智慧の言葉
 
The Suffering of the World Comes from Our Ignorance    Part 1
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今までのところ この世界の住み心地は まだ あまり良くなく もちろん 私達は この世界を愛してます 地球を創造するのは 非常に困難ですから 私達はそれを大切にし 愛し 保護すべきです これは正しいのですが 現在 私達の その保護方法は 間違ってます 残念ながら 各国が 自国だけを心配し 各家族は自分達だけを 心配し 他人を気に 掛けなければ 恐らく この地球は醜くなり 利用し尽され 私達に提供される 新鮮な資源は もうなくなるでしょう 私達が余りにも速く 消費してるからです それらの増加は私達の 使用に追いつきません それで私達は 多くの国が戦争や 飢餓に見舞われたり 物資不足を目にします ある国は 物資が多すぎて ある国は不足してます それでそれらの 不足している国は 多く所有してる国から 略奪しようと考えます それで多くの災難や 戦争が起きるのです 私達修行者のように 皆が観音法門を 修行するなら これらの事柄は 起こりません 毎日二時間半瞑想して 彼らの心は 穏やかになります 毎日 彼らは宇宙の 偉大なパワーと 繋がっていて 恩恵 啓示 慈悲深い愛を 受け取ります そしてこのパワーで 彼らの悪いカルマ(報い)を浄化します ですから彼らは 穏やかで良くなります 彼らは五戒を順守する 必要があり それで いかなる衆生も 殺したり他の衆生を 傷つけたりしません

彼らが殺生を 控えるだけでなく 他のいかなる衆生 植物動物も含めて 傷つけないのです 戒律を厳格に順守する ことで もちろん あなたを傷つけません 彼らはどのように 盗みをしない戒律を 守るか明確に分ります なぜ盗みが良くないか 彼らに話す マスターがいます 彼らは良く理解します それは彼らが 内在する智慧を 見つけたからなのです それで彼らは深く 明確に理解したのです 「私は戒律を守って 殺生 盗み 虚言 飲酒はしない それで十分」と言うだけではなく そうではないです 彼らには 内在の智慧があり 開悟しています それで彼らは本当に すべき事すべきでない 事を理解しています 殆んどの人々が戒律を 順守したいのですが 失敗します 彼らは善行をしたいの ですが 失敗します 彼らは本当に理解 した訳ではないからで 善行をすることで 功徳を得ることを または悪い行為の結果 自分や他者への 影響について本当には 理解していません 彼はあまり正確には 理解していません 開悟した人々だけが 本当に戒律を 理解しているのです ちょうど 私達 観音法門 修行者のように 五戒を守り誰も殺さず 傷つけることもなく 生命を救い 他者を助けるのです 彼らは 動物の命を守るために ベジタリアンです 彼らは動物をも 守るのです 人間だけでありません 彼らがこれらの戒律を 守るなら もちろん 戦争を起したり 人々の国や財産を 侵略したり 人々の命を傷つけ ようとは思いません 彼らはまた 盗みもしません 彼らはその財産が いかに大切か知り 満足しています 貪欲ではありません しかし言うは易し 行うは難しです そうするには本当に 開悟せねばなりません 彼らが開悟して いないなら これらの言葉は 片方の耳から反対側の 耳に通り抜けます こんなような感じです 非常に残念なことです 多くの人々が戒律を 順守したいと思います けれど彼らの智慧眼は 開眼してなく 開悟していないのです 彼らがいまだに 自らの偉大なパワーを 開発してなければ 彼らはとても弱く 落ちこぼれ 戒律に違反し 人々を 傷つけるでしょう 恥ずかしく感じますが 彼らは逃れられません また修行者は 嘘もつけず 人々を騙せません たとえ仕事であっても 正直であるべきです 私達は人々に それを作るのに いくら必要か知らせ 価格に同意させるべき 「では売りましょう」と 騙してはいけません 良い物ならそう言い 品質が良くなくても 真実を言うのです

それこそ私が弟子に 教えていることです 良くない物を良いと 言うべきではないです 私達はこう言えます 「この品質は良くない それで安くしますと これはより高価です より高品質ですから あなた次第です」と それで大丈夫でしょう 私達は人を利用しては ならないのです 人にずるをしたら それは彼らが愚か者と 思っているからで それはお客さんに 対する扱いでは ありませんね 彼らを友人や 賓客のように尊敬する 義務があります 彼らは遠くから 私達と話しに 物を 買いに来たのです 彼らを遠くから来た 賓客のように扱う 義務があります どうしてそのように 扱えるのですか それは人間の やり方ではありません だから 私は弟子に そう教えて もちろん

彼らは理解しています 友人を訪れたとします それで私達は 彼に騙されました 傷つきますね では騙さないことです この正直な方法で お互いを扱えば しばらくして  私たちは彼の紳士的な 振る舞いに慣れ 再び紳士になり そして 世界は変わるでしょう 林語堂の書いた 物語を読みました

彼の本には短編小説が 沢山あります 彼は旅をしたと言い 彼ではありません 本の中の人物が 旅をしたのです とても不思議な方法で 商売をする国を 訪れました 売り手は 最も低い価格で提供し 買い手は最も高い 金額を払いました この物語を 覚えていますか

これは「鏡花縁」という 題名の本だと 思います 読みましたか いいえ これは中国の物語で オゥラック(ベトナム)のではありません 私は騙していません その物語は  売り手は買い手に 安く売りたいのですが 買い手は高い金額を 払いたく それで 売り手は十分な利益を 得るのです 売り手は高く売るのは 間違いだと思ってます 二人は口論になり 一人は安く売りたいが もう一人は 高く買いたいからです 高く買いたいからです 私達の世界は違います 全く反対です 林語堂はとても ユーモアのある作家で 私達の世界が良くなる よう願っているのです 恐らく彼は修行し 開悟してたのでしょう 分かりますか 彼は皆が親切だとは 納得できず この物語で彼の理想を 伝えたのです だから彼の物語は とても愉快で  有名で 外国でも 知られています

