や山中 木の下に 身を隠し自然災害から 自らの身を 守ったのです 現代多くの人々が まだそういう生活です 発展途上国では そうであってはならず 開悟も そのようです

私達の人生により 快適さを加えるよう どんな状況でも 幸せであるようにです レインコートを 持っていなくても 傘を持っていなくても 車を持っていなくても 今日雨が降れば 私達はすべての活動を 止めることになります 私達が行いたいと思い 成し遂げたいと思って いたことをです そうですか はい 同様に 開悟したなら 人生は素晴らしいです 私達の人生に「苦難」 「恐怖」「問題」と いう名のものは 何もなくなります ただそうあるように 思える防御に欠けて いるからなのです

なぜなら 雨を例にとれば 雨がなければ 私達には水がなくなり 全ての樹木 花々は成長できず 私達が生存するために 不可欠な全ての穀物も 決してありません 従って雨自体悪いもの でもないでしょう でも私達が傘を持たず 寒さの中何キロも 歩くなら 私達は震え カゼをひき 病気になり命を落とす かもしれません そのような無害で 役立つ自然現象を 通してです 非常に自然で美しい 現象でさえ 自身を守る装備に 欠ければ私達には 有害になります

ですから多くの人々が 世界を変えたい 私達の人生の生き方を 変えたいと思いますが 開悟した魂の 聖人は言います 「いいえあなた自身を 変えるのだ」と なぜなら 自身を変えることは 取り巻く世界を変える ことだからです たとえ世界がそのまま でも私達はもはや 影響されません 一人ひとりがこの 方法で変わるなら どんな戦争も 不要になります そして災害も なくなるでしょう 皆が傘を持ち レインコートを 持つなら季節を変える 理由がありますか 雨を止めるとか 超能力によって 雨期を コントロールしたり 多くの人々がこれを 学びたいと思います

多くの人々がこの 超能力を所有したいと 雨を止め それを長引かせたり 他の地区に降らせる よう押しやったり このような超能力を 学ぶには時間がかかる でもなぜ気にしますか なぜ気になりますか ただレインコートを 着るのです 安くて簡単です 皆が使用できます かつて仏陀が船で 川を渡りたいと望み 船頭は彼を乗せたくは ありませんでした 彼は無銭でしたから 当時彼はそうでした 当然ですね 彼は 転生して僧であっても まだ財産を 所有していません それで仏陀は 選択の余地がなく 川を歩いて渡りました

今もインド チベット あるいはどこかの ヨギは このようにしています 多くの人々が私に 超能力の事を尋ねます 人々は 説明不可能な事に 興味を示します そしてまた科学的に 考えてこう思います 「ありえない」と それで私は言います 「いいえこういう力は まだ存在します」 しかしでたらめに 使われるものではなく 見せびらかすものでも ありません イエスにも多くの 超能力がありましたが 常に使った訳ではなく 気が進みませんでした ですから彼はただ 一人死の淵から蘇らせ 二、三人の盲人を 治しただけで常に 走り回って死者を 蘇らせたわけでは ありません それは自然の法に 混沌をもたらす からです

それで開悟した聖人は そういうことを しないのです 一人ひとりが心の中で 彼自身を知ること 神を知ることを願う ことを学ぶべきです すると神の王国が やって来て マスターがやって来て その人を助けて くれるでしょう 超能力を使ったり 他の超自然な方法で 人心を得るなら人々を 知らずに誤った道に 導きかねません なぜなら私達は 超能力の術の中で 神の力を限定させる からです それはある 専門家から学びます またそれを使うことで 私達は自然の摂理に 反するのです もちろん自身にも 災害がもたらされる ことでしょう

私達が探求するものが 永遠のものだからです 例えば智慧 愛 偉大な 宇宙の力であって 片隅になる低レベルの ゲームではありません しかし私達が偉大な 智慧を得れば また無数の奇跡の 力も手にしますが その時には私達には あまりにも多すぎて 一体どれほど 持っているか分からず それは自然に出て来て 自動的に 意図せずともその事が 行われるのです それで聖人は何もせず 事を成し 考えることなく 望むことさえせず それを行うのです ちょうどとても裕福な 人のようです

自らの資産がどれほど あるか知りません 決して数えず すべての自分の宝を 十分に見ません それで 開悟した人は いつも幸せなのです 少なくともほとんどの 時間幸せです たとえ 不幸に遭遇した時も それは彼が愛している 大変近しい人が もたらしたのですが たぶん 影響を受けるでしょう その人への 愛のために その人の苦しみや 不幸を共有する かもしれませんが それでも 非常に 内心は穏やかです また不幸はほんの 束の間の性質の事だと 分かっています

