智慧の言葉
 
Charity Alone Does Not Lead to Liberation Part 1 Mar. 3, 1990 Taipei, Formosa    Part 1
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マスター私達は ここの人々のために 祝福を望んでいます 通常 インドネシアの 習慣として 良いマスターが来ると そこのすべての人々は 祝福を望みます そして全世界が同様で 人々は祝福を望むと 思います 通常 ここの習慣では 経典を読んだり たぶん短い 般若心経のような 経を読んだり 大悲哭などを 読むのも良いです ここの人々はただ 慈悲を受けたいのです 何をするのですか 経を読む事ができます はい 経を読むだけですか 般若心経 または ただ短い経で 構いません

阿弥陀仏の名前を 詠いましょう いいです お願いします 簡単です 皆に私の歌を唱和する ように言って下さい 南無阿弥陀仏 私の後に言います 「南無阿弥陀仏」 とても簡単です 皆が唱和できますね (ええ はい) どうぞ 通常 インドの 伝統によるなら 仏教の伝統に 従うなら マスターが人々を 仏陀が人々を加護する その時 彼はただ 目を使うだけです 時に両手も でも私は 貴国の習慣に従います ええまず私が詠います 「南無阿弥陀仏 そして私が 名前を複唱しや後で 皆が複唱します

皆が一緒に詠うことが できるでしょう 人々のためにより 恩恵が受け取れるよう もう少し阿弥陀仏に ついて説明したいと 思います 阿弥陀仏は 仏陀の中でも 最も強力な者です 彼の存命中 彼は誓いをたてました 彼の名を 唱えた者は誰でも 極楽浄土へ 行けるという それは唱和の為でなく それは 誠実な私達の心が 仏陀を引き寄せる ことになるのです 誠実であるように 南無阿弥陀仏 仏陀に十方の仏陀に 祈るのです 三回国を加護し この国の人々に 非常に誠実な者 心が素直で純粋な者 神を心から愛していて 彼ら自身の方法で 愛する者をです

南無阿弥陀仏 ありがとうございます 親愛なるマスター チンハイ質問です 誰もが仏陀であるとか 仏陀になれるという のは真実ですか 皆が仏陀なのですか この事について どうお考えでしょうか 釈迦牟尼仏は 皆が仏性を持つと 言っています 皆が仏陀になることが できるます 彼は「私は既に仏陀に なり あなたも仏陀に なれる」と言いました それで もちろん 私も彼に同感です そしてそれが真実だと 私は知っています でも仏性とは 何でしょうか それは善良で 私達の至高の 智慧の力です そして見つけ方が 分かりさえすれば 私達は仏陀に なれるのです この至高の智慧は サンスクリット語で 「阿耨多羅三藐 三菩提」です

「三仏陀」の意味が 「仏陀」です 「三菩提」の意味は 「智慧」です そして 菩提に到達したら 仏陀になります

サマディに入定する為 容易に集中する方法は まず心から誠実になる 必要があります 真理を知りたいと 思うことです 真理とは何であれ  あなたが「神」又は 「仏陀」と呼ぶもので それは同じです それからあなたは 良き師を見つけるべき 既に神あるいは 仏性について 知っている者です 師にどうするか 教えを請うのです これが最速の 最も近道といえます でも時に人々は 仏陀の名を唱和し 彼らはあまりに心から 誠実に求めたために 一種のサマディに 入れる事もあります

それを私達は 念仏三昧と呼びますが これは仏陀の サマディの意味です でもあなたがどんな 瞑想を選択しても 良き師を 持つべきです あなたが 阿弥陀仏の名 阿弥陀菩薩の名を 複唱したいと思うなら あなたの師が良ければ サマディを得られます ええ それが全てです 良き師を持つことは 非常に重要です なぜなら 仏陀の存命中 仏陀が生きていた その時ですが 愚かな弟子が 一人いました 何であれ仏陀が彼に 教えた事を彼は即座に 忘れました でも非常に誠実でした 本当に彼は心から 真剣だったのです