知ってた方がいいです こんなにも有名で 良い中国人です 彼を誇りに 思うべきです

中国人でも外国人でも 良い作品を作った人は 応援して 褒める必要があります 私達 修行仲間は もちろん ここでの 全部の戒律について 話す時間は ありませんが 重要な点は 私達 観音法門の修行者は 人類に 宇宙に 社会に そして私達の隣人に そして私達の隣人に 影響しているのです 彼らはあなたを 傷つけたり 騙したり 妻や夫を 誘惑したりしません とても尊厳があり 潔癖で正直で 良い隣人です 彼らは動物も 傷つけません 植物を慎重に扱い 必要がないなら 切ったりしません もちろん私達は そんな隣人が好きです 違いますか 強盗をしたり 嘘をついたり 浮気で 夫や妻を 誘惑するような 隣人は望みません

そうですね はい 私達観音法門修行者は 皆さんの隣人に とても親切です 皆さんを守るだけです 皆さんの所有物を 盗んだりしません 決して生命 植物 犬や猫 夫や妻 または子供達を 傷つけたりしません 彼らは可能な限り 皆さんを助けます 助けにならなくても 皆さんを傷つけません それに酒も賭け事も 麻薬もやりません こんな人々は決して 悪事を働きません 隅に追いやるからです 分かりますか 賭け事はしません 賭博師は時折 やむなく行き詰まり 多くの悪事を働きます または麻薬依存者は 麻薬を切望して とてもイライラします 痛みに耐え切れず 盗んだり 強盗に 加担したりします 観音法門修行者は 飲酒も 酩酊もせず いつも穏健です 彼らが何をしようと 他者を傷つけません 泥酔して 帰宅して 配偶者や子供達や ペットに暴力を 振るったりしません ですから私達 観音法門修行者は 本当にとても 良い人々なのです 社会に対して良い事を する前から 彼らは 既に非常に良いのです 分かりますか 全ての人が良くなれば 社会は自然に 利益を受け 進歩します 大袈裟な事を言ったり 大層な論説を書いたり 自分達がいかに 愛国的で偉大か どれだけ国を助け 隣人を愛し 慈悲深く同情的か 宣伝したりする 必要はないのです そうではありませんか 口先だけではなく 行動することによって 心に何があるか 示すべきです 戒律や慈悲の 教訓のほかに 修行仲間は戒律を よく守っているか 毎日常に自分自身を チェックしています これこそ私が弟子に 教えていることです また毎日の生活の中で 彼らを助ける 彼ら自身の至高の力を 見出すための 瞑想の仕方を教えます 仏陀は私達の内にいる 仏陀は 自らの心の中にいて 天の王国は内在し 神が私達の内に 宿ると聞きました ですから私は 内なる神や仏陀を 目覚めさせ 生活の世話をするため 出て来るように いかに神を招くか その方法を教えます それで物事は円滑で 戒律はよく守られます 内なる仏陀が 私達を助けるからです 私達は良い行いを 円滑に行います この内なる神が表れて 世話をするからです 混沌とした人の頭脳が 行うのではありません 修行仲間が進歩し 良き隣人として 彼らの国の非常に良い 市民として自分自身や 社会に利益を与え より良い人になるのは 不思議もありません ですから全ての国が 私達に観音法門の 弘法を許し 全員に一緒に 瞑想をさせれば その国は確実に 良くなると思います

観音法門はこんなにも 利益になる法門です 歓迎すべきです そうですね 本当の愛国者なら 何が国にとって 利益になるかを知り 歓迎すべきです 私達はその状況を待てませんし 今 人々は無料で 提供するため 扉の前まで来ています

この世界と 通じ合うのは 本当に難しいです

ではゆっくり行きます のんびりと 遅かれ早かれ 人々は 法門が良いものなら 「嗅ぎつけ」ます そうでしょう 彼らは望まなくても 嗅ぎつけるのです 例えば 時々私達は 香水をつけ他の人は つけませんが 彼らも 匂いを嗅げます 隠せないのです この香りを隠せる 方法はありません 私が五十名ほどの 出家者と在家の 弟子を連れて 中国本土に行った時 宣伝も何も していなかったのに それでも 人々は割り込んできて 私達に質問しました 私が剃髪した僧だから 質問をしたのでは ありませんでした 最初はそう思いました でも違いました ある日 私は普陀山の 寺を訪れました 普陀山は仏教の中で 非常に有名で過去に 訪れた事があったから

ただ楽しんでいました

普陀山へのフェリーで 座席の切符が 買えなかったので 八人の出家者と 私は階段の所で じっとしていました 暗い隅に座ったのです そこに座って 何もしてませんでした この様にただ座って しばらくすると まあ フェリーに乗っていてフェリーはこうでした 窓がありました ええ ガラス窓です 階段はボートの 壁際でした 私達はそこにいました 階段を使ったり 窓際を通る人々は 私達を 見ることが出来ました 退屈だったので私は 座って瞑想してました しばらくして私は突然 目が覚め人々が私達を 取り囲んで凝視して いたのに気付きました 窓の外の人々もまた 鼻をガラスに くっつけて私達を 見つめていました 人々の長い列が私達を見つめながら 階段に 立っていました 私達は人々に 取り囲まれました 全ての窓から何十もの 目が覗いていました

彼らは私達を親し気に そして敬意を込めて 見ていました 私はむしろ恥ずかしく 「何を見ているの」 と尋ねました 彼は「尊敬するので あなたを見ます」と 私は「皆さん 僧侶を尊敬します」と 私は自分の考えを言い 「百人以上の 僧侶が上にいます

