智慧の言葉
 
福報を取得する方法    Part 2
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仏教は誰でも仏陀に なれると言います キリスト教は信じたら 天国で永遠に 生きられると言います しか主は唯一で  神は一人しかいません 教義は異なります なぜマスターは キリスト教でも仏陀に なれると言いましたか いいえ キリスト教で 仏陀になれるとは 言いませんでした 開悟したマスターを 見つけるべきと言った イエスキリストが 在世の時彼は開悟した マスターでした 彼が去った今 私達は 別の人を見つけるべき でもイエスキリストを 信じたり 崇拝したり してはならないという 意味ではありません

彼は過去のマスターで 私達はその非常に良い 教えを信じるべきです 私達は過去のマスター として彼を尊重するが 今開悟したマスターに 成りたいのです イエスキリストには 二種類の弟子がいて 一種類はマスターに 成りました もう一種は彼に頼って 解脱しただけです また釈迦牟尼仏にも 二種類の 弟子がいました 一つ目には仏陀になる ことを教えました もう一つのは 解脱するために 彼の福報に頼りました 時々皆さんは 一つの文章に注目して 残りを誤解します 例えば釈迦牟尼仏は ある時は 誰でも 成仏できると言い ある時は成仏するのは 難しいと言いました 衆生の悪いカルマ (報い)は 天空に満ちていて 解脱するには仏陀に 頼らねばなりません

同じように 私にも二、三種類の 弟子がいます 一つ目の種類は印心し マスターになるよう 私が訓練します 分りますか おそらく今生か来世で 彼らはマスターとして 戻って来ます 彼らは一生懸命 修行せねばなりません 彼らが一生懸命 まじめに修行し 私の指示に従ったら おそらく今生で ある日 マスターになります

他の種類は 普通の修行法で 菩薩や阿羅漢のような 良いレベルに達します でもそれほど高い レベルではありません もう一種類は 私の教えに頼って 道徳的な人として 生きる人々です また私の写真を 崇拝する人々がいます そして彼らが死ぬ時  私は家へ連れ帰ります 一人だけです マスターになるため 私と修行している人は 彼らの五、六 七世代が 超生します 百世代のこともあり 普通に修行する人も 五、六世代に 利益をもたらします それら私の福報に頼り 私の写真を崇拝したり 私を信じて 助けを求める人々は 彼ら一人だけが 超生できます

異なる部類の代価は 同じではありません 時々私は講義のとき 苦しんでいる衆生を 救うために私と学んで 早くマスターに なるよう 皆さんを激励します また別の講義では 私の助けを 求めるだけで十分だと 言うかもしれません それも良いのです 私がそこにいる誰も 仏陀になれないのに 気づいたからです

でもあなたは一回目の 講義で私に従い仏陀に なるよう激励したのを 聞いてないかも知れず それで私は誰でも 仏陀になれ 難しくは ないと言いました 失望しないで下さい 希望が持てるはずです あなたは二回目の 講義で 仏像を崇拝しても 私の助けを求めても ベジになるよう 試みても構わないと 私が言ったのを聞いて 誰も成仏できないと 私が言ったと思います

私は異なる場所で 異なる内容を話します 私のテープを聞いたら 同じような2つの テープはありません なぜなら聴衆が異なり なぜなら聴衆が異なり場所と 時間が異なり 彼らの 要求が異なるからです

一回だけ聞いて それが私の教えの すべてだと思わないで 私はすべてを含みます 数多い仏教の 修行法門は すべて同じゴールを 目ざしていますか 昨日私は多くの人は 厳格に修行できないと 言いました 仏陀になる意欲がなく 彼らは戒律に 耐えられませんので 努力できませんし 肉をやめられません それで私または 釈迦牟尼仏は 方便法を教えて 彼らを忙しくさせて 仏陀のパワーに頼って 解脱させます 分りますか しかし完全に私達の 智慧を使える仏陀 つまり偉大な開悟した マスターになるには 観音法門が あるだけです 楞厳経で仏陀は そうおっしゃいました 全ての宗教の経典でも 言及しています 「この道は 耳では聞こえず 目では見えず 捉まえられない この道は 目ではなく見たり 耳がなくても 聞いたりできる 法門を修めてこそ 理解できる」と

観音法門と同じです 長い間 私は大悲咒と 楞厳咒を 修行しています いかに継続的に 進歩できますか 引き続き唱えて下さい すると後退しません つまり呪文を唱え 続けるとことです とても良いことです

あなたが「大悲呪」を 学ぶとしたら 引き続きやって下さい 唱えるとき 目を閉じて 心をここに集中します マスターに助けを 求めるのです すると いくらか進歩します 早く進歩したければ 私について観音法門を 習うことです 大きな利益を得て 大智慧を 得るためには 私について観音法門を 修行することです 楞厳経は 古代から 伝わったもので 沢山の言葉が 抜けています 正確ではありません

大悲呪も同じです 例えば大悲呪経典の 南無アヴァローキ テーシュヴァラは サンスクリット語で 中国の訳語は 南無アリヤバロティに なっています これは違う意味です 名前が完全に 変わっています オゥラック (ベトナム)語では 更に悪く 南無アヴァローキ テーシュヴァラは 南無アリジアバロ チェティデタット ファットランダバ 本当は南無アヴァロー キテーシュヴァラが 大変長くなっています 観音菩薩でさえ 観音菩薩でさえ 意味が分かりません だから悟りを開いた マスターが必要です というのは彼の教えは 直接天国からのもので 編集されていません 凡夫の頭脳によって 編集されてなく 直接的な情報で 以心伝心で 人間による 修正はありません いい?間違いないです 不注意でピーナツの 中の虫を食べ場合 これは殺生ですか

