智慧の言葉
 
神は衆生か否か 第一部/3 1989年10月13日 バークレー カリフォルニア、アメリカ合衆国    Part 3
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こんばんは 私の善き 聡明な友人の皆さん この友好的で 神聖な集会へのご参加 歓迎致します 私達はこんなに早く 再会を果たして 皆さんの顔が輝き 非常に嬉しいです 前回よりも問題が 減ったのではないかと 思います あなたの人生は 順調ですか 大丈夫 ある時は良く  ある時は良くない 私が皆さんに 聴衆に 誰にでも会うたび 私は涙が こぼれそうになります 二つ理由があります 一つ目は幸せ 二つ目は悲しみで 幸福である理由は 今私が見ている仏陀の 皆さんの 内在の神の光のため または内在の仏性の ためかあなたを通して 私の周囲の神を 見ているからです でも悲しくもあります あなたがこのことを 知らないことを考えて 恐らく何人かは既知で ほとんどの人は知らず その事が私を 悲しくさせるのです なぜそうなのでしょう 私達が内在の神の光を 知っていたり 自身に内在する 仏性を知っていれば 私達自身の人生は もっと 幸せになり 心身共に強く健康になります 今朝 私が 瞑想をしていた時 多くの智慧が現れ 私は 大喜びしました 私は今晩そのことを 共有できるかと 考えました またはあなたに 会う時いつでも でも それから 何か分りますか 私がここに座った時 無力さを感じました この事は非常に微妙で 時に抽象的だからです その事を人間の言葉で 伝えるのは私にとって 容易ではありません 私はこの問題は 全て良い修行者に あてはまると思います またはいつの時代の 全ての預言者にも それで私達には 多くの宗教があり 異なる経典があります ある一つの経典を 信じる人々は他の物を 信じず一つの宗教を 信仰し他の宗教は 信じません

そして 極端に走ると 他の信仰を 破壊しに行ったり 異なる信仰を持つ 人々に難題をかけたり さえするのです 従って 時に私達には 宗教戦争があります しかし今夜 私は何か もう少し明確で もっと論理的 知性的な事を話すよう 努めたいと思います それであなたは私が 言う意味を理解する かもしれません ご覧なさい 誰もが私に神について 仏性について 質問します 神は 仏性は 何ですかと ですから人々は 理解するのは非常に 困難だとわかります 個人的な 神はいるのか いないのか なぜ私達は仏性を 見つけることが できないのでしょう 仏陀は衆生ですか 衆生ではありませんか ええ仏教の神性 つまり神のパワー いわゆる 阿耨多羅三藐三菩提と 呼ばれる最高のものを 意味します これを キリスト教徒が呼ぶ いわゆる最高の 万能の神の事です それで私にとっては 同じ事を話すのであり たった一つの最高を では私達はどのように 神または最高の仏陀の 存在を認識しますか つまり元来の仏陀 全ての仏の中の仏 全ての 阿耨多羅三藐三菩提を 意味します さて私達は宇宙を 見回しそこに多くの 存在を見ます 人間や動物のように 見える存在もいます 幾つかは目に見えない いわゆる天使や幽霊 仏陀のように 不可視の存在もいます 私達の肉体の境界で 既に不可視の存在の 体験もしています 幽霊の事さえ 話さずともウィルス等 小さすぎて顕微鏡で なければ見えない 衆生もいます

これらのことを目に 見えない衆生と呼び 裸眼でさえ見ることが できません 仏陀が存命中 彼は弟子に 言いました 「コップの中の水には 八万四千の不可視の 衆生が存在しその水を 飲む時には」彼は 弟子に言いました 「私達は何かで水を 漉し それらの衆生を 傷つけないように すべきである」と 彼は顕微鏡など 使用せずそれらを 見ることができました 私達が見えないものを 見るのに彼は何を 使って見たのでしょう 智慧眼を使いました 聖書で言っています 「汝の目が一つなら 体全体が光に 満たされるだろう」 これが一つの眼であり 智慧眼のことで  又は仏眼 天目の ことなのです この眼を開眼するなら 私達は今二つの目で 見ている物より更に 見えるようになります 私達の世界にでは 多くの事柄が 不可視であることを 知っていますね 不可視であればある程 更に強いのです 例えば 私達人間は非常に パワフルですし 象達は非常に パワフルですが 象達は彼らよりも 小さな人間に 支配されます 象と比べ人間は ずっと 小さいでしょう でも人間はウイルスに 屈服させられたり します ほんの一つか二つの 悪玉によって 私達の体は故障し 終わりとなります とても科学的です

私達は今日の科学の 証明や研究により 理解できるでしょう 多くの不可視の衆生が 存在しこれさえも 見えない程のです 顕微鏡を使っても 見えません 非常に微量で本当に 細やかなのです ちょうど一種の エネルギーとなり それらは微量過ぎ 繊細すぎるので 私達はそれらが知性と 感情のある衆生だと 信じることが できません 最近では 植物でさえ知性と 感情があるのが 証明され アリや いかなる種の 動物もまた知性と 感情があります 今 概念について 話しています 私は もう少し現代的で 興味深い話を しようと思います 私達の殆どが受胎は 偶然に起こり 卵子はコントロール できないと考えるか 女性の卵子は侵入され 卵子は無力であると 考えていたと 思います でも 近頃 科学者は彼らの智慧と 研究により理解し 証明したことは 偶然的なことではなく 卵は吸収したいものを 一つとか 二つ 三つ 五つというように 選択しているのです その不可視の 衆生でさえ 感覚があり 彼らにも決断と選択を 持っているのです

更に私達は仏国土や 神の王国に 行きます 私達は 神 仏陀はいないと 思っていました 神は無だと言う 人々もいます ただの空 あるいは仏陀は空 仏性は空であると そして私達が瞑想した 時空に遭遇するのです ええ私の体験から 言えば空ではないです それは存在で愛に十分 満たされ智慧があり あなたが必要な全ての 存在 想像できるもの できないものさえです この存在はパワフルで 想像を超えた力強さで 私達の脳での理解の 範囲を超えたもので さえあります でもこの存在は私達の ような存在ではなく 私達はただその存在を 受け入れるだけです 「エネルギー」とも 呼ばれるものですが 単に「エネルギー」と 呼ぶと概念を誤り 理解を誤ることになる かもしれません それは感情もなく 思いやりもなく智慧も 何もないもの ちょうど 電気エネルギー磁場 エネルギーのような でもいいえそれは そんなものではなく 宇宙の全てのものを 含有しています 全て後で成長する 細菌も含まれています

これらの細菌を私達は 宇宙の種子と呼び この存在に潜伏して いるのです そしてその芽が 全て出てきてそして 後でまた戻ります しかし この存在の他のパワー 私達が神性 阿耨多羅三藐三菩提 全ての仏の中の仏 全ての存在の父と これを呼びますが このパワーは何も 成長させたりはせず 何も含有もしてないが 何もかもが含まれて います 何も生産しません 生産するのは 別のそれを超えた 存在です 例えば ご覧下さい 私がバナナを食べる時 私はただこう言います きっと私は食べ あなたに知らせます バナナを持っている時 私の手でバナナを 持っているように見え あるいは口で食べます でも何のためでしょう バナナを食べたいと 望むのは 私の口ではありません それは脳と 細胞の中で 身体や胃の そして脳の 細胞です それが私に食べさせ 口にバナナを 食べさせます ですから 神と神性と神の力は 同じなのです 類似したものです もちろん神を語るのは 難しいですが 確かに その存在は強力です 私達は想像すら できません 

でも いくらか その一部を 体験できます あなたが その一部を体験しても あなたをすっかり変え 大変威厳があるように 聡明で 親切で 世界の浮き沈みに 影響されないように させます どんな問題が 降りかかっても 解決可能にします たとえ 交通事故で意識不明で 動けなくても 自分で救うため まだ解決できます またそれは いわゆる神の存在 想像を絶する存在 全能で全権を有する 存在と繋がっている時 起こるのです なぜなら私達は元々 その存在から現れ その一部だからです その存在から あるいはその力から エネルギーから 別れれば 私達は 確かに大変小さく 弱いのです でも私達が再び 繋がれば 力強く聡明になります それこそ神の認識や 自己実現の 唯一の神秘です それは私達がこの 不可視に気付き 知るようになること ですが 非常に 力強い存在です さて その存在とは 人間のような 衆生には見えず あるいは天使の ようにも見えませんし 長い髭を たくわえていません その存在の中に たまたま入ると ただその愛や 保護や力を 思いやりを享受します 地球に戻ってきた時 それを言い表す 言葉がありません