登って彼らを見て」 偶然に 台南からの百五十名の

僧侶も普陀山に 巡礼に来ていました 私は彼らに僧侶を 見に行くよう勧めても 彼らは動かないで 私達を見つめました 私達がどれほど特別か 分かりませんでした

私が特別な服を着て いたから 彼らが私を 見たのではありません 違います 私は同じ服を着ていて それでも私を見つめて 私は不思議でした 私達が出家者だからと 思って それで彼らが その一五〇名の 出家者にも同様に 対応するのかどうか 確認しに登りました いいえ 彼らの一群は あちこち座っていても 誰も彼らに注意を 払いませんでした 人々はまるで彼らを 一瞥さえしないように 周りに立ちました 彼らはただ私達を見て 多くの事を聞きました 騒動を心配して 私は弟子に言いました 「あなた達は皆 どこかに行きなさい 彼らが質問したら 他のどこかで話して 私の近くで話さないで ここ 私の側で 本を 配布したり何かを 言ってはいけません 少し休ませて下さい」 そして帽子ですっかり 覆って眠りました しばらくして 覗き見 するために私は帽子を 持ち上げましたが  人々はまだ見てました

私達がどこに行っても 人々は私達を「嗅ぎ つける」ので 宣伝する 必要はありません 意味が分りますか 霊修行者は 人々を引き付ける 特別なオーラを 発しています したがって 観音法門修行者は 本当に突然  あなたの周りに大勢の 人が集まりますか 以前とは違います 人々は来てあなたに 何か尋ねるのが好きで 時々彼らは 何を尋ねるべきか 分らないので ただ 近くに来たいのです 本当の 霊修行者は まるで 開花して  自然に香りを発する 花のようです それは隠すことが できません ある霊修行者は 光を放ちます 彼らはそれを隠したい のにできません 彼らは故意ではなく 自然に光を放ちます そしてそれは 隠すことができません ちょうど誰かが恋を しているようで誰でも それに気が付きます 隠すことはできません そうでしょう

私達が修行してるのを 人々が知らないことを 心配しないで下さい ただ自分が修行しない ことだけ心配しなさい なぜなら 誰でも いいか悪いかを問わず 彼らの内面には 偉大な智慧があります 私達も同じです 彼らの内面の 偉大な智慧は 私達の偉大な智慧の 香りに気づきます 彼らの心 彼らの 良し悪し 人間の習慣 ではありません 彼らの習慣は 彼らの内面の智慧とは 無関係です この内面の智慧は 永遠に存在します 永遠に純粋で 清浄で 常に強力です それは不潔なゴミの 山に埋もれた ダイヤのようです それを掘り出すと 再び輝きます それは汚染されません 私達の霊修行の目的は 自分の内面の この通常の品性を 取り戻すためです 私達は仏陀の心 この偉大な智慧で 他人を待遇すべきです するとうまくいかない ことは何もありません なぜなら何であれ 彼らの偉大な智慧は 騙せないからです 彼らの人間の心しか 騙せないのです 彼らの仏陀の心や 内面の神を騙すことは できません 従って私達は修行して 自分の内面の天国 自分の内面の神 内面の仏陀を 見付けた後はじめて 神や天人のように 仏陀の心で 人々に待遇できます 天国の衆生が 互いに待遇する方法で 他人に待遇することが できれば 世界は変わります それでたとえあなたが 仏土や天国に行きたく なくて この世界に 留まりたいと 言ったとしたら 私は同意します しかし 悟りを得るためには なお観音法門を修める 必要があります それでも瞑想し戒律を 守る必要があります 自分の行動 言葉 考えをチェックする 必要があります 自分の頭脳と精神を 浄化し  地球をより美しくする 必要があります そうすれば 私達は よりよく生きられ 私達の子孫は私達の 残したものが楽しめ そうでなければ 私達は自分の子供達に 無責任になります 本当に良い両親では ありません なぜなら知っての通り 人の生活はお金だけに 頼るのではなく 感情と雰囲気 平和の国家と 平和の雰囲気にも 頼ります 生きるために愛を頼り 私達は子供達のために この愛を後世に 残すべきです 私達は子孫に 調和を伝えなければ なりません その時初めて本当に 良い父母であり本当に この地球を愛します 私はあなたが天国に 戻るか 仏土を切望 することは教えません それを望む必要は ありません 現世を浄化するだけで 結構です それこそある宗教が 人道は天道であると いう理由です これも正しく 私も同意します 私たちが完璧に 人間の生活を送ると  ここが天国になります 私たちが皆 義務を果たさず 身口意の浄化と 地球の雰囲気をが 浄化できないなら  私達はどんな政府  どんな「主義」雰囲気も 非難できません 私たちは多少なりとも 責任があるからです 私達は皆 地球の状態に責任が あります 私達は 誰も非難できません 時々 私達は誰も知覚 しないと思う多少の 悪い考えを持ちますが  それにはエネルギーが あります 私達の 考えには力があります 私達は皆 誰かと 口ゲンカをした後 雰囲気が非常に 不愉快だと分かります 私達は彼を見たくも ありません 彼により近づけば 雰囲気は異なります それは耐え難いのです これは「悪い雰囲気」と 呼ばれます 悪い雰囲気には エネルギーがあります その瞬間に 彼の考えは 私達の 考えと合いません この不幸な雰囲気は 本当に人々を圧迫する そうでしょう 「私は耐えられません この雰囲気は重いので 圧力はとても 重いです」と言います

私の結論は あなたが天国か仏土に 行きたいのか ただこの世界に留まり たいかに関わらず 皆が霊修行をし 瞑想すべきです 毎日 観音法門を 修行します それは 内在の天の王国と 繋がることを 意味します その時 適切に世事に 対処できます 私達はそれでも戒律を 厳格に守り 他人を 思いやるべきです しかし これら全て 戒律 慈悲 他人を 大切にすること 私達の行動 言葉 考えを点検することは 悟りを開いた後に  追求されるべきです その前に 話しても無駄です 実行はとても至難です 私達が開悟した後は 記憶は増加するし 何をすべきか  何をすべきでないかを 知るでしょう そうしてこそ私達は 本当に知ります 悟りを開く以前は