いいえ  故意ではないのです 私達が菜食をするのも しないにしても 故意に殺生する考えを 避けるためです 分かりますか そういった悪い考えを 避けるためです 不注意でなら戒律を 破ったわけではなく 仕方がありませんが 悪いカルマ(報い)は やはりあります ただ 故意ではありません 意味が分かりますか 非常に小さな悪い カルマ(報い)です 私達が呼吸をする時も 菜食をするときも 茶碗を洗う時も 殺生します 故意ではないです 避けられないことです

私達は邪悪な考えを なくすことです 私達が菜食をするのは 菜食で多くの衆生の 命が救われることを 知っているからです これが私達の目的で できるだけ殺生を 避けます いいですね 観音法門を修行する 人は瞑想をしながら 気功もしていいですか

どんな瞑想ですか 観音法門で私は 瞑想を教えています 他の瞑想法は 要りません 気功についは どんな気功ですか はっきり教えて下さい 二種類の 気功があります 一つは体の弱い所を 丈夫にしてくれる 運動で人に打たれても 痛くないです 私は これを知っています もう一つの 気功と呼ばれるものは 霊的エネルギーが 体に入ってあちこち 走り回り制御できない あなたが習ってるのは どんな気功ですか 私が助言できるように どれか教えて下さい 一つ目か二番目かです 二番目のタイプですか(二番目のです) 二番目のタイプですね 止めるべきです

どんなにいい法門でも 自分で 制御できないとしたら よくないものです 私達本人が自分の 行動を統制すべきです 私達は体の主で 主権は 私達にあります 体が外部の霊に 占められ勝手に私達を 制御するようでは 主権を失います 分かりますか 止めるべきです 霊修行をするには はっきりすべきです 自身のマスターになり 真我を見つけなければ なりません 誰かに制御されて あちこち動き回り 止められないとしたら それは悲惨です 皆さんは釈迦や 老子が制御できず 動き回ることを 想像できますか 不可能です 釈迦は座っている 時も歩くと時も 穏やかです 何を話しているか何を しているか明白です これが真の法門です 自分の体を自分で使い 制御できないとなると 人が私達の家に 入り込み 好き勝手に するのと同じです

追い払えません これは人の家に 侵入することで いけません 私達はこの家しかなく 見知らぬ人を入れる わけにはいけません

観音法門を 修行し始めてから 一日や二日間 修行しなかった場合 霊修行に大きな 影響がありますか はい 沢山あります 二日間食事しないと 体が大分弱まるのと 同じです

印心を受けた後も 線香をあげて 拝んでもいいですか できます  ただ誰を拝みますか 対象は誰ですか 地元の守護神ですか

ここ香港では 多くの人が家の外に 地元の神を 祭っています

小さな地元の神です 彼らは家の外側に それを祭っています 何のためですか 福報を祈願するのですか 皆さんはその神に福を 与えるべきで 彼の 福を盗まないことです 恥ずかしいことです 私達は地元の守護神 よりも優れています 私達は沢山修行して 彼に福を与える べきです

なのに 彼の福を盗むなんて 恥ずかしいことです 君子の振る舞いでは ありません 私は福を盗むために 拝んだりはしません 自分自身の仏性を 拝んでください これは拝めば拝むほど よりパワーがつき 大きな功徳があります すると私達は地元の 神を含めて無量無辺の 衆生に福を分け与える ことができます アヴァローキテー シュヴァラとは? 観音菩薩の もう一つの名前です ご存知のように 人間は時には 沢山の名前があります 例えば 生まれた時の名は 王黛玉だとします 後にまた 別の名前を持ちます アヴァローキテー シュヴァラとは 観音菩薩の本名でした

彼女は観音法門を 修行したため 彼女の事を観音菩薩 と呼んだのです 分りますか アヴァローキテー シュヴァラにせよ 観音菩薩にせよ 梵語からの訳語です 以前私は菜食を しましたが体力が弱く なってしまいました 私はとても印心を 受けたいのですが どうしたらいいですか 体が弱まったのですか 動物園で象や 馬や牛を見たことが ありますか 彼らは何を食べて あんなに丈夫な 体をしているのですか 彼らは豆腐や 高蛋白質のものは 何も食べていません 草ばかり食べています

印心後マスターは 香港を離れますが 私達が困難に遭遇 することはないですか ないです 私は遍在し 祈ると必ず応えます いつも貴方と共にいて 私が見えなくても 構いません 私には貴方が見えます 一瞬たりとも皆さん から離れていません 安心して修行して ください 私に電話を したり手紙を書いたり フォルモサ(台湾)に 会いに来て下さい

なぜ生と死が あるのですか なぜ人生は 苦に満ちていますか 生は生でなく 死は死ではありません 私達の目は遠くまで 見えないからです

例えば海は 風が吹くと 波が立ちます それを波といいます 波が沈むと 海水になります また波が立ちます 実際は海だけであって 波は存在しません それはただの形で 現象に過ぎません 元々海には 波はありません 波は立ってから 消えます 従って波は ないと考えられます そしてまた波が立ち また消えます 同じ原理で 私達の人生は 波より長く持ちます 分りますか 一つの現象が消えると 別の現象が現れます 波もそれぞれ違います 一つ消えると 別のが現れます ある波は短く ある波は長いです ある波は強力で ある波は優しいです

