智慧の言葉
 
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私は洗礼を受けた キリスト教徒です あなたの印心を 受けられますか

もちろん 差し支えないです あなたは内面で イエスに会え そして 彼と話もできます 印心は正しかったか 聞くこともできます 私の多くの弟子は 瞑想の時 イエスと繋がります

印心の時もそうです 瞑想の時 私達は内面でイエスや 仏陀と繋がります 五戒の中の最後の 戒律は心身を酔わせる 薬物を禁じています しかし麻薬が 心を平静な状態にして くれるのも 事実ではありませんか それを どう線引きしますか 麻薬のことですか 私はこう言います 麻薬は霊性の成長に よくありません 麻薬がもたらす苦痛は 喜びを遥かに超えます

暫くまたは 一日ぐらいは 喜びの状態にあるかも しれませんが 苦しみが その後ついてきます とても恐ろしいです 麻薬使用者に もたらされた苦しみは 皆が知っています だから私達は 苦しみを伴う薬物を 遠ざけるのです 私達はいつも 内面の偉大なパワーと 接していれば 麻薬を使用するより もっと幸せで 歓喜を感じます この方がいいのです 人々が麻薬を使うのは 天国の喜びを 渇望するからで あっちこっちで 安い代用品を探します

これが麻薬を使用する 原因なのです 彼らが 天国の喜びを得ると それを捨てます この方がいいのです

幼い子供を持った 母親はいかに時間を 見つけて瞑想しますか いかに 修行を続けながら 子供を疎かにせずに 済みますか 子供が寝ている時 瞑想するしか ありません でないと まったくできません 多くの母親が 私達と瞑想しています 彼女達はもっと パワーに満ち エネルギッシュで 子供の世話ができ 愛することができます すぐにエネルギーを 使い果たしたり 疲れたりしません 問題ありません 皆に子供がいます 子供のいない 母親はいません 私達は自分と 子供のために何かを しなければなりません

あなたが瞑想すると 子供に大きな 影響があります 子供はより穏やかで いい子になります そこで気力を 大いに節約し 子供に何が起きるか 心配しません なぜ人は皆 同じではないのですか つまり なぜ異なる 人種がいて貧しい人が いて動物がいますか これはどこから くるものですか この質問は 七歳のヨハンナちゃん からです 私達は色んな人種と 違った顔立ちがあり だから人生は 面白いのです 皆が同じで 皆が黒人だとか 白人だとすると ちょっとつまらない そうではありませんか 貧しいことは 前世の行いに よるものです 変えられません

しかし道徳的な 生活をすると 未来を変えられます 霊性の面で 成長すると自分の 未来を変えられます この世界に奉仕すべき とあなたが言ったのは どういう意味ですか 自身の偉大な力で よりよくこの世界に 奉仕するという意味で どんな事でも自分の 偉大な力を使って 奉仕すると よりよく奉仕できます こう言ったと思います しかし必ず奉仕すべき とは言っていません 私達は自分の才能で 奉仕します 例えば 医者は患者の 世話をすることで 世界に奉仕し 農夫は田を耕すことで 世界に奉仕します 開悟を見ることは オーラを見るのと 同じ方法でですか オーラは違います でも開悟した人々には その周りに強い光が あります それは オーラとは違います オーラは誰にも ありますが 開悟した人の強い光は違います

光ははっきりと明るい 悟りが目に見えて 現れるものなのか どうか 知りたいのですが もちろん そうです では 私が印心したら私の周りで悟りを見るのでしょうか 目に見える 光もありえます 開悟した人は周りに 光があるからです しかし人が光を 見るには第三の目が 開かねばなりません でないと見えません だから人々は イエスを殺したのです 彼の周りには強い光が あったのです 人々には見えません 誰にでも見える わけではありません 一部の人は見えます 精神的に病んでいる 誰でも あなたは瞑想を提案しますか 彼が私達の修行や教理を理解できるなら 勧めます 陰陽の バランスについて もっと説明して 頂けますか

陰陽とは肯定と否定の 力を指します

私達が余りにも長く 否定の側にいると 冷酷になり みっともないことをし 自分や人にとって 不利な事をします

そして余りにも長く 肯定の側にいると 余りも神聖で 分かりますか この世界にいたく なくなります するとこの世界に 奉仕できません

世界に対する見方が まったく違うからです すると何もしたく なくなります 天国にいる人達は この状態にいます 天国に住んでいる人は 余りにも肯定的で 否定の面はありません 高いレベルの 天国にいる人達は 否定面がありません この世界の人は 否定面が肯定面より 多いのです 否定の面と 肯定の面の バランスが取れれば その時こそ開悟した ということです 私達は天国にいながら 同時にこの世界に 奉仕できます これが開悟の道であり マスターの道です どのようにすれば 毎日神と繋がれますか 瞑想を通してできます 私達は毎日 神と繋がっています

瞑想が一日二時間に 足りなくても 効果がありますか はい 効果があります もちろん稼いだお金が 少ないので 使える お金も少ないですが あなたは衆生の肉を つまり動物の肉を 食べてはいけないと 言いましたが 植物も衆生では ありませんか これは植物を傷つける ことではないですか そうです ではもう 食べないで下さい

それで瞑想するのです 印心を受けてから すぐ往生しますか あまり狂信的に ならないことです お願いします イエスは菜食者で 仏陀も菜食者で 私達も菜食しています そして聖書には 神が植物と果物を造り 私達の食べ物にした そして私達はそれを 食べていいとあります 植物は枝を 切り取ると 三つも四つも六つも 新しいものが生えます これは植物の 生命力の象徴です その生命力を食べると 私達も生きて 活力に加わります しかし動物の頭を 切り取ると 頭が三つも四つも 生えたりしません だから植物を食べます

否定と邪悪について もう一度詳しく ご説明いただけますか 否定的と邪悪は 何ですか あまりよくない 力のことです

愛もありません しかも多くの破壊的な 性質を持っています 例えば地獄の人々は いつまでも 否定的な面で 生きていて いつでも 苦しみに満ちています 天国の人々は いつでも 肯定的な面に住んでて ずっと満足した 状態にあります 地球に住んでいる 人々は 時には否定的な方に 住んでいます 私達は瞑想の時 神に接します それで中道を歩みます 私達は時には 否定的な力を使い 時には肯定的な エネルギーを使います この世界で 私達は時には いわゆる悪い性質を 使って仕事をし 時には いい性質を使って 任務を果たします

要するに否定は よくない事で 肯定はよい事で 私達を満足した 状態にし 幸せにします 否定は私達を 重たくし 落ち込ませます なぜ見方が よく変わるのですか たぶん環境が いつも変わるせいです 私達は違った状況に 遭遇すると 見方も変わります 日常生活の中で 目を開けて瞑想する ことができますか つまり 意識を集中して 完全に神に 向けることです 普段仕事をする 時にです できます 私達はもういつも 仕事をしていて いつも目を開けてます しかし瞑想を 始めたばかりの時は 目を閉じた方が 周りの活動に 邪魔されずにすみます

でも後で私達が 高いレベルに達すると 目を開けても天国を 見ることができます その体験は目を閉じて 瞑想した時と同じです 一定期間練習すると これができます

人は死んでから どこに行くのですか

いつ輪廻するのか  どれ程時間がかかるか どう分かりますか

人によって違います 瞑想する人はすぐ 真の家や 天に す真の家や 天に 天国に帰ります その他の人は 違う方向に行きます ある人は天国に行き そこで数百年か 数年間生活します これは彼らの今生での 行いによります 彼らの人生によります 人生で良い事を した人は 天国に行き 悪い事を沢山した人は 必ず「修理店」に 行きます 私達は そこを地獄と呼びます そこで肉体や 心理や精神を 修理します あなたはUFOが あると信じていますか 彼らは私達に何らかの 影響を与えますか 彼らは存在します