沢山の事をしましたが 殆ど達成しません 心が乱れて 私達がしたかった事に 集中することが できなかったからです 善い行いを完全に することもできず 悪行はさらに 悪くなりました

マスター 彼の最初の質問です 神と仏陀の違いは 何ですか  神とは創造主です 仏陀とは悟りを開いた マスターの意味です しかし  究極の仏陀は神です この仏陀がここに より小さい仏陀を送り ある時はインドに 釈迦牟尼仏陀 私達が 仏陀と呼ぶ人です ギリシャに送った時は ソクラテスと呼びます ユダヤ人に送られて イエスキリストと 呼びました 彼らは皆 私たちが神 または大仏陀 仏陀を生んだ 無上の母と呼ぶ 究極の仏陀によって 送られました

マスター この頃の世界は 災難でいっぱいです 彼は知りたいのです 楽園はいつ本当に この世に現れますか 私は既に方法を 皆に言いました 私達は自分から 始めるべきです それから私達の隣人に 影響を及ぼせるのです 私達の上品な生き方を 観察することによって 彼らはそれに関して 尋ね 従います 従って私達は彼らに この平和の方法を 教える機会があります 観音法門の修行のため ただ私に従って下さい 毎日 私達の智慧を発見し 内面の神または 仏陀を目覚めさせて 私たちを助け 私達の身口意を検査し 戒律を観察します そうして世界は 平和になるでしょう 尋ねる必要もなく 平和は明日 やって来るでしょう 皆が私が言ったように するなら 直ちに 平和になるでしょう 私は正しいですか 誰もそうしません 皆は人が最初にそれを するのを待っています 「そうねぇ あなたが 先ずそれをしなさい」 最初に唯それをします 隣人は気付くでしょう 誰もそれをしない時 私達がすべきです 多ければより良いです 人が多いほど良いです 早ければより良いです それはとても緊急です あなたはまだ尋ねます 観音法門は 仏陀の名前を唱える 浄土宗の法門ですか 含まれています 観音法門を 修行すれば 簡単に 仏陀 阿弥陀仏 観音菩薩と 浄土を 見ることができます だから内包されてます 観音法門は全ての 法門を網羅しています カトリック教 道教 仏教と他の全ての 法門を網羅しています 観音法門を修行すると あなたの宗教で 求めている 天国を観ることが 出来るからです 阿弥陀仏の世界が 好きなら 観音法門を 通じて そこへ 到達できます イエスキリスト 聖母 マリアと天国を愛して いるなら それらを  見ることができ 接触が出来ます グルナナク  クリシュナ  ムハンマド こういう マスターにも会えます 釈迦牟尼仏 あるいは 観音菩薩が好きなら 直接コンタクトを 取ることが出来ます 観音法門は全ての 衆生のニーズを網羅し 満足させることが 出来ます 「普門」という 法門です 全てを 実現させ 満足させる ことが出来ます 最高の法門だという 理由はここにあります もう一つの質問です 観音法門を通じて 解脱以外に 神通力を得ることも 出来ますか はい 出来ます しかし私は神通力を 求めないように 助言しますが それは人々を束縛する からで 子供が玩具に 縛り付けられるように 何も偉くはありません 分かりますか 私達は人を助けようと して 解脱を得て 私達が誰なのかを知り 宇宙のために なりたいのです 神通力で 遊ぶのではありません このような力は沢山 ありますが あなたを 面倒に巻き込みます 彼は密教で言う 「この肉体で 成仏する」という 言い方に対する マスターの見方を 知りたいと言ってます

この人生で成仏する ことでしょう 密教では いつも この人生で 仏陀に到達することを 言っています こういう方法があると 賛同します 観音法門は私達を 今世で仏陀に 到達させられます 密教はどんな法門を 修行しているかは 知りません 彼らが観音法門を 修行していれば  確実に今世で 仏陀になれます

九月十一日を追悼し 二〇〇一年 九月十一日の悲劇の 七回目の記念日に 多くの教会 大学と他の団体が 一同に会し 命を失った 三千人をたたえ 三千人をたたえ 祈りが捧げられました

ニューヨークでは 追悼式が 黙とうの時間として 開催されました
彼は 仕事の関係で 菜食は不都合だと 言っています 家では菜食し 外では 出来るだけのことを してもいいですか それでも大丈夫ですが 完璧に義務を果たす ことは出来ません 仮に 不都合だと言って 夜だけ 子供の面倒を見て 昼間は疎かにしたら どうなるでしょう そうすると あなたは 親としての義務を 果たしていません 子供の世話をするなら 時間のある時だけでは なく ずっと 彼らを愛さなければ

なりません それはいけません 菜食は 衆生に対する愛から 来ています 何かの理由で 他の 衆生の命を無視したら 私達は十分な慈悲の 心を持っていない ことを意味します 十分な慈悲がなければ 私達の理想は完璧 ではなく まだ最高の 果位を得られない ことを意味します 最高の果位とは  仏陀 イエスキリスト ムハンマドの レベルのことです 私達は慈悲心を持ち 自分の体を愛する ように他の衆生の体も 愛すれば 創造の神と 一体になります 創造の神と 一体になれなければ 仏陀にはなれません

マスター  毎日唱えるべき お経をお教えください 六字大明呪を 唱えてもいいですか ええ いいですよ 好きなものなら あなたを気持ちよく させるなら 何でも いいですが もっと 良い方法があります マントラを唱えるのに 行動 言葉 考えも 純粋にすべきで 五戒も守るべきです お経を唱える時 ここに集中し 静かに唱えるべきです この奥にあるのは 智慧のセンターで  このセンターで 唱えると智慧を得ます 心が散乱し 口だけで 唱えてはいけません 精神を落ち着かせ 智慧のセンターに 持ってきてください