そうですね 同じ海で同じ風の いたずらです 同様に 陰と陽の力も それが結合する 時間の長さによって 違った形の ものになります 後にこの形が消えて 後から別の形で 戻ってきます これを私達は この人は死に その人が生まれたと 考えますが同じです 遠くまでみると 分ります 生は死であり 死は生です あるものが生まれた時 あるものがさっき 死んだ事を意味します 波が立ったとき 別の波は退き 海に消えて 再び海の一部に なるのと同じです

それからまた波が立ち また退くといったこと これが生は死で 死は生です 私達は死んだら再び 別の形別の服を着て 生まれ変わります 分りますか 分ったら いいです 皆が開悟しています ありがとうございます 私達に生があり 死があるように 次の生の 選択において 気をつけなければ なりません 私達は選択できるし 体系を 制御できます 私達は仏陀になる ための方法と規則が 分っています その規則に従うと そのような形に 変わります それに従って 修行するとそのように なります 分りますか

聖書や仏典にこれらの 規則についてはっきり 書いてあります 道徳的な人間になり 戒律を守り 慈悲深く 人類に 利益をもたらすと 次の生で美しい服を 着るとあります 下手すると  次の生で羽毛や 角を持って生まれます あまり美しくないです 話すこともできず モーとか メーといった 違った言葉を使い 違った服を着ます こういうことです 選択によります いいですか

さっきマスターは この地球には 善と悪の力が あると言いました 仏陀に学ぶ人は どうしたら善を 発展させ悪をなくす ことができますか 戒律を守ることです 仏教の戒律を守り 仏典に従い 自分自身の仏性を 見つけることです 要するに大智慧を 探すという意味です これが見つかれば その智慧が独りでに 統制し調整し 陰と陽を平行に保ち 自然と私達に 何がよく何が悪いかを 分らせます 印心を受けてから 大きく変わります

さっき女性の修行 仲間が言ったように 気質が変わるのです 彼女の智慧が現れ 目覚めたので どう処理するか していい事と しては いけない事が分ります 凡夫はたとえ 避けたくても カルマ(報い)に 縛られ避けることもできません よくないと 分っていながら それをやるのです なぜなら私達には 自分を制御するための 十分な力が ないからです 私達は自分の仏陀の パワーを見つけそれを 使わねばなりません 頭脳の力は 限られています 凡夫の力は 十分ではありません

私達は自分の 本来の自我のパワー 仏陀のパワー 天国の パワーを見つけ それで カルマ(報い)の力を抑えねばなりません カルマ(報い)は 私達を縛ろうとします分かりますか 仏教は私達に極楽 浄土を勧めています この世界は苦しみに 満ちているからです これは私達が 責任を逃れ 虚栄に走り 人生の義務を 怠ることになり 今生で私達を 愛する人にとって 不公平ではないですか いいえ たとえあなたが怠け たくてもできません やはり働くべきです 私の教えは人に世界を 捨てさせるのではなく この世で自分の責務と 向き合うよう教えます

時間を割いて 霊修行をしながら 自分の責務をしっかり 果たすのです もっと 努力せねばなりません あなたが印心してれば 私の教えが人に 逃げるのではなく もっとしっかり責任を 果たすよう教えている ことが分かります これは定まった カルマ(報い)だと 分るからです 借りを全部返済した後 始めて離れられます 私達はなぜ この世界にいるか   なぜ働くのか 配偶者と子供と親の 面倒を見ねばならない と分っています

はっきり分っていて 喜んでやります 幸せなのです 以前の ようにしぶしぶでなく 意味が分りますか 観音法門を 修行してから 私達の智慧は 更に発展し もっと力がつき とても重い悪いカルマ (報い)も背負えます 私達には 智慧が備わり 人生の意義と なぜ人間なのかが分り 何でも進んで 喜んでやります 前とは違って やらねばならない時 逃げたりしません この点は違うのです

仏陀の道は 世俗と密接な 関係があります もちろん仏教でも いかなる宗教も 二種類の修行者が います 出家して 修行する人と 在家で修行する人です 出家して修行する人は 特に法脈 つまり 法(真の教え)の パワーを守り それら忙しくて 法脈を保存する ことができず  修行に精進できない 人に広め 普通の在家で 修行する人に 福報を分け与えます

しかし皆が同じように する必要はありません たとえ出家者でも 沢山の責任があります 例えば私の場合 とても忙しいです 何事も逃げません

東奔西走して 経の講義をし 人々に霊修行者に なることを激励し 皆が内面の 心を見つけ なるべく 菜食者になり高尚な 人になるよう諭します これが出家者として 私の義務を履行する ことです 私は逃げていません そうですね 逃げませんでした ですから 私達は修行して 開悟した後 果たすべき責務から 逃げるよりも よりよく果たします 観音菩薩の 千の眼 千の手は どういう意味ですか 彼女は不可思議の力が あるという意味で 彼女は無数のことを しながら同時に 無数の所を 見ることできます

私達は彼女のことを すべての祈りに応え どんな所にも 現れると讃えています どんな所でも 祈ると応じてくれます つまりこれは 遍在し 無数の化身を持つ 釈迦やイエスキリスト とも同じです 今ここにいながら 同時に化身が他の所に 現れる事ができます これを千の手 千の眼と言葉で 表現したものです 分りますか 比喩で 象徴的なものです 観音法門を 修行して最高の レベルに達すると 私達も千の手と 千の眼が備わります 無数の事を すると同時に 無数の衆生の異なる 場所の祈りを聴き 無数の所に現れる という意味です

