智慧の言葉
 
超世界の修行法 1/3 一九八九年一月六日 フォルモサ、台北(中国語)   
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ここ二日間 私は二種類の 修行法について 話してきました 一つは受身的な修行で もう一つは 積極的な修行です 受身的な修行とは 私達の言動 考えなど 私達の言動 考えなど 自分や他人を 傷つけることを 一切止めることです 積極的な修行とは それらの行為を 止めるだけでなく 逆に悪い事と 対照的な良い事を することです 皆が知っています 例えば 以前は盗みを働いたが 今は止めて 一生懸命働き お金を 貧しい人や必要とする 人と分かち合うという 意味です 末法の時代において 最も良い修行法は ダルマ(真の教え)を広めることです

貧しい人にはお金を 病人には薬を 貧しい人や 必要とする人に 例えば 服を 与えることができます また愛を与えることも できます  人を慰めたり 精神面においても 面倒を見てあげて これも慈善の仕事です しかし経典を読むと すべての宗教は 人を永遠に 解脱させる方法を 与えることを 暗示もしくは 強調しています ここ二日間 二つの修行法について 話してきましたが 積極的なものにしろ 受身的なものにしろ 両方とも 十分ではありません

というのは私達の 身 口 意をどんなに 浄化しても それはこの世界や 隣の人に対し 役立つだけで 自分を 楽にしてくれるだけで 生死から解脱する ことはできません すると皆さんは 私達の身 口 意が 完璧だとすると なぜまた輪廻するのか と聞く人も いるでしょう 理由があるわけです 例えば 身 口 意を 自己管理するのは 大変難しいです それを願ってもです 完璧な人間になるのは 大変難しいです さっき私達の 修行仲間が 報告したように 彼女は精神的な 葛藤が多かったです 霊修行の中で 必ずこういった 問題に遭遇します

なぜでしょうか それは決して私達が 穏やかな人になりたく ないわけではなく 隣人に優しくしたく ないわけでもなく 怒りをおさえたくない わけでもありません できないのです なぜできないのか 私が初日に話した ように 海に風が立つためです 分かりますか 太平洋は風がないと 波は立ちません 風が吹くと すぐ波が立ちます 決して海自身が 人が船酔いするように 風と嵐を起こす わけではありません これは自然の法則が そうするのです それで私達は時々人に 親切にできないのです 水の上で風が 吹くからです これは風と水により つまり風水です

これを因果の 法則といいます そこで皆は 良い人 親切な人に なりたいのです 人を怒ったり 人に腹を立てたり 人と争ったりしたい わけではありません しかし完ぺきに できる人はいません それは因果の法則の ためです そこで時には私達は 子供や家族の 世話をよくしている のに子供達はなぜ 親不孝なのか理解に 苦しむことがあります そうでしょう 又はあんなに奥さんを 愛しても彼女はやはり 離れていきます 皆が分かっている 事です 

不思議です 事実はかくも簡単です または私達が あんなに夫を尊敬し 彼の意思に 反したことがなくても 彼はやはり外に行って 私達より器量の悪い 女性を探すのです 相手が私達より 美しいのなら 理解できますが しかし醜く 教養もなく 「特殊な」臭いが するかもしれません 私達から見た場合 彼女は何でもないです しかしなぜ夫は彼女の 所に行くのでしょうか 本当に訳が分からず 心が痛いのです 私達が何のミスを 犯したか分かりません これは必ずしも あなたがミスを犯した わけではありません 分かりますか

必ずしも私達の せいではありません これは因果の法則 輪廻の法則のせいです たぶん前世で私達が 彼にそうしたのです そこで今生で彼は 仕返しをするのです 意味が分かりますか 悪いカルマ (報い)を償うには 彼らに借りを 返さなければ なりません 例えばこうなのです または法律のせいで ないかもしれません 時には因果の法律は こうでもないです これは一つ目の 原因に過ぎません 二つ目の原因は世界は 逆さまになっています 意味が分かりますか 私達がどんなに 良くても人は私達の 良さが分かりません ある人は 善良とは何か 分かっていません

そして常に何でもない ことで邪険になります そこで私達は永遠に 大衆を完全に満足 させる事はできません 意味が分かりますか 皆さんも見ての通り 例えばフォルモサ (台湾)政府は 私から見ると素晴しい と思いますが しかしやはり不満に 思う人もいます そうですか そうですね(はい) そういう人がいますね (います) 私も驚きました なぜ不満なのか 私には分かりませんが 彼らは不満です 彼らは満足せず 十分と言うほど ではないと思います 例えばこうです またイエスを 見てください 彼は偉大な 開悟したマスターで 間違った事は 何一つしていません