それがどこにあるのか 分からなかったら ここに持ってきて 静かに唱えます 時間のある時 目を閉じて 心を落ち着かせ 智慧を使って唱えます 口先だけではなく そうすれば  加護を得られ  効果が出ます 加護はいかんに マントラや あるいはお経から 由来しているかを ついでに教えました  そうすると もっと 大きく加護を得ます 皆さんの習慣を 変えたくはありません とにかく私の指導に 従えば お経を唱える ことから もっと 加護された恩恵を 得られます どのようにして 悟りを開いたマスター 本当のマスターが 分かるのでしょうか これは難しいですが 簡単でもあります

その人の講義を聞けば 分かるでしょう 天眼が開いていれば 彼の体から放たれる 様々な光を 見ることができます 彼には利己的な動機が 全くないことに 気付くでしょう あなたのお金 供養を 望んでいません 彼に帰依することも 求められず  彼に有利なことをする 訳でもありません 彼は完全に無条件に 貢献するのです 少なくとも あなたを利用しない 信頼できる人です 彼は真のマスターで あるかどうか 彼から学んだら 分かるでしょう あなたに悟りを開かせ 自分の本性を 見させるならば その大きさに関わらず 彼には パワーがあります

悟りに導くなら 彼には パワーがあります 彼のレベル 能力を 理解するには 長い時間が必要です もっと修行すれば 分かるでしょう 修行すればするほど 分かるのです 修行しないなら もちろんそれは 理解しにくいです あなたの英語の先生が どれほど良いかは 彼から学ばないと 分からないと同じです 最初の日 あなたに きっと幾つかの単語を 教えることができます これさえできないなら 英語の先生とは 言えないでしょう 真のマスターなら 彼から学ぶ最初の日 すぐ真理を 見せることができます あなたの輝く所 明るい所を 見せることができます

あなたに仏陀 内在する天国を見せる ことができるでしょう 少なくもあなたの魂を 満足させるでしょう 意味が分かりますか あなたの全ての質問に 答えられます 何の執着もなく 何の障害もありません それは単なる 外面からの証明です でも彼のレベルを 知りたいならまだまだ 時間が掛かります さらに 数人が 悟りに関して 質問しています 悟りを開いたかどうか どうやって分りますか 一度も仏教を学んだ ことがなくても 開悟は可能ですか ええ ええ 悟りを開いた後 分かるでしょう しかし マスターが いなければ それを誤解して無視 するかもしれません ある人は自分で 少し到達できますが ある人はマスターに  頼るしかありません 少し悟りを開いて マスターの継続的な 指導がなければ それを無視するかも しれません 

時には誤解するかも それは私達に良くなく ですから  古代の人は 悟りを開いた後でも マスターを見つけて 確かめるのです

「この体験なら 何の意味ですか」と マスターに 尋ねるのです 「私は本当に悟りを 開いたのですか これはどんな境界か ちゃんと正しい道に 向かってますか」と 彼らはまだマスターを 必要とします 完全に悟りを 開いた後  私達は もう少しも 疑いもしません 私達は仏陀であり 神であるのが 分かるはずです 傲慢ではありません 本当に分かっています 知ることなく 分かり 知らずして よく分かっています 何人かは「空」に ついて聞いています 中国の禅宗では 心の雑念を 排除して 「無念無想」と いうのがあります いったい「空」とは 何でしょうか サマディーに 入らないと 分からないでしょう 言葉ではうまく 説明できません

体験できますが 観音法門を修行する 人なら すぐに この「空」 「無念無想」を体験 することができます しかし「空」や 「無念無想」は高い レベルではありません それはただ一つの過程 初級段階に過ぎません もっと沢山の レベルがあります 修行したら「空」しか 達成できないなら 誰がそんな修行を 希望しますか 儲けはないですよ 霊修行者には 感情がないと 言われています どうしてマスターは 人間の苦しみや 災害を見て まだ泣いていますか

修行して 石になるほうが お好きですか あなたが苦しみを 話した時 「大したことでは ありませんよ 私には関係ありません 私は石だから何も 感じられません」と これで良いですか むしろこのような マスターが好きですか

聖書には詳しくないの ですが 聖書では 不殺生と肉を食べない ことを言及されてるか どうかという質問です はい たくさんです

小冊子の 「なぜ菜食なのか」の 「なぜ菜食なのか」の 章の中でも 私は話しています 多くの聖書が人々に 肉食をしないように 言っているのを 私は話しています 「肉食することなかれ  私に捧げるために牛と 羊を殺すべからず」 これは神が言いました 「さもないとあなたの 罪を私は許さない」と 神への捧げ物でさえも 殺すことが許されない なら自分に捧げるなど 言うまでもありません 私達は神より上ですか

明確に書かれています

また  聖書には 十戒があります

一つ「殺生しない」 何でも殺す時 それらを 「殺生」と言います 生命がある限り それは殺生になります 人を殺していない 生き物を殺していない どんな命も殺してない とは言えません

同様に仏教では 最初の戒律は 非常に重要で それも「殺生せず」です 同様にヒンズー教でも 最初の戒律は 「殺さないこと」です ジャイナ教の 最初の戒律も 「殺さないこと」です イスラム教も同じです どの宗教が人々に殺生 しないことを教えたり 殺生さえ教えているか あなたは探せますか 一つ見せてください ほとんど全ての宗教は 最初の戒律として 「殺生せず」を定めます