地球の意識に 戻った時には私達は どこにも行ったり 戻ったりしません 全ては私達の 内面で起こります またそのような 体験をする前に 興奮して 眠れなかったことなど ありません 本当に穏やかで 平凡で とても順調で 調和しています まるで バナナを食べるぐらい とても簡単です  でもこの体験は 一般の人にはそれほど 頻繁には起きません 私達が達するには 多くの自己抑制と 熱心さ  そして神や 私達に内在する 仏性と一体になる という切望が 必要です 神または仏陀は私達に  間違いなく与えてくれ 大変早いのです でも私達が 自身で得るもの 全てより貴重です また私達がまだ怒り 煩悩 欲望と  執着があれば 神や仏陀になることに 全く適しません それで人は私達を見て 思います「あれ 何という仏陀ですか」 それから人々は 神性や仏陀を 尊ばなくなります そのため この体験に合う人 神と再び 一体になるつもりか この仏性を知る 仏陀になる人は 誰でも 沢山の戒律を 経験せねばなりません 神あるいは 仏性を体験することは すでにこの仏性を 知り得た 神と一体になった マスターの 適切な導きを通して 簡単に得られます ちょうどそれは 英語を話せる人が 初日にもう幾つかの 英語の言い回しを 教えられるのと同じで 初日  英語学校から 帰宅した後 すでに何か話せます 皆さんは言います 「元気ですか 私の名は何がしです あなたのお名前は」 など幾つかです 同様に すでに神を知ってるか 自身の内に 仏性を得た マスターの所に行けば マスターは 少し神の体験を 分かち合えます

ですが私達が 全てを得るには 毎日練習すべきです そして自身に 神の智慧を 完結させるのです まるで英文を 少し話せるように なった後 家に戻って 英語を完全に理解し 読み書きができるまで 家で熱心に勉強する 必要があるのと同じ ですから神の体験は 時に発見するのが 容易でも正しいものを 見つけられないので 大抵の人には 難しいのです 私達は 神はなにか 非常に神秘的で 届かないものだとか 仏陀とは 釈迦牟尼仏のためで 私達のためではないと 考えていました でも真実ではないです 真実ではありません イエスは言いました 「私達はみな神の子だ 私達はみな 神の子である」と イエスは言いました 何であれ 彼が為した 偉大な事偉大な奇跡は 私達には更に 素晴しくできると そう言いましたね 聖書にはこうあります 「私が今日した事は 将来あなた達は 更に良くできる」と彼はそう言いました 洗礼者ヨハネも人々を 水で洗礼しましたが こう言いました 「私の後から 来る者は 私よりも力強く 聖霊で洗礼を お与えになる」と ですから私達人間が文明と知力 技術に進化する時 私達に内在する智慧も また進歩が早く 私達ができる 物事も 進歩します イエスが私達が偉大な 奇跡を起すと言うのに ではなぜ試さないのか 仏陀も言いました 「私は仏陀になったが あなた達も 仏陀になるだろう」 こうは言っていません 「私が唯一無二で 私の後にも先ににも 誰もいない」と 明らかに 仏陀とかキリストの ようになるのは 冗談事ではありません

容易ではありませんが 挑戦していいのです 全く神秘的でも 届かないものでもなく 私は挑戦して 成功しました だから皆さんが試せは 成功するでしょう こんなに小さい 私が試せるなら 皆さんも試せます 私はなぜ挑戦したか それは私に内在する 神や 仏性を 体験したかった からなのです 私達の世界は 苦難に満ちているので 私は自分に課すよう 決心しました ですから私は 自分の修行の結果を 皆さんと分かちます でないと私の人生は 順調で幸せでした 私は何かが必要だと 思いませんでした 物質的な快楽さに 満足している時 霊性の充足を 考えるのは困難です 難しいのです 私達はそれを語らず 十分幸せです そのため 仏陀は言いました 「人が天国にいると 修行や瞑想 仏陀になることは 難しい」と なぜなら 天の世界では 人々は幸せな生活を送っていて そのため 更なる向上を 求めないからです それは日々の生活の 中でも起こります 自身の生活で 幸せで 快適すぎるなら 自身の地位の向上や 更に事業などを 起こすことは 望みません

私達は十分幸せだと 思うのです どんなに幸せでも この開悟に達するのは 私には世界に対し 義務があるからです 私は今日 または智慧あるいは 私が達成したのは すべて 私の目を開いた 人間によるものです これができたのは 私だけではなく また私はこの世に 借りがあります 私達が 他の全世界の 悲惨さや困難を そして 自分の国や他の国を 見ないなら・・・ 私が赤十字で 働いていた頃 人々の 世界的な困難を見て 私は心を開き 協力を得るため 力と智慧を 使いたかったのです そのため 何かを得るなら 全ては自身のためです 皆さんの慈悲によって 全世界の人々の 慈悲により 私はご飯や パンを食べる事ができ 着る服もあり その上智慧も 得たのです 今 私は 全ての苦難は自分 自身が作ったもので ある事を悟りました 同時に私達はこれらの 問題を解決できると 悟っています もちろん 神や仏陀に 助けを求めなければ なりません 後になると 分かりますが 神や仏陀は実は 自分自身であり 自分自身のパワーで 今悟りを開く 自身の智慧なのです

さて修行法は沢山 ありますが 普通の人にとって 最も大切な事は 祈ることです 内在の万能の神に 祈りを捧げ 内在の仏陀に 助けを求めると同時に 自分自身も努力する ことです 戒律を厳守し 全ての衆生に対する 慈悲を訓練します 先ずは 動物の殺生を止める ことから始めます 昨日私はラジオの 「先を読む」という 番組に出ました アナウンサーは私に 世界の飢餓の 解決法は何ですか 神が存在するなら なぜ世界の多くの 人々が飢餓に苦しま ねばなりませんか と質問しました 私は 聖書に布施の話があり 仏教も布施を 強調しています 人が必要とするものを 与えることです 私はそうする必要さえ ないといいました お金のある人は そのまま持っていて 財産のある人はそれを 楽しんでいいのです ただ全世界の人が 肉を食べなければ 牛や 豚や 鶏を飼う必要がなく トウモロコシなど 蛋白質を含んだ 農産物を飢える人々に 与えればそれだけで 十分です  動物を飼うために  大豆やトウモロコシや 食糧を皆動物に 食べさせています これらは本々人間が 食べるものです 一キロの牛肉を 得るために 数百キロもの 食糧と 多くの医療費を 浪費するのです 昨日友人が私に 統計資料を見せて くれました  全国の半分以上の 抗生物質は動物に 使われています

これは沢山のお金が かかります 財産を寄付するよりも 肉を放棄した方が いいのです 肉を食べなければ 屠殺する人もいないし 飼う人もいません 全ての食糧を 人間に与えれば それを食べて 健康になります これは全ての 国にとって有利であり 自国にとっても 有利です 私達は多くのお金を 兵器と動物の 飼育に使っています 多くの土地が荒れ廃れ 多くの耕作地が 牛や豚の飼育に 使われて廃れています ほとんどこんな 状態です これらの耕地を利用し 健康にいい食糧を 生産すれば  国にとってもっと 有利で  平和になると思います 武器でもっと防備する 必要もないのです どの国も聖書通りの 生活をし 仏教の教え通りに 殺生せず 盗みをしなければ 世界は平和のための 会議を開く必要も ありません  コーヒーとケーキ シャンパンを 浪費するだけです それでも何の 効果がないのです 平和を議論すれば するほど 戦争が起こります というのは 方法が間違っている からです 皆が瞑想を習い 動物成分を含まない 食べ物を食べれば 世界は とっくに 平和になり 飢餓はとっくに 無くなったはずです 自分の財産を 布施する必要もなく 肉さえ放棄すれば 十分に世界を救い 自分や国民の健康を救う事ができます ご存じのように 大半の病気は 肉によるものです 動物に抗生物質を 食べさせるからです 動物の苛立ちは 体内に毒を発生し これが肉に残って いるからです 理由は数え切れません これらの肉に含まれた 抗生物質を食べるため 私達の体は 病気に対する 免疫力がなくなります 私達の体は本々病気と 戦う力を持っています 多くの抗生物質を 含んだ肉を食べたため 体は弱くなり 免疫システムも 機能を失い  様々な病気に襲われ 命を失ってしまいます 大変惜しいことです 私達は自分の力で 自分自身と国家を 助けねばなりません

大半の人は イエスや仏陀に 祈っていればいいと 思っていますが 私はこれに 瞑想を加えるべきだと 思います そして 道徳的健康的な生活を 送ると速く智慧を得て 解脱できると思います 例えば皆が 一緒に 観音法門を修行し 内在の神の 指示を聴き 智慧眼で神の智慧を 観て 菜食をし 道徳的な生活を 送れば 病気にかかる 心配はありません 私達の多くの印心した 仲間達は一晩で病気が 治ることがあります 大変重い病気で 手術しないと死ぬかも しれないという 病気です 臨死の状態から戻った ばかりの人もいます 道徳的な生活を 送ったお蔭と 神の庇護の力で 生き返ったのです 正しい方法で内面の 力を開くと この仏性または 内在の仏陀又は 神と呼ばれるパワーは 二十四時間 もしくは   私達が体を離れて からも守ってくれます ある人は私に なぜ 呼吸をコントロール する呼吸法で 神に近づく事は できないのですか この方法で神を知る 事はできませんかと 聞きます「私は疑問に 思います なぜなら 呼吸は私達が意識が ある時だけあります 気絶したり 心臓病の 発作や何かの事故 または何かで呼吸が 止まった時 または 死んで もう呼吸が できなくなった時 それではどうやって 修行しますか 何に頼って 意識を戻し 蘇るのですか 私達は寝ている時 呼吸を意識しません だったらどうやって 二十四時間私達を 守るのですか」と ですから私は今私達が 修行している法門は 最もパワーがある ことが分かりました