彼は仏陀に救いを 求めていました それで彼は毎日寺を 仏陀のために 掃除しました それで仏陀は彼に教え 「よし 君が寺を掃除 する時に君は掃除する 掃除する 掃除すると 言うのだ」 彼は非常に仏陀に身を 捧げていましたから 彼が掃除する時は 「掃除する」といい 彼は何か良い真言だと 思っていました そして彼は仏陀を 信じていましたそれで 彼は解脱できたのです 真言のためではなく 法門のためでもない マスターパワーです ええ 彼には良き師が いたからなのです それでインドには 世界中でも霊修行者や 真理を探求する者には 最高のマスターが 現れるのです

ベジタリアンは 卵を食べていいですか 卵? 無性卵ですか はい いいですかだめですか 無性卵 孵らない卵ですか 無性卵です いいですかだめですか いいえ いけません 卵には半分生命が 入っていますから 条件が揃えば 鶏になります また卵は陰性の力を 引き寄せます 霊の力です それを食べるなら多分 私達は否定的な力に 汚染されるでしょう なぜならご存じの通り 多くの黒魔術師は あるいは 白魔術師は ある幽霊にでも 憑かれた魂を治すのに 卵を使うのです 貴国でもそうですか ええ そうですね 卵を食さないことは とても論理的です

では玉ねぎや ニンニクはどうですか 玉ねぎとニンニク ええ それはいいです インドでは 二つの意見があります 良いという人とダメと 言う人もいます 私は 両者の団体を見ました 良いマスターが いるなら 良い法門があるなら 玉ねぎやニンニクを 食べても関係ないです でも良いマスターが いないなら 何も食べなくとも まだ悟りを得ることは できません 構いませんニンニクも 玉ねぎも殺生には 関わっていませんが 時に匂いが酷かったり するので 人々は 避けるように努めます また僧や尼僧に とっては 彼らが言う所では多分 ただ良くないのです

肉欲を扇動するかも しれませんから 分かりますか でも在家の者なら それほど傷害に なるとは思えません でも もちろんあまり 良い匂いではないので 人々は避けるでしょう 他の宗教に対してどう 接したらよいでしょう 他宗教に対する私達の 態度はどうあるべきか 忍耐と 愛と理解で接します なぜなら国家の法とし 他の宗教を修行する のを禁止していません ではなぜ私達は 仏教徒 キリスト教徒 として人間の法よりも 下回りますか この国であれ 他国であれ 自由な国でしょう

私達は異教の修行を 禁止されてはいません 人間の法でもあります 私達がキリスト教徒 仏教徒なら なぜ私達は国家の法に 触れないでしょう 私達はそれ以上です 私は多くの 異なる国へ行きました 仏教が主な宗教の 国であったり キリスト教が主要な国 または恐らくイスラム 教が主の国です でも彼らは常に 異教を許してきました 例えば私は聞きました この国がありここに 私達の国があります 大学もあって 政府は仏教を学ぶ 学生を許可しています または儒学等 ここでも アッラーを 主に崇拝する国で あっても これは政府が非常に 賢明で自由である事を 示しています なぜ質問しますか 国が文明化されて いるなら 私達は指導者の法規に 従うべきです それは賢明で 非常に自由な国で素晴らしいことです そうですね

マスターチンハイ 修行の正しい道を 教えて頂けますか

楞厳経 妙法蓮華経 などのような 仏教経典によると 仏陀は観音法門が 菩提に到達した 方法であると 言っています でもそれは非常に長く それを暗唱したいなら 大変な時間が かかるかもしれません でも確認するために 楞厳経 妙法蓮華経を 読んでもいいです 少し引用します 楞厳経では 仏陀はこう言いました 彼自身が観音法門を 修行しました 内なる音を 聞くことを意味します そして 観音菩薩も そうです 「観音」は内なる 音を聞くことを 意味します 自身の本性を聞くこと ですから 仏陀は 菩提に到達するために 菩提に到達するために 彼自身も観音法門を 修行しました

そして観音菩薩 文殊菩薩も 観音法門を 修行しました 十方の仏陀も それを修行します マスター 質問があります あなたが悟りを開いた ヒマラヤ山脈の 場所の名前は 何といいますか チベットか インドか インドにありますが 名前は知りません その場所には名前が ありませんでした 私は名前を探すの ではなく 悟りを探しました これについて もうちょっと話します 悟りを与えるのは ヒマラヤではないです 部屋に座って 悟ることもできます あなたが誠心誠意で 良いマスターがいる場合です