生き物を殺さない 命を奪わないと言い 菜食である理由は 動物の命を 保護することです 私達がそれらを 食べなければ彼らには どんな仕事もないので 彼らを殺すのを 止めるでしょう だが毎日肉食するなら 私達は多くの命を 殺す人々を 励ますことになります そして私達は殺生の 悪いカルマ(報い)を抱えることになります ですから 戦争 災害や地震 また他の種類の 命にかかわる大災害が 起こる時には  神を非難すべきでなく 菩薩を非難 すべきではありません 私達の日常生活での 間違った行いで全てが 引き起こされています なぜなら 私達は宇宙の 慈悲深い法  全ての命を愛する法を 理解してないからです これに反して私達は皆 生命を奪っているので もちろん生命に危険を 及ぼす災害を避ける ことができません

彼は質問をしてます 印心後彼は二時間半の 瞑想をすぐできないと 言ってますがそれでも 印心できますか はい できます 修行を始めるとき 私達はそんなに迅速で あるはずがありません 無理しないで初めに 二十分または三十分の 瞑想から始めます そして毎日 一分か二分少しずつ 加えていってください しばらくした後私達は それに慣れて行きます 実際 時々私達は 数時間瞑想します そして動きたくさえ ありません その時立ち上がろうと してもあなたは そうしたくありません 私達の弟子は このようです

印心する前彼らは 二時間半できないと 心配していました しばらくすると彼らは 止めたくありません 本当に時々彼らは サマディに入りますが 彼らに何か仕事を 頼まねばならず 私の身体が限られて いるので私の化身が それをやりました 私は起きるよう人に 頼むか起きるように その人に頼むため 化身を送ります だがサマディー中の 彼らはやりたくなく 彼らは極度に 居心地がよいのです

彼らは非常に高い レベルにいて 戻って 来たくないのです なので心配したり 怖がらないでください 瞑想は とても心地よいのです それは一種の運動か 習慣のようなものです 私達が運転の仕方が 分からないときは 運転はすごいと思い しばらく学んだ後で 運転できます コンピューターを 使える人々を偉大と 思いますが 勉強すれば 私達も それができます

彼がまた質問してます 卵は食べていいですか 彼は一貫道の信者で 卵を食べることが できます 私達は卵を食べません あなたは肉 魚などを やめられるですから 卵もやめる 必要があります 全てをやめましょう 偉大な修行者は 卵に固着するべきでは ありません

私は真実を述べます 元来一貫道修行者は 卵を食べませんでした あなたの師祖に お尋ね下さい 師公 師母も 卵を食べて いたかどうか 前の世代とその後の世代の人に 卵を食べるかどうか 聞いて見て下さい 彼らは食べていません これは初心者に 便宜を与える方法です

一貫道は 元々は 卵を食べませんでした ただ初心者が 便利なように 外出の時や ルールを守れない 状況におかれた場合 卵を食べることを 許したのです もう食べないことです 卵も命があります 雄の性質がなくても 半分の生命を含みます 陰陽が結合していない もののやはり陽か陰が 中にあるのです そこでそれを食べると 殺生は免れません 妊婦は印心を 受けられますか

ええ 受けられます ただ座る時 自分が楽な姿勢で 座ればいいです 不便を感じないような 姿勢で座ればいいです

彼は昨夜 マスターの 経の講義を聴いてから 帰る時 目の前に 大きなクモが 現れたそうです 何回も同じことが 起きたそうです これはどういう意味か 教えて頂けますか クモですか とても大きいクモです たぶん「西遊記」を たくさん 見過ぎたからでしょう

幽霊を見るよりクモを 見る方がましでしょう クモも一種の動物で 善良な境界を 象徴します 印心後仏陀を見て 仏陀になるのが もっといいです これはクモを 見るよりましです 聖書に イエスは再び戻って この世界を審判すると 書いてあります これについて どう思いますか その可能性はあります 昨日私も言ったように 私達が彼の再臨を 望むのであれば 少しでも事前に準備し 浄化した方がいいです 私達は皆内面に 神が宿る寺院や教会の ようなもので これを 清潔にしなければ なりません 教会を清潔にしてこそ イエスキリストは 来てくださるのです さもないとイエスは 再び戻ってきて 十字架に磔に なりたくないでしょう 彼はたった三年間 説法しただけで 十字架に磔に さられました

あえて誰が来ますか 来ても無駄です 時間の浪費です イエスが来るかどうか 私達次第です 来るのを望むとしたら よき友人や お客のように 迎えるべきです 家をきれいに掃除し 少し飾ったり 素敵にペンキも塗り 香水もかけたり お花も供えるべきです 人々がイエスを 歓迎してこそ 彼は来てくれます でないと 誰が来ますか 阿耨多羅三藐三菩提は どんな境界ですか 神のこと すなわち 最高のレベルです あなたは定まった カルマ(報い)は 変えられないと 言いました  

肉屋は どうなりますか 毎日動物を殺してます 職業を変える べきですか 変えるべきです この世界には高貴な 職業が沢山あります 生計のために 殺生してはいけません 私達によくないです すでに仏 法 僧 三法に帰依した場合 観音法門の修行に 妨げとなりますか いいえ なりません より順調です 私が速く 仏陀を見て 浄土を見るように 手助けします 妨げとなるなんて 論理に 合いません 修行するには結婚した 方がいいですか 独身がいいですか

どっちでも 自分に合った方で いいと思います 私が決めることは できません 人は それぞれ違うからです ある人は寂しい生活に 耐えられます ある人は とても自立していて 自分自身の面倒を 見ることができます 彼らは 夫や妻がいなくても 平気です 冬でも夏でも いつでもいいのです ある人は周りに 友人や日々の生活の プレッシャーや 良い事も悪い事も 分かち合い分担する 人がいて欲しいのです こうすると彼らは 居心地がいいのです 自分にとって 良いものを選択します ある人は 世俗を捨てて 人々に奉仕し 経典を学び 瞑想し修行する 霊修行生活を好みます 彼らにはいいのです

