智慧の言葉
 
悟りを取得するには遅すぎることはない    Part 3
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マスターの 講義の前に 修行仲間の李さんに 彼女が印心する 前後に得た体験を お話し頂きましょう では彼女を温かい 拍手で迎えましょう 先生ですね マスター お集まりの皆さん こんにちは 前回 マスターが 講義された日のことを 思い出します 私は仕事を終えて 参加するつもりでした でもあいにく 業務を取り扱う 上司がとても もたもたして 講義に遅れて しまいました 遅れて着いたのです 私は遅刻に慣れて いなかったので 恥ずかしく思い会場に 入れませんでした

家に帰る途中 私は考えました 「これで良かった のかもしれない どうせ講義なんて どれも同じじゃないか 家に帰って 英単語を いくつか覚えて 明日の教材を 用意をする方が 良いのかも しれない」 そう結論付けました そして用意した後 眠りました ところが翌日のこと 折りよく 同級生がその講義に 行っていて 私への伝言を 人に 託してくれたのです こう書いてありました 昨日の講義は 素晴らしかったですよ とてもユニークで マスターは魅力的で ユーモアがあり 話の全てに 論拠がありました

聞きに行くべきよ 講義はとても力強く 絵をどう描き始めるか 教えるようで 実に明快でしたよ 私は思いました 友人がそう言うなら 次の日は 必ず見に行こうと 翌日 私は六時すぎに 講義会場に着きました 思いがけず 理由は分りませんが マスターが遅れました 友人に言いました 偉大なマスターも 遅刻するのね 私の言葉を聞いて 友人が言うには イライラしないで いいわね 少し待っていれば マスターはちゃんと いらっしゃるわ 私は座り 待ちました すると本当に マスターが来ました 彼女を見た時 思いました  まあ  まるで十三、四歳の 少女のように見えるわ それに顔は色白で ほんのり赤いわ とてもかわいらしい 私は彼女を  インド出身の 有名な転生した活仏に 違いないと思いました 私は自分に座って 聞くよう言いきかせ 腰を下ろしました

でも 講義はすぐには 始まりませんでした 代わりに体験の 報告が始まりました その後男性修行者が 舞台に上がりました

彼は色々な事を 長々と話しましたが 何を言ってるか 理解できませんでした

以前の私は 自分の事以外や  自分の観点から はずれた事は 全て ゴミに思えたからです 私はそういう 人間でした でも今では 私の目と 心を開いてくれた マスターに 感謝しています 彼女は誰もが この世に自分の 課題を学びに来ている と話しました ある人々は大学で 学び 他の人々は まだ幼稚園にいる ようなものです でも自分が大学生 だからといって 幼稚園や小学校を 価値がないなどと 思ってはいけません

そう話しました 更に続けて  宇宙の真理を 完全に理解するまでは 自分が大学生なのか 幼稚園児なのか それとも 幼稚園の 門にさえ入っていない 人間なのかも 分っていません どうして人の評価や 批判ができるのかと マスターの 講義を聴いて  本当に感動し それ以来 私の人生観は 正されました 人とうまくつきあい 人を受け入れられる ようになりました 本当に変わったのです

マスターが 話し始めたら 全て変わりました マスターはとても 愛情深く誠実です まるで 偉大なマスターが 講義しているのでなく 友人がおしゃべり してるようでした 私は心底感動して 耳を傾けました0 学ぶべき多くが あると感じたのです

それで次の日 三回目の講義に 出かけました 三日目の講義の時 心の中で ある事を ずっと祈っていました 何を祈っていたと 思いますか 前日 壇上に 立った人が もう上がらない事を 望んだのです もしそうしたら 本当に耐えられません ところが何という事か 私の望み通りには なりませんでした 彼はまた舞台に上がり  前日以上に パワフルに 話したのです

私は原則がありました なぜそんな原則を 持ったか分り遅れてもませんが 誰かが三十分 遅刻したとは 思いません 誰かが下らない おしゃべりで三十分 時間をむだにしても 許します でも三十分を 超えたら もう承知しません 私は人をそう 扱ってきました それで時計を 見始めたのです 最初の日に 私は友人に 腕時計を見せて 示したほどです 「もう少しで三十分よ」 でもその人は 全く気が付かずに しゃべり続けました