良い事を教え 人に盗みを働いては いけないと教え 仇を自分を愛するが 如く愛せよと教えます 凡夫にこんな愛は ありますか ないです  これはイエスは偉大で あるということです 彼は殺される時も 神に父よ彼らを許して 下さい 彼らは何を しているか分かって いませんと祈りました 偉大な聖人ですね 彼がどんな人か行動を 見れば分かります 彼のレベルや彼が 真理を教えたかどうか 論じるまでもないです 私達が口を開けて 彼を批判する瞬間 私達のレベルが低い ため彼の行動を判断 できないということが 見て分かります

果実を見れば どんな樹か分かります そうですね 使い物になるかどうか 分かるわけです 他の事は 語る必要もありません イエスの道徳は 彼の行動を見れば 分かることであって よって彼の内面の レベルも分かります 彼はきっと 偉大な菩薩です 普通の人以上の 慈悲と寛大さを 持っています 従って私はいつも 彼を讃えます こんなにも 偉大で寛大で 慈悲深い人でも 十字架に貼り付けられ 人に中傷され 打たれ 罵倒され 残酷に 死んでいきました 聖人はおろか 普通の人間扱いも されませんでした

多くの偉大な 修行者達は 人々に善行をするよう 教えていますが 最後には同じような 目に遭っています もうこれ以上 羅列したくありません 余りにも多くて枚挙に いとまがないです 二、三挙げると 例えば 釈迦は 四十九年間 民衆に奉仕し 社会を浄化させ 衆生を解脱させ 渇望する人々に 修行法を教えました しかし多くの人が 彼を中傷しました そうでしたね 多くの人が 彼を殺害しようとし 彼を冒涜し 不当に非難しました 妊娠を装って 彼を非難した人さえ いました

現在でも 多くの人が 釈迦やイエスを 非難しています ですからよい事を するとよい報いがある などと言えないのです そうではありませんか そこで昨日と おととい皆さんと 私は二つの 修行方法について 話してきました 身 口 意を 浄化して 完璧にする方法も 社会にとってよく 世界平和に役立ちます しかしそれで 十分とは言えません というのはこの世界は 私達がどんなよい事を しても嫌な人がいて いつも嫌う人が います 私達がどんなに 耐え忍んでもそうです いつの時代もそうです 必ず敢えて 挑む人がいます これがこの世界の 慣わしです

ですから 私達が 真剣に修行して 身 口 意を 清潔に保つと 世界は平和になると 思ってはいけません そうでないと 世界はとっくに 平和になったと 思います たとえイエスや 釈迦がここにいる 時でも世界を平和に できませんでした 意味が分かりますか かえって 邪悪な人達に攻撃され 傷つけられたのです 従って別の法門を 使うべきです 身 口 意を 浄化する方法は この世界での方法で 私達は超世界の 法門を習って 早く離れなければ なりません

意味が分かりますか 時間がくれば 離れねばなりません 私達は早かれ遅かれ この世を離れます 従ってカラフルに 化粧して自分を派手に 飾る必要はありません しばらくすると私達は 離れていくのです 私達がここにいる間は なるべく完璧な地球の よき客人になる事です 意味が分かりますか 私達はここの客人です でないとしたらなぜ たった百年留まって離れるのでしょう 私達の家だとすると 永遠に留まっても いいはずです ある人はとても 留まりたがりますが できません それは私達がただの 客人だという意味です

客人だとすると 時間がきたら 家に帰る準備を しなければなりません 荷物と お金を準備すべきです 旅する前には お金を蓄えるべきです しかしこの世を 離れて別の世界に いくには功徳を準備 しなければなりません 福報ではありません 功徳と福報には 大きな違いがあります 福報は物質的なもので 交換できますが 功徳は自分の 不可思議な力で 得るものです 私達にはすでに これが備わっています 功徳はすでにあります 隠れた宝のように それを持ち出せば すぐ使えます 物質的なものと 交換できません

すべての衆生がこの 功徳をもっています 仏菩薩も聖人も 凡夫も ミミズにも 昆虫にもありますが 人間だけが得られます なぜなら この体は最も 完璧だからです   体は汚く病気したり しても完璧です すべての機能を 持っています 意味が分かりますか 他の体は 完璧ではありません たとえば 天使も体があります しかし肉体がないので この宝を持つことが できません 動物の体は私達の 体と異なります 知的な 頭脳がないので 宝をどう得るか 分からないのです 従って私達の体は 最も完璧でこの 宝を得る事ができます

この宝を得るには あれもこれもすべき と多くの人が 言っていますが しかし一つ一つ 比較してみた場合 いずれもこの世界の 法門に過ぎないことが 分かります 例えば昨日神通力に ついて話しましたが 神通力を修行すると 幾つかの能力しか 得られません 例えば 飛ぶことを習うと 空を飛ぶ事ができます 私達はその能力しか 持っていません 他の能力は 持っていません たった一つの能力 飛ぶ能力を得るにも 十数年練習して 一生費やして習います たぶん 飛べる前に 地獄か棺桶に 落ちるかも知れません 地獄でなくても 棺桶に落ちます 分かりますか