UFOを製造する 惑星が多くあります それで 彼らは 時々 情報を 収集するために 私達の地球に来ます たぶん 彼らは 将来私達にUFOを 売りたいと宣伝 したがっているのです すべては 運命づけられてますか なぜ 私には 多くの ことが起こる前に あらかじめ分りますか 何を意味しますか

この能力を持っている 人は何人かいます おそらく あなたが前世で 未来が見られる方法を 練習し それで 現世に生まれ変わる時 あなたは この能力を 持つのでしょう それであなたは未来の ことを見るのです

私は病院で働き 台所を掃除しています 私は印心のための 資格がありますか もちろん それは 職業にすぎません あまり気楽な感じが しなければ 後で 職業を変えることが できます より適切で よりよい 仕事を得ます それは あなたがこれ以上 魚を料理し 肉を 切りたくないからです それでたぶんあなたは 気分がよくないのです

印心後 私達は霊的にもっと 進歩します 以前より もっと敏感になり たぶん 気分が悪いと 感じるでしょう

印心後 人はどんな レベルにいますか あなた次第です 印心の間マスターの 力はその弟子がどんな 処理を必要とするか 分かっています それで 隣同士で座る 二人には 異なった 内面のレベルがあり 異なった境界を 見るのです 彼らは異なった 背景を持つからです このレベルは まず 彼らの前世によります そして今生での 霊性に対する 誠実さで 決定されます それは人々の間でも たいへんも 異なるものです

憂うつはどこから 来ますか 自分自身によって 作られますか 自分自身にも 環境に よっても作られます

でも実際は 自分自身によります 私達が自ら 現在の環境を作って 選択したからです 私が音と光の瞑想を する時 どのように 音と光は直接 神から やって来て 私自身の 想像から作られた ものではないと 分るのでしょうか この光を想像するのは 簡単ではありません 簡単ではありません それで私達の大多数が この光を見ないのです

私達の大多数が 光を簡単に作れたら 私は何も言う必要が ありません 簡単ではないのです 光が来るとしたら それは神からなのです 更に それを感じます とても重要なのは 光ではありませんが 光は私達の 霊的生活にとって 滋養品のようなのです ちょうど身体を健康に 保つために食べ物を 摂取するのと同じで 私達は光と天国からの 音楽で私達の魂も養い 私達の智慧を再び 目覚めさせるのです 私達は光を見て 音を聞く時 気分が良くなります 以前と違って より良くなります 非常に愛深く 非常に知的で ますます許容性があり ますます全ての 良い品性が増えます

そして 私達は 光が正しく 天国から 来るのが分ります それを感じるでしょう 新たに生まれ変わり エネルギーに満ち溢れ 非常に幸福に感じます そして真の光と 真の神の品性が 私達をこの状態に してくれます ありがとうございます とても優しいですね とても愛して下さって ありがとうございます 瞑想中いつもめまいが します 何か間違って いるのでしょうか たぶん あなたは 自分に合わない 瞑想方法で 瞑想して いるのでしょう あなたは他の方法を 探せます 私達と試みて下さい より良いでしょう めまいはなく ただ垂直に上昇し まっすぐに進みます すべての人は 無実で生まれます なぜこんなにも 不公平があるのですか 彼らは障害 誤り 視覚 聴覚障害で 生活しなければ なりません はい すでに議論しました 私達の生命は無限です

私達はいつも戻ります そして前世での行いを 忘れてしまい 正しくないと 不平を言うのです 恐れにどう対処するか 恐怖を抑圧すれば 気楽になりますか 恐れに対処することは 容易ではありません 悟りを開いた後 「領主」になってから 初めてすべての感情を コントロ一ル できるのです その方がより良いです でなければ 常に恐れに埋められ それを避けられません 以前 私も多くの 恐れがありました 今でもまだあります しかし以前の恐れは 抑えたり 統制したり できませんでしたが 現在は制御できます 例えば 私は飛ぶのが怖いです 飛行そのものではなく 機内の小さなスぺ一ス そして多くのタバコの 煙とその他多くの 色んなことがあります それは肉体的に私を とても疲れさせ 病気にしますし 私が 旅行するのは弟子に とって良くありません

私は全力をあげて 彼らに奉仕できません それが私の恐れでした でもこの恐れに拘らず 私は旅行します 恐れに制御させません 私達は怖がりますが 開悟を通してそれを 処理し 扱えます 開悟なしでは 全てがとても困難です 悟りを開いた後 全ては非常に簡単です 本当です 私はそれを 自分で発見しました 印心しないで ただ瞑想し 戒律に従ったら 私たちはやはり 悟りを開けますか はい いかに 瞑想すべきかが分れば 印心は内面であり 外面ではありません しかし私達は やはり指示を与えます そしたらいかに瞑想 するか 何を避け何を 観察すべきか分ります

それは非常に 役に立ちます 五戒はあなたが 必要とする全てでなく そしてまた瞑想も 印心のために 最も重要なことでは ありません むしろマスターの力は 印心の間に 私達を天国の力と 連結させます それは見える力でも 身体行動でもないです

私は印心の間 何もしませんが あなたは即座に 悟りを開きます それは言葉や 動作を通して 果たせません 印心も重要です 神は愛と善ですか

はい その通りです それだけでありません そう もっとです 知ってる人は はい 神は将来 過去 現在について すべてをご存じです 神は地球にアダムと イブを創りました それは私たちが聞いた ことです そうです それが正しいかどうか 神に尋ねましょう 神は人間が罪を犯すと ご存じでした

神は全てをご存じです ではなぜこんなひどい 計画を立てて人々を ひどく苦しませ 現在 生活させるのでしょう はい そう思います 神はそれを創造し アダムとイブに これとこれをしては ならないと告げました分かりますか 彼は創造だけでなく 教えもしました これとこれは すべきではないと 二人に教えました 二つの 可能性があります こうしなかったら これこれは起こり 極楽を経験し それをしたら どうなるのかなどです 神は前進しかできない 路面電車のように 一方的ではありません

むしろ神は柔軟性を 与えて下さるので 人生には活力があり 驚きと興味に 満ち溢れています 神がすべてを 一方的に決め これはこのように あれはあのようで あるべきだと 要求したら 私達は 身動きがとれません 私たちは選択できず 人生はそれほど 面白くありません だから神は私達に この自由意志を与え 選択できるのです 神は独裁的ではなく 神はすべてを決め すべてを禁じ 事前に全てを手配する 独裁者ではありません そうなら私達の人生は 活気がなく面白くなく 私達の知性も 発達する機会が ありません そうではないですか 私達も間違いを通して 学びます それで私達はすべてを 受け入れるべきで えり好みをして いつも神に責任を 負わせないで下さい それが私の考え方です 賛成ですか 良いです 神は非常に聡明で 非常に面白いと 皆さんも思うでしょう

皆のご多幸を祈ります
国際集会中 スプリームマスター チンハイは 時折 異なる国からの 私達の団体仲間と それぞれの言語で 話します 九六年カンボジアでの この集いでスプリーム マスターチンハイは カンボジア軍の高官とカンボジア軍の高官と私達の中国人の団体仲間に 会いました