これが千の手と 千の眼です マスター 観音法門を 修行するには 生涯菜食しなければ なりませんか これとは別に 完全菜食できない人に 伝授できる法門は ありませんか あります 昨日私があれだけ 並べたのに まだ分っていませんね 骨格を観ずる方法 汚物を観ずる方法 静かに座って 自分の呼吸を 数える呼吸法などです 息を吐いて 一と数え 息を吸って二と数え 十まで数えます 数が乱れたら 数え直します 数え続けて 三十分座って いるのも 一種の修行です

もっと長く座って いたい場合は なるべく菜食 することです すると問題が 起こらないし 魔に取りつかれません

菜食は沢山するほど いいです 方便菜食とは 都合のいい時に菜食 するという意味です 肉料理の中の 野菜をつまんで 食べるのでは ありません 第一それは汚染され 第二に 栄養的ではないです 何回も言ったように 自分は肉食か 菜食か はっきりすることです 混同しないことです この方が便利です 分りましたか 方便菜食とは いつでも 都合のいい時に 菜食することで 菜食できるときに するという意味です 菜食には 豆腐とグルテン大豆が あると栄養的です

私は印心していません マスターの名号を 唱えるとマスターと 繋がりますか 繋がります もっと菜食し 慈善活動をし 戒律を守ると 私と繋がりますが 私を見るのは無理です 菜食者は 私の化身が来て 私達の言葉で 話しかけるのを 見るのは容易ですが 難しいでしょう

菜食すると 身 口 意を 浄化しやすく 私と繋がりやすいです あなたが菜食者か否か 確認するのではなく 私が来てもあなたには 見えないのです カルマ(報い)で 遮られている そういうことです

不二の法門とは どういう意味ですか 観音法門のことです 戒律を守るよう教え 自分の 仏性を見て 自分が仏陀であると 分らせるからです 仏陀に祈り 仏陀があり自分がある こととは違うのです 分りますか だから 不二の法門と言います 私は仏陀で仏陀と 私は一つなのです 観音法門を 修行すると 自分が仏陀であると 徐々に分かります 仏陀と私の間は 何も 違いがありません 違いますが また同じでもあります

私達は仏陀になります だから 不二の法門と言います

マスター  観音法門はどうやって 修行しますか 二日間も経の講義を 聴いていますが まだ分りません もちろんです 印心の時 分ります 私は安く売ったり しません 印心を受けると 観音法門が 分ります ただ私の戒律を 守らねばなりません 私達は仏陀になる ために今生で解脱する ために修行します 遊びではありません 従って戒律を 厳格に守り 私の 指示に従うことです 何事も代価があります 菜食したくなく 適当に修行したい場合 すると死ぬ時あなたが 私を信じるとしたら 私が解脱させます

ただ私を本当に 信じなければならず なるべく菜食し 道徳的で戒律を守ると あなたは死ぬとき 解脱する機会に 恵まれるでしょう ただ仏陀には なれません また 他の人 親戚 友人を 助けられません 観音法門を 修行すると 五代 六代 七代 さらに百代もの 先祖が超昇します 皆さんの霊修行の 功徳と私と繋がった お蔭です 私が処理します 皆さんは自分の 身 口 意を私に任せ 私に処理させて くれたからです

私の指示に従うことは 最高の供養です そこで皆さんのカルマ(報い) は 私のものになります つまり皆さんの問題は 私のものになります 二人の仲良しのように あなたに問題があると 彼はなるべく助けます 分りますか 互いに深い 信頼があるからです または結婚後は 妻の問題は 夫の問題であり 妻の喜びは夫の 喜びでもあります 分りますか 二人は繋がっています 一種の約束です そうです 印心は私達の 間での約束です 私は皆の沢山の問題を 処理します 皆が私の 友達になりたがるので 私は皆の問題を処理 しなければなりません 例えば億万長者の 友達がいるとします 私達に借金があると 彼は傍観しますか しません 彼は自分のお金をで 私達を自由します 彼は密かにまたは公に 私達と借主を 縛りつけた鎖を切って くれます そうですね いい友達だからです

お金は問題ありません 私はイエスの信者です 私が観音法門を 修行すると教会の人は 私のことを非難したり しないでしょうか どこが問題ですか 私はイエスを信じない ようとは教えません イエスとよりよく 繋げることを教えます あなたは瞑想の時 イエスを見ます 問題ありません 私はあなたに イエスと早く 繋げる方法と 彼のように偉大に なる方法を教えます すると多くの事が分り 多くの衆生を 助けてあげることが できます これはイエスキリスト またはカトリック教が 望む事ではないですか 同じではありませんか 私は彼らに反する事を 何も教えていません

彼は大昔この世界は 本当にカトリック教が 言ったように美し かったか聞いています はい そうです 仏教でも同じことを 言っています 阿含経に 大昔 天地開闢の時 宇宙が創造された時 ではありません 地球が始形作られ始め 光っている衆生が多く ここに住んでいました 彼らは歩かないで 飛んだのです  全身に美しい 光を放っていました 後にここに 長く住むにつれ 多くの地球の食べ物を 食べ 粗く醜くなり 光を失いました 後に地面に降りて 足で歩くようになり 後に 食べ物が切れました

彼らは怠けたのです 本々食料は 取った後 又育ちましたが 彼らは怠けて家に 沢山持っていきました 食料はそんなに早く 成長しませんので 食料のために戦い 競争せねばなりません これが 戦争の始まりです 私はカトリック教と 仏教は同じ事を言って いるのだと思います もっと研究すると もっと分ります 私の男友達が私が 観音法門を習うことで 分かれたいとしたら どう選択したら いいですか 観音法門を 選択すべきです ボーイフレンドは 見つけやすいです 男はどこでも 見つけられますが