一日中守ってくれます 内面から悟るのです たとえ寝ている時でも 神のパワーは 面倒を見てくれますし 死んでも この パワーは消えません とても安全です 永遠のパワーに頼る方がより安全です 呼吸法にたよるより ずっと安全なのです そこで私が皆さんと 分かち合いたいのは とても簡単な 私達が常に加護の 力の中に 万能のパワーの中に いられる方法です この方法は私達の命を 救い 国を救い 宇宙の調和を 実現します これはとても簡単で 難しくてできないと 言い訳する人は いません とても簡単で皆さんが パンをかじるよりも 簡単です パンを食べる時 時には 歯がよくなくてパンをかじると痛くて かじれません 入れ歯の人は 硬くてぱさぱさした フランスパンを かじる事ができません 皆さんが興味を お持ちなら 無料で 瞑想方法を 分かち合いたいと 思います これはパンをかじる ことより簡単で  入浴するより簡単です 入浴することが 困難な時があります 電気がないと お湯が出ないし ガスがなくても お湯が出ません

また蛇口が壊れたり 錆びたりすると きれいな水が出ないし 水が出ません しかし瞑想を習い 神のパワーと 智慧を開き これを生活の中に 応用する事は とても簡単です 驚くほど 簡単なです この簡単な法門に 出会う前 私は多くの法門を 試した経験があります 例えばチベット仏教の密教や タイとミャンマーの 様々な修行法です それは多くの器具と 仏具が必要で これらがあって 始めて修行でます しかしこれから 私が皆さんと 分かち合いたい 観音法門はそれらを 必要としません 観音法門は他のどの 法門よりも簡単です 電車の中や バスの中とか公園など どこででも 神のパワーと通じ合う 事ができます 神の加護を感じられ 神と面と向かって見る 事ができます おそらく イエスや仏陀や あなたが最も敬愛する 人と通じ合う事ができ しかも目の前に現れ 色々と教わることが できます またあなたを加護し あなたを導き あなたの手を取り 二度と孤独を感じない ようになります

でもこれは最高の 境界ではありません イエスや仏陀を 見たとしても最高の境界ではありません 最も高い状態は皆が 自らイエスまたは 仏陀になることです それで 世界を救う すべての力を持ち  苦痛と生死の輪廻の 環から救われます 皆はたいへん賢く 全知で 遍在する ようになります それは私達が到達 できる最高の段階です この最高の遍在の 状態とは何ですか ええ 私は皆に正確に 話せませんでした 私はただ皆にそれは 非常に素晴らしくて 素敵と言えるだけです 多く話せませんでした 話すのが難しいです 経験する事は簡単です 私は皆に来るように 誘って永遠に持続でき 決して品切れに  ならず 決して 市場価格の騰落のない  インフレのない 決して税金の賦課ない 富を共有することが できるだけです 誰も私達からそれを 盗めず 誰もそれから 離れるよう強制できず 誰も私達が何を持って いるかさえ分りません それは秘密の宝です

イエスは「汝は宝を 最も堕落させる 地上に積むのではなく 汝の宝を天に積め」と 言いました つまり宝は天で 見つ付けるということ 彼はまた彼の王国は 地上にあるのでなく 彼の父と一緒にあると 言いました それで彼が言う意味は 彼はこの無限の宝を 見つけたということで それでこの宝を私達も 見つける事ができます 彼は彼がすることは 私達もでき おそらく より良くさえできると 約束したからです 私達はイエスより偉大 でないかもしれません いいえ いいえ 彼の言う意味は たぶん未来に 現代のように 技術 文明化が非常に より大きくなる事です それで現代人の欲求と 必要を満たすために 神からのより多くの 力を使わなければ なりません そのためにイエスは この全てが要りません  彼は若干の奇跡を行う 事で十分です そして 人々は追い掛けました

この頃は二、三の 奇跡では十分でなく 皆はより多く必要です 皆は国際的な登場を 必要とします

皆は異なる国の言語や 文化の知識を 必要とします イエスには必要でなく 彼はそんなに沢山学ぶ 必要はなかったのです たとえ彼が学ぶ必要が あってもエルサレムを 歩き回るだけです 彼はそれだけ何も使う 必要はなかったです 二、三の奇跡だけです この頃は 私達はありとあらゆる 輸送 電話 テレビ ビデオテープ ありと あらゆるこれらの奇跡 「天耳 天眼の奇跡」を現代の 人々に奉仕するために 使う必要があります
神話のように 聞こえる 輪廻を理解することに 熱中する人もいます 死後何が生まれ変るか 説明してください 個人的な「私」個性 体を知っています 環境的で 文化的な心は 生まれ変わりません それで又何がしますか 生まれ変わるのは 個性です それでさえあります

輪廻とは 同じ体で二度と 戻って来るという 意味ではありませんが 今生で 解決できなかった 何かへの 私達の考え  欲望 執着は もう一つの体に 一緒に詰め込められて 再び戻って来ます それが言わゆる 輪廻です  そしてその体は たぶん異なる体で さらに異なる形の体で 後に残された または今生からの 残りものは 何でも楽しみ そして 苦しみ続けるのです たぶん今生であなたは 黒人であり 来世で白人 黄色 または赤色人でしょう あるいは今生では 人間の体にいますが 来世では皮を被った 動物の体のような 異なる体の中に いるかもしれません 考え 話し 欲求し 執着するすべては エネルギーがあるから それは一種の非常に 具体的な雰囲気でそれ 自体を明確に述べます それからその雰囲気はすでに存在する すべてこれらの具体的 形態を成し遂げる 強度を弱めるため 異なる環境 異なる状況に 再び進化します 存在するすべては 何らかの形で 破壊されて変形されて 果たされなければ なりません これは輪廻が 意味するものです 例えば 植物を栽培し そして植物は花を 咲かせます 次に どうにか自然はある日 花を壊します それは存在して来たし それから暫くして それは分解されなけ ればならないからです それで 私達の考え 執着そして欲望が 今生で成就することが できなければ来世で できねばなりません 非常に論理的です 不可解な事でないです 妻が菜食主義者で 夫がそうでなければ 彼のために 料理しませんか

すべきことをしますが 影響しません あなたが医者なら 薬を飲む 必要はありません でも患者には薬が必要 患者に それを与えます しかしあなたが ベジタリアンで 高潔な生活を送るなら あなたの夫にも 徐々に興味を持たせて 内面から高潔な生活を 求める願望を鼓舞し それであなたと一緒に なるかもしれません それは完璧でしょう

目に見えない 強い衆生の話ですが その一部は私たちに とって有益や 幸福ではなく 否定的な影響をします 私の質問は内在の音は 神であるか悪魔か その違いはどのように 区別するのですか

区別するのは簡単です

神が私たちに話す時 人間の言語 この声を 使うのではありません 私が話した 「神の声」 それはある種の非常に 心安まる 抵抗できない音楽です 一種の音流でもあり 私たちが賢明に 正確にこの世で 活動するために必要な すべての智慧と教えが 含まれています 悪魔の大部分の声は 私達のような 言葉を使い 社会秩序に反する 倫理道徳に反する 悪いことを教えます あなたは区別する ことができます 一番いいのは あなたが宇宙の中に 善悪の力を 管理する能力のある マスターを持って いることです あなたが悪魔に 遭遇した時 自身で 戦うことができない時 この場合 あなたが そうすることが できないなら このようなマスターに 助けを求められます このようなマスターが いないなら 心から神に祈る こともできます 助けを神の パワーに祈り またはイエス 仏陀 観音菩薩 あるいは あなたが 信じている人 例えば ムハンマドなどに 祈ってください そして これらの 肯定的な力は誰かを 気づかないうちに 助けに行かせます 時々あなたはこれらの 目に見えない衆生が 来て 暗黒のパワーを 散らし 消し 悪を 追い払ってくれる事を 見ることもできます