それで私は静かに 一、二、三と数え 三十分経ったら 他の人が 拍手しようとしまいと 必ず拍手してやろうと 決めました 私が三つ数えた時 不思議な事に 後ろの誰かが大きく 手を叩きました 私は 素晴らしい やっと同じ思いの人が 現れたと思って 私はすぐに立ち上がり 拍手し続けました

皆が拍手を やめた時 その修行仲間はまだ 話し続けました なぜ マスターは彼に 続けさせました それで続けたのです それからマスターは コメントをしました 「あなた方 仏教徒は なぜそれほど せっかちなのですか」 私は恥ずかしく思い しかし 他の考えが すぐさま浮かびました 仏教を学ぶ 目的が 感覚を 鈍くさせることなら 今は自由気ままに した方が良いだろうと そして 未来の心配は 後に回すのです

未来に何が 起こるのか 誰も わからないからです 私は自分に言いました 感情を麻痺させ 自身を欺くために 仏教を学んでいるなら 私が社会奉仕 していた時に出会った 無意識の人々こそ 最もそれに近いのでは ないかと 彼らは悟りの境地に 最も近いです そういうことなら 私は仏教を学ぼうと 思いません 地獄に 行く方がましです そう自身に言いました 私は今 好きなように しようと思いました

しかし マスターが コメントをした時 少し悲しみました 仏教を学ぶには 修行の方法があると 私は信じて いたからです 私達が時間を掛けて 修行すれば  性格が変わって行き 努力なしに人々と 付き合う方法が 得られるでしょう 自分に 厳しかったら 時に なぜ好まない 事をしているのかと 考えたりすると 思います そうですね こう感じたことが あるはずです あの瞬間 私は そう感じたのです 私は仏教を学ぶには 技法が必要だと 思い込んでいました 私がこの方法で 修行をする限り 私は間違いなく 気付かぬ間に 徐々に変わるでしょう

今では 現実が 私が静かに変わったと 証明しています マスターが観音法門を 教えてくださった事を ありがたく思います 二日目の 講義の後 私は学友と共に 家へ帰りました 私達は互いの人生観と 素晴らしいマスターに ついて長い事 話していました その時 私たちは マスターについて ずっと話していました 私達の人生は大きな 不可視の車輪によって 回されていると 思っていました 偉大な力 偉大な方法 或いは 私達を 引き抜く大きな 力が無い限り  私達は永遠に円の中を 回り続けます そして私達の前にいる 偉大なマスターが 手伝ってくれそうです

講義の時に マスターはその日の 講義で私達一人一人は 完全で完璧に作られた 光のようだとはっきり 説明したのを思い出し だから今 誰かが私達を 電源に差し込んで くれたら 私達は 偉大な宇宙と 通信できます わあ 「本当かしら」 もし そうなら 本当に素晴らしいと 私はそう思いました マスターはこうも 言いました 法の系統を受け継いだ 人が あなたに その方法を教えたら あなたの智慧眼は 開かれるでしょう 智慧眼が開けば 貴方は宇宙と 良く対話する ことができるのです あなたはもっと 穏やかになれ 気楽で 平和でいられます 本当かしら これは 私が求めているもの なのかと考えました それで 私は 印心を申し込みました

私の演説が長いなら 私みたいにイライラ していないと願います 今日の演説を 書いてる時に 誰かが私をステージ から降ろすのではと ずっと考えていました もしそうなら・・・ 悪いカルマ(報い) そうです 地獄へ行っても良いと さえ言いました 私が今言ったことは 抽象過ぎるでしょう もっと具体的に 話しますね マスターは弟子達に この世界を超越した 内面のビジョンを 語らないよう勧めます ですから 私の日常で 実際あった体験を 皆さんに話しましょう