上に飛べないと 必ず下に落ちます なぜなら余りにも長い 時間がかかるからです または海を歩くことを 習うことができますが 習い終わったら 死ぬかも知れません 海はそのままですが 人は行ってしまって いません または病気を治す 力を持っていても 明日彼は また病気になります 来年また病気します たとえ今年 この病気を治しても 次の年 彼はまた別の 病気にかかります  一度に全ての病気を 治して二度と病気 しないようにできる 神業の医者がいますか それは可能ですか 

いいえ 私を信じられなければ 治療の力を持った人に 聞いて見てくさい 彼はきっと後から 別の病気にかかると いうでしょう ある病気は 神通力でも 治せません なぜでしょうか それはその病気の 根本が深いからです それは肉体の 病気ではなく 内面の体が病気です 目に見えない体が 病気なのです 沢山の体があります 目に見える体を 肉体といいます もう一つの見えない 体は阿修羅の体といい その他因果の体 ブラーマの体など 沢山あります 服を脱ぐように一つ 一つ全部脱いでこそ 自由になります 私達の真我に 戻るには外に 何も着てはいけません

真我は何重も 包まれています 例えばこれはすでに 包装されていますが この上に更に包装し それにまた更に 何重も包まれています 例えばこうです クリスマス プレゼントと同じで それは 包装紙で何重も 包まれていてその 中身が身我なのです 私達の真我は どこかに隠れていて 私達には探せません それを見つけるには 大きな功徳が必要です きっと隠れ場所を 知っていて私達に 教えてくれる人が いるはずです すると私達は毎日 探し出す事ができます 言い換えれば 自分の真我を 探し出すことです

さっき私が言った 病気治療の能力は たとえ今年誰かを 治しても来年また 病気します 例えばこうです 沢山の法門があって いかにも 面白そうですが それらは完全な利益を もたらせません 他にも沢山の 修行法がありますが 一々説明する時間は ありません 時間はありません 皆さんにどんな 法門を習うとどんな 能力が得られるか その修行法などを 話すつもりでしたが 例えば 空を飛びたい人 地面に潜りたい人は 私がその方法を 紹介できます

例えば催眠術に係り 仮死してから 数日後にまた戻って くる方法とか 人に死んだと思わせる 方法など私はそれを 見せることができます 健康になりたい人は やり方を見せられます 私はこの肉体を あまり気にしません 自分は元気に感じます 時たま 病気もしますが それは自然なことで 病気したらそれでよく 皆が時々病気するので 私が病気しないと 不公平です 私達は一つなので 皆が病気すると 私達も病気します 私は沢山の法門を 知っててそれぞれ何が できるか知っています

これらを気軽に教える わけにはいきません 責任を取らねば ならないからです 十年以上かかります 十年以上かかって 飛ぶことを学びます この十年間私は その人と一緒に飛び 彼が海に落ちる時も 上に飛ぶ時も一緒で なければなりません 例えばこうです 運転を教える人を 見たことがありますね 彼はその人と 一緒についていて 責任を取ります 古代でも人に勝手に 教えるのではないです だから私達は 霊修行の法門をあまり 聞いた事がないのです

私達は 古代の人が 雲に乗って飛び 地面に潜り 海の上を歩く法門を 習うには必ず開悟した マスターを探さねば ならないと聞きました 彼らは長い時間を かけてマスターを探し 何年もの試練を経て マスターのために働き 沢山供養しなければ なりません すると少し 教えてもらえます マスターは気軽に 人に教えると 人はその力で持って 悪い事をすることを 心配したからです 分かりますか 私達はどんな法門を 修行するにしても どんな呪文 どんな神通力を 習うにしても その呪文と神通力を 守る守護神があります

ある日 その法門や 神通力を使って 悪い事または 利己的な目的に 使う場合 その守護神は怒って 私達を懲罰します 古代の マスター達が 弟子に厳し過ぎる のでもなく 教えたくないわけでも ありません 苦労して弟子達に 厳しくテストするのは 学生達を守るためです 意味が分かりますか 先ずは教える前に 彼が資質を 持っているかどうか 高い道徳を持って いるかどうかを 確かめねばなりません よって 他人を守ると同時に 弟子達を守るのです 意味が分かりますか 複雑でないのは ただ一つ観音法門です