あなたはサタン 悪魔 デーモンのような 邪悪な力を信じますか

信じています すべて 私達が作り出しました 何のために 何かのためではなく 何かから作ったのです 否定的な考えから 残酷な思想 行動 無知からです 全ての考えは創造力を持ちます そして 遅かれ早かれ それは 何らかの形で現れます 前向きな考えであれば 天使と幸せを 招きます 否定的な考えであれば 悪魔 暗闇と 惨めさを作ります 善と悪は全て私達 自身が作り出したと 信じています もう一つの質問は 輪廻に関してです 魂は輪廻するしないを 選べますか あるいは それを選択することは できず 自然に 起こります 全ては 最高のパワーによって 支配され決定しますか 選択できるし  選択もできません 一般の人々にとっては 選択はありません 仏陀 聖者 キリスト なら選択できます 彼らは意識的に 両親 生年月日 出生地及び  没年月日 この世から去る期日を 選びます 彼らは選べます 彼らは母親の子宮の 中にいる時 既に 意識を持っています 彼らはこの世に来る 前に意識があります 選んで来たのです 地球を救うために 友達を助けるために 援助を祈る人々を 助けるために 来たのです 彼らは選べます それ以外の人では 自身の行為 前世の行為によって 輪廻します

先ほど話したように 私達の考えと習慣は 一種のエネルギーに なります それは私達を異なる 環境に行かせて 実現し消去します 必要な時に この既に作られた 具体的なエネルギーを 希薄化します カルマとは何ですか カルマと悟りとの かかわりは どのようなものですか カルマの概念の中には 即座に 悟りを開くような事は ありますか 「カルマ」はいわゆる 因果と言います 「まいたものは何でも 刈り取ることになる」 聖書にあります それがカルマです 種をまくことができ 刈ることもできます その除去もできます したがって イエス 仏陀は地球に 来てこの恐しい負債を 払うのを助けるために 自身では払えない 負債です それをカルマと言い 多くをまけば 多くを収穫するのです そのためある人々 天なる父 息子  あるいは仏陀が無量の 功徳 無限の功徳と 共に降りてきます 彼らは必要とする 全てを与えてくれます 債務を払ってくれます なぜなら 神は 慈悲深く無限の恩恵と 加護を持っているから あなたが求めるものは 何でも手に入れます 叩けよ されば開かれん 多くの人は尋ねません ノックしません ただ自分の頭を壁に 打つだけですので 多くの恩恵や加護を 得られません そして神は慈悲深く ないと思います 神は慈悲深いのです 神は常にイエス 仏陀 クリシュナのような 使者をこの世に 派遣しています 私達を救い 家に 連れ帰るためにです 悪いカルマ(報い)にも かかわらず 多額の 負債にもかかわらず 家まで送ってくれる ことができます  こういった人の恩恵に よって私達が悟りを 開くことができます

例えば 私達は非常に貧しい 家庭に生まれます 私達の家族は 世々代々貧乏で 裕福になることや 社会でより良い地位を 得ることなど  少しも望みません しかし やがて 王子 あるいは官吏が来て 彼は非常に裕福で たまたま私たちの 家の前を通りかかって 私達のことが好きに なったり 娘の事が好きで彼女と 結婚しようとします それで 家庭は変わります 地位は変わるでしょう 隣人とか 地主に 多額の負債を 負っていたとしても 彼は自身のお金で 返済し それで宮殿に 連れて行ってくれます さて神は非常に 裕福な億万長者の ようです 彼を訪ねる人は誰でも 神は全ての罪を洗い 天使にして 神の ようにしてくれます なぜそうできるのか 神にとって 不可能なことは ないからです 神が宇宙全体を創造 できるなら 家まで 送ることもできます 神が望むなら でも私達は神がどこに いるか分りません 神と私達の間には いわゆるカルマ (報い)という 非常に厚いカーテンが 存在している からです それで神は私達 人間に良く似た人を 派遣して カルマを すり抜けて私達の手を 握り「さあおいで」と 言うためにです

神はとても抽象的です 現れたとしても 見ないでしょう

私達は幻想を見るのに 慣れているのです 私達は具体的な姿を 見るのに慣れています 神が現れても 分りませんし 気がつきもしません ですから教えてくれる 専門家が必要です 「ええ そうですよ 昨日あなたが見たのは 神です」 とか「一瞬だけ 神をお見せします」 とか「5分でも 神が見れますよ」 「神がこれこれ このような姿で このような力で このような智慧で 現れれば 分りますよ」と それで理解できます それで確かに 即座の開りが 得られます 全くそうです 即座に神が 見えます なぜなら 神は内在するからです 「汝が神の神殿で 聖霊が内にいることを 知らないのか」 と聖書にあります 神が内在していれば 必ず すぐに見れます 方法の問題です 違いますか 呼吸の瞑想をする時 長く集中できません なぜでしょうか 瞑想をうまくするには どうしたらいいですか 神や仏陀に 集中できるよう 長く祈ってください 以前にも言いましたが 呼吸ははかないもので もっと恒久のものが 瞑想には必要です そうすれば 長くできるでしょう 二十四時間 眠っているときでも 食事のときでも 入浴中でも 車の事故に遭い 意識不明の ときでさえも 様々な境遇で 瞑想を続けられます 高次元の意識で 瞑想し 頭脳の次元では ありません 頭脳は認識するか 呼吸に集中する だけです 高い次元の智慧で 瞑想します その方が恒久的です またより簡単です どう瞑想しますか 毎晩十分から二十分 瞑想しますが 思うように早く 進歩していません 十分から二十分では だめでしょう 1日二、三時間 どれでもいいのでなく 効果的な方法で やってください 確かに あなたを平穏で 平静にする方法は たくさんありますが より早い方法が ありますちょうど ベンツがディーゼル車 より早いのと同じです ベンツとディーゼルの 車は比較できません 飛行機は列車より 早いので 飛行機を選べば早く 行けます 瞑想方法も それぞれで異なります ゆっくりのものも 早いものもあります この方法はかなり早く 最速です ジャンボ機や ロケットのように 最速です

早く進歩したければ 方法を変更しては どうですか 座って瞑想できない 場合は どうすればいいですか なら瞑想しないで 立って しばらく散歩して 顔を洗い シャワーを浴びて 少し歩いて 戻って またやってみて下さい諦めないで ええ 私は時々 一般論を話します あなたは全く 経歴からすべて 違いますので おそらくあなたは 自分の瞑想の方法が 好きなのでしょう 全く構いません ですからあなたに代り 私の方法でなく あなたの方法に ついて話しています あなたを改宗させ ようとは思いません あなたの強い希望で あなたの方法で 進歩させるお手伝いを したいだけです 毎日瞑想すれば 毎日できなくても 疲労回復しよい結果を 得るでしょう  でも毎日 いつでも 瞑想しなければ なりません なぜなら 神の恵みは 私達に降り注げず 私達と約束することも できません 例えば「明日あなたを 平穏にさせに来ます 明日 あなたの前に現れます 明日第三界に連れて いきます」などと いいえ いいえ それはいつでも ある一瞬で 全く予期していない 時に来ます ただひたすら どんな方法でも精進し 瞑想し内在の神性に 私達を導き 援助し 支え 祝福してくれる ように祈って下さい 毎日 結果を考えずひたすら 瞑想してください

いつか 明日 次の瞬間かも しれません 成就するでしょう 決して諦めない下さい 簡単ではありません 例えば店を開いて ものを売買するとき いつ客が入るか 全く分りません そうではないですか 店は一日中開け 来客の有無に関わらず 開けたまま 待たねばなりません 時々最後の客がきて 店中のものとか 店のものの半分ほどを 買うこともあります 違いますか 神に接近する 第一歩とは 何ですか 神が存在するなら 祈らなければならず どうぞお導き下さい  お助け下さいと 自分の宗教を守り 信じている教主に お助け下さいという ようにお祈りします キリスト教徒なら 神 イエス 聖母 マリアにお祈り下さい 仏教徒なら 仏陀 菩薩 観音菩薩  阿弥陀仏等に お助け下さいという ように祈って下さい それが第一歩です 第二歩は 聖書 仏教経典または 他の宗教経典に 定められたような  高潔な生活を 送らねばなりません 人々に 悪いことを教える 主要な宗教など 見たことがないので  自分の宗教倫理に従う 道徳を守るのが第二歩 第三歩は とても大切なのですが 神を知って悟っている マスターを見付ける 必要があり  私達を指導してくれ 彼らがが得ている富を 私達と共有します 例えば  英語を話したい場合 第一歩は何ですか 先生が受けとる お金を準備すること それで英語が話せる 先生を見つけに 行きます スペイン語を話す人を 見つけても だめです

とても簡単です 私達は悪を作りますが 神は悪なしで 存在できますか 悪なしで 善が存在できますか 神は悪で善というのは 本当ですか 善は悪で 悪は善と いうのは本当ですか いいえ 善は善です 悪は悪です しかし  より高いレベルには 善も悪もありません

それは 善も悪もない という意味です このような意識に 達すれば 全ては平和と 静けさです 何が悪で 何が善か あなたに 分かりもしません それは自然そのもので それで善もなく 悪もないと言うのです 古代のマスターが 言ったことを 誤解しないで下さい