印心を受けた 数日後に 私は食事の為に 菜食レストランへ 行きました そこで 仏教について 一緒に学んでいた 友人に会いました 私は彼に尋ねました 数日前に マスターチンハイが 講義を開きました 聞きに行きましたかと 彼は「ええ しかし 彼女の訛りが 強すぎて 彼女が 何を話しているのか 理解できませんでした また 経典を朗読 してはいけない 朝晩の読経をしない ようにと言いました」 不思議に思いました なぜそんなに違いが あるのか感じました マスターが講義を していた時 彼女の北京語は 時に 堪能でないので 表現できない ところがあったのは 本当です

それが起きた時は 私は胸の中で 彼女の文を完成させ 不思議な事に   私の思った事は 次にマスターが話した 事と全く同じでした とても不思議でした 同じ講義に出たのに なぜこれほど大きな 違いがあるのかと 不思議に思いました   彼は朝晩の読経を しないよう 人々に 教えたと言いました また経典を読むなと しかし 私が 聞いたのは 私達は 経典を読むべきだ 仏教の経典を読み 経典を理解するには 私達はまず 悟りを開くべきである そうしてやっと 全てを理解できると マスターはそう 言ったので 私は 印心を決めました なぜ あれほど大きな 違いがあったのですか

かつての 私の気質なら  その時彼と口論したり テーブルをバンと 叩いたでしょう 彼があまりにかけ 離れていたからです さらに カセットテープでも それを証明できました でもその時私は静かに 料理を食べました 印心後は とても不思議です 私は以前 とても論争的でした 辛口発言で 有名だったのです

本当 以前人と議論を するのが好きでした でもその時 私は ただ料理を食べ 彼は 私の分を払おうとし 私もそうさせました 彼が去る時 ちょっと見ただけです それだけでした でも今は 本当に 彼もここにいて 彼が間違っていたと 話せたらと思います 以前 教典を読んだ時 私は心の中に 沢山の 切望を抱えていました なぜなら私は仏陀の 境界があることを知り それを本当に 理解したかったのです 以前は旅行が好きで いろいろな所に 級友がくれた経典を 持って出かけました

どこでも行った場所で 私はその経典を開き 数ページ読んでは 脇に放って置きました でも マスターから 印心を受けてからは 私は経典の魅力を発見しました 時には 長時間 身を隠そうと したものでした マスターから 印心を受けた直後 私は長い間 身を隠したのです 級友が私を見た時 こう言ったのです 姿を消していたのね そうではありません ただ家にいて経典を 読んでいただけです

その気分といったら 本当に最高でした 以前は 何度読もうが 理解できませんでした でも今は 彼らとの 交流を始めている ように思われます 楽しみは教典を読む だけには留まりません しかし私は以前 ヒマラヤで 偉大なマスターが どう修行したかを 読んだことがあります それを読んだ当時は ただ生き方の類を 伝えてると思ったので 私にはあまり 意味がないとは 言えないのですが 感動しませんでした それはただ 生活の別の側面です それでマスターから 印心を受けた後で その本を読んでみると 感動して涙しました

とても感動し 泣き続けました そのような境界は実に 美しいと気付きました

また そのような 体験があったのは 私だけではないのです マスターは 加護の体験を 話すなと言いました でも 私の人生での 体験はとても感動的で 共有すべきです ある日 私は 聖書学のクラスの 聖書学のクラスの 友達と話をしました 彼女は長い間 聖書を学んだけれど 主について理解できず とても退屈だと 思っていました そこで私は言いました 私のマスターから 印心を受けるべきよ そう彼女に言いました 彼女は二カ月間 先延ばししてましたが 最終的に 印心を受けました 彼女は印心後 私に何を言ったか 分かりますか こう言ったのです

長い間分からなかった 部分が突然 理解できたのよと 彼女はカトリックの 学校で教えています 毎日食事の時に 食べる前に尼僧らと 聖書の一節を読みます 素晴らしいことだと 思いませんか これは比較的 具体的な例です 以前旅行が好きでした でも本当は 家に帰る のが嫌だったのです 私には両親がまるで 闘鶏みたいに 思えたからです テレビを見ている時は いつも 父はすぐさま 口を開けていて ただ父が話している 時はいいのですが 母が一度何か言うと さあ 大変 私の耳は 故障します 両親は互いに 争い続け それは とても厄介でした