仏陀のために 寺院をきれいに 掃除した人のように マスター カルマ(報い)のため 私達がこの世に 生まれることに ついての質問です 私達を罰したり 裁く誰かがいますか 「カルマ」はあなたが 何をしてもその結果を 得ることを意味します それが「カルマ」です サンスクリット語で 「因果の法」を 意味します 今 この法は 私達を罰して裁きます 私たち自身の良心が このように顕現する 以外に 座って  審判する 実在の人物はいません 閻魔という神の 神話がありました 人々の良い行為や 悪い行為を審査する ことになっています

ある人が彼に「それ程 多くの人が世界にいて どう一人で効率的に 仕事ができますか」と 尋ねた時 彼は言いました「いえ 私は何もしません 人々は彼らがした 悪い行為 良い行為に よって彼ら自身の 審判をします」 修行者になるために 頭を剃らなければ なりませんか いいえ いいえ 必要ありません インドの伝統は このようです  インドの伝統によると 真理を見つけるために マスターを探しに 家を出る時 古い過去を放下し 新しいことを 開始する象徴として 頭を剃ります

一回 一回だけです その後 伸ばしても いいし 剃ってもよい それはあなた次第です そうでしょうか インドの市民ですか 正しいですか はい しかし 私は多くの 長髪の人に会いました そして 彼らは 悟りを開いたのです 彼らは 決して頭を剃りません 例えば インドには シーク教のような 他の宗教があります シーク教のグル ナナク 彼は決して 頭を剃りませんでした しかし 彼はインドで 最も尊敬されている 悟ったマスターの 内の一人でした カビールは 偉大なマスターでした 今でも皆彼の歌を 詠っています

彼は普通に働く 作業員でした そして仏陀はとても 素晴しい弟子がいて 名前は唯摩 彼は在家者で  決して頭を反りません でしたが  彼は最高の弟子でした ほとんどの僧は 彼の智慧と  偉大な開悟を 恐れていました 殆どのマスターの 剃髪した弟子は 僧侶は彼を 恐れていました 彼が賢いからです ありがとうございます 瞑想をする時 眉毛の中心または 口や鼻の中心に 集中する必要が ありますか 眉毛の上が良いです 眉毛の上に集中する 方が良いでしょう これを仏眼と 呼ぶのです 仏陀には そこに 目があるのを見ますね

そこが集中する ところなのです 経典を唱える時や 仏陀の名前や マントラを唱える時 目を閉じて そこに集中した方が 良い結果が 得られます 仏性と精霊は 同じものか違うもの なのでしょうか 神のことです ええ 聖霊や 神性や仏性は 同じです 一つの事ですが 異なる国から来たので 違う名前なのです 私達はその言葉を 通訳しないから 違うように思います 例えば インドまたは ここでは「グル」と 言いますが 英語だと 「マスター」になり その二つの言葉が 同じ意味だと 知らないと 私達は 「違う意味の話」だと 思うのです 観音菩薩はただの 想像と幻想または 彼女は古代に 本当に存在していた 人なのですか 彼女はかつて度は 修行者で仏陀のような 修行者でした そして 彼女は聖人に達し 悟りの境地に達し まだ存在しますが 違う境界にいます 仏陀は彼らについて ついて話します それは昔本当に 生きていた人ですか (ええ)はい