好きにして下さい 皆は自由です 最も大事なのは 観音法門を修行し 戒律を守り 善き人になり 善き 市民になることです 呪文を唱える意味は 何ですか なぜ呪文を唱えると 不思議なパワーが 現れるのですか 呪文は 超世界の言葉です 呪文を唱えると 内面の智慧が変わり 私達の見方が 違ってきます だから不思議な 現象を見るのです 私達が不思議な 現象を見ることは 呪文を唱えたから ではなく私達の目が 少し開いたから 見えるのです あらゆる不可思議な事 美しい世界 神秘的な世界は 元々あるものです 修行してから 自分で少しずつ それを探検します 私達は 生まれたばかりの時は 小さい赤ちゃんでした 美しい女性のことも 知らずハンサムな 男性も分りません チョコレートも アイスクリームも ダイヤモンドも 金も分りません でもそれらは 元々存在するものです

それらは私達の 目の前に おいてあろうと 後ろにおいてあろうと 分かりません 宮殿に住んでいても 私達には無意味で 小屋に住んでいても 私達はやはり 分からないのです 成長すると徐々に 分かってきます わあ 色々あるんだな アイスクリームも チョコレートも飴も ビスケット 美女 ハンサムな男性なども 開悟したマスターに 呪文を 伝授されると より効果があり より力強いです これは私達が 何かの呪文を 唱えたいとき 法師に加持して もらうのと同じです するとその呪文は 前より力強いのです

従って私が 教えた呪文法を 皆さんが唱えると もっと力強く 助けになります 呪文を唱えると 私達の智慧が発展し 宇宙のいろんな隅を 見ることができます それらは現れたと 思いがちですが すでにあるものです 最初からあるのです 懐中電灯を持って 物事を照らすと それらが見えるのと 同じです 実はそれらのものは すでにあるものです 以前は懐中電灯が なかったので 見えなかったのです 呪文を唱えて 智慧を発展させもっと 見えるようにします

私には最高の 呪文があります

何人かの人が 観音菩薩は 男性かそれとも 女性かと聞いています 時には男性で 時には女性です 本々彼は 男性でも女性でもなく 慈悲の化身でした

仏教の法華経の 普門品に 観音菩薩は 男性の姿で 救う必要がある時 男性として現れ 僧侶の姿で衆生を 救う必要があるとき 僧侶として現れ 尼僧の姿で衆生を 救う必要がある時 尼僧として現れ バラモンの姿で 衆生を救う必要が ある時バラモンの 姿で現れるとあります 私達は様々な姿で いろんな所に現れる 観音菩薩を 見ることができます 観音菩薩の化身の 加護のない宗教は 存在しません 従って他の宗教を 中傷することは 観音菩薩を 中傷することです 二時間半の瞑想の中で 私達には 何が見えますが イエスを見るとしたら 彼と話していいですか いいです

イエスを見るには 私達の心とレベルが 彼のレベルと同じで なければなりません 私達の心が 楽であれば 彼は長く留まり 私達を連れて遊び いろいろ真理について 説明してくれます この世界ではそれを 聴くことができません 言葉では 理解できません 従って本当にイエスに ついて学びたければ 観音法門を 修行してください 彼に会い 彼と繋がってこそ 彼に真理を教えて 頂くことができます 内面で学ぶことが 一番安全です

誰も彼の教えを 何度も変えたり あちこち修正したり 間違えることは ないからです 出家した人は 見るからにとても 和やかで優しく 人の気持ちを よく理解してくれて 面倒見もいいですが なぜ結婚できませんか 元々出家者とは 結婚しないことを 意味します 軍人の責務は 国を守ることで 海軍航海士の責務は 船を操縦することです 空軍の場合は 彼らの責務が空の 業務であるのと同じで 出家して修行する人は 結婚してはいけません

結婚したければ 出家しないで 家にいればいいのです こういうことです

出家修行者が 結婚することは いけなくはないですが だとすると なぜ出家者に なるのですか こういうことです

結婚することは 間違いではありません ただ昔から 出家修行者とは 家族を捨てて その愛を 捨てることです

法(真の教え)を 学び もっと多くの時間を 経典の研究に当て それで人々を 助けるためです これが嫌なら 僧侶になっても 結婚してもいいです それを非難したり 中傷しないことです

人はそれぞれ違います 人が何をしようと 構いません 大した ことはありません 観音法門を修行して 戒律を守り 人を傷つけなければ それで十分いいのです

出家してもよく 在家でもいいのです 彼はすでに洗礼を 受けていますが 印心できますか できます まったく構いません 大丈夫です 洗礼を受けたままで いいです 印心を受けて 毎日二時間半瞑想し 教会に行って神と イエスを賛美します それから 瞑想するとイエスの ことがより良く分かり もっと彼を尊敬し よく分かります またもっと神を理解し 神と意思疎通し 神にもっと近づく だけです 私は皆さんに 仏教徒になるように 教えてはいません キリスト教もよく カトリックも 大変いいです 私もイエスを 大変崇拝しています 私も善きカトリック 教徒です 彼はマスターに 毎回経の講義が 終わった後すぐ時間を 割いて印心を与えて もっと多くの衆生が 開悟できるように できないかと聞きます いいでしょう ただそんなに早くは できません

静かな場所を借りて 印心を求める人に 与えなければ なりません 明日は日曜日で 九時から 印心を始めますので 時間通り来て 印心を受けて下さい 他に条件はありません 真理を求めるとしたら 真剣になるべきです

ある人が 心を空にする 瞑想をしていますが 魔に邪魔されても その瞑想を続けるべき かと聞いています

そうです 心を空にすることは 簡単ではありません だから私は 観音法門は最も安全な 法門だと言います 魔に取り付かれません 私は真剣にこれを 考えたのです 私達は 元々心は 大変乱れています いきなりそれを空に することはできません 心を空にする方法を 見つけることです