というのは 観音法門は 悪い事には 使えないからです 悪い事には効きません 全然効き目がないです 悪いことに 使おうとすると 機能しません 協力しないのです 「それ」は何か 分かりますか それって誰でしょう 自身のマスターです マスターは私達の 賢明な真我なのです 私はただ その真我の代表です 意味が分かりますか だから私は皆さんが 私に礼拝するとか 複雑な儀礼をする事を 許しません 皆が自分自身の マスターがいます なぜマスターが別の マスターに礼拝するの ですか おかしいです 従って私達は 平伏したり儀礼などは 必要ありません

私達は自分自身の マスターを探すべきで するとマスターは こうだと分かります 従って私が印心する時 皆さん自身の 知的で智慧に満ちた マスターの許可を 得なければなりません その人の許可と 了解が必要です 「今それが欲しい  家に帰りたい」と 許可したら始めて 印心できるのです これがマスターの やり方です マスターを 探さないと 印心を与えられません これがマスターで 時間が来たら 私達自身のマスターが 分かっていて私達を 家に連れて帰ります 私はただドアを開け スイッチを入れて あげると彼自身が 独りでに機能します

言葉では説明しにくい ことですが 言わねばなりません 従ってマスターを 探す前に自分自身を 探さねばなりません 自分自身の マスターが 現れたかどうか 彼らが家に帰る 用意ができたか 時間か来たかどうか 確認することです ですから真摯であれば きっと開悟した マスターを探すことが できると知るべきです 開悟したマスターが 見つからなかった場合 私達がまだ十分真摯 でないということです また良い 霊的体験がないのは 真摯な心が足りない ということです 真摯なつもりでも 実際は違います

又はまだ時間になって いないということです 努力すべきです でないと 分かりません 時間が来たかどうか 家に帰る時間に なったかどうか 仏陀になる時かどうか 又は輪廻し凡夫になる べきかどうか試して みないと分かりません 私も印心の前は 印心すると仏陀に なるかどうか定かでは ありませんでした 心の中で渇望した だけです 何を渇望しているの かも分かりません 定かではなかったです とにかく学んで 解脱する扉を探したい と感じただけです

この世界に 包囲され無力で 海に投げ出された ような感じで もうこれ以上 泳げなく早く何かを 掴みたいという感じで 必死でした 私は 必死でしたので それを探し当てました 自分は何がほしいのか と考えるとしたら それはまだ知識を運用 しているという事です 分かりますか 知識は 智慧と違います 昔こんな人がいました 彼は鉄のチェーンで 片足を縛って 樹に吊るし 何年も逆さまに ぶら下がって いました 分かりますか 樹に逆さまに ぶら下がっていました 現在でも多くの インドの人が この法門を習っていて 古代で起きたことでは ありません

インドには多くの 修行法門があって 枚挙にいとまないです それを語る時間も ありません それを語りたいと思ったら 先ず本を書いて 記録せねばなりません でないと忘れます 多すぎるのです 各法門の重点を 記録せねばなりません 私は ビデオテープや テープの中で 幾つかの外的 修行法について 話した覚えがあります 例えば ある人は本当に釘の ベッドに座っていて ある人は下着の パンツの代わりに 鉄のパンツを身につけ 錠をかけ 鍵をガンジス川に 捨てます

永遠に結婚しないと いう意味です 全ての女性に遠ざかれ と言わんばかりです 鉄のパンツをはいて チェーンで周りを縛り 施錠します 鍵はとても大きいです というのは錠が 大きいからです 鍵は捨てます どうやってお風呂に 入るのでしょう 大変だと思います

自分を 逆さまに吊るした 話に戻ります 彼は片足を上に吊るし 頭は下に向けて こんな感じです 毎日食べる時と 寝る時お手洗いに 行く時以外は 戻って来てそのように 自分を吊るします

やってみたいですか 見方が違って来るかも 知れません  きっと逆さまです ある人がそこを 通るとき彼に 「何をしていますか こうする目的は 何ですか」と聞くと 大修行者は 「これで神が見える 私は神を待っている」 と答えました その人は 「そうですか  これで神が見られるの ですか」と言うと 彼は確かに そうだと答えました その人は早速 わらや 草の縄を 見つけてきて 自分を縛って すぐに樹に 吊るしました 彼は自分を 吊るす前に わらで縄を ない始めました

するとその修行者は 彼に それはだめだ 泥沼に落ちてしまう 安全でないと言います その人は言いました 構っていられないさ 神さえ見られれば いいのさ 早く神をみたい  待ち切れない 鉄のチェーンを 探すまで 待てません すぐに自分を吊るし たいのです すると 神が見られます」と 言って自分を 吊るしはじめました まだ吊るしていない 内に落ちてしまいした