彼はあなたに会えて 非常に感激しています と言いました マスターは尊敬すべき 評判がありますから そんなことはないです 彼は高官ですから 私の方こそ とても光栄です 高官に会うことは 簡単ではありません 彼は言いました 「国王か高官かは 関係なく 皆が師を尊敬します 有難うとお伝え下さい

とても取るに足らず マスターに会うことは とても光栄と言います 彼に感謝します そのように大げさに する必要はありません 私は少しも重要な 地位にはいません 私はただの教師です

そうおっしゃいますが 私達の考えは違います 本当ですか ただ友人でいましょう

私達が互いを 知っていれば 皆家族です

私は私達の護衛に 会えて 嬉しいです

彼も嬉しいです いつでも来てください マスターは頻繁に 来るように言い 彼は 「もちろん」と言って 会えるよう配慮下さり 彼は再びマスターに 感謝しています とても礼儀正しいです これは 彼の大いなる 評価です マスターの心遣いは 世界の他のどこにも 見つけられません

どうしてですか

私には表現できませんそれはとても大きく 海より大きいからです ありがとうございます 私は恥ずかしいです 私は恥ずかしいです ここへ来て家に いるように感じます 自分の身内のように カンボジア人に接し 大変親近感を覚えます まるで長い間 互いに 知り合いだったように 彼らは私を見ます 私達は何の違いも ありません 私が夜 彼らに会いに 行った最後の時 非常に暗かったですが 彼らは私が分りました

各々の国には繁栄して いる時代があります

この国が今 より良く なってよかったです 私はこの国が ますます強くなると 信じています カンボジアの人々は 非常に親切だからです カンボジアは素晴しい 過去があります 将来 その栄光を 回復するでしょう すでにより良く なり始めました 現在 野菜とお米を 輸出できます 前回来た時は 米不足でしたが 現在は輸出できます 私達は 北朝鮮の飢饉を 援助しました そこでは 悪天候の状況によって 不作が起き 飢饉になりました 先月私達は若干の 品物を送りました 七月に送りました 私達はカンボジアから 二千トンの米を買って 北朝鮮に 船便を出しました 良いニュースです

皆さんの国が 非常に良くなったのが 分かります 二年で とても変わりました 最初にここに来た時 首相は私に言いました 「あちこち干ばつで とてもひどいです」 私達は その時 数千トンのお米を 援助しました 七千トンです 一年後に戻って来たら 皆さんはお米を 輸出できてました 分かりますね 今から数年先は 何が起きるでしょう きっと より良くなります あらゆる国や どんな人の人生でも  浮き沈みがあります 過去を忘れ 新しい 何かを作るべきです マスターの援助に 感謝します

どう致しまして 私達は皆 平等です 私達は皆 人間です うまくいっている時は 大変な時期にある人を 助けねばなりません 私達が困っているとき 他人も私達を助けます互いに助け合うだけで それは私達の義務で 兄弟姉妹のようです 瞑想は私達を 落ち着かせ 智慧を与え  自身の智慧を開きます それで自分の 仏性を理解し 世界のためにより良く 働き より平和な 世界にします 非常にうれしいです 全兵士が瞑想するなら それからすべての敵も 瞑想を学びます それで双方とも 和解します

彼は瞑想を はじめる前に 同理に尋ねました 「私は軍人ですが 瞑想できますか」 彼女は「できます」と 答えました はい できます 釈迦牟尼仏が 生きていた時 彼にも軍隊に 多くの弟子がいました ある兵士が彼に 「私は兵士です 私は毎日戦いに 出かけねばなりません 時々私は敵を殺す事を 避けられません どのように私は霊修行 したらよいですか」と 尋ね仏陀は言いました 「問題ない あなたは それを祖国の為に行い 人々を守る立場に あるのだから あなたが行っている事 それは祖国の法に 従っている事だ 祖国に問題がある時 あなたは軍隊に勤める ことは避けられない あなたは憎悪から 殺すのではなく 子供達を 女性を 老人を 国を守るためなのだ それはよろしい あなたは自らの任務を 遂行すべきだそして あなたに時間がある時 瞑想しなさい」 私は仏陀が言った事を 言います 私が言った わけではなく仏陀が それを言ったのです それは 仏教経典に 記録されています 私は多くの仏教経典を 読んだので それが分ります カンボジアには 多くの仏教経典が ありますか はい あります どんな仏教経典ですか 多くの仏教経典が あります

彼は仏陀の教えを 学んで  それに従って教えを 実践するだけでした 彼は仏陀の教えを 尊重しますが 経典について 詳しく知りません それは大丈夫です 彼はたぶん大変忙しい でも内面で 理解してると思います 仏性は私達の内面に あります 経典の 中にではありません 仏陀の教えは 紙に書かれたものでは ありません 最も重要なのは 内面の理解です 彼はよく理解して いると思います ですから 彼が経典を 読むかどうかは 少しも重要では ありません 軍人に関係があるので ついでに少し話します

彼は一部分の意味を 理解しています 理解していますが 解釈できません

分ります 目に見えない世界と 物質的世界とが 異なるので それは難しいのです 例えば 私達は子供を 愛していますが 愛とは何かとは 表現できません 理解できますが 解釈できません 彼は非常に親切です 二人とも 大変ハンサムです こんな兵士に 保護されて 非常に 光栄に感じます

マスターに今日会う ことを知っていれば 彼はもっと簡素で カジュアルな服を着た と言っています

構いません 彼は兵士です 彼の職業を尊敬します 服装は何でもいいです いつでも歓迎します 彼が軍服を 着て来たことは 非常に良いことです それは服だけです 心はみな同じです そのようなことは 心配しないで下さい 私はこんなことは 気にしません 例えばここの出家者は このような服を着ます 心の中で分っていれば 十分です 兵士は大丈夫です 私達は恐れていません いつも外面を見ます また他の国にも 兵士がいます どの国でも同じです いつでも遠慮しないで ここに来るよう伝えて 彼の部下も同じです

彼は帰ると言ってます 帰って兵士の面倒を 見なければなりません 仏陀の加護が ありますように 時間がある時は どうぞ来て下さい

ありがとうございます 高官の将校さん お二人に感謝します

マスターに会えて 嬉しいと言っていますとても感謝しています 彼はマスターに会う ことを切望してました ありがとうございます ここには沢山の部屋が あってあまり人が 住んでいません 奥さんは自由にここに 引っ越していいですよ 彼女にはここに 守ってくれる ご主人がいます 彼女のご主人は とても強いので 誰も彼女に 迷惑をかけません

マスターの援助があり 加護を受けています 神と仏陀の加護です

彼女は生活の上では 何の要望も ありません とてもいい暮らしです ただよく病気をします

十四年間病気で 無数の医者に かかりました 世界中の医者に 見てもらいました 治りません  少し楽になった感じで そういうことなら ここに来たら 良くなるでしょう 彼は 奥さんがマスターに 会ったらきっと良く なると言っています

きっと良くなりますよ 多くの人が私に会って 良くなったと 言っていますから

時々私達は ある人に会うと とても嬉しく感じ とても元気になります それは 前世でその人と よい因果が あるからです そして今生で お互いに会った時は やはり嬉しいのです 嬉しくなると元気が 出て健康になります

彼女はここに来ると とても嬉しく居心地が 良いと言っています しかし 姑や子供の面倒を 見てくれる人が いないそうです ご主人が家にいれば 彼らの面倒を 見られますが それは無理だそうです ご主人は国に 奉仕せねばなりません ご主人は国のために 働いていています 彼女がここに来ると 誰が姑の面倒を見て くれるか分りません お姑さんもここに 連れてくればいいです 私が皆の 面倒を見ます