その後 私は印心し マスターは私達が できる限り修行すれば 五世代は加護されると おっしゃいました 自分が気楽でいる限り 五世代のことなど 構うものかと思い 私はマスターの教えに 従い 熱心に 修行に励みました 宿題を全部しました 不思議なことに両親は 争いを止めました 驚きです そして 一緒に 休暇にさえ出かけます 今は テレビを 見ていても 部屋に 隠れなくていいのです

今では 違う世界みたいです 今日はそれを皆さんに お伝えしたいのです

こういったことは 私が個人的に体験した 福報です 加えて 修行仲間との関係は もっと素晴らしいです

皆さんもマスターから 印心を受けられると 願っています たとえ私がしたように 試したいだけでも 今は 道を歩いて 人々が争っているのを 見ると 以前は間に入って 審判のように振舞った ことを思い出します 思い返せばすべての 理由は観音法門を 修行してないせいです 修行していれば そんなことはしません 本当です 私は本当に この世の誰もが マスターから印心を 受けるよう願ってます

それで この世界が 平和になれば 法律は必要ないのです 何と素晴らしいこと いいですね 話し過ぎはダメです 講義を聞いた後 皆さんが印心の 申し込みをするのを 願っています 将来 私達は 修行仲間になれます そうですね そして一緒に おしゃべり出来ます その時には皆さんは 自ら素晴らしい 変化を体験できます それが一番の真実です

ありがとうございます いいでしょう 三十分以内ですね

では最高の崇敬を込め 講義を賜るために マスターを 歓迎いたしましょう それでは賞賛の 拍手でお迎え下さい 皆さんの忍耐に 感謝いたします 更に一時間 話を  聞けますか(はい) 講義を聴くには 忍耐と誠実さが 必要です だからこそ 利益があります そうでなければ 菜食レストランの 彼女の友人のように なってしまいます 私の話すことの反対を 聞くことになります さあ目を閉じて 祈りましょう 至高のパワーに 加護して下さるよう 智慧を開いて下さいと そうすれば 講義を 理解できますから ありがとうございます

今日は ひどい雨降りです なのに 皆さんは わざわざ来たのです どんな仕事をする時も 私達は集中すべきです 講義を聞く時だけでは ありません 時には テレビを見るときでも 内容を理解するために 集中が必要です 独り静かに 神聖なるメッセージを 聞きましょう テレビを見ながら ラジオを聴き そうしながら同時に 新聞を読む人達も いますね そうでしょう 結局 新聞に 何が書いてあったか ラジオで テレビで 何を言っていたか 全くわかりません 多くの人が私の言葉を 理解できないのも そういう理由です 私の本を読み はっきり 書いてあっても 理解できないのです 残念なことです

ですから 時々 聞いているようで 私達は聞いていない こともあるのです

簡単な任務ではない それが感覚ある衆生を 済度するのは難しいと 言われるゆえんです

彼らは 重要なことに注意せず 重要なことに注意せず 注意する必要のない 事だけに 注意を向けます

ですから 他の人の話すことや 批判は聞く必要は ないのです 私達は自分自身で 批判しましょう 自身で聞いた時でも その理解は間違ってる 事もあるのですから 他の人の理解など 言うまでもありません 経典とは人々が 二五〇〇年も前に 聞いた事の記録です 分かりますか 今や 何度も何度も 語り伝えられています ですから時々  人は聞き違えるのです 最初の人が 聞き違え 二番目 三番目 そして四番目の人は 更に迷っていきます ですから時々 経典を読むと 混乱するのです この章では こう言っているのに 他では逆の事を 言っていますね

でも そうは言っても 内容が沢山なので 互いに相反する 内容もあります 悟りを得たら 理解できます その真の意味を すぐに理解します 誤訳であれば すぐに分かります または そんな風に 聞き違いであるなら それもはっきりと 分かります ですから 講義を聞く時 経典を読む時 誰かに学ぶ時には 私達は本当に 誠実に 敬意を持って 集中しているべきです 聞いたことが 間違っている場合 注意すれば 分かります 判断できます 言っている事が正しく 自分が誠実で集中して いるなら分かります