彼らは自身の成果に ついて話しました 私達は善は悪 悪は善 とは言えません できません そうしたら 警察から逮捕されます

それを信じるのは 安全ではありません 危険 お願いします 悟りとは何ですか あなたは 悟っていますか

確かに悟っています それは何ですか 毎日悟っています

どのように私の体験を あなたに話せますか 共有することが できるだけです 印心の際 悟りは何かが 分かります あなたは私の体験を いくらか得ます それで毎日 さらに 発展させていきます 毎日 奇跡があります 毎日 神の臨在の中で 生きます 神は永遠に二十四時間 あなたを保護します 即刻開悟の法門と その喜びを 説明して下さい

この法門は沈黙の中で 伝えられ 沈黙の中で それを得ます だから それについて 話すことは 難しいのです ただこう言えます 私がこの法門を あなたに伝えれば あなたはすぐに 神の存在を体験する ことができますと 神の素晴らしい輝きを 見るかもしれません

神は光です 愛です 神はすべてのものを 支えるもので 楽しみ  希望に溢れるものです それで印心を受ければ 愛 保護 智慧 すべてを得ます

皆さんは既に智慧を 有し より直接的で より高い智慧を得ます 今 聡明でありますが 智慧はちょっと 少ないかもしれません 智慧と聡明さは 違います そしてあなたは 毎日 神からの指示 聞くかもしれません 内在の振動力を 聞くかもしれません この振動力は生活を 支え あなたに必要な 全ての智慧と愛を 与え 毎日の苦闘を 経験させます それが得るものです 法門については この法門は マスターのパワーです 実は具体的な方法は ありません  それを得れば 沈黙で 伝えることができます

この法門を得ないとき それについて話すのは 難しいことです この法門は 超越の法門です 人間の言語では 話すことが できません  たとえ誰かが この 法門を話すとしても 彼が内在の智慧と力を 得ていない場合 それをあなたに伝える ことはできません 悟りはありません だから実際この法門は マスターパワーです このパワーを 認識している人は 言語を使わないままに あなたに伝えます でもあなたは得ます 全て得られます 沈黙で何も得られない のではありません いいえ 違います あなたが悟りを開き 神の光を得て 神を見ることが出来 または過去のマスター イエス 仏陀などを 見ることが出来 そして 智慧と得て そして安心し そしてイエスや 仏陀のように 偉大になるために 全てを取得するのです そして次第に イエスのようになり 仏陀のようになり 仏陀になり あなたは 神と一体になるのです 神とイエスに 近い境界に達したら 他の方法で教えたり 自分自身で 十分に到達するのは 実際責任を 引き起こすことに なるのでしょうか あなたが教えたいなら 教えて下さい 教えたくないなら 黙って 自分で 楽しんで下さい イエスや仏陀のような 境界に達した 殆どの人は教えるのを 望んでいません なぜでしょう それはレベルが とても高くて 無明の衆生の集団を 見て 無力を 感じるからです 「彼らは理解しない」 と言うのです ええ 正しいです そうです ですから

人々に 教え回る 義務はありません 怖れないで下さい 自由に選べます 人々に教えたいなら 教えて下さい 教えないのなら静かに 普通でいるのです それがより安全です その方が長く生きられ 健康になります 人々を 教えれば教えるほど 健康は堕落し 時には 名声も堕落します あなたが歩き回り 人々に「私は神を 知った 私は神だ イエスだ」と言ったら 人々はあなたに トマト等を投げつける こともあります 本物のトマトではなく 言葉で 中傷されたり 時には 物質的に 精神的に攻撃されます これは簡単にできる 仕事ではありません しかし 神によって これらを経験し 仏陀の保護と 恩寵によって そして 社会に対する 自身の恩義を 誠実に返す事によって 私の面倒を見 私を気にかけ 小さい時から食べさせ 家があり 洋服を くれる人によってです あなたなしで 成長できませんでした この親切心を返すと 決めたのですが あなたが望まないなら 誰も強制しません 毎日神の恩恵を 楽しめます そのほうが良いです あなたは悟りを開いた と言ってくれた 先生は今まで いましたか  自分で知りますか 自分で知ります 当然のことです しかし  ある試験も 乗り越えました 神の試験です 天使 仏陀 聖人でも 神はあなたに一種の 不可視の証明書の 試験をさせます 神があなたに 指示をし あなたは それをするのです 仏陀とイエスの 違いは 何ですか キリスト教の行き先は 天国です 仏陀の行き先は 天ではなく涅槃です 違いは何ですか イエスキリストとは 仏陀で 仏陀とは キリストです

キリストとは ヘブライ語の仏陀で サンスクリット語で 仏陀はキリストです 分かりますか

人々は決して この言葉を自分達の 言語に翻訳せず ただ原語を使い それで 争っているのです それだけが 違いなのです では 例えば 「グル」と言う 言葉がありますね 西洋の言葉ですと 「開悟したマスター」 または「悟った魂」 と言います そうですね しかし それでも 「グル」と言う言葉も 使い アメリカ語に 合体しているのです 今では皆が「グル」を 知っていますが 今後の世代は インドのマスターと 接点がなくなり 「ああグル 私にはグルはいません 開悟したマスターしか いない」と言います そして その後の 世代は今再び 聞くでしょう 開悟したマスターと グルの違いは 何ですか と そして また厄介になります いつも人間の言語の 不全が原因で 問題が起こり 多くのマスターは 違う宗教の 先入観で 争います 私にはありません いいですか 全ての 宗教は良いです 全ての宗教マスターは 良いのです 真理を話し あなたを真理へと 導いています 自身の宗教の過去の マスターにしがみつき 信心を 持っていなさい この現時点で 自分の宗教で良い マスターを見つけ られたら それは 運が良いのです そうでなければ  他の宗教の中で探し  そのマスターが 良いかどうか見て 生きているマスターを でもその一方 自分の宗教に 信心を持ち  そのマスターの宗教に 変えないことです そのマスターは そのようなことを 教えないからです そのマスターは全ての 宗教は基本的に 神から来ていて 宗教の指導者もまた 神から来ていて 別の時間と別の国で メッセージを運んで いるのを知っています キリスト教の天国と 涅槃については 話し難しいです 実際 「天国」という 言葉を私達は 誤用しています 現今 人々は「天国」 と言うと 私達は キリスト教だと考える 傾向にありますが 実際 涅槃は天国の意味です 涅槃は地上に 存在するものには ないものなのです

私達の世界には ないものなので つまり天国のようです しかし理解して 明瞭に 説明したら 涅槃は神の王国を 意味しています いずれにせよ 同じことなのです 神の王国と 涅槃には 違いが ありません 天国は 恐らく 少し低いのです でも最高の天国 第二天国 第三天国 第四 第五天国は 違うのです それは理解の 違いであり 違いはありません あなたが言っている ことによりますと 瞑想だけが 仏陀や開悟に 達するという事ですか ええ 仏陀が瞑想してるのを 見ましたか イエスのを見ましたか 彼は瞑想しました 最後にした時は砂漠で 四十日間です 今 瞑想した事のない 人が 急に 砂漠へ行き 四十日間も 瞑想できますか いいえ  良く経験している 人だけがそのような ことができるのです それだけで  小さな情報だけで イエスが瞑想を しているのを知り それが最後にした時で 最終の時 外へ出て 世界に 教える前にです 仏陀は六年間ずっと 瞑想していました しかし 最後にした時は 四十九日でした

そして 彼は出かけ 世界に教えたのです よって瞑想なしで誰も 涅槃または神の王国に 到達していません なぜ瞑想をするか 高い世界の 天国または 神の王国または 仏陀から 教えを得るために 心を維持するためです いつも祈り 頼んだら 「智慧を下さい あれを下さい これを下さい」と 仏陀が話したいことが ある時 彼には 話す機会がありません

私達はいつも忙しく 話したり 頼んだり 話したりして 聞いていません なので 瞑想は 聞く時間です 例えば 私に 質問をした時 少しの間じっと 黙っていたら 私はあなたに 知る必要のあることを 話す機会が出来ます 瞑想はそのようです じっと座って メッセージを受けます そうでなければ 神があなたに何百もの 事を話したいのに あなたは聞く 時間がありません あなたは祈ったり 歌ったり 平伏したり 頭を下げたり 数珠で あまりに忙しいのです それでも構いません これは悪い事だとは 言いません これはとても良いです しかし 時には 黙る必要があり 神に会話をさせる 機会ができるのです これが瞑想です

理解しやすいです 私は輪廻を 信じていませんが 輪廻が本当なら 再生した魂は 過去の人生のことを 知っているのですか 時々は知っていますが めったにありません 高レベルな魂 成長 した魂を除いてです ほとんどの魂は 分かりません ですから瞑想の修行を する必要があり なぜここにいて 過去の人生どこに いたのかを 静かに 信じて 聞くのです 例えば瞑想の技術を 修行をして 私達の技術のような 例えば 違ったレベルへ 行った時 過去の人生で 何をしたか  とても良く見え  疑う事がありません しかしいつも尋ね続け 疑ったら 決して どこにも行けません 疑っても良いですが 見つけねばなりません 今から で 輪廻があるか ないかを見つける この技術を提供します 練習をしたら 自分のために分ります でもそれは何も 望むものはありません それはとても低い レベルだからです 違う惑星または 思想の次元へ 行きました そして 自分の古い 記憶を思い出す だけなのです そして 全ての 過去や現在 将来の事が見え 全ての魅力 原因 状況が見え 今あなたが耐えるべき 影響がわかります さらに 修行をしなかったら 戻って 次回に 耐えるのです もっと修行したら それを乗り越え この記録のレベルを 乗り越えられ それを乗り越え それらの記録は あなたに影響しません