殆んどの人々のように 不幸に引き摺られて 溺れるようでは ありません ですから 私達が今生で ただ 幸せになりたいなら 悟りを得るべきです もちろん 皆さんに話すべきです  カナダの偉大な人に 神を求めなければ なりません 神のためだけに 今生の幸せのため ではありません でもこれらも一緒に やってくると思います 開悟したら 幸せです より幸せになります 開悟を信じれば 信じるほど いずれにせよ 神に感謝するでしょう

私達が全人生を ここで暗闇と 惨めさに 屈服している間 天の永遠の幸せを 期待して何の役に 立つでしょうか 開悟した人は両方の 世界を楽しみます 天国を楽しみつつ 同時にこの世を 楽しみます なぜか それはこの世に 現れているものは 何でも天の意思と 知っているからです それもより高い神の 王国の本物の具現の 複製品であると そして大変リラックス しているので 恐れや不安などなく 何を楽しんでいても 最大限に楽しみます

多くの人々は 開悟の後では もう妻の愛し方が 分からないとか 夫や子の愛し方が 分からないだろうと 思いますが それは逆です 幸せで 真の価値を知っている 時だけ 他者を愛することが できるのです なぜなら相手の 考えが見えるのです 相手の中にあなたの 考えが見えるのです その人を尊重し 神がその人に与えた すべての良い品性を 愛します 神があなた自身に 与えたものに 気付いているからです それで神は全衆生に 同じ量の品性を与えた ことが分かるのです

でも私達は 時々反対方向に 進むことを選びます ですから苦しみ それで神を呪います こう言います「なぜ 神は全能なのに この楽園を天国に しないのか」 その力は 神の手にはなく あなたの手の中です 私は体験を通して この全てを知ってます 本からではなく 聖書からではないです また私の弟子の 人生での 経験を通して 知っていますし それもまた 今日互いに会える 理由なのです 私の弟子の優しさに よります 自身の発見を皆さんと 分かち合いたいと 思っています

それで多くの問題と 出費や 時間をかけることを 経験して 今日の集いを 組織しました 私達の道に皆さんを 説得したいという 熱い野心でしている のではなく ただ幸せな人の とても幸せな態度で しています ですから 皆さんに 感銘を与えるために 特別な袈裟を着ること など気にしません 皆さんが改宗するのに 大変神聖な外見に しようとは思わず 私達の輪の中に 入って来させるために 贈物や 超能力などを あげようとはしません でも私達は 兄弟の義務として 別の兄弟にするだけで 実際には行なうために 行なうだけです

皆さんが納得して いるか否かに関係なく 私達は幸せです 皆さんが来ようが 去ろうが 私達は満足です 私達にはもう それほど深刻では ないからです してもしなくても 私達には同じことです 私はフォルモサ (台湾)の山頂で よく座り 入定を楽しむことが できるでしょう あるいはここに座って 地球の より多くの人を 知ることができます 私には同じことです そのため皆さんが この幸せへの 真の幸せへの準備が できていると思えば それは根本からやって 来ているからです

皆さんは天と地と 地獄からのすべての ものを知っていて すべてを知ってるので それでなにを 楽しみたいか 選ぶのです ですから 皆さんの幸せは 本物で永遠になります そうでないなら この世のいわゆる 楽しみの大半は 自由に選べません 時々パーティーに 連れて行かれて 楽しもうとします 政治や商売の 動機によって 時に無理やり 結婚させられて 最善を尽くそうと します 時に大家族に 連れて行かれ 彼らを養おうと 朝から晩まで働き 家族を養っているので 自分をえらいと 考えようとします でもそれは必ずしも 選択でないのです

そのため 私達が することの殆んどが 幸せには感じません これらすべてを 制御しているのは 自分ではないと 感じるからです 主人ではなく 客のようです 風に吹かれて どんな状況でも ついていくのです 自分がなぜあれこれ すべてしているか 知らないことで 人生の多くの関心や 喜びを失います でも開悟した後は 違います 楽しむことは何でも 本当に楽しみます 生命の価値も この生命を越えた 価値も理解します どの惑星にも 二種の生命があります ひとつは 物質的存在です

もうひとつは 永遠に続く自然です 私達がこの世の 殆んどの人のように 一つだけ知っていて もう一方に欠けてれば いわゆる生命の 物質的存在を 楽しむだけです でもこの投影の 本当の姿を 知りません 影しか知らないのです ですから物質的な 人生を楽しみ それを 失うのを恐れます でも本当に開悟した 人は永遠のものと その複製品の 両方を知り 同時に両方を 楽しむことができます あるいはどちらを 楽しむか

選べますし 両方楽しむのも 選べます でも私はすでにここに いるとき ただ楽しむほうが よいと思います この世には 楽しんではいけない ものはありません 本当に他の衆生の 生命を傷つけるもの 以外は そのため菜食に なるのをお勧めします いつも魚が存分に 海で泳げるように また牛が自分の 属する所に戻るよう 本性が呼ぶまで牧草を 食べられるように 私達はそれを楽しみ 牛は私達を楽しみます

 
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