観音法門は 探しにくいです

今日私は 沢山の人が外にいて 入れないのを見て 心苦しいです しかし弟子達が 招いてくれたので 私は手配して くれた所に 行くしかありません これらの事を私は 処理できないのです

今度 大きな会場を借りて 皆にもっと楽にして あげたいと思います

皆さんの愛に 感謝します すぐまた来ます

皆が早く仏陀になる ことをお祈りします

全メディアがこの星を 救う援助をすべきです 毎日 新聞のどこかに こう印刷されるのです 「ベジになって 地球に優しく 地球を救うために」と 一切の看板と広告に 一行加えるべきです またすべての 娯楽番組でも  どんなショーでも 開始前か終了後に 地球を救うために ベジになって 地球に優しく」と 世界の主な河川が消滅 しつつある 1/3が 断流またはその危機に 三〇億人のための  地下水井戸は 枯渇しつつある 世界十大水系が 消えかけている
聞きたいと思うなら 私はお話しします 私達の世界を 「完璧」に 作り上げるためにです 昨日お話ししたように この世界は非常に 遅れていますね たとえ私達が多くの イヤホンを提供 できても時に困難です 配線や電気があり イヤホン全てを持って 行けないことも あるからです たったこれだけの 人々の分でも 意味が分かりますか 飛行機などでは重量 超過審査になります ある場所では 「物がありすぎます 何のためですかまるで 国連のようです」と 「ええそうです 国連のようです」 豪州人 来て下さい 今までずっとあなたを 探して個人的に 話したかったのですよ 

あなたが望めばですが それともそこに座って 質問してもいいです はい いいでしょう 私と個人的に話したい それともここで私達に 質問したいですか (個人的に) 個人的にですね 私がここに到着する前 あなたを探してました ここには 誰もいませんでした ほんの数人しか 私はあなたに話を したいと思いました 時間がありましたから 後にしましょうね あなたにとって 重要なら はい では質問は マスターこれら二つの 質問で私達を 開悟させてください 一つ目は 男女間の関係について あなたは無意味だと 言及されましたが それはなぜですか

いいえ 高いレベルの修行者に だけ言ったのです そうでなければ まだ他の皆さんには やはり意味があります 関係という意味でなく つまり肉体的な接触 性的な関係についての ことです ある時点において 意味がなくなります それだけの事です でも皆ではありません 私は弟子に対して 話しています あるレベルの人々は こんな風になります あるレベルになり 皆ではありません ある人にはまだ必要で それでも大丈夫です 二つ目の質問をどうぞ どこかで言及されて いたと思いますが 神と交信することで あなたは光と音で 交信します

私達が光と音を 生産するなら 神と交信することは 可能ですか それはどうやって 生産する いいえ これらの光と音は 神自身のことです 生産などできません 人の生産物ではなく それは天からのもので それは神の振動力です それは神を象徴する ものです 私達はこの種の音を 光を作り出すことなど とてもできません どれほどお金があって あげたいと思ったり あなたがどれほど 賢くても関係ないです いいですか これは印心を通して 行うものでより高い レベルから 天から 来るものです それは 自身にも内在します 他に質問は ただ付け加えますが あなたの印心を通し 私達は正しい光と音が 神と交信するために 作り出せるという ことなのでしょうか はい でも生産ではないです 自然にやってきますね

あなたは努力せず ただやって来るのです それは神自身です 聖書にあるように 「始めに言があった」 つまり 音と振動です 「言は神と共にあった 言は神であった」と あります この言は私達の内面 から聞こえるもので 神自身です それが私達の本性です 私達が生産すべきもの ではない いいですか そしてあなたは 開悟した瞬間に 分かるでしょう その瞬間それと 接続したその時です 今私が話すのは 理論だけです

この事を話すのは 困難です 抽象的で 通常の生活において 体験する前のことを 説明するのは 今あなたが言われた 肉体的な関係が 無意味になるという 時点について お尋ねしたいのです それは印心前ですか または印心後ですか それは伴侶にも 強要されるもの なのでしょうか いいえ 昨日私は 既に言いました 「違います」 昨日私はその質問に 既にお答えしました 誰かを強要する 必要などありません 自然にそうなります 時が来たなら 赤ちゃんが生まれる そんな風です 時間が来れば あなたは成長します 大人になります あなたは子供に戻る ことなどできません 心配しないで下さい すべて正常です 大丈夫です 今 不自然なのです

でも彼がまだ 印心していないなら 私を非難できませんね わかりません それで今私は僧侶と 結婚したように感じて そうですか(はい)

お気の毒に思います 彼は間違っています 彼と話してみます 私は昨日答えましたが 恐らく ええ 私はどうしたらいいか 彼がしたくないのに 強要できませんが でも彼はこの辺に 来るかもしれません 時々男性はある期間 考え事をして過ごすか 仕事が多忙すぎるか または何か他に あるかもしれません 働き過ぎている人は プレッシャーを強く 感じるものです そうですね そういう事は 起こり得ます ええ ええ 私にはその事が 理解できます(はい) 万が一彼が 事故にあったとして 明日彼が不能に なったなら それを 受け入れられますが

こんな風に拒絶された 感じはしないでしょう 分かります 辛い感じでしょうね それは単にあなたが 望む性的な関係は 肉体的関係ではなく 家族の暖かさだから なのです ええ私達はこの話題に ついてもっと考慮する べきかもしれません 後でお話しましょう いいですか ええ一般的に 男性と女性は 結婚すると 肉体的な関係だけでは なくそこには 暖かさと思いやりが あります 瞑想の 名の下にあなたの 伴侶を見捨てるべき どんな言い訳もなく それは あなたの愛を示すこと 他者への思いやりを 示すことは義務なので 義務を果たすべきで そうすべきです