将来苦しむことは なくなるでしょう 高い次元へ行くのです 文明化した 国へ移民し 安全な仕事があるのと 同じことです とてもひどい政府の 元で苦しむ 必要はありません 仏陀は 創造者や神は いないと言いました それについて どう思いますか 仏陀が言ったことが 私達に何が分りますか 私達は彼の言葉を 繰り返し 考えているだけです 彼は自分の レベルで話していて 自分で理解し やり遂げているのです 私達は彼の意味を 理解するまで 長く 待たねばなりません 例えば あなたが瞑想の 技術を修行している時 そして ある段階へ 入ったとき 智慧と理解の 異なる 霊的なレベルがあり 全ては私達で 創られていることが 見えるでしょう その時に 大声で言うのです 「ああ 神なんて いない」と 誰かがあなたの 隣に座り コーヒーを飲み あなたの言う事を 聞いて「何ですか 神がいない 創造者が いないとは何ですか」 彼は尋ね続けます しかし その開悟した 人にとって 隣でコーヒーを 飲んでいる人に説明 するのは難しいのです なぜなら 彼は 経験してないからです 彼には神が見え 創造主が見えるのです
神を説明する時 男性の「彼」を 使いますが 神は男性ですか 女性ですか  両方かどちらでもない 両方とも違います なら私は「彼女」を使う 私が「彼女」を使うなら 皆さんたぶん反対して 言います「なんだって 古代から 私達は彼として 神を知っていて では  あなたは誰ですか 神を「彼女」と言うのは 私はただあなた自身の 習慣や神についての 理解に応じ 話します

私は考えていました でも最後の質問は 神はいない 創造もないでしたね 私はこの状態を 経験するとき 神はいない 創造でないことを 確かに私も分ります 私は神で 私は創造です でも私がどのように この結論に達するか 伝えるのは難しいです その時私だけがそれを 経験したからです 他の誰でもなく 私はあなたにこれを 伝える方法がなく でも確実にある種の この状態に到達します するとあなたは同様に 言えるのが知ります 神はいません 創造もありません でも神を信じないこと ではありません

でもその状態は 非常に素晴らしく 信じられないです この世には 比較できるものは 何もないのです あなたが万物の中に あること その瞬間 あなたは何であるか わかります それであなたは 万物の中にあり 完全にすべてです そしてあなたは あらゆる状況と 形の違う体で すべてを 経験したがっています そういう訳で 違う形の体のなかに いるのです でもあなたは神です 神そのものです 悟ったマスター 仏陀 菩薩の違いを 説明して下さい このうちどれが最も あなたに合いますか

あなたが何と呼ぶか 私は気にしません 望むよう呼んで下さい いいですか 私はゴミ収集人です はい私は人間のゴミを 集めて彼らを きれいにします 世界がより 調和した環境に あるように それで人々はそれほど 苦しまず より 賢明になるでしょう 彼らのゴミを取り除き 宝石を与えます 智慧を与えます 彼らの悪いカルマ (報い)と苦しみを取り 喜びと幸福を 与えます だから私をゴミ収集人 と呼んで下さい 仏陀 菩薩のような 大称号は 必要なく 怖くなります それは素晴らしい 地位を示します

仏陀 菩薩というのは 実際私はゴミを 集めています 全ての悪く否定的な 環境とあちこちに 点在する全てのものを 集めています それは私達の世界を 惨めで耐え難くします 私はこれらを全て集め 焼き尽くして 世界をきれいにします 私達に加わる事で このゴミを集める 計画で私を助けるよう 求めてもいいですか 肯定的な力で 全能である神の力で 瞑想することによって それは全罪を浄化でき 全ての恩寵を持てます それが私の仕事です あなたも参加でき 同様になれます 仏陀も菩薩も 必要ありません 非常に素晴らしく 高貴に見えます 懸命に働いています この境界に到達し 神から権限が 与えられた人は誰でも 自発的に衆生を 助けています 私達は懸命に働き 苦しみます この世にはそれ程の 栄誉はありません あなたが天に戻った時 栄誉を与えられる でしょう 仏国土に 戻った時ですが この世は仏国土の ようではありません どの宗教界からの マスターの教えが 正しいか教えて下さい それはこんな風です 私達は師に従うのでは ありません ただ教理に従うのです そうすれば間違う事は ありません

教理が大丈夫で 師が間違って しまった場合 そのときは 教理に従うのです 教理です 教理が正しいかどうか 見なければなりません 例えば 私の論理が 正しくか正しくないか 私が教えていることに 私が従ってるかどうか 例えば私が肉食を禁じ 教えているとします 菜食を教えています 盗まないことを 教えています 盗みをしない事を 布施する事を 教えています 私は慈善事業を 行っています 人々を愛する事を教え 私は人々を愛し 援助します 無条件でです 私の教えにおいては お金は取りません 自身で稼いでいます あなたは失うものは 何もなく 得する以外 今 また全ての 道徳的な基準 仏教経典 キリスト教聖書に 記載されているもので 私は再びそれらを伝え 教えています 何も 新しくもなく不道徳 でもなく非論理的でも なく安全だと知り 何も経典からはみ出し 間違った事を教えては いない事があなたには 分かるでしょう 私が経典からの事しか 教えていないことを 昔から 倫理的な行為は 変わっていません 神の 仏陀の戒律は 変わることは ないのです それで私は同様の事を 教え行います 少なくとも私は悪い タイプでないと分かり そして教理は正しいと そうでしょう

瞑想があなたに智慧を 心の平安を もたらします いかなる技法でも 関係がなく何かしら あなたを 助けます ですから私達の法門に 例外は存在しません 私が言えることは これが最速の方法だと いうことだけです しかし私を信じる 必要はありません 情報を与えるだけです あなたには自身の 選択肢があります ただ真実を言います 私が早いと言ったら 非常に早いのです 私は嘘をつくことを 許されていませんから 嘘をつく理由もないし 私はあなたの お金も必要ありません 何もいらないのです ここに住む必要もなく あなたからの益はない 私が明日去るか あなたが去るか 再び会うこともなく さよならです 私には 何も益がないでしょう この時点であなたは 安全です でしょう あなたは教理に 従うだけで 私に 従うのではありません 教理は常にあなたと 共にあります 私に個人的に従う 必要はない訳です 万一あなたが瞑想の 過程について個人的に 忠告を得たいなら 手紙を書くか 電話をかけ私に尋ねる ことができます 近年ではマスターに 常にくっついている 必要はありませんし あるいはフォルモサ (台湾)へ行き 私が滞在するどこでも 家 事務所に行き 私に会うようなことも 私が霊体のみを 使用したらあなたは 常に私を見る事も 聞くこともできません どうメッセージを 伝えたらよいでしょう 私は自分の肉体を 使います いいですね それで体を使うのです

他の道理では体は あまり役に立ちません 私が去るのを 恐れる必要はなく 誰もいないのです あなたには常に 誰かいて姿を見る事が できます 家でも こんな風に こんな風にですね 私がまるでそこにいる ようにです あなたが誠心誠意で 十分レベルが高ければ マスターがあなたの 所に来たのが見え 常にマスターの姿が 必要な時に見える ようになります この肉体にしがみつく 必要はないのです 菜食について幾つか 質問があります 肉を食べ続けるなら 開悟のレベルに 到達することはないと いう意味ですか 開悟に到達できますが 完全な開悟では ありません ほんの一部だけです ほんの少し 高い開悟のレベルでは ありません なぜなら 肉には全ての憎しみ 悪いカルマ(報い)が 含まれ 私達は全ての 代償を払わねばならず それで引き落とされ 借金を払わねば ならないレベルに 存在します それで 高くは行けません ちょうど沢山の荷物を 持っていて なかなか山頂に 到達することができず 少し必要でない荷物を そこへ置いていかねば ならないような事です どうやって植物を 食べる事を正当化する のですか 彼らも生き  成長し食べ生産します

私も賛成です それは不可能ですね 従って 仏陀 キリスト など全ての聖人は 最低限の栄養素を 体を維持するため 植物から摂取します 大多数の人々のために その肉体を維持せねば なりませんから しかし植物にはそれ程 感情はありません