姑は 年を取っています 七十歳過ぎています あまり遠く歩けません

歩く必要はありません 部屋にいてもらって 面倒を見ます ここには八十歳の 年寄りがいてあちこち 走り回っています

彼は妻と共に戻って 兵士の面倒を見ると 言っています

もちろん  妻は夫に従います それはとてもいい妻で 妻は常に 夫の面倒を見て 愛するべきです 皆さんは彼女を手本に せねばなりません 姑に孝行し ご主人を愛し ご主人に対し 忠実であることです これは私たち 修行者が持つべき 品性です 皆が彼女と同じくらい 良ければ 私は何も教えることが ありません

親には孝行すべきです

よき妻として またよき嫁として 私達が 彼女を模範にして 従えば世界は 平和になるでしょう ついでに皆さんに 言っておきますが ある夫婦は 家庭内不和や ケンカが絶えない事を 訴えています 時に夫側に問題がある 場合があります すべての夫が あの大佐のようなら 何の問題もありません 彼は彼の責任を 果たして 生活は面白くなり  それで奥さんも 彼を尊重します 夫は自分なりの 意見を持つべきです そして自身の生活様式も持つべき 夫が何もかも 妻の言いなりになり 妻に従い 妻の真似をし 妻にくっ付いて 妻が好きなものを 何でもよしとするのは ちょっと軟弱です 妻はいろいろと 忙しいのです 忙しいです

家族のことや 姑のことや 子供のことなど それに加えて夫にも 気を使い 色々と 説明したりすると 妻は面白くありません ですから結婚してから 何もかも相手に 従うことが 相手を愛することだと 思わないことです 自分の責任を 果たし 妻や家族を愛する他に 自分の責任をきちんと 果たすことです こうしてこそ生活は 平和で幸せになります 想像して見て下さい 大佐が毎日妻を愛して 妻に付いて回って 軍務を怠り 部下のことや国防の 事をほったらかしに したとします そんな夫は 望ましいでしょうか

ですから全てにおいて 均衡を保つべきです ある夫たちは 結婚後 個人の生活が なくなり何でも 妻の言う通りに するしかないと 愚痴をこぼしてました これは彼自身の落度で 妻の落度ではないです あの大佐は 国に尽くすことに励み 領域を守っていますが 奥さんは決して 愚痴をこぼしません なぜ二十四時間 家にいてくれないかと 問い詰めたりません 彼女は病気ながら 姑の面倒を 見る必要がありますが 何の文句も言いません 夫の職業に対しても とても尊重しています ご主人もとても 彼女を愛しています 家にいたいと思っても 国の仕事が優先です 同様に 外で働いている 夫や妻も このようにすべきです どんな職業でも きちんとするべきです もちろん 家族の面倒もなるべく きちんと見ることです 家族の面倒を見るため 自分の責務を疎かに してはいけません

家族がいて 結婚していれば 二人とも各自の責務を きちんと果たし 生活に対する一般的な 常識を持つべきです いつも妻や夫に従い 相手にくっ付いている ことが協力的な 夫婦ではないのです 必ずしもそうと言えず 結婚する事は 互いに面倒を見て 責任を分担し 家庭や仕事に責任を 取ることを意味します 結婚後は いつも互いに くっ付いていて 配偶者が 楽しませてくれるのを 期待したり 何でも 説明や世話を求める ようではいけません 配偶者は 他に仕事があります

多くの人は 家庭が不和で 円満でないと 愚痴を溢します 彼らは自分を 反省すべきです 自分自身に何か問題が あるのではないかと
多くの人は 家庭が不和で 円満でないと 愚痴を溢します 彼らは自分を 反省すべきです 自分自身に何か問題が あるのではないかと 婚姻に関する ジョークは たくさんあります こんなジョークも 結婚したら 完全に自由になると あなたは妻が大好きな テレビ番組を 毎日自由に見られます でないと別のテレビを 買う必要があります そうでしょう 妻は彼がそばに座って 見る事を強要しません 問題は 彼が奥さんのまわりに くっ付いて 奥さんの 好きな番組を 見ることです

それで自分の好きな 番組が見られないと 文句を言います 自分が本当は何が 欲しいのか見つける事 自分の主張があれば 自分が見たい番組を 見ればいいのです または何かをするとか こうすると奥さんも あなたを尊重し もっと愛してくれます 男だったら 皆さんは 奥さんの前で 大変価値ある事や難しい事をやっている ことを見せるべきです そうしないで 奥さんの周りに付いて まだ呼んでいないのに もう傍にいるようでは もちろん奥さんは あなたをありがたく 思わないでしょう

皆さんは 夫としての秘訣が 分かりましたか あの大佐に来て教えて もらってください

自分の生活と 趣味を持つことです そして奥さんとの 時間も持つべきです とにかく奥さんに 空間と時間を与えて 彼女自身と家族の 世話ができるようにし 空間をもっと与える事 ずっと付いて回ると 奥さんはかえって 嫌になります すると家庭は 不幸になります これらのことは 修行とあまり 関係のないことですが 関係あります 多くの人が私に 家庭事情について 愚痴をこぼすからです 家庭が安定しないと 修行も 安心してできません 多くの人が間違った 概念を持っています 愛はこうあるべきで 婚姻はこうあるべきだ これでこそいいのだと 信じています

多くの人は 愛は二十四時間一緒に いることだと思い トイレに行くにも 一緒に行きます ある人たちは 本当にこんな感じです 夫婦に限らず 友達同士でも ずっとくっ付いていて それで トイレに行く時も 私はトイレに行きます 一緒に行きませんか 一緒に行こうと 本当ですか 見たことありますか 私は見たことあります どんな状況に 置かれても 私達は神や仏陀を 覚えていることです 一緒にくっ付いていて 友達だけを覚えていて 神を 忘れてはいけません

多くの人は間違った 概念を持っています 二人は 愛し合っているから いつも一緒にいるべき だと思います しかし二人の間には すぐ問題が生じます 皆さんはたぶん ハネムーンの時は一番 幸せだと思っています 実際は 大多数の人が ストレスと苦痛を 感じているのです 他の人と全生活を 一緒に過ごしたことが ないからです プライバシーや 個人の空間がないと 感じています 時にはハネムーンの間大変なストレスを感じ  早く家に帰って 休みたいと思います

これは 私が新聞で見た 統計による内容です ですから いつも 一緒にいて何事も 一緒にする事が 愛し合っている事だと 思わないでください そうではありません お互いに依存し合う ことになります 一旦互いに頼ることに 慣れてしまったら 相手がいなくなるか 亡くなった場合 自分も死ぬ思いです それで多くの人は 配偶者を失った場合 自分も死にたいと 思います もう生きていけないと言います   世話をしてもらうのに 慣れているからです 結婚も友情も 大変いいことです

唯一の有益さとは 互いに修行することを 助け合い  気づかせることです  これが一番の利益です どんな状況でも またはどんな関係でも 絶えず 修行することと内面の 仏性を気づかせれば それはいい関係であり よい愛情であり よい友情です 誰かと関係が あった場合でも それがだんだん 神を忘れさせ その人だけを覚えて 仏陀や 修行を忘れてしまう ようでは それはいい 関係ではありません 良い関係は 保つべきで  良くない関係は それを変えるか 切り捨てることです 私たちがこの世に 生まれたのは 本性を知り 神を知り 仏性を 思い起こすためです