皆さんは彼が 愚かだと思うでしょう 軽率に霊修行をすると 思うでしょう 霊修行する人はわらの 縄が丈夫でないことを 分かっているはずです 彼は体が大きいのです もちろん 落ちてしまいます だから皆さんはまだ 仏陀になれず 神を見られないのです 私達は 賢すぎるからです あの鉄のチェーンで 吊るしている人と 同じです 彼は何十年逆さまに ぶら下がっていても 無駄です そのわらの縄を使った 人はすぐ 神を見ました

神は彼が吊るし 終わらないうちに わらの縄が切れて 落ちてくるのを見るに 忍びなかったです 神は彼が泥沼に 落ちて死んでしまう のではと心配して さっそく降りてきて 自分の服で 彼を受けたのです こうして彼は神を見て 大変喜びました 頭の悪い人の方が もっと早く 道を得ます はっきりと計算して いる事はまだ余裕が あるという事です 分かりますか

私達は鉄のチェーンを 作る人を探し自分を しっかり縛るのに 気を取られます 落ちてしまうと 神を見られないと 心配しています 意味が分かりますか やはり疑うのです もちろん神を見られず

その人は 待ち切れません 待つ余裕がないのです その事を聞くと すぐ信じます 強い信念です 吊るし終わらない内に 落ちてしまいました 神は見かねて 神は見かねて すぐに掴まりました そうするべきです

ですから霊修行で 身 口 意を 浄化するだけでは 不十分です それは当たり前の ことです そうすることで 社会の平和を保ち 自分の生存を 維持する事ができます ただそれは 第一歩に過ぎません 私達は すべてを忍受しながら 忍受していると 思わないところまで 修行せねばなりません それこそ真の忍辱です 
霊修行において 身 口 意を 浄化するだけでは 不十分です それは当たり前の ことです そうすることで 社会の平和を保ち 自分の生存を 維持する事ができます ただそれは 第一歩にすぎません 私達はすべてのことに 耐えながら 耐えていると 思わないところまで 修行せねばなりません

それこそ真の忍辱です  私は既に説明しました ですから戒律も 内面から守るべきで 愛も内面から 現れるべきです 強要できません 人から何かを聞いて 慈善活動を すべきではありません そして家に帰って お金を持ち出し 自分にこう言います  人に慈善活動がいいと 言われたが やるべきだろうか こんな大金を もう 止めてほしい これは役立ちません 困っている人には 役立ちます お金を もらったからです しかし私達は 何日も心が 痛みます

苦労して稼いだお金だ あれで本当に 福報があるのだろうか というふうにはっきり 計算するのです 従ってある人は来て 印心を受けていますが 心がないのでパワーを 伝えられません 彼らは鉄のチェーンで 心を吊るしています マスター早く印心を お願いします しかし鉄のチェーンは 壊さないで下さいと 意味が分かりますか だから 私について学んだ後 ある人は すぐに高いレベルの 体験がありますが 別の人は高い レベルの体験もなく 悩んでいます それは自分のせいです まあいいでしょう できる限り 最善を尽くす事です 仏陀は私達の気持ちを 分かっていて 彼には 私達が走り回れる 大きな空間があります

犬を育てることと 同様です 犬を散歩に連れてく時 リードでつないで そこらへ行きます 長いリードです すると犬はあちら こちらへ行け 遠くへも走れます 時に他の犬とけんか したり「ワンワン」 吠えたりします 騒ぎ立てたりします 自由だと思ってね 飼い主と一緒に家に 帰りたくありません 結局 時間が来れば 飼い主はリードを 引っ張り犬は 気がつきます それで私達は 完璧ではなくも十分 誠心誠意でなくても それでも印心を得る ことは良い事です

暫くして 私達は それに慣れます それは習慣の問題です 例えば 歯を磨くのが嫌いな 子供がいますね しかしだんだん家族 全員が熱心に歯を 磨いていると彼らも 合わせるようになり 初め 彼らは怠け そのことを嫌いますが ただ何となく 磨くようになります このようにハブラシを 持って手早く 磨きます 数分で磨き終えます でも後に皆が熱心に 歯を磨くのを見て その子は恥ずかしく 思うようになります

それで他の人達が 磨き終えるのを待って 同じように止めます 彼らが真面目では なくても彼らもまた 歯を同様に磨きます ですから役立ちます 同じような感覚で 新しい印心者の人々は 安定していません それは自然なことです 彼らのレベルは十分 高くありませんから 自身を非難しないで ただ少し時間をかけて 他の同修と私に つきあうことです

私の結論はこうです 行動 言動 思考を 浄化することと 功徳を稼ぎ出すことは 別として 私達はまたこの世を 超越した法門を 修行すべきなのです 多くのこのような 法門の中でも 観音法門は 最も高く安全で 最も効率的な 法門です あなたが毎日 修行する限り 瞑想中眠りに 落ちてしまっても 私はあなたの功徳を 得点に数えます 観音法門を修行する ことが一番です 時に 私達はあまりに 疲れすぎ座れません この様に座りますが マスターはそれでも 控えてくれあなたに 功徳を加えます 「彼は八時から 十時まで やり遂げました」と 彼の記録を残します