僧侶であろうと なかろうと他の人を 愛することは名誉な ことであり進歩です 名誉を傷つける過程は あり得ませんね あなたは互いに 愛し合うべきです マスターがあなたを 肉体的な接触に拘らず 愛するのと同じです 女性は肉体的な関係を 求めるのではないです 殆どの女性は性行為は あまり気にしません 私はその事を勉強し 証明できます 女性が望むのは注目と 愛あるおもいやりです 時にただ互いに 抱擁するだけとか 愛の言葉をかけ 互いを思いやるのです

とにかく彼女がこの 質問をしましたので 皆の質問でもあるので この話題を掘り下げ 高次の修行のために 愛がなく不親切でいい という誤解はされる べきではありません 私はあなたの努力と 誠実に真理を求める ことに感謝しますが いったん私達が他者と 関係を持ったなら 妻 夫 子供など私達は 以前よりも更に彼らに 愛情と思いやりを 持つべきです 私達の任務です 私達の精神状態は 進歩を示します 修行すればするほど 私達はより人々を愛し 更に愛情深く なります 逆はあり得ません

修行者として彼が僧で あろうとなかろうと 在家者であろうと彼は 石の顔をせず人々を 拒絶することもなく 冷酷に人々に対応する ことはありません これは誤りです 全くの過ちです 私が僧としてあなたに 常にそのように深刻に 話し聖人であるように 言うとしたら それを好みますか ただ普通でいます でももちろん誰にも 強要してはいけません 時に特定の境界で 行き詰まり動けず 出るのに時間がかかり 私達は人々が聖人に なることや一歩で 簡単になることなど 期待できませんが それは成されます

多くの修行者が マスターを知らない かもしれないとか 印心を受けないとか 適切な理解ができず 適切な修行が成されて いないなど恐らく 修行者になることに 誤解してるかもしれず 私達は全てを置いて 全ての関係に 冷静になるべきです それは真実ではなく 真実ではありません 中国哲学において 道徳経で言います 「心平常啊 平常心是道」 「平常心こそが 道である」それが仏陀です あなたが道に 到達した時 つまり開悟した時 あなたは更に開悟し 更にリラックスし 愛深くなる ことでしょう あなたは肉体的関係を 他者に求めないかも しれませんが

通常に行動し 責務を果たします とにかくこれを 理解するのは困難です これが分かるのは 困難ですが いつか分かります 神はそれほど 心が狭くありません 愛する夫婦が以前から していた事を禁ずる ようなことはしません 神に到達させるために 愛する夫婦を 引き離すようなそんな 残酷なことはしません 私達は大きな心で 神を愛するべきです そこには他者である 自身の家族も 含まれるべきです 私達が遠くの 見知らぬ者を 愛せるなら家族や すぐに愛せる者達を どうして愛せない ことなどありますか 分かりますか

あなたの意見と 違っていたとしたら 怒らないで下さい でもあなたが私の所に 来たので私は最高の ことを言わねばならず あなたが受け入れたく なくともです そして 私に質問するなら 真実を回答すべきです 自然でいて下さい 互いに愛し合い以前と 変わりがないように 真実を言えば 私が今妻になるなら おそらく私は最も 愛ある妻になれます 以前よりもずっと 私は今では人々を 愛する方法を知り 夫の愛し方も分かり 他者の愛し方も分かる からです

彼らの内在の 仏陀を尊重します 「妻の責務として」 「夫として」私の夫や 妻を幸せにします 分かりますか 慈善は家庭から始まる 人々に必要な物を与え 後に彼らは 私達が渡したものを 受け取ります 家庭の平和を維持し 調和のある無傷でいる 事も重要で でないと 片方のパートナーが 不幸せでいるなら 自身が幸せで いることは困難です 私達がサマディに 入っていても サマディから 抜け出した時も 誰かがそこにいて いつまでも残った感じ 非常に不快な雰囲気で 何か完全ではない 正しくない感じが しています

正直言って 夫婦間での性交為を するのは別に 構わないのです あなたが結婚していて 愛の行為であるなら でももちろんあなたが どんな種でも修行を するならちょうど ビジネスのようです 時にあなたは 仕事上で成功を 収めねばならず そして時には 他の快適な事について 忘れてしまいます 従ってあなたは 修行の進歩のために 時々開悟のために 時間をとって おきたいと望みます

もちろんあなた方は 両者で調整できる でしょう「互いに 愛しているけれど 私達は十分だと思う あるいは私達は一緒に 瞑想するのが最適だと 思う」というような 瞑想の後二人は 互いに愛し合えます 多くの異なる方法で バラや 抱擁あるいは 愛の言葉や見つめ合い ただ見たりという風に 愛の言葉はお金が かかりません それは 夫婦間においての 義務でもあります 互いに愛し合い 両者が肉体的な エネルギー消費の 時間を節約するために ある程度最小限にする 同意が得られるまで 両者がこう望めば より時間ができ 修行の励みになります

両方の道を進めます 分かりますか それはできますが 愛の理解で成される べきです 冷たい執着 要求を強要するような ことではなくてです しかし両者が結婚の 関係を保つ努力を しないなら維持して いくのは困難だと 理解しています あなたが結婚から 遠ざかったり 誤解により 壊れてしまったら ある日あなたは別離 せねばならなくなり 後悔するでしょう あなたは互いに とても必要と感じます そしてあなたが共に いるその時は当然の こととそれをするかも しれません でもとても重要なのは 一緒にいることで 共に開悟に向かって 努力することです