空を望むと空になる 訳ではありません すでに 気が散っているのです 私はそれを空にする 方法を知っています 頼りになる法門を 提供します それから私の力が あなたを守ります 魔の力も とても大きいです 誰か修行しようと する人をみると 魔は妨害します 皆が行ってしまうと コントロールする 相手がいなくなるのを 魔は恐れています 皆が開悟すると 自分を 崇拝する人が いなくなるのです すると魔は飢えて 権力もなくなります だから魔は修行者を 妨害するのです だから修行者には マスターが必要です 一人のマスターは 遍在し あなたが どこにいようと 守ることができます あなたがどこで 祈っても 彼には聞こえます 彼は何でも見えて あなたの全ての需要を 知っていて 二十四時間守って いなければなりません

あなたに心を空に することを教えると すぐに空になる 訳ではありません 魔が来たら どうしますか

彼は瞑想する時 頭がふらふらして 居眠りしやくなると 言っています どうしたらいいですか すぐ立って シャワーを浴び

運動してください ヨガや 太極拳をすると よくなります 深呼吸を数回した後 このように マッサージしてから また座ってください

善意の嘘も 嘘と言えますか 場合によります 時々私達は善意だと 思っても人を傷つける こともあります その善意が 人を守るためであれば 大丈夫だと思います 彼は なぜ生きた仏陀は 全世界の人々が見て 信じるように 空中に現れないのかと 聞いています そうです 私も自問しました 私が空から降りて 空中に留まると 皆は心臓発作を 起こすでしょう または何かで私を撃ち

落とすかもしれません 鳥と間違えて あんな大きい鳥は見たことがないと 言って さっそく打ち落として みようとするでしょう 危険です 命を賭ける ことになります 普通にしていても 多くの問題があります ましてや普通でないと なお更です 分かりますか 私は 人に 知られないように 静かにやっているのに 問題が沢山起こります 大きな声で言い出すと なお更問題になります 昨日私が光ってるのを 見た人がいますが それでどうなりますか 何も変わりません 私を信じる人は 依然として余りおらず 私が光を発してるのを 見た人さえ私を 信じるとは限りません 夢のような話しです

皆さんは仏菩薩を 長い間騙してきました 「仏菩薩が こうしてくれれば 私は信じます」と 言ってはそうしません 皆は奇跡や 神秘的な現象が 好きなだけで 正しい修行の概念は 好きではありません 仏陀は奇跡を使って 人々を引き付けて 人の信仰に介入する ような事はできません その代わり 人々の内面の智慧に 解脱の法門を教える 許可を得なければ なりません 仏陀は人に 強要できません 私は皆さんの 許可を得た状態で 法門を伝授します 皆さんが許可せず 内面で抵抗すれば 印心の時 何の 体験も得られません 分かりますか 私は神通力で皆さんに 強要できません

許されるとしたら イエスは とっくにそれをし 釈迦牟尼仏も 釈迦牟尼仏も とっくにそれをして 観音菩薩もとっくに それをしたでしょう 正しい道ではないです 私達は独裁者ではなく 仏菩薩は独裁者では ありません 独裁者は人を コントロールします 私達は違います 私達は催眠術師でも ありません アブラカダブラと 唱えて皆を混乱させて その隙に 皆を天国に連れて 行くのもいいですが 皆の心は 変わっていません 天国行って タバコを吸い お酒を 飲み カラオケへ行き 賭博したくなったら どうしますか

心から願ってこそ いいのです 仏菩薩が アブラカダブラと 唱えて 奇跡を見せても 後で一晩寝たら すっかり忘れます 次の日 やるべき事が 山積みになっていて 昨日仏陀が来たことも 忘れてしまいます これは本当です 人間の心と 体を混乱させる力は とてつもなく 大きいです 私達が心から 自分を変えたいと 求めなければ仏菩薩も 何もできません 分かりますか 私達は 本当に理解し 本当に分って 本当に 解脱を求めることです

大悲呪経を唱えると 何がいいですか 大悲呪経に仏菩薩の 名前が連なっている のは何の意味ですか 念仏と同じです 念仏は 私達よりも偉大な 存在がいることを 私達に 悟らせてくれます それだけのことです 殺生はいけないですが 人間に害を及ぼす 害虫や動物は どうしたらいいですか それらは処理できます しかし私達はカルマ (報い)を背負います

人間に害のない 大きい動物を殺すと 重いカルマ(報い)になります 他に方法はありません 私達は自分の命で 償うことになります

すぐにカルマを 消す方法はありません

神は最も 慈悲深く優しいのに なぜ人はここで 苦しんでいますか 私達が苦しいのは 自分の過ちからです 私は前にもいいました 私達が神を崇拝し よい事だけをすれば 皆が平和で 全て神の意思に 従ってやるでしょう すると苦しみは どこからきますか 私達が互いに 殺し合い 競争し 悪い雰囲気を 作るのであれば これは神のせいでは ありません 神はそのように 教えていません 私達が神の言う事を 聞かないからです 子供が親のいう事を 聞かないため 親も手をやいて いるのと同じです 親は私達に 外へ行って殺したり 盗んではいけないと 教えてもそれをします それで警察に 捕まっても 親が無慈悲だとは 言えません 私達がそのような 状況を作ったのです

キリスト教では 紀元二千年は世界の 終末だと言っています マスターは どう見ていますか 毎日が終末だと 私は思います 毎日人が 死ぬからです 私達にとって それは世界終末です 死んだら世界は何の 意味もありません

毎日誰かが死んで その人にとっての 終末を恐れないで 世界終末を 恐れています もしかしたら明日が 私達に取っての世界 終末かも知れません 死んだら 世界は終わりです 速く自分を救い 他の世界を見つけて 下さい 明日まで 待たないことです

 
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