自分の本性を 思い起こす以外に 幸せを与えるものは 何一つありません 全部試してみたので 皆さんは知っている はずです それらの 偉い人達を見て下さい 本当に幸せですか 彼らが修行をすれば  地位の高低に かかわらず 幸せを感じます 修行しなければ どんなにお金持ちでも どんなに高い地位でも 幸せになれません ここにいる皆さんで お金持ちや 高い地位の人や 社会の特権者がいます 彼らは以前 幸せを 感じませんでした 観音法門に出会い 少し本性が 分かってから 彼らの生活は 幸せになったのです

そうですね(そうです) これで分かりましたね 私が言っていることは 本当です 皆さんには 体験がありますから 体験がなかったら たぶん「マスターが 言っても考えてみる」 と言うかもしれません 皆がここでこの 真理を体験しています 皆さんには 大きな家があって 豪華な車や名声や財産 お金 権力を持って いても やはり ここに来て床で瞑想し 私を見るのが好きです 雨漏りのテントで 寝ることさえあります こんな所で どんなに長く住んでも 皆さんは依然幸せです うれしくて毎日 にこにこしてます

そして あの大きい家に戻ると かえって毎日 不機嫌な顔をして 私に会いたいと言い いいえ皆さんは ここの床と雨漏りの テントが恋しいのです 皆のテントだけでなく 瞑想ホールもずいぶん 雨漏れしました 雨が降ると 分かります 前回 皆さんは  七日間ここにいました 覚えていますか 雨が降ると そこに山や 水溜りや湖や川など 色んなものができます 今回雨が少ないのに 床はもう濡れています バケツを二、三個  壇上において 水を受けています 今もそこにあります

前回 あちこちで水が漏れて バケツが 足りなくなりました 神が私達のカルマ (報い)を洗ってくれて いるのかもしれません 今回は瞑想ホールを 少し直しましたので 川ができませんでした この前は 皆さんはなかなか 入定できませんでした 瞑想していると たくさんの 川が現れます だから皆さんはここへ 来る時はボートを 持って来るよう言って エアベッドを持って 来た人がいます 水に浮かびます 彼が優勝しました エアベッドの類が 一番いいです 皆が一つ持ってくれば 万一に備えられます ここに来て 瞑想する時に 使ってもいいし テントに戻ってからは 下に敷くと 雨の場合 浮かび上がります 冗句ではありません 本当です 皆さんよく知ってます 彼のテントは浸水する 寸前だったそうです そうですね 他の人ですか 前回そうでした もう少しで浸水 しそうになりました

ご存じのように権力や お金や名声は本当の 幸せをもたらしません どう生きるかを知り 自分の本性を知って 心が幸せで いっぱいになると どこに住んでいても 幸せです 多くの人は貧しい人が かやぶきの家や 床の上で寝ていると 思いがちですが ここに来ると皆貧しい 人と同じ暮らしですが 私たちは幸せで 心の底から 嬉しいからです ここに来て いい家があれば そこに住み なければ テントに住んでも とても幸せです

結婚も同じです どんな状況も みな同じです 心が幸せであれば どんな状況でも 幸せです ですから皆さんはよく ここに来るのです たとえ床に座らねば ならなくでも構わない

ここはとても暑いです 雨が降ると 涼しくなり シャワーをしなくも いいです 実は これは 神や仏陀からの加護で ここは一番いい所です どこがいいのか 分かっていないかも これからは ここに来る前に 体中にせっけんを つけて この大ホールに来て 瞑想して下さい 瞑想している時に 雨が降ると すでにせっけんを体に つけてあるので 服と体を一緒に 洗うことができます 雨漏りするからです いかに便利か 分かります 仏陀の加護以外に 何ものでもありません いったん座ると サマディーに入り 仏陀にもなれて 同時に シャワーや 服も洗えます 時間を少しも 無駄にしていません ここよりいい所は どこにあるのでしょう 私たちは物事を 肯定的に見るべきで 物事の良し悪しは 自分の 見方によります それらの裕福な人は 私たちよりも 幸せですか

雨漏りは故意になった わけではありません そうなった以上は 自然に漏れたので きっと仏陀が私たちに シャワーを 手配してくれたのです 快く事態を 受け入れることです

ここは何という 名前ですか この瞑想ホールに 名前をつけましょう 何と呼びましょうか 仏浴ホールは いかがですか 皆さんは仏陀で そこに座っていると 天竜八部衆が 体を洗ってくれます 仏浴ホールとは 仏像を洗う場所です

素晴らしい 美しい この名前は 覚えやすいです

美しい名前だと 思います どう思いますか 全世界で私達の 瞑想ホールだけが このようです 私達の仏浴ホール以外 良い所はありません

今後 この場所は 「仏浴ホール」と 呼びます 水漏れのところを 修理しないように でないと違ってしまい 有名になりません

私達には 「仏浴ホール」があり 簡単にシャワーを 浴びることができます ホールには壁がなく しばらく風に 吹かれたら 服は乾きます 良いではないですか そうですね 素晴らしいです あなたがここに来る時 風呂に入るか 服を洗濯するか 瞑想する際 常に集中 しなければなりません あなたの仏性を 覚えてください

集中する時だけ 瞑想は効果的です

リトリートに来る時や どこに行っても 市場で あるいは道で 群衆の間にいても

常に内面に集中 しなければなりません 常に内面に集中します

また あなたが しようと思うことに注意を払いなさい 多くの人々が 騒ぎに来ていて あなたがハンサムな 男の子や美しい女の子 などを見てしまうと 確かに 気が散りますね たとえ仏陀が あなたの前に降りて 来ても あなたを 助けられないのです あなたは自身に 頼らねばなりません 釈迦牟尼仏もそう 言いました 仏性を 見つけるために誰でも 自身に頼るべきです 仏陀やマスターが 私達に道を示すために 降りて来るのです でも私達自身で道を 歩かねばなりません

仏陀が言ったことは 真実です 仏陀が暝想や 智慧を開けてくれる ことができたら ずっと昔にそうして くれたでしょう なぜ私達を学ばせる為 ここに来させますか 仏陀を頼ることで 十分なら 彼は少なくとも全ての インド人を開悟させ 仏陀になるのを 支援したでしょう 彼が生きていた時 ほんの数千人か 数万人だけが 彼の後を追ったことは 経典を読めば わかります 他は彼を無視したり 中傷したり 彼と彼の弟子を 傷つけたりしました 従兄のデーバダッタ でさえ しばしば彼を 傷つけようとしました 私達は世界平和のため カンボジアのため 私達自身のため パワーを統合するため 一緒に瞑想しに ここに来ます

本物の仏性を内面で 捜しています

仏陀によって ある外観が作られる のではありません そういう訳で仏陀は 「外の音と外見を 通して私を捜すなら 決して如来を 見つけられない」と 言ったのです 仏陀は具体的な音 または外見を 持っていないからです 仏陀の音と姿は 日常世界で 普通の人々の 目を通しては 見られません 内面を見る時だけ それを見られます 私達が作られた 衆生のような形である 外見に 集中するなら 仏性を忘れます

おやすみなさい 私達を訪ねて下さって ありがとうございます さようなら お体に気をつけて お体に気をつけて あなたの奥さんは若く かわいいです 奥さんの世話をしてね 訪ねて来てくださって ありがとうございます 時間がある時 また来てください 仏陀が彼らを保護する と彼に話してください そのような美しい 隣人がいることは 非常に幸せです またいつか お会いしましょう

