智慧の言葉
 
Rediscover the Supreme Power Within Yourself - Part 1 May 28,1993-Hong Kong (In English & Cantonese)    Part 1
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最初の踊りは テプ バン ソエンです 二番目は スリ ウィチャイ という踊りです これは 素晴らしい機会です 講義をしていただく マスターチンハイを 歓迎しましょう ようこそ マスターチンハイ

では修行仲間の 体験談を ご紹介したいと 思います

こんばんは 私はマスターの 弟子の一人です 印心を受け 観音法門を 二年間修行しています 最初の内面の体験は ちょうどこの四月中に 起きました ある日 いつも通り瞑想のため ベッドから起きました サマディに入った時 自分の内面で 大きな音を聞きました それは沢山の 音のはずれた楽器が 演奏される 大コンサートでした 同時に 私の智慧眼には 光が当っていました 大きなエネルギーに 満ちた振動が 私の魂を その光へと 速いスピードで 引き上げました 想像上の電車に乗って トンネルを 走り抜けるようでした 私の魂は 智慧眼を通って 外の別次元へと 走っていきました 素晴らしい大気と 澄んだ空でした 私は自分の姿を 振り返りましたが 体は見えませんでした ただ魂と頭脳だけが 空を漂っていました 私の魂はついに 楽園に流れ着きました その中へ入ると マスターと やはり弟子である 私の親友を 見つけました マスターはいくつかの ジュエリーから ダイヤモンド首飾りを 選び私達の首にかけ それからマスターは 二人に外で遊び回る ように言いました

この体験後 瞑想中は常に 似たような体験が 一カ月間続きました けれども 聞こえる音と 次元と雰囲気は 異なっていました たとえ私の得た その体験が極端に 素晴らしいもので なくても マスターチンハイが 悟りと解脱へと 確実に導いて くれていると 確信が持てます しかしそれには 誠実に 真剣に 解脱を探求すべきです マスターに 私達の全霊をこめて 感謝を申し上げたいと 思います

さあ まもなく 皆さんが待ちに待った 時間がやってきます どうぞお迎え下さい マスターチンハイ スプリーム マスターチンハイ

ご機嫌いかがですか

気分はいかがですか 大丈夫ですか タイの人は内気ですね 手伝ってもらえません 私はもっと内気です ですから 両方とも内気で 何もやらずに 座っているだけです これがこの世界の 問題です

皆がとても謙虚で 内気で 自分の感情を 表現しようせず そして自分が目指す 目標に向かって 精一杯努力しようと しません

私もとても 内気な人間です

今もそうですが 決して私の内気に 人生の目標達成を 阻害させません この内気と恐れは 時には私達を妨害し 毎日の日課に縛りつけ 動けなくなります 私達が人生の新しい 解決策や 新しい意義を見つける ことを妨害します これも 多くの人が 開悟を得られない 原因だと思います 釈迦牟尼仏陀が 私達に 誰でも仏陀になれると 約束しています 彼自身はすでに 仏陀になった人です 私達も将来 仏陀になります 全ての衆生は仏性が あると言っています 仏陀の教えと 他の全ての マスターの教えは おおよそ似通ってます いずれも 神の王国と仏国土は 私達の内面にあると 教えています けれどもなぜ それを見ることも 知ることもできず 仏性を理解することも できないのでしょう 釈迦牟尼仏陀は 私達は皆仏陀であり 仏性は内面にある と言っています つまり仏陀になる 可能性があり 少なくとも仏陀の種が あるということです ではなぜそれが見えず 見つけられませんか すでに見つけた人に とっては 簡単なことです まだ 見つけていない人に とっては それは 大変難しいです 釈迦牟尼仏が 自身の仏性を 見つけた時 とても驚きました 仏陀は言いました 「私と他の衆生とは 何も違わないのに どうして彼らは 知らないのか」と 悟りを開いた人は 誰でも皆 同じ疑問を抱きます みな 同じ感じなのです 自分がとても 平凡に思えます 以前とそれほど 違いませんが 智慧は開きました 内面で何かが 目覚めたのです それが 唯一の違いです 悟りを開いた人は 他の人たちに この宝を見つけるのは とても簡単だと 納得させることが 困難なのです というのは 私達の天性はほとんど とても内向的で 内気だからです 謙虚とも言えましょう とても謙虚なのです そして 仏陀になるとか開悟と いったことに対して 多くの幻想があり 難しいと思うのです 悟りを開くなど 今生では 無理だと思い込み この世俗に生きながら それを達成する事は 不可能だと考えます それが私がヒマラヤに 行った理由です

私は当時 神秘的で はるか遠い所や 人家がなく 汚染のない所でこそ 開悟できると 思いました そして私は多くの 苦難を経験しました 一日一食しか食べず 夜は寝ないで 夜通し瞑想するなど このようにすると 仏陀の域に到達すると 思ったのです 相当長い時間  飢えに耐え 相当長い時間 時には 寒さと 惨めな目にあってから こそだと思いました 暫くしてから それらのことは皆 必要ないと分りました 仏陀はとても 慈悲深いからです 彼は私達に辛い思いを させたくないのです そして 他の人と私の経験を 分かち始めてから 更に分かったことは 自分の家で瞑想し メルセデスを乗り回し きれいで モダンな一流の レストランで食事を しながらでも開悟 できるということです