はい 仏陀の境地に 達した後です はい どのように輪廻から 解脱するのですか 解脱したいなら 心から仏陀や 神に祈って  良いマスターに 会う機会を 与えてもらうのです なぜならマスターは 天国と仏陀の 代表なのです 仏陀の力を持っていて 高い境界まで 連れて行ってくれます しかしマスターは 生きてる人で 言葉で教えてくれる 人でないといけません 印心とは何ですか 印心はあなたの新しい 人生の始まりです 印心の意味は 新しく従う  新たな人生の始まりで マスターが あなたを 神聖な団体の一人だと 認めてくれて 聖人の一人となり 神聖な団体の一人と なることです そしたらあなたは 普通の人では なくなります あなたは高められます 例えば あなたが 大学に入学すると 大学生になり もう高校生では ありません 昔は「洗礼」または  「帰依する」という 言葉を人々は 使っていました はい バチョヨさん  偉大な比丘 偉大な比丘尼の歓待と ご親切に 感謝します
ありがとうグレイジー 二十年 十五年前は イタリア語を 話すことができました 今は少ししか 理解できません 何でも練習しないと 忘れます 神の品性も 同じことです 私達はみな聖書で 私達は神の子であり イエスキリストに  よって救われ 清らかになると 読んでいます しかし時々私達は それを忘れます だから時々思い出す 必要があります ところで こんばんは 皆様が その毎日と人生を 楽しみますように 今回私は再びローマに 戻って来たことを 非常に楽しんでいます

昨晩私は私の友人と 電話を通して 話しをしました それは私がイタリアを 離れてだいぶ経って いますので私は特に ローマがいかに美しい ことか忘れそうになり 実際どうやってこの 壮大な建築やこれらの 美しい環境のローマを 忘れることが できるのでしょうか どう忘れるというのか そしてここの人々は 格別極めて温かく もてなすことさえも 忘れていました これはまるで初めて 私がここに来たのが 初めてのようです そして全てが驚きで ワクワクして 興味があり もちろん楽しめます

私が驚いたのは この首都の町で 人々は非常に忙しく まるで他の 首都の町のようです 人々は生活が もっと慌しいので 忙しいのですが あなたが何か必要な時 彼らはあなたと 話す時間を取ります 指導が必要なら 彼らは時間を取って あなたを教えます 彼らはあなたの要求が 満足するまで時間を 取って世話をします そしてそれこそ 私が今回ローマに 着いて まず経験しました 交通量の激しい道でも ゆっくり道を渡ろうと している一人の よそ者の私のために 車が私のまん前で 停まってくれました

それはホテルの中でも レストランでも お店でもなくもちろん 広告宣伝のためでなく 彼らはいつでもします 経験ありますか どうですか はい それがイタリア人です そしてだいぶ昔 私が初めてイタリアに 来た時電車の中で ある人に会いました 年配の女性です すると彼女は私を 彼女の家に招待して 数日間彼女の家で 最も重要なお客様の ように私を扱いました 家族全員が 同じことをしました 何のためでもなく 何の理由もなくです 彼らはただ思いやりと 愛と共に生まれました それで私がイタリアに 戻った時これら全ての ことが再び起こり そして私は長い間 ここにいなかったので 忘れていました

まるで初めての ように感じました 同じように私達は皆 再び天国に 案内されたときに 私達はこれが初めての ことだと思います イエスはこの世界に すごい痕跡を残したと 私は思います 主は約二千年も前に ここを去ったのですが だから全ての良いこと たとえ古く時代遅れと いわれることも 役に立つのです そしていつも人々に 思いやりのある 行動をすると 私達とその人との間や 周囲に大いなる 天国を創造します イエスは原子爆弾や 放射ミサイルではなく 彼は愛でもって 世界を征服しました

しかし残念ながら 私達の一部は 良く 学びとってないのです 全世界の人の行動が イタリア人のようだと 世界には戦争が減り より多くの平和 あらゆる国における 多くの繁栄があります 主イエスが私達から 去って以来 私達の 一部は神の道に入る 方法を忘れています 神の品性で どう行動するか 私達が神の一部だと 思い出す方法をです 私はイタリアの人々が 神を非常に良く覚えて いることが嬉しいです ここで素晴らしい事を 目撃できたことは 私にとって喜びです

それは人類への 主イエスの教えの 素晴らしい効果です 一人の人が地球全体や 少なくとも この地球のある地域に どれほど大きな影響を 与えているか お分かりでしょう 特にイタリアでは いつでも一つの例は 千冊の本の理論より 勝るのです 愛だけが持続的効果を 持つことができます イタリアの人々に 私はただ賞賛と 私の深い敬意と 喜びを覚えます 主は皆さんをとても 祝福しました そして 主イエスが彼の教えで あなたの土地に 栄誉を与えて以来 ずっと皆さんの文化 皆さんの建築  芸術的な宝物など 意味深い所に その痕跡を 表しさえしています