動物の憎しみのような私達は生存するために 最低限の殺生を行い 摂取し 神の意思を 遂行します しかし私達はそのため 働くべきでそうすれば 悪いカルマ(報い)は 減少します 従って ほとんどのマスターは 彼ら自身で働き 少しの稼ぎを得て 自らの体を 無傷に保ちます 彼らは寄付には 頼りません 彼らが寄付に頼らねば ならないなら代わりに 教理を与えます 非常に質素で 必要最低限の生活です 仏陀のように 彼らは三枚の布を 衣服として持ち  こうやって巻きつけ 一日一食です 最低限のものだけを 持ち そうすれば カルマの束縛から 自由でいます 他者を 助けるためにです あなたの富を あなたの徳の財産を 浪費するなら あなたは他者に与える ことはできません それが理由で ほとんどのマスターが 節約家なのです 菜食になるのには ニンニクとタマネギは 許されていますか サラダドレッシングに ニンニクとタマネギを 使えますか あなたは食べ物の事で 心配しすぎです あなたが必要なら 食べればいいのです 私達は要りませんが 高く上るほど欲望は 軽減していきます 簡素な物 ある物を 食べるようになります あなたの味覚を満たす それ程強いスパイスは 必要なくなります

しかしながら 霊修行を 始めたばかりなら そのようなものを 使えばいいです 何か欠乏していると 感じなくなります 「卵はだめ 肉はだめ アルコールはだめ 子牛の肉 鶏は 食べられません 今ニンニクタマネギも 食べられません なら修行しません」 あなたは使えます そして瞑想して下さい 私達の瞑想は全てを 浄化し否定的な影響を きれいにします しかし私はニンニク タマネギは悪魔を 避けると聞きました あなたには言い訳が できます 今仏教の 経典では反対のことを 言っています ニンニク タマネギを あなたが食すると それらの強い香りが 悪魔を引き寄せ あなたの唇をなめると 言っています 従って 仏教を信仰する人は 真の仏教徒の 戒律によれば彼らは ニンニクタマネギを 食べないことになり 仏教経典 楞厳経によればです しかしあなたがそれを 食べたくて避けるのを 不便だと思うなら もう食べたくなくなる まで食べ続ければ いいと思います 暫くしたらあなたは もう匂いも好きでは なくなり食べたいと 思わなくなる でしょう 例えばタマネギですが あなたの腎臓を害し 記憶力も後退させると 聞いたことがあります 知性を鈍らせるとも 記憶力も鈍らせます それで食べない人々も いるのです ヨガ行者はタマネギ ニンニクを異なる 理由で食べません 食物についてもう 一つの質問があります 畜肉の中の抗生物質に ついてあなたは懸念し では野菜の殺虫剤は どうですか 有害でないですか そうです それらも有害です しかし動物は 野菜を食べて 消化して 抗生物質が 彼らの血と肉と 骨になります それで動物の肉を 食べる時 抗生物質は すでに肉と血と血管の 中にあるので  洗い流せません しかし野菜は 外側にだけ散布されて いるので 洗い流す事ができます 野菜を五分間   塩水につけて下さい それですべては 流されます 塩水に五分または 三分だけでも または 三分から五分つけて ください そしてきれいな水で 再び洗えば それで 危険はありません しかし動物の肉は 洗うことができません

私は手の中心の あたりのエネルギーに 気づきました それは貫通するような  感覚で 私の頭の 第三の目の周りもです これは何ですか   今 この瞬間に(はい) 以前に起こりましたか 誰が尋ねましたか 今気づきますか 常にこうですか 前に起こりました 五日前 私はそれに 気が付き始めました あなたが話す間 私は瞑想してましたが それを感じました なるほど 私が話す時あなたは 瞑想していて エネルギーにもっと 敏感になるからです ええ私にはいくらか エネルギーがあります たぶんそういう訳で 何かを受けるでしょう 時々皆が良い人や 修行者の面前に いるとしたら 彼らは良い エネルギーを発し 皆さんは全身を通して または目の中心を 通してそれを受けます 特にここは 最も目立ちます それで時々少し寛ぎを またはたぶん恍惚を 感じるかもしれません これは非常に正常です 心配は要りません

それは悪くありません 時々 暖かささえ感じます それは 瞑想の家庭の 異なる種類の体験です 黙ってそれを持ち 最高水準に達するまで 放っておいて下さい  これらに執着しては いけません 心地良ければ楽しんだ 後放っておいて下さい 不快であるとしても 皆は放って置きます  皆は黙って見ては 彼らを放っておきます それは最高の方法です さもなければ  私達は道端の花に 引き付けられ 家に達する 進歩を遅らせます 指導なしでの瞑想は 危険でありませんか オーラが開いている時 悪霊が 入れるからです そうです それはむしろ危険です それで皆は道で 全てを知っている先生 ガイドがいなければ なりません あなたの教えで 人の信頼を増やせる ように若干の奇跡を 見せて頂けますか 奇跡ですか 何を望みますか あなたに若干のお金か 何かを与えます それであなたはそれを どうしますか それはあなたに 何の役にたちますか 永遠に何もありません

私は皆に私の力に 頼る代わりに 自身の力 奇跡の力 自身の智慧を見つける ように勧めます 超能力だけのために 私の所に来る代わりに 皆は自分本来の権利を 取り戻すために 来なければなりません 神の王国 自身の智慧 自身の生得権 自身の天国 自分自身の王国 それは人生の 最上のそして 最高の理想です 奇跡でありません それは短命です 必要であれば 皆に奇跡を見せます 誇示と拍手を 得るためでありません 必要な場合いつでも 皆の修行の間 若干の障害や悪い 影響に遭遇するかも しれません その時皆は私がその 力がある事を知ります ありますが ただ 無作為に 私がどれ程 偉大であるか知らせる ためには使いません 私は要りません 私は皆が修行で 非常に正しい態度 正しい思想と理想を 持つ事を願っています それは 神のもとに戻り 私達の一番高い智慧に 戻ることです 子供の遊びと プラスチック玩具に 憧れないで下さい

あなたには全てがあり 「まず神の王国を 求めなさい そうすれば全てが 汝に加えられよう」 小さいものを 要求しないで大きな ものを求めて下さい 皆の利益になります 私達人間は 宇宙で最も偉大である からです それで最も 偉大な物だけ求めます それは皆さんの地位に 皆さんの尊厳に 皆さんの生得権に より似合います もっと詳しく 説明して頂けますか あなたは神を作り あなたも自身の 創造物であることを 発見しそして理解した と言いましたが それは不可能です 言葉では言えません しかし皆を私達の 瞑想法に加わるように 誘うかもしれません そしてある日 皆はそれを経験します それで 他の誰かが尋ねると あなたも頭を振って 言います「すみません  私はこれについて 話せません」と この世界で完璧に これらの境界を 言葉で表現できる マスターはいません 自分で体験する以外に 例えば あなたが誰かを 愛したとします  人に恋愛はどんな 感じかと聞かれたら あなたはこう答えます 「よく分りません ただ幸せに浸っていて 彼女の目を見つめて いなければならず ずっと彼を見つめ 彼の手を取って 彼らなしには 生きられない」と これしか言えません しかし愛の真義は 語るすべが ありません 違いますか 私にとって 神を知った 体験を語ることは 大変難しいのです 私はただそれを得たと いうしかありません あの素晴らしい体験は 私の生命を変え 見方を変え 智慧と私の全てを 変えましたがこれ以上 言葉がありません 中絶について どう思いますか 魂はいつ肉体に 入りますか

中絶はいけません 魂がいつ 肉体に入るかは 問題ではありませんが 邪悪な考え方と 殺生の念が問題です 殺生の念を 取り除くべきです 魂がいつ肉体に入るか 聞く必要もありません 中絶しようと 思った時 すでに 殺生の念があるのです これはいけない事です これを根絶すべきです 私達は慈悲心と智慧を 培うべきであって 生まれつきの否定的な 習性に傾いては いけません そちらに傾くほど 低レベルになり 下に引っ張られます あなたも瞑想に 励むべきです するとある日 魂がいつ子宮に入るか 分かるようになります それは決まった 時間はなく入ってから 離れることも可能で  また戻ることも出来 外出する事があるので 魂が入っているか どうか知るよしも ありません たとえ魂が子宮に いないとしても 殺そうとする考え方 自分の肉親を殺そうと する考え方が あるのです これはよくありません

無垢な魂を殺すなんて 疑問の余地も ありません 絶対よくないです どうかそんな考えを 持たないで下さい 自分を格下げします どんな困難があっても 乗り越えられます 神に祈って解決法を 探すか 施設に 預ければいいのです 世の中には子供が 欲しい夫婦が沢山いて 彼らに育てて もらえばいいのです その考えは止めなさい