皆さん どうぞ スプリームマスター チンハイを 歓迎しましょう こんばんは お元気ですか 十分暖かいですか はい

こんばんはマスター こんばんは ご来場の皆さん 私は自分の体験と 霊修の旅について 皆さんと少し分かち 合いたいと思います 私はスプリーム マスターチンハイの 指導の下 観音法門に したがって 二年半が経ちます 十五歳のころから 私は疑問を持つように なりました 殆どの 人々がその年代に持つ 人生についてです 人生には何の目的が あるのだろうか 何のためにここにいて 私達はどこから 来たのだろうか 死後 どこへ 行くのだろうか 私は両親から姉から あるいは伝統的な宗教 からも満足する回答を 得られませんでした

三六歳の時私は死ぬ までこの回答について 知る事はないだろうと あきらめ本当にこれで 心を患うのは止める べきだと思いました 死について 霊的にも行き詰まりを 感じていました 私が出席した 最後の説教の内容は 神の王国は汝の内に あるというもので 「まず自身の 神の王国を求めなさい さすればあらゆる物が 与えられるだろう」と イエスは言いました 「神の王国は 汝の内にある」 そこに座り 自身に言いました 「ええ でもどこに? どうやって 接触したらいいの」 常に私達はそう 教えられてきました

でもどうやって そこに行きつけるのか その間にオゥラック (ベトナム)人の 仏教とキリスト教の 背景を持つ夫は 私と共に教会へ 参加しました 彼に私の教会を どう思うか聞きました 彼は言いました 言葉の効果「神父は とてもカリスマ的だが 彼は在世のマスター ではない」 私はびっくりして 彼の方を向き直り 「在世のマスターを 探しているの」と言い 彼は「ああ」と そしてそれは私には 斬新な考えでしたが 同時にそれは 見知らぬ概念でした

でも私のような 西洋人にはこのような 概念を紹介されたのは 初めてでした 数カ月後私達は スプリームマスター チンハイを テープと書籍を通して 紹介されました 二カ月後私達は カリフォルニアへ 印心のため飛びました 賢人は言います 「生徒に 用意ができた時 マスターは現れる」と 本当に個人の体験を こうして得ました 印心の時 私は神の王国を 自身の内面に 見つけました そして私は子供の頃 夢見て大人になって 探し求めたその美しい 土地があることを 知っていました

でも それは地球上の地では ありませんでした 印心以来 私は内面の 光と音の両方の 体験がありました そして内面の体験は 大きな愛と 壮大な神 無限の慈悲 想像を絶する 神の智慧の 体験だったのです この時点で 私は感情的な苦悶を 痛みを感じ天国を求め 泣き叫びました 「私が感じたいのは 愛されている事だけ」 愛を求め叫んだ後 元気なく世俗の仕事に 戻りました 二十四時間後 私の未解決な 感情的なドラマに 捕えられましたが 今それに腹を立てて 巨大な愛の大海に 浮いているように 感じ始めました

私は非常に軽く 重荷がなく 至福を感じ始めました どれくらい長い間かは 分かりませんが ものすごい愛の包囲は 何時間も続くかの ように感じたものです しかしながら私の心は 非常に気分が良い事を 不思議に思いました 私が怒る役を演じる ことになっていた時 怒り 感情的になる ドラマの役割の時です それで二十四時間前の 私を地球上に 私を蘇らせるという 要求は 叶えられたのです 私の夫はマスターと 神の後に続く 私の霊性の発展の 司令官は 少なくとも彼はそう 思いました

私が 瞑想修行において より勤勉に取り組めば その時点から 更に私の霊性銀行には 功徳が積まれ要求は 即座に二四時間後では なくかなえられる事を 厳しく伝えてきました 私は彼が正しいと 信じられます おかしなことに あまりに多くの至福は 耐えるのにも難しいに違いありません しかし私が霊的銀行で 本当に多くの功徳を 持つなら私はより長く 幸福の大海に浮く事が できると信じました もう一つの体験は フォルモサ(台湾) 苗栗の禅四に参加した 時に起こりました

マスターが話していて 私はそこに座っていて 一種魅了されていて 彼女の 言動の明瞭さと 驚くべき智慧に 愕然となりました 私は書籍から知る 全能の神の力と直接 接触しているように 感じましたが私は一切 実際肉体の体験が ありませんでした 真の智慧の源を 見つけたことで 私は心の知的な部分が 満足感の頂点に 達していました 私は面と向かって 在世の霊性マスターの 全知全能の 側面を見て 私の高次の真我は それを認識したのです

印心後 一つは 本当に真実霊的な マスターに面倒を 見てもらっています ほんの些細な事も そうです 西洋人は日々の生活の 奇跡について認識する のが非常に遅いですが 偶然の一致については すぐ非難します しかし印心後 あるべき事を偶然は ないことを知りました 私自身の体験は今年 初めに起こりました マスターの 米国ツアーのときで 長い話を 短くまとめますと マスターはシアトルに 寄り私は長い間 行くことを迷っていて 先延ばししていました 前日までシアトルまで 航空券を予約しては いませんでした

ええこの意味を皆が お分かりだと思います その航空券は非常に 高くヒューストンから シアトルまで 約一千米ドルでした そして もう終わりだ ヒューストンに残ろう と思いました 一方私の夫は私には できない状況の中で 物事を成し遂げるのに 独自の能力を 持っているようです それは一種私のエゴを 時に刺激します 彼が旅行会社へ電話し 二〇〇ドル前後の 航空券を見つけました 航空券が届くまで 私はありえないと 思っていましたが 旅行会社の人が 言いました 「ええ ほんとうに 不思議なことです

この航空券がどこから 来たのか分からない 通常航空券を 前日に予約するなら 非常に高く大体 一千ドルが相場です でもコンピュータを 調べた時この航空券が 画面に」と言いました これが話の終わりでは ありません 私は単独でシアトルに 到着し初めての訪問で 少し神経質になり 本当にどこへ行くのか このイベントの スケジュールも 知らなかったのです 私は全ての弟子が 滞在するモーテルに タクシーで向かい そこはさびれた 所でした ホテルの予約受付は ここにはもう部屋が なく満室なので滞在 できないと言いました

どうしたらいい でも恐れはなく 突然オゥラック (ベトナム)人の 紳士が現れマスターの 印心のバッジを つけた人だったのです 私はその人に近づき 状況を説明しました 彼は「来て早く時間が ない」と言いました マスターの講演が そこですぐ始まります 私達はそのホテルへ 車で向かう道すがら 彼は人々を一日中 送り迎えを繰り返し これで今日仕事が 終わりだと思ったと 説明しました 彼の英語はブロークン でしたが理解でき 彼はマスターが再度 もう一回戻って 空港にいる女性を 連れて来てと言った ということでした

彼はその女性を見つけ ようと思いましたが 見つけられません 私は一人で考えました 「ああ 可哀相な 老女は空港で 迷ったに違いない」 すると突然 ペニーが落ち マスターが私を拾いに 彼を送ってくれたのだ と理解したのです 私の西洋的な頭脳は 最初考えに拒否し 「状況を思いこみ過ぎ ているに違いない」 しかし ホテルのホールの 最前列に 急きたてられ 数分後マスターが 到着し山の様な 舞台の前に特別に 最前列を見下ろし 微笑まれました 心が揺すぶられました

「神よ」思いました 「同様に他の事も調べ 私が無事にここに着き また教えました」 「ほらあなたの面倒を 見ていますよ」と 私は十分お話できたと 思います 最後に言いたいのは 観音法門を在世の 霊性のマスターから 印心を受けるということは 私に元々の 生死の質問の答えを 回答を得られたので 私がここにいるという 訳なのです 私の義理の兄が 彼の疑問である天才は どこから来るのかの 質問を知りたいと 思うなら マスターは言います 「彼は開悟すべきです 答えは簡単です」と 実際 回答は本当に 沢山ある事柄について 非常に簡単になります 開悟した後は ありがとうございます