その開悟したマスター 又は自身のマスターは 非常に寛大な社長と 同じです 私達が事務所に 姿を表す限り 私達が 肉体的に不快を感じ 居眠りしてしまっても 彼はその日の補償を 出してくれるのです 同様に時に 私達の霊修行が 後退した時 時に私達に気持ちが 良くない時でさえも それでも大丈夫です 私達がベストを尽くす 限りマスターもまた ベストを尽くし助け これが観音法門の 修行の特典と いえます それほど多くの努力を 求めません 副作用も危険なことも あまりありません

ただ利益があるのみ 取り付かれる 危険もありません 身体への副作用は ありません あなたが別の法門を 修行すると時に 身体に影響します それらを修行するのは 危険です よって 多くの法門は学ぶのが 容易ではないことを 私は知っています 教師もまた何人かの 人々だけがこれらを 学べることを知ります 時にその法門は 学ぶのに 健康な身体 特別な食事を 求められたりします 例えばこんな風です 分かりますか またはあなたが 別の法門を修行し サマディに入ります 瞑想中そしてあなたは 肉体に自身で戻れない こともあるのです

誰かがそこで控えて いなくてはならず 起こしたりさすったり でなければ死にます この場合 非常に危険で 複雑なことなのです 他にも多くの信じ難い 複雑な法門があり私は あえて話しませんが あなたは死ぬことを 恐れるかもしれません でも時間がある時に 私はそれらを ご紹介しましょう 私が気楽に話をする時 うっかり話しますが 幸運にも今日は その時間がありません それらを一旦聞いたら 死ぬのを恐れるかも しれません あなたはあえて それらを修行しません

しかしおかしなことに 人々は未だにそれらを 修行しますね 観音法門は単純です なぜ人々はこれを 修行しないのでしょう 昨日 こんな人がいました 彼は何と言いましたか 彼は悪夢を見ると 彼は以前沢山の動物を 殺しすぎました ゆっくり悪夢は 癒されていきます

あなたが戒律を 厳密に守っていて 私の指示に従い瞑想を 行っているなら 幽霊 神々はあなたを 畏怖することでしょう 彼らは遠く離れて見て いてあえて近づいては 来ないでしょう

マスター 菩薩と阿羅漢は 仏陀と同じで 同じパワーを持ち 苦しむ衆生の 求めを聞き届け 救うことが できるのでしょうか 彼らは化身と 仏陀の光を 持つのでしょうか 仏陀に比べ彼らの 力は少ないでしょうか ええ 少ないです 例えば 仏陀には十億の化身を 保持しますが菩薩は 何十体の化身しか 持っていません 例えばそのようです 仏陀のパワーは 無限ですが 一方 菩薩のパワーには 限界があります 仏陀は人々を高次の 境界へと連れて行け 菩薩は数人の人々を 中間の境界にしか 連れて行けません 例えばそんな風です 彼自身がそれだけの 境界にしか到達して いず 最高の境界では ないからです それで彼は道を 知りません それで力不足です

マスター あなたの 本を読んで以来 小冊子第一巻を 私の同級生や友人に 分かち合っています 突然彼らの 多くが菜食に変わり 「なぜ菜食なのか」 その文章を 読んだ後にです 彼らは徐々に 変わり始めます 残念なことに多くの 老人はそれを読め ません 多くの 働く人々は多忙すぎて 読めません カセットテープが あればこの問題は 解決すると思います 「なぜ菜食なのか」の カセットテープを 中国語と フォルモサ(台湾)語 作ることは 可能でしょうか 多くの人々が菜食に 変わると思います はいではやりましょう

マスターなぜあなたの 講演を聞きに来るたび 私は至福を感じる事が できるのでしょうか 非常に幸せになります 家に戻ってからも 長い間この至福の 状態が続きます しかし以前 他のマスターと 大臣の講演を聞いた時 私は超世界の至福を 感じられませんでした たとえ彼らの話の 道理があっている様に 感じられてもです それはなぜですか そこには二種類の 人々がいるのです ビスケットについて 話す人と 実際に 少しビスケットの 試食を渡す人とです ビスケットの味を 知った人には その違いが分かります