あなたはいつ ヒマラヤに真理を 求めに行きましたか 数年前です そこに何年いましたか 一年以上いました なぜインドで なければなりませんか たぶん 私の運命だと思います インドにいかなければ なりませんでした なぜオゥラック (ベトナム)で 開悟したマスターを探さないのですか 人には運命があり あなたはオゥラック (ベトナム)で 私はインドで皆さんは アメリカで見つかる かもしれません 人はそれぞれ 違うのです 理由はありません 時期が来れば どこででもマスターを 見つける事ができます ここででも あそこででもどこでも 見つけられます 問題ありません 私のようにインドまで 行かなくてもいいです ここで数分後に 開悟できます あなたは他の人にも 観音法門を 教えられますか はい 分かち合えて 嬉しいです 私達は思考が 速すぎるとそれを コントロール できません 思考は止まることを 知りません なぜ寝る時も 思考し続け 頭脳が働くのですか

なぜなら 頭脳は独立した 道具で ひとりでに 作動するからです それは多くの事を 記録し過ぎて 溢れ出しています 記録が多いほど 溢れ出す物が多いです ラジオ局のように 何であれ 入ってきた情報は 再び外に 流れ出します 時には心身疲れて 頭が痛くなります なぜでしょうか 時には疲れていて 時には疲れていません 時には疲れません なぜ時には疲れていて 時には疲れないのか 分かりますか これはごく自然な事で 時々働きすぎたり 時々働きすぎたり 十分食べれなかったり 睡眠不足だったり 心配事が多いと 疲れます 別の時 体が健康で 心配事がなければ 疲れません とても簡単な 質問です 私に夢があるのか という質問です ええ 夢があります  全世界が平和になると いう夢があります 皆が仏陀になるという 夢があります 殺生がなくなるという 夢があります 全ての子供達が 平和と調和の中で 歩む夢があります 手をあらゆる国々が 取り合って 互いに守りあい 助け合うという 夢があります この美しい地球が 破壊されないという 夢があります 何十億年もの 長い時をかけて 美しい 本当に美しい星に なったのですから 美しいままで 平和で 美しく 愛の中に ありますように それが私の夢です

人は死んでからも 働かなければ なりませんか 私が知りたいのは ある人は若くして 突然死に 彼らを必要とする人を この世に残して 行くのはなぜですか 死んでからも 違うところで 働きます 天国か 地獄か この世界で 働きます 若くして突然死ぬ人は 時間が来たからです 果物と同じで 熟した ものもあれば 青くて 渋いうちに風で落ちて 使い物にならないのと 同じです 瞑想はテクニック ではなく 実際一種の 観る方法なのですか その通りです テクニックではなく 観る方法です ただ人間の 言葉上の表現で 技法とか法門という 言葉を使います しかし実際皆さんに 伝授するものは テクニックではなく これはパワーです  目に見えない力で これなしに内在の 智慧を開くことが できません 開悟するのに最も 速い方法は何ですか 私達の教える方法で 瞑想し道徳的な生活を 送ることです 観音法門は私達が 死んでからでも 守ってくれると 言いましたが どうやってそれを 確認できます 私が保証します 私は見ています しばらく修行すると あなたも自分で 見ることができます 私が言っている事を 信じなくても 構いません 自分で 毎日瞑想してそれを 確認していくと 徐々に何でも分かる ようになります

徐々に私が 言った事と 私が約束した事が 全部真実である事が 分かるのです 私は貴方に対し一言も 嘘を言っていません 決して嘘を言いません 私が約束した全ては 瞑想を通して 全部実現できます あなただけでなく あなたの先祖五代 六代 七代の先祖まで 全ての先祖が 超生できます イエスは幾つかの 奇跡を顕しています 彼はユダヤ語以外は 他の言葉はできません 彼の奇跡で私達は 確信を持てますが 最近のマスターは どうですか 神聖なるマスターか どう判断しますか 超能力があっても 神聖な人格を持つとは 保障できません 超能力を持った人で 神聖でない人が 多くいます ご存じのように 黒魔術や 白魔術など 皆 超能力がありますが 彼らが神聖な人である とは限りません イエスが超能力を 使ったのは当時の 状況が今と違う からです 現代の人はとても 頭がよく 非開化時代と違って ハイテクもあり より進歩的で 文明的で 科学的に思考できます その種の超能力に 拘る必要はありません 以前にも言ったように 先ずは神の王国を 探すことです 私は奇跡で皆さんを 魅惑したくありません なぜなら皆さんの 智慧と才知を 尊重するからです 私は皆さんを 子供扱いして  色とりどりの玩具で 魅惑したくありません これは皆さんを 尊重するやり方では ありません 私は 皆さんを大変 尊重していて  智慧と論理で皆さんの 智慧を呼び起こします こうすると皆さんは 高い境地の理解を 持つことが出来  超能力など 物質的なものに 執着しなくなります そして皆さんは私が 沢山の無量無辺の 超能力があることが 分かります  皆さんが修行して 私のレベルに達した時 それを見せます でも今は見せません 強要され 求められて するのではないのです

私を尊重するのなら その種の事を 強要しないことです  私は呪文を唱えて 超能力を施して 皆と遊びたくないです 私は皆さんがその レベルの人だとは 思いませんし  そのレベルの人を 魅惑したくありません 皆さんの智慧がまだ 成長していなければ 私は待ちます あなたに既に 修行者がどうあるべき かの智慧と認識が いくらかあるなら なぜ私達は瞑想と徳の 修行をするのでしょう そして私達の所へ来て 私達に加わり 惑星を浄化し 全ての存在を祝福し 奇跡を利用しません 奇跡は人を 神聖にはしません それは確かです あなたが誠実で 高い理想があるなら そのうちあなたは私の 奇跡を知るでしょう そのうちあなたの マスターについて 全てを知るでしょう どう私達は理解し またもっと良い言葉で 私達の闇 邪悪 欲望 などを神聖さと 最高の実在の 良いニュースで 清めるのでしょう 徳の高い生活を 導くことで闇から光へ 変えていきます 闇を追い払うのに 光を使ってください 例えば 太陽が出てくると 闇は消えます 神の臨在を 修行することによって 毎日 神の教えを 聞くことによって 毎日 神の光を 見ることによって 私達は邪悪な傾向を 浄化し そして 最悪の傾向さえも 追い出すでしょう 修行する人々が 沢山であればあるほど 世界は平和になります より清らかな 雰囲気となり それは 私達のためだけでなく 全ての人々のためです それが私達が 瞑想と悟りで どうするのかです

私はしばしば考えと 行動を心配します 善を知るために祈るか 瞑想すべきですか はい すべきです 私が正しい事を しているとどうやって 分かりますか それには悟りが 必要です でもその前にあなたは 何でも他を傷つけず 自身を傷つけず 社会を傷つけない事を 知るべきです それはいいです 何でも他を幸せに 有徳にすることは キリスト教徒の聖書や 仏教徒の経典のような 神聖なる書物に よればそれは 良いことです 他を助けるような 喜びと真の幸せを 他に運ぶようなことは 何でも 良いことです どんな生きる存在をも 傷つけ 害するどんな ことも良くありません 私達を神に近づけ そして私達の智慧を 気付かせる どのようなことも 良いことです 私達を引きずり下ろす ことは良くありません 同性愛は間違いですか それは自然の均衡で ある陰と陽の本質に 反しませんか 私は何も 責めません 男女の目的は この世界に 存在を再び生み出す ことであり 欲望の ためではありません それゆえに聖書は 遊びまわらずに結婚 するよう助言してます なぜなら あなたは結婚したら ある種の愛に満ちた 関係と友情を 築きます そして 一緒にいるときそれは 欲望だけでなく愛の 境界線にいるのです でも気持ち良く感じる なら神に祈って下さい 気持ち良いなら お互いの間に 愛があるならどうか あなたを助けるよう 神に祈って下さい このような関係の いくつかの理解を 捨てられるようにです 正しいか間違いか 神に助けさせましょう 同性愛の人々に ついての問題は 理解しています 彼らにも何かが 必要かもしれません 彼らには他の反対の 性別では満たせない 愛または好意が 必要です 助けてくれるように 神に祈りましょう 私達みなに 異なる問題と間違った 態度があります ですから私は何が 間違いで何が正しいか 言いたいと思います しかし何をするにも 愛を保ってください 神を心に留め 愛を思い出して下さい

それこそ私達の生活の 幸せと悲しみの もとなのです エネルギーです 否定的エネルギーや 肯定的 エネルギーです

そして菜食は 慈悲の 心に富んでいます だから幸せな エネルギーをもたらし そして順番により  幸せをもたらすほど 更に幸せを引きつけ 幸せであれば 万事良くなるのです より良く考え より良く反応すれば 生活が向上し 子供がより良くなり 全てが向上します

全世界の肯定的な 愛の力の 力強い集合体は 私達が  今直面している 迫り来る暗闇を  退けるでしょう これが私の知る 唯一の解決法です

鯨は私達の 進化のリーダーです ですから鯨は 人間の状態と 私達の存在 私達の頭脳との 葛藤について 完全に気がついていて 情け深いのです 私達が無知なことも また無知のせいで 行う事に対しても 鯨と共にいるのは この地上で 最も偉大な 神の化身といるような ことなのです 鯨は最も偉大な 愛を持っています

 
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