判断をするには 頭よりも 智慧を使うべきです 誰かの言うことや 噂話を聞くにもです この世界には論争と 噂話が絶えません 時間があるのでしょう 霊修行をしないので 噂話をする暇は 一日中あるのです そういった人に 振り回されないように 私達は霊修行者です 勇気と新鮮な考えを 持つべきです 自分自身で 真実を探すべきです 私は真実を見つける まで 三十カ国以上を 探し回り ついに見つけました しかしそれは 多くの場所を探した 結果ではなく 私が 騙されなかったからで 鋭い判断をし 言ったことを鵜呑みに しなかったからです

私にはただ一つだけ 聖なる信心があります 人間の中の 仏性を 信じているのです 全ての人にある良心を 信じているのです 内面は皆高潔であると 信じています その人がどんなに 悪人であっても どこかしら良い品性が あるはずです この信念は 譲りません この事に関しては 強く信じています 一方で 人々の智慧のレベルは 沢山の段階が あるので その人の 理解レベルによって 当然違ってきます ですから 真理の探求の途中では 私は 尊敬の念を示す前に 誰の講義が本当に 論理的で智慧があるか 確認しました 何でもかんでも 信じたりしません

数週間か 数年しか 修行をしてないのに 本を書くような人に 私は魅力を感じたりは しませんでした ですから 私達は 探求せねばなりません もしあなたが 修行している法門に 満足し 内面の幸せに到達し 平和と慈悲心を 手に入れているなら その法門正しく 完結できるのです 満足していないなら まだ探し続ける 権利と義務が あるのです 私達は自分で自分の 世話をすべきです 誰もそんな事を してくれませんから 悟りを開いていようと いまいと 真心は 仏や神に届きます 私達が望む  悟ったマスターや 求めている真理へ 彼らが導いてくれます 沢山のいわゆる 個性の強い人たちが 決して悪い人という 訳ではありません 昨日言いましたが 彼らはより 知的かもしれません 分りますか 例えば  先ほどの先生の お話のように 彼女は良い人です つまり 比較的 知性的なのです

スピーディーなので 他人の 亀のような遅さに 耐えられません だからキレてしまい 爆発するようです 実際 彼女は 率直な性格なのです 止まらない話に 飽きたのです 我慢できません でもこれはある種の レベルであり 修行すればするほど 他人に 寛大になります でも寛大である事は 無駄話を聞かされて  時間を無駄に するのとは違う事です 他人に寛大にするとは 人の悪口を言わない 名誉や命を傷つけよう  としたしたりしない という事です でも人のでたらめな 話を賞賛すべきでも ありません

私の話が 道理にかなっていると 思うなら 集中して聞くべきで それで得たいものが 得られます 講義で 言葉を 使う以外に 私はもう一つ 言葉のいらない いわゆる禅の力を 使って 聴衆の 智慧を少し開いて レベルを上げます 内面に眠っている ある品質を 発達させます

誠心誠意であれば 私達は無形の 恩恵を受けます 私たちの内面には 智慧があるからです それを使って 講義を聞くべきです それで人のレベルを 判断すべきです 講義を聴くのに とても複雑で煩わしく 混乱していて 汚染された  人間の頭脳を 使ってはなりません 人の修行のレベルは もっと判断できません

ほとんどの人は 観音法門を修行して いなくても 又は 開悟していなくても 自身にこの智慧があり ただ眠っている だけです この智慧は いわゆる「仏性」とか 「仏」「神」 「神の最大の愛の力」 または 「観音菩薩の慈悲心」 と呼ばれています 全部 同じ意味です それに触れられたら それとつながれば 私達は違う人間に なります もっと愛があり もっと忍耐があり もっと智慧があって もっと寛大です 何でも備わります もっと力があり もっと神通力が 備わります 誰かを助けたいと 思わなくても 近づきさえすれば その人を 助けます

 
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