他方はビスケットに ついて話をしますが 彼自身ビスケットを 実際持ってはいません マスター マスターの写真を 家で何回も見たなら 私はもっと 更に慈悲深くなり もっと智慧を 得ることができますか 大丈夫です あなたに影響する 可能性はあります 他の人の写真を 見たとき 何らかの 範囲で影響します 影響するでしょう すべての写真が 同じ方法で影響する とは言いませんが 何らかの度合いで 影響するでしょう 本物の霊修行者を 見たとき 彼は私達に 影響します 彼が私達を見る方法で 影響するだけでなく 彼の磁場も私達に 影響するのです

私の言う意味が 分かりますか 彼がまだ生きてるなら 彼の写真は 私達を 影響する磁場を まだ持っています しかし 自分で修行 する方が良いでしょう 自分で修行して 他人の磁場に 頼らないことです マスター 仏陀に なるには非凡な 慈悲と智慧が 必要だと言うのは 本当ですか ええ しかし 自然に来る ものではありません 私達は自分の慈悲と 智慧を 成長させるのです 元々持っています この慈悲と智慧は 私達の考える 慈悲と智慧とは 異なるものです この慈悲は 無限の慈悲なのです それは観音菩薩の 慈悲と同じです どこにも存在します

どの生きものも 彼に祈り  彼はその人の言語が 分かります それが 真の慈悲なのです 私達が貧しい人を 見たとき 私達は その人にお金を与える それが普通の人の 慈悲です それは その人を少しの間だけ 救うことができます 皆 一人一人の中に この慈悲を 持っています 私達が本当の 慈悲を見つけた後 私達は 観音菩薩の ようになります 観音法門を 修行したら その真の慈悲を 使うことができ 私達はもっと もっと 慈悲深くなり 愛深くなるでしょう しかし 慈悲と愛情が あるように感じません それが真の慈悲と 愛情です

誰が私達に祈ろうが すぐに分かり その人を救えますが こうは感じません   「わあ 私はなんて 素晴らしく 慈悲深い 菩薩なのか」と そうは感じません それが 真の慈悲なのです マスター 私の家族は 仏陀を崇拝しますが 私はお経を唱えた ことがなく 仏教の 本を読んだとき 全くそれらを理解する ことができません どうすべきか 分かりません 貴方の 講義を三日間聞きに 来ています それで  私はまた仏教徒に なりたいと思います 今 私はとても 心配してます  貴方の案内が必要です

私はオゥラック (ベトナム)に三日間 行って 父の追悼を するからなのです 彼は四十四年前に 軍医として 引き抜かれました 彼の乗った船は 港で米軍によって 爆発されました 船は沈没し 父は亡くなりました 私は彼のたった一人の 息子ですが 彼に 経を唱えたことはなく 仏像に線香を供えて 崇拝したことが あります マスター どうしたら 修行ができ  何をすれば  死んだ父の魂が 落ち着くのか 教えて下さい 観音法門を 修行して下さい 観音法門の 修行だけが あなたの お父様に利益があり 五~七世代の あなたの親戚と 友人は 高い天国へ 上がることができます マスター 私は子供の 時から関節炎なので 瞑想はできません どうすれば良いですか 足を組んで 座れないのですか

(はい)でしたら 椅子に座るのです 王様のように座れます 冗談ではありません このように座るのです 分かりましたか このように真っすぐに 座って瞑想し 足を下ろすのです

横になっても 瞑想できます 足を組んで座る 必要はありません マスター 誰かが 私に悪口や説教を ひどい言葉と 悪い意図でしたら 何か私に 起こりますか いいえ その人を信じず 贈り物を受けないこと そうすれば贈り物は 彼に戻っていきます マスター  子供の時から 両親や 先生から怒られるのが 私にとって 一番怖いのです 誰かが私に説教したら とても悲しく思います でも一度ばかな質問を 聞きたいです それに対して マスターが叱ったら 私は嬉しく思います マスターが言うことは 正しくて 心の中で 私が何を考えているか 分かるからです

マスターが私を 叱った後は 至福で 明るくなった 感じがします それはなぜですか 昔の禅のマスターは 人々を叩き 叱りました そして人々を叩いたり 叱った時に すぐにその人々は 開悟したと よく耳にします それはさっきあなたが 説明したのと同じです マスターが叩いたり 叱る時に 人として 叱るのではなく あなたの考え違いを 叱っているのです あなたの内にいる魔を 叱っています 分かりますか それで魔は怖くなって 逃げてあなたから 離れて 解放します

だから 幸福に感じるのです 魔を叱るのであり人を 叱るのではありません あなたに執着する 魔を叱っているのです 分かりますか ある人々は魔に 取り付かれていますが 自分では分かりません その魔は いつでも一緒にいて 悪いことをするよう 話しますが 人々は知りません 私は魔を叱るので 魔は困惑して 逃げるのです それで真我は感じます 「ああ そうだ そんなことは すべきではなかった」 だから 私があなたを叱る時 両親に叱られる時とは 違うのです 私はマスターの本を 三冊読みました マスターが教える 解脱法を学びたくて たまりません