それには愛の 理解のみであり 他には何もないのです 言い訳はありません 「私は仏陀になりたい 君は苦しめばいい」 分かりますか 仏陀はそうしました 彼は非常に 急いていたからです 彼は非常に王である 彼の父母に支配されて いました 彼は外出も させてもらえなかった のです 彼はかつて一度だけ 外出を許され 外の世界は苦難で 満ちていることを知り 開悟して人々を 救いたいと思いました 彼は急いでいました あまり考慮せず 家族の元を去りました 分かりますか

全てから去りましたが あなたがまだ 家族といるなら 私達はまだ義務と 親密性を互いに果たし 責務を 全うすべきです あなたは優しく巧妙に それをすべきです もちろんあなたが 肉体的な関係を 持てば持つほど もっと疲れるかも しれません 時にはそうではなく それはその夫婦の間の 関係によります 高いレベルまで 修行すればそれが 無意味だと感じます それまであなたは 止められません 分かりますか 欲求がなくなれば もはや不必要ですから 人々が年をとれば 自動的にそれを 止めるのと同じです 分かりますか

彼らは人生の使命を 終えたからです 十分な子供たちを 得たりなど または彼らの代謝が 変化し彼らは既に 他の人生に入る 他の身体に踏み出して きているからです 若い人々が 性生活を抑制するのは 困難ですが あなたが瞑想のために エネルギーと時間を とっておく方が重要 だと分かっているなら それは可能です しかし夫婦両者が その事を理解すべきで 互いが 同意しているなら  それは良いと思います でなければ片方の パートナーがまだ 不理解なら彼らを愛し まだ面倒をみるべきで まず理解してもらえる ように努めます

私達がしたいように 考慮なしで他者の 感情を傷つけ強要する ことをしないで それは女性や男性が 愛を拒絶してるのです 分かりますか ひどい感情です 皆分かってることです 恋人にそれを する権利はありません 分かりますか 一緒に住んでいるなら 性交為がなくても まだ愛情が あるはずです 分かりますか 常にそれを 要求してはいけません 愛情の配慮だけが 重要なのです そうでしょう はい 時に  愛情を与えるだけで 満足しますが それを考える 必要があります

たとえ 私達が まだ肉体的な欲望を 超越してないなら まだ考えるべきです 時にパートナーの 健康と精神状態も 関連しています 時に 困難だったり 時に肉体的に 疲れ切っていて 私達は お互いに 困難な理由について 話す必要が あるのです 私達は愛のために 結婚したからです 私達は彼らを 愛したから 自分にそのような 生涯の誓約として 約束したのでしょう とても繊細な質問で すべての詳細を 話せませんが 愛情の配慮と 行動はいつも どの段階でも 必要なのです

一緒にいて お互いが必要なら 代価を払うのです その人が必要ないとか 本当に耐えれないなら 一人で 住むのことです はっきりさせましょう しかしあなたは 後悔するでしょう 一人になった時 とても寂しく感じます 結婚してても いなくても その関係において 面白い質問ではなく 必要な質問では ありません とても実質的な質問で 正当に尋ねられる 質問です なぜなら それぞれの レベルは違うので  私達に体があるなら 肉体の 反応があるでしょう 時に 男性と 女性がお互いに 触れなかった場合 肉体的な反応は ないかもしれません

しかし一緒なら たとえ 私達が 好まなくても それは発生します それを「化学反応」 と呼びます なぜなら  二つの身体は 化学的な物質で作られ 時にお互いに 引き寄せられます 磁石と鉄に似ています それを近くに 置きすぎると 起こる運命なのです まさに「ビュン」と 一緒にくっ付くのです これを知って あなたが独身だったり または僧侶か  修道士になりたいなら または結婚という 問題を避けたいなら それが厄介だと 思うなら 磁石の近くに 近寄らないことです

すでに近くにいるなら 一緒にくっつける べきです 引っぱれば 引っぱるほど厄介で すべての能力を費やし やわらぐ代わりに 引き出し 楽しみ 気楽でいます それで最善を尽くし 愛情と理解で いるかどうかを 避けるのです ほとんどの女性は 愛情が必要で 夫からの愛情こもった 安全な感情で  性交為ではないのです 恐らくついでに くるのです  または化学反応ですが 女性の主要な 欲望ではなく 特例の 可能性がありますが ほとんどの女性は 父親的な愛情または 配慮が必要なのです 夫が誠実で 妻を愛してるなら 何でもなしえます 全てなしえます

女性は男性より 愛情があります だから男性が 愛するより 女性が良く愛します 従って いつも 結婚願望があるのです そうですね 殆どの女性は 十分に愛されて いないと感じます 愛し過ぎて 愛情で 胸が一杯なのです だから子供に耐えます そうでなければ 愛情がどこにも 流れません  分かりますか そして 夫 男性は もっと実質的で 知的で もっと冷静で 女性は もっと 愛情にあふれて 慈悲深いので それで 時に 誰が求めているのか 求めていないのか 夫が正しいことをして いるか見つけるのが 難しいのです

ただ時に  お互いを理解するのが 難しいこともあります 考えが違い 肉体も違います 時に女性は  愛があり優しいです 生理中の時を除いて 女性は大変イライラし とても疲れ 不安定に なりやすいのです それで時々 女性が予測できない 気分になり 時に 結婚を 困難にする 原因にもなります このような時期の 女性は 喜ばせるのが とても難しく  愛情と注意を 非常に求めて来ます そして ただ 一人になりたくなり 愛ある注意だけでは なくなります ただ平和と一人の 平静が良いのですが それは一時的な ことなのです