素晴らしい話でした 初めて聞きましたよ ありがとう博士 次の講演者は 先程お話された事は 今日から始まります 彼は私と同じ 問題を抱えていました これは一種話をするは 困難ですあなたが ある一定期間泣いた ことがなければ この事に耐えられる なら彼はこのことを 通し成し遂げられる ことでしょう

こんにちは 私が二〇歳位の頃 私はどれ程辛かったか 認識しました 私の幼少時代は非常に 困難でした私はひどく 対処に苦しみました それで二〇代最初に 東洋哲学の書籍を 読み始めました カトリックとして育ち 霊性のマスターの 重要性を 即座に気が付いた ものでした そして 一、二年できる限り 世界中の様々な マスターの書籍を 沢山読みました そして私の確信とは 私の痛みと苦しみを 和らげるには霊性の マスターの存在が 重要だという事でした

しかし頑固で誰かに 人生を左右されたくは なく何をするかも 言われたくなく特に 霊性のマスターには 私は知っていました 聞かねばならない事を 私は特に特権の形が 嫌いでした それで私は非常に 反抗していました そして二十五年の間 私が印心する前 三年になりますが 私は二十五年間自分で 研究をしてきてそれで 私はこう思いました 例外がある事を 読みました 霊的な マスターが不要な 人々がいると そして ああ私がその例外の 一人であるといいのに と思いました

私は読書し研究を 二十五年間行いました 何千冊の本を読み マスターは言いました 私のような知的便秘な 人がいると 全てのニューエイジ 哲学を 教えを勉強し 私は多くの事を 探求しました 時には進歩しましたが 頻繁に スライド的に 後退したりしました 二十五年の間 私はかなり聖人の 存在として住む限り 私の人生を 懸念していましたが それから 私はイライラしそして 飲酒に落ち込みました 私は中毒に陥りやすい 性格だったのです 私は様々な行動に 及びました

数年後 私はもはや霊的な 進歩もみられなく なりました 私は菜食主義を したりしなかったりを 繰り返し フットボールの時期は ビールを飲み 喫煙をし サラミの サンドウィッチを 暫くの間終わるまで 続いたものです これらの年月を通し 私は一切他の人々と 接しませんでした 私はすっかり痛み 感情的な痛みですが 子供の頃私は 他者といながら 他の人々を愛する事に 困難な時期があり 私が他人と 共にいる所では 常にパニック 症候群になりました 数人の他人が部屋に いるだけでです

印心前まで私は パニック症候群でした これは五歳の頃から 始まりずっと そうだったのです 非常に厳しかったです 全てのビタミンBが 無くなったら私は すぐに一、二週間は 病気になりました 回復するのにそれは 長い時間を費やし この発作は本当に 深刻でした しかしマスターから 印心を受けて以来私は 何の発作もパニック 症候群にもなりません 他の事では 私達の通俗真理として 十二のプログラムと ブラッドショーと 全ての内在の子供の 働きが行われていて その感覚が感情的に ブロックされたり 防具をつけた感じに 関連づけできます

私の幼児期は非常に 困難でした暴力と アル中の家庭 私自身 防具を着けていました 誇りを持っていました 私は生涯スポーツを 行い私の体は とても堅いですが 実際私はとても痛みを 感じ私自身防具を身に 纏っています マスターから印心を 授けられて以来私は 柔らかくなり始めて 私自身自分が内外とも 柔らかく感じられます そしてそれには ある一定期間かかり 六か八カ月です 印心の時 私が外に出てサインを すると何人かの人々が 来て耐えるように そしてそれは 進歩するのに 六~八カ月かかるから と言いました

私は耐えて本当に 進歩したと思います それは六カ月もの間 本当に沢山の変化が 私の人生に 起こりました この感情の閉塞は 私にとって約一年 かかりました 私は瞑想に 留まりました

しかしこの期間中 私の主要な事柄は 私が印心した時でした 私の子供達は皆二〇代 前半でした 私には三人の子がいて 彼らは二〇代で私は 彼らから疎んじられて いました 非常に難しい家庭で 育ち分かったのは 私は一種自分が虐待 され育った為我が子は 決して虐待せず厳しい 親でいましたから そうすべきと思い 彼らに厳しくし彼らは 良くなると私は厳しく 彼らを愛さずには いられませんでした つまり私は一切彼らを 抱きしめキスなどこの 種の事ができません

ただできませんでした 私が厳しくなる事で こうして私は彼らを 愛していると思って いましたが彼らは私を 疎んじました 彼らは 私に話しかけたり しませんでした 私は彼らに話しません 実際は 始めたのです 彼らは私の基準で 生活していないのに 気付いたのです そして 印心後 数ヶ月掛かりましたが 気持ちが落ち着き 子供に近づくことが できました そして特別旅行で 印心したフェニックス に行きました 子供はそこに住んでて 私はそこで育ち 生まれました 

そして 彼らを引き戻しました その週は毎日 子供のことで泣き 彼らへの育て方に 対して 私は謝ったのです でもできませんでした  今 しました そして私と子供との 関係は良くなり 家族との関係も とても良いです 夕日を楽しんだり そのようなことを 彼らは言い 私は本当にそれを 経験しました 私はとても武装してて わずかな時間でした 痛みを感らじれて 6パックを 走ったりもできました

帰り道は長いです 印心して 三年ですが 他の人を愛する 能力があります 沢山ではありませんが 時々できます 私と家族との関係は 素晴らしいです マスターの弟子でいて 人生が広がったように 感じます 家族が戻っただけでは なく 良い関係でいて 修行仲間の 沢山の友人も できました 最後に 言いたいのは 印心するのに 怖れたのは マスターが私の 人生に入り マスター チンハイが本物だと 気付かない時です

権威主義の組織を持つ 先生はそんなに 多くいません 自分達の歩調で 成長させ 彼女は 放っておいてくれます 私達に対する要求が 少ないのです 彼女はとても寛大です 彼女は本当の 霊的マスターでないと 感じます 彼女は本当に 友人のように感じますそれだけです マスターの前に またはマスターが 来る前に もう一人います カレン オスボーンが 最近マスターが 与えられた 賞について お話します 感謝祭の お知らせを 受けました

マスターチンハイは 先月ハワイで 米国政府によって 世界平和賞を 受賞しました 彼女は米国にとって 名誉ある市民権を 受けました この賞を 受賞したとき マスターチンハイが 認められただけでなく 彼女が行なった精神的 活動を 米国政府が 称賛したのだと 私達は思いました 彼女が サンフランシスコに 到着して 市長は 彼女を称賛しました こう語りました 「スプリームマスター チンハイへ 世界的な 人道主義者 サンフランシスコの 人々に代わって 優秀な公務を した事を 認めます」

この世界平和賞は 本当に彼女の 人道的活動の 洪水の救援や フィリピンの 被災者や ロサンゼルスの 被災者に対する 人道的活動だけでなく 私達と一緒に行なった 全ての仕事にですで サンフランシスコ とても親切に して頂いた 二名にも感謝します ジュディスコンラッド とボニーコリーンです ここにいるなら 立ってもらえますか ええ こちらに きて頂けますか あなたのファンに 見えるように(どうぞステージへ) ステージに来て下さい 彼女はとても有名で 知ってるでしょう

ジュディスは マスターチンハイの 役に立っていて 彼女とラジオと テレビの 作業をしました スプリームマスター チンハイは 違いを生み出せると 私は言いたいのです