現代でさえ とても多くの芸術家が あなたの国から現れて 彼らの美の愛をもって 世界を征服しました 皆よく知っています 多くの有名芸術家は イタリア人です それで世界の人々は これら手本から 私達の優しさで 他の誰かの心を 兵器ではなく愛で 美徳で美しさで征服 すべきであることを 学ぶべきなのです 皆さんは 貴国の芸術家が 才能で 美しい ファッション 宝石で 素晴らしい衣服で そして とても多くの 絵 彫刻などで 世界を征服したことを 知っています

全世界がここに来て  この地の中心にある  これらの 傑作品を 賞賛すべきです

フェラーリもあります とても有名で とても高いです 車もイタリアで 作られています それはどれほど加護が あるかお分りでしょう いつまでも挙げられ ますが 経済を宣伝 するのではないので ここで止めておきます ただ私達が神への 強い信心をもてば 私達の眠っている 才能のすべてと  天の富のすべてが 現実に顕現することを お話したいだけです またまさにここは バチカン市国の 恩恵も受けています 多くの慈悲あふれる 恵み深き法王の臨在に 加護を受けています そしてまた 

皆さんは 現在 最も人望のある 教皇に祝福されてます 最も有名な方の一人 最愛で聖なる人に ですから皆さんは 非常に幸せであるべき 毎日 神に感謝 すべきなのです 私もまたここで非常に 加護されています たった数日間ですが 皆さんの何人かには まだそれほど幸福で なく 本当に神 より深く知りたいと 思っている場合 直接 神と話したかったり 神に触れたり 抱き締 めたり 神の言葉を 聞きたいのであるなら 私が暫くここにいる 間にこのボーナスを 少し提供ができます

不運なことが まだこの大陸に 広がっています 私は 昨日不思議に 思い 私の友人と 話しました どうしてそのように 好意的で純粋な人々が この習慣に陥ったのか 不思議に思っています 彼らはあまりにも 純粋からと話しました

皆がただ彼らに 何かを売って そして ただ買うだけで ただ それをするのです しかし それは時々 私たちの視野を 鈍らせる物の一つです それは頭脳に障害を 引き起こすからです

ほんの数日だけ タバコを吸うホテルで タバコを吸う飛行機で タバコを吸う空港で タバコを吸うタクシー 座ってこうなりました

私は鼻血を流し 耳は聞こえませんし 頭はむくみました 人たちが毎日 こうして喫煙するのは なんと哀れでしょうか 本当に可哀想です それで何人かは 神を愛し神を知りたい と思っていても 直接神を見付ける 方法を知りません そして霊的な知識 神の愛に飢えて 私たちは 自分に 少しの満足感  少しの陶酔感 つかの間の祝福を 感じさせるものを掴み これらは私達が 手近に入手できる 代用品であるからです しかし アルコール 麻薬 タバコなどは 実際に毒であり 私達が神に近づくのを 邪魔します

ですから 霊修行において 私たちは人々に これらの有毒なものを 控えるよう忠告します 多くの人々にとって 彼らはただ神の存在を 知り ただ聖書を読み あるいはあちこちで  わずか祈るだけで 満足するのです しかし 多くの人々 他の人々にとっては これらは不十分です 彼らは本当に神を 知りたがっています 彼らは神と話し 日常の問題で神の 助言を聞くことができ 文字通り神の より近くにいられる ことを望んでいます これらの人々のために 私達は ここで 少し援助を提供します

なぜなら戦争と紛争 誤解 怒り 憎しみ それらは皆欲求不満と 神を知らないことの 結果であるからです 人類ならやりかねない と私たちが思う すべての害悪は 神に関する知識の この渇望から来ます 皮肉で 逆説的ですが これは本当です 彼らはただ他に何を するか分らないので それは助けを求める 絶望の叫びなのです それで彼らはあなたが 悲鳴を上げるように 暴力に頼るべきです なぜそうですか 私達は人間のように 見え この人間の体を 身に着けていますが 私達は神の子供であり 聖霊であるからです