従って お互いの 肉体的な要求を 知るべきなのです 反応 そして精神的な 欲求と反応です そして人間の 弱点と機嫌を理解し またカルマ(報い)を 理解し  結婚関係を 解決するのです 結婚関係に心を 配るのは難しいのは 知っています 時に 国を統治する時でさえ なぜなら 国を統治するとき 必要なのは誠実さ 政治的才能 良い心 そして 良い助言だからですね しかし結婚では 助言者はいなくて 二人しかいなくて 時に 他人に 言えない事もあり お互いに話し合う 必要があるのです コミュニケーションは 常に必要です

難しいのは知ってます 私は結婚生活を 経験したことがあり 時にパートナーと 話すのが 難しいこともあり 月に行くより 難しいのです 距離を感じます そうですね 困難を感じます あなたに 言語の才能があり パートナーが 口を開くことが 難しい時を除いて しかし試すべきです その人があなたを 動かしたら それが困難でも すぐに 動くべきです 寛容であるべきです お互いを愛し 結婚を理解し 他のどこにも平和を 求めないことです 本当です 一人の パートナーを持ち それで 示し 作り上げる 方が良いのです 他の人がいたら 不幸に感じます

二人目の人に 悪いと 感じるからでしょう 彼女がどんな姿であれ 過去に自分を どう扱ったか関係なく 彼女は大変後ろめたく 心苦しく思います またお互い 習慣的になっていて 今新しい人がいても その習慣は 同じではありません 互いに引かれ合う かもしれませんが 新たな習慣は 自分に厄介事を招き 時には 過去の相手の 古い習慣に執着し そうして新たな習慣に 執着して 過去の相手が 戻ってきた時に 新しい方が恋しくなり 新しい方に行けば 過去の方が恋しくなり とても苦しみます これは厄介です

結婚相手に加えて もう一人とかもう半分 など知らないように 忠告します これは私ができる 最も賢明な忠告です つまり 婚姻に関してです それで大勢の人は すでに賢いかも しれません ある人達は過去の 困難な婚姻を通して 賢くなったので今は 避けてるのでしょう それゆえ僧侶になった のかもしれません 彼らはきっと婚姻の 十分な経験を 得たので もうそんな学習体験や 実験は 必要ではないので 今生では 結婚しないのです 独り身で満足です でもすでに結婚 しているなら 一緒に いるように努めます

どんなに困難かは 関係ありません トルストイは非常に 難しい妻がいて 非常に気難しく ある日彼は 友人と話をしました 妻はひどい姿を 見せました つまり とんでもなく 彼の品格を落とし 友人の前で 恥かしい思いを させたと そう聞きました それで友人は言います 君は奥さんより大きく 彼女は小さいだけ なのになぜ君は 力を使って あの悪魔を押しやって 追い出さないんだ どうして一切を 我慢するんだ」と トルストイは「シー 声が大きいぞ かつて私は前世で 試してみたんだよ それで今 二倍に なって返ってきたんだ 二度としない方がいい そうでないと 来世では 三倍返しだ」 こう言いました「私は やったら絶対に 逃げ出せないから 耐えねばならない」 三倍です

それに常に より多くえるので 耐えようとしました いわゆる「ひどい 伴侶」をお持ちなら  またそれでもどのみち 相手が必要なら それは互いに 前世の関係なのです 清算せねばなりません だから耐えるよう努め 早く負債を返すために その人を満足させる様 全力でできることは 何でもして下さい 敵を撃退する最善策は 相手を自分の味方に すること そうですね 味方にするのです ひどい妻を何とかする 最善策は 妻を喜ばせたること あるいはひどい夫を 喜ばせて 相手の 全ての要求に従えば 自分の見方になります

子ネコのように 満足するのに飽きて そうしてあなたは 自分の望むことが 相手とできます この質問で 満足ですか ええ 他に質問は はい マスター 私は非印心者で 基本的に あなたの教理は何か また 耳にした 観音法門は 何であるか知りたくて ここに来ました ええ 一分ですべて お話できますよ なぜ受付に 尋ねなかったのですか 大筋をお話します まず 私達の教理は 全く教理ではないです 聖書を手にとって読み それを 自分の教理と言えます 仏教経典を手にとり これが私の教理とも 言えます それで全て構いません

あるいは孔子 老子 だれでも構いません 私自身の認識以外 それらがなす事として 私は基本的に 同じ事を話すからです 知的理解だけでなく またオウム返しだけ でもありません ですから基本的に 教理です そして私達の印心は 自分が持っている 内なる神の力との 繋がりを 与えることです 神は 神の王国は 神の王国は 内在するからです 仏陀もこう言いました 「仏陀は汝の心にある」 違いますか つまり あなたの心の中です だからお話します

私達は仏陀の見つけ 自身のために働かせる 方法を教えます 仏陀を呼んだり 崇拝する代わりに 自分の友達や 同僚にします  そして二人でどんなに 多くの驚異ができるか どんなに多くの奇跡を 体験できるかを 人生がいかに 円滑になったかを あなたがいかにより 知的になるのを いかにより賢く いかにより生死と 宇宙などに関して 理解しているかを 自分が知りたいと 思うことは何でも 知ります いいですか  それが印心です また光を見たり 内なる音を聞くこと 光なき光 音のない音から 成り立ちます 自分で体験する時だけ 知るのです 言葉では 言い表せられませんし 自身をより賢く より安全に 愛深くなどします

世界の主な河川が消滅 しつつあり 1/3が 断流またはその危機に 三〇億人のための  井戸水は 枯渇しつつある 世界十大水系が 消えかけ 減退している --- --- --- ---

 
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