(有難う) それは 私のラジオとテレビ 番組のテーマです 「誰が違いを 生み出せるのか」 あなたと一緒に 過せて素晴らしくて これはラジオと テレビで二 三日 続きました ベイエリアで 変えたのです ありがとう ありがとうございます

良い感謝祭を ありがとう カレン これに耐えてくれた 皆さん全員に 感謝します

マスターが準備でき 皆さんもそうなら マスターチンハイ ありがとう 時間を伸ばしましたが 来てしまいました 皆さんにご多幸を 祈ります 良いことは何でも  必ず訪れます 良い感謝祭を ほとんどの人は沢山 質問があり そして幾つ答えが あっても もっと質問が あるでしょう 若いときは 両親に沢山の 質問をしました 決して答えてくれない ときもあります 成長したら 先生や友人や 賢い人に 沢山の質問をします 決して答えてくれない 人も中にはいます そして私がいわゆる 開悟した時でも 沢山の質問があります

そして悟開した 最初の頃は 重要でない 質問を沢山 ありました それは答えなかった ことはその後で わかるのです 例えば 履歴である 精神的な履歴の 最初の頃は 何人かの 私が知っている マスターや 会った事のある マスターに聞きました 「何で髪を長く 伸ばしていますか」 そして いわゆる 修行者は 幼い頃から 知っている彼らは 頭を剃っています 仏教僧などです それでも  ためらっていて 先生の事を聞いて  特に男性で長い髪の 先生に出会いました

でもご存知のように インドや沢山の国の マスターは 頭を剃りません ほとんどは 髪を 伸ばしているのです なぜなら 隠遁すると 髪が伸び たとえ剃ったとしても 伸びます それで 沢山の 質問がありました 全く重要でない 質問もあり 自分達に聞きました 私達は他の人に 加わって 彼らは 厄介を起すのです しかし 関係なく 本当に関係なくて いずれにせよ これらの質問は 消耗するでしょう 精神的に成熟し 高く成長したら 冷静になり 思考が平静に 人生での観点が 変わるのです

そして 人々は 私達を訪れ 沢山の質問をし 私は彼らが 満足するように 毎回最善を 尽くすのです しかし それでも 両方最良の 意志にもかかわらず 答えを理解するのに 難しい人がいます それは私達が 限られた理解力で そのかなたにある 何かを理解しようと するからです 私も以前は 多くの疑問を持って いました したがって 私たちに来て質問する 人々を私は非常によく 理解しています 彼らが十分な答えを 決して持てないように 思えますがこれが 私達の頭脳の方式です 私達はいつも好奇心を 感じています

私たちの心がいつも 知識欲があるからです それが悪いか良いか 区別なく毎日沢山の 情報を集める理由です なぜかと言うと 心は区別する能力が ないからです 大部分の私たちの苦悩 不満 偏見 私たちの間と人生の 主題との差別心は 心のこの好奇心のある 性質から来ます 心はすべての種類の 情報を収集し それを 処理して 自分自身の ものにします それで私たちは 何を 読むか 何を聞くかに 慎重であるべきです 他の人々の考えと 哲学を区分して 哲学を区分して 選択しないからです

時々 それは全く 正しいと言う訳では ないし それは私達の 心に沈んで私達の物に なる このように 思って 彼これと他の ものを受け入れるのが 私達であると考えます 後で他の異なった 情報が来て それが より正しくて 私達に より役に立っても 私達はそれを 拒否するか 疑います なぜなら以前 私達は 既に後の理論と 正反対のように見える 他の情報や理論を 記録したからです これはこの世界で 私達の生活の中で 直面する問題中の 一つです 

それは 私達は 多くの憎しみ  差別 衝突を 生み出します 宗教との間に 国家との間に 隣人との間に 人々との間に それで何を取り入れる せよ  私たちは最初にまたは 少なくとも後で これらの理論 教理 またはこれらの理想が 根拠があるかどうか 又は私達の日常生活か 霊的な進歩に役に 立つか調べるべきです さもなければ 私達は戦うことにとても 多くの苦労をします 理想との間で 集団との間で 異なった思考体系との 間で ちょうど今朝のように 私はテレビ番組の上で インタビューされて 記者は私に尋ねました 人々のために 印心したくないか できなかった人の為に 迅速で簡単な瞑想を 言うようにと 私は彼らに話しました そして その後 何か問題があるなら 何か問題があるなら 瞑想している間  神に祈る事ができると 彼らに言いました

時々家で瞑想しながら 教師の言う事を聞き それで結構です しかし 時々 あなたは教師が 話したことを忘れ 指示を忘れます またはいくつかの本や 伝聞の指示で 一人で瞑想します

そして 時々あなたは 困難に陥るでしょう 私は彼らに言います あなたが要求したので 私は情報を与え なければなりません さもなければ 瞑想は 私たちが安定していて そして成長するまで 継続管理なしで私達を 導く良い教師なしで 無作為に与える べきではありません そんな訳で生きている 友人 生きている 霊的な いわゆる 教師が必要なのです さもなければ 私達は 本や秘伝の教えから 学ぶことができます 大部分の 秘法 本当の秘法は 古代から 本当の瞑想のどんな 跡も決して残しません いわゆる 心を静める 適切な方法 方便法を 除いては それで私は彼らに 瞑想した後 または 瞑想の途中 とても短くて 簡単で さえしても あなたが どんな困難に出会うか または問題があるなら あなたは神に祈って 心を落ち着けようと すべきです やがて答えが来るか 助が来ます または イエスか仏陀や あなたが信じている 聖人に祈ってください

私達の教えは宇宙的で 各種の信仰に対して 分別がありません 分別がありません そして もう一つ 加えねばなりません

私は「あなたが全ての 聖者や神に祈って 助からない時あなたを 助けるために私を呼ぶ べきだ」と言いました でも私は言いました これは大変自画自賛に 聞こえますが 私は 全てを話さなければ ならないのであなたが 信じないならそれを 使わないでください しかし 私はまたなぜ そうか説明すべきです 私がより近くいるか 近い隣人は 遠い親類より ずっと良いからです とても簡単で 論理的です でも 多くの人は 友達あるいは先生が こう言うと 傲慢に思われますが 事実ではないです

だから 論理的に 説明せねばなりません 例えば 女王あるいは 国王には外の護衛が います つまり ボディーガードですね 国王 女王の地位は 護衛より上ですが 護衛に守られています 私はその護衛です こういうことです 私はもっと近いです 同じ地球の磁場の 中にいるため  私達のエネルギーは もっと簡単に連絡でき 交流できます エネルギーももっと 簡単に受けられます 私達はもっと近くに いて同じ振動周波数を 持っているからです

そして 自分で多く 体験し 霊的にまた 物質的に多くの利益を 得たら もっと固く 先生を信じるように なります あるいは その反対です だから  思考と検証なしで 信じるべきものは 一切ありません 全てのことは証明 されるべきで 霊的な ことでさえ科学です 最高の科学ですが 科学です 過去 現在 未来の マスター達は 科学者です 彼らは 宇宙の多くのことを 知っています でも 普通の人に とっては それらは 理解し難く  信じ難いことです でも マスター達は やはり私達に教え 科学に導きます 私達自身も未来は マスターあるいは 先生になります  少なくとも 自分のマスターに なります 自分の マスターになるのが 一番難しいのでそれが 出来るため 私達は 最高の力 つまり神の 力 生まれつき持つ 宇宙の智恵を 得なければなりません

 
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