私たちは以前 私達が 欲しい時はいつでも  すべてが得られる 天国に住んでいました 「汝が神の殿堂であり 聖霊が汝の中に宿る ことを知らないのか」 私達の内面には唯一 神がいるという意味で 私達こそその神であり 以前は 私達が必要な ものの為に働くことに 私達が欲しいのを 求めなければならない ことに慣れていません そして それを 持ってさえいません それで 時々 私達は イライラし 怒りを 感じ 絶望的で 無力感を感じます それで 時々 この挫折感が 暴力を生み 憎しみを生み そして 結局は戦争を生みます

それで戦争を 引き起す人は 本当に愛と助けが 最も欲しくて たまらない人なのです しかし彼らは 絶望に耽っているため 彼らに愛 智慧及び 理解をもたらすことは それほど簡単では ありません 例えば誰かが重い 病気になっても 医者さえ認めないので 医者に感謝することは 言うまでもありません それでこの絶望的な 状態に落ちる前 よりよく自分自身の 世話をし 最も深い絶望による 助けのいらない状況を 決して経験しないため 神の愛を親密に より実際的に 見つけることができる ように注意しましょう

私達が何事をしても きっと神は私達全員を 愛するでしょう 私達が何事をしても 彼個人に対する事さえ イエスは私達皆を 許しました 彼は自分の敵を許して 彼らの為に祈りました 「神様 彼らを許して 下さい 自分が何を しているか知りません 私が再び イエスに関わる何かを 読むたび いつも 泣きたくなります こんな偉大なる愛は 神から来るだけです 私達はすべて 神の子供です なぜ私達にはこの愛が ないのでしょうか 私達にはあります ただそれを起動させ なかっただけです 方法を忘れたのです

私達には愛があるが イエスの程度にまでは 至ってないのです 再びそれを得るため まだ試みることができ 神は私達全ての 罪を許します イエスは許します 私達のために死に 神の目の中では 私達は つねに平等なのです なぜ私達は神を認識 する必要がありますか なぜこの愛を起動させ なければなりませんか なぜ私達は努力すべき なのでしょうか 私達がこの愛を起動 させなければ 私達 自身が苦しむからです またもちろん 私達が時々愛する人に 自分と接触する人に または自分の周囲に ある時は自分の国家に 苦難をもたらします

私達が間違った決定 非常に愛情がない 決定を下した場合です  例えば 戦争を起こすこと 神を認識する為でなく 私達が神の一部であり 神と同一であることを 理解するためこの愛を 起動させる必要があり ます ただイエスが 「私と父は一つです」 ただ話すこと 思うこと または 望むことによって 神と一体になることは できません 実際神と一体になり 地球上の神となる ことは必要です 再びその海に入り 愛の海と同一でないと なりません そしてこの地球で 神を表現する事ができ 彼の全ての 素晴らしい品性 全ての慈悲を 私達は表現できます そして愛 喜び 慈悲 幸せを自分の辺りの 人々にもたらします

皆さんの地域社会で この福音を広めるよう 努力すべきです 人々にこう言います 神のみが彼らを救うと 「神は私達を救う」 これは神がつねに 私達の家や身体を 守るという 意味ではなく 神は その後私達を救います 全てのはかないものが なくなってから神は 私達を永遠に救います

スプリームマスター テレビジョン 十一月二三日火曜日 スプリームマスター チンハイの霊感溢れる 講義 題して 「現代の生ける救世主」 第一部を智慧の言葉で ご覧下さい

本日の スプリームマスター テレビジョン 「現代の生ける救世主」 智慧の言葉にて ぜひご覧下さい

これこそ菜食が 何たるかということで 全ての衆生の 内面からの真の愛です マスターやイエスや 仏陀がそう言ったから ではなく 「殺生の悪いカルマ (報い)を受けたくない からです これは本当に動物への 愛があるからです

それこそ皆さんが 菜食を始めた方法です

スプリームマスター テレビジョン 十一月二六日金曜日 スプリームマスター チンハイの智慧溢れる 講義 題して 「現代の生ける救世主」 智慧の言葉で ぜひご覧下さい

本日の スプリームマスター テレビジョン 「現代の生ける救世主」 智慧の言葉にて ぜひご覧下さい

 
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