また私は心から 印心を受けたいです ですが夫の仕事は 豚肉の販売です 夫は家族を養うために 転職できません 時々私も手伝わねば なりません この状況下で マスターは印心を 受けさせて頂けますか 手芸品を作って 売ることができますよ そうすれば あなたは 自分で生計を立てられ 印心できます ご主人は自分で 生計を立てます あなたは 自身を支えるために 手芸品を作るのです ご主人の仕事とは 無関係ですし 印心できます 現在 あなたが作れる 手芸品が 沢山あるでしょう

私も作るのです あなたも作ってみたら いかがですか 私はこの頃 まだ自分で 手芸品を作っています 自分の面倒を見て それで人に 不便をかけません このように 私達はしたいことを 何でも練習します マスター私は 幼い頃から 動物が大好きです 私は誰よりも 動物が好きです でも私はこの愛を 友人や人間には 持っていません 私の悪いカルマ (報い)は重過ぎますか いえそうではないです それはあなたの 人々とのカルマの 関係のせいです あなたに愛がないから ではありません 他の人々を愛するのは 容易ではありません

これは人々が 話せたり時には お互いに口論したり 議論したり お互いに怒らせる からです 動物は話しません 相手を好きなら 近づき抱擁するのです 嫌いなら ただ離れて 放っておきます 相手は不満を言ったり 小言を言ったり 何かであなたを 責めたりしません いつでもあなたが来て 歓迎するなら相手は 大変嬉しいでしょう 分かりますか 関係ありません 動物が大好きなだけで 何も愛さないよりは ましですよ だから神は 人を愛せない そんな人達が 何か他に愛せるように 動物を作りました 動物は愛らしいです カルマの関係に対処 するのは難しいです 対処するのは 難しいです ただ我慢して下さい あなたが人を 愛せなくても人を 傷つけないで下さい それでいいのです

最善を尽くして できる限り礼儀正しく 助けになるのです 親しく なれるなら それで十分良いです 相手が必要な時は 手を貸してみるのです マスター 沢山 食べたり寝ることは 霊修行の 妨げになりますか マスター お答え頂けますか 更に私は 喫煙を止めないなら 印心後 修行の 妨げになりますか 禁煙を試みるべきです 沢山食べ沢山眠り たばこも吸い 修行しなければ 更に悪くなります たとえ私達に欠点が 沢山あっても まだ良い点は ありますし

まだ印心できます それに瞑想するために 最善を尽せます これが良い方法です すでに自身の欠点に 気付いているなら できる限り 変えるように すべきです 問題ありません まだ眠れますし 食べられますが日々に 瞑想を加えるべきです それで大丈夫です 寝たり 食べるのを 止めろとは言いません 喫煙に関してですが 多数の人は 印心後すぐに そして自然に 止めました あなたも試すべきです ご自身をあまり 責めないで下さい 時には私達は この世が余りにも 退屈に感じて 沢山食べたり眠ります

人生は意味がないと 感じて 暇つぶしに ただ食べるのです それで外出し 人と会う時 けんかもします

この世を見たときに 私達は満たされず それで私達は 毛布を被って 眠るのです マスター 私が 観音法門を修行すれば 結婚したいと 思わなくなりますか そうなる人もいますし ならない人もいます あなたのカルマ(報い) 次第です 観音法門を修行することは 結婚するか どうかを決めません ある人は 観音法門を 修行しなくても 結婚しません ある人は観音法門の 修行後でも 結婚したいと思います 問題ありません 何でもしたいなら すべきです 観音法門を 修行する限り 構いません

マスター 私はしょっちゅう 家の中で深夜 人が歩いたり 音を 立てるのを聞きます それに家に多くの 否定的エネルギーが あるのを感じます マスター私は どうすべきでしょうか あなたが知る唯一の 方法しかありません 尋ねる必要ありません 私達がその幽霊を 払っても無駄です 他の幽霊が 来るからです その他皆を どう払えますか 私達が身 口 意を 清浄にして 熱心に修行すれば 幽霊は自然と 観音法門の力に 作用されます それで離れていき 幽霊は解脱も するでしょう より良い方法です 私達はいかなる 幽霊を払う手印や マントラもいりません

残酷すぎます 幽霊に住む所が なければ 私達は そこに住まわせます マスター 過去に 過ちを犯した人や 不正なことをして 自身に悪いカルマ (報い)を作ったら どうすれば その者は償いが できますか この件は二日前に お話しました 仮にあなたが以前 泥棒なら 他者から 盗むのを止めて できるだけ早く 職を探すのです 最善を尽くして 他の人々への支援を 専門とする 政府機関に お金を寄付するのです

政府は人を