一部の観音法門の 修行仲間は 悟りのレベルが とても高いですが 彼らはヒマラヤに 行った事はありません 一日一食を経験した こともありません また夜通し瞑想した こともありません 彼らはいずれもこれを 証明する事ができます ですから  唯一必要なのは 正しい修行法門と 友達または先生か ガイドのような人です  その人は修行方法を 知っていて体験を 分かち合うことが できる人です その後はどこででも 修行できます もちろん 私達は自分の 生活様式を変え 住む所を変えて 開悟を求める必要は ありません したければ そうできます そうすることが 修行にとってよく 心がもっと平和で 修行することに 助けになるのであれば 助けになるのであれば そうしても構いません 鮮黄色の僧衣に 着替えてもいいのです お寺へ行ってもよく 森へ行ってもいいです またはもっと 静かな仕事の環境を 選んで変えるとか などなど これが本当に 私達に幸福な安定した 感じをもたらし 修行に役立つとしたら やっても構いません しかし誰でもが 欲しいままに選択する 自由がある訳ではなく なぜなら多くの人は 責任があり 家族があり 両親や子供や妻や 夫がいて社会的責任も 果たさねばなりません 皆が 森に行ってしまったら 町は空っぽになります そういう提案は 私はしません

仏陀が 釈迦がこの世にいた時 彼には様々な 弟子がいました

それぞれ異なる職種 異なる背景や 異なる地位 異なる才能や 異なる宗教を持つ 信者たちでした

仏陀が 涅槃に入った後  後継者は ほとんど 出家者でした というのは 多くの出家者は 十分に悟りを開き 釈迦の高貴な教えを 伝承する事ができます そして 出家者は比較的自由で 義務などありません 彼らには 心配事もありません 家族と一緒にいる 必要もないのです 家族を 養う必要なども ありません 自由に どこにでも出かけて 誠心誠意 法を 求める人に出会ったら 修行方法を教えます

これは釈迦には 開悟した在家の弟子が いないという事では ありません 最も有名な弟子の 一人は 唯摩という名で 彼は在家の人でした とても裕福でした 出家もしていなければ 剃髪もしていません 僧侶にもなりません それでも 釈迦の弟子たちは皆 彼を恐れていました なぜなら彼は とても高いレベルまで 悟りを開き 仏陀に近いほどでした 出家者や唯摩を 訪れる人たちは 誰でもみな 彼をとても尊敬し 彼の修行のパワーを よく知っています 同じように 観音菩薩も 僧侶や尼僧の姿で 現れた事がありません 多くの仏教の 聖人たちもそうです 皆様ご存じと思います ですから これらの 古代の修行者たちに ついて読んだ後「僧侶や尼僧になって こそ仏陀になれる」 と私は思いましたが その後 それらは 必要ないと分りました

私達の大多数は もう大人で しかも中年に なっています そこで 時々 悟りを開くには もう遅いとか 世俗の 責任に縛られ過ぎて いると思いがちですが 決して遅くありません 難しくもないです 僧院の僧侶や 尼僧にも私達の 修行仲間がいます 異なった宗教の 背景を持っています 仏教に限らず カトリックの 修道女や 牧師もいて私達と 一緒に修行しています 大多数の修行仲間は 普通の在家者で 仕事をして 生計を立て 家族の面倒を見て 夜には瞑想をします 私達は 夜寝る前にまたは 家事を済ませてから 瞑想をします あるいは朝 一時間または三十分 早く起きて 瞑想する事もできます 皆がまだ寝てる時です というのは 私達には 瞑想する時間がほんの 僅かしかありません 家事で忙しいからです すると私達の心は更に 渇望するようになり それで修行において 追加の加護を得ます そういう訳で 私達のいわゆる 在家の修行仲間が あるレベルから 上のレベルへと 成長がとても速い事に 気がつきました とても早いです というのは 瞑想とは一つの目標 または事に集中する ことを意味します 必ず足を組んで座って いなければならない ということではなく 固定した姿勢で数時間 動かないという事でも ありません 修行の 重点は心であって 体ではありません 心を 抑制した後  体も抑制できます そこで すでにある法門を 修行している人が よく気づくことは 時々 心がとても乱れて 心がとても乱れて 困っているなら 座っていられません ですから私達は 決して 人に瞑想の姿勢を 強調したりしません 私達が強調する事は 余分な心を抑制するパワーを解除するのを 助ける事です それで瞑想を 始めたばかりの人は 心をすぐ 静めることができ 悟りを開いた結果を 体験するので 引き続き 修行できるように 励まされるのです

私達は皆さんが 仏性という最高の源  あるいは異なる宗教が 言っている 天国から来る 抑制の力を 開くのを助けます 同時進行でこの 世界と天国の事を 全て処理できる 一つの方法があります 秘訣は その方法を 知ることです いったん 秘訣が分かれば 何でも簡単にできます 秘訣を知らなければ たとえ どんなに努力しても どんなに誠意誠意でも 自分が求める結果には なりません これは他の事と同じで 論理的です 習いたいと思えば 容易に習えます

悟りを開くことは この世で 最も簡単なことです あなたが タイ国の大統領 または首相に なりたいとしたら 私は保証できません でも開悟したければ それは保証できます 簡単だからです 私達の修行仲間に 聞いてみて下さい 非常に簡単だと 保証してくれます それで私達は それを「即刻開悟」と 呼んでいます もちろん話してる時は 開悟を指導している 訳ではありません しかし指示をすれば それを得ます 今はただ 広告をしています ケーキが欲しいと 言うのなら すぐ与えられます 何の問題もありません 悟りを開くことは 私達の生活に 何の影響も与えません この土地に違和感を 感じるとか 家族から 離れていくとか 変なことなどを したりはしません 智慧が開いたこと 以外には 普通に暮らしています 智慧を使って 社会や 家族のために奉仕し 自分の執着心を解放し もっと熱心に人を助け もっと賢くなり 仕事は より効率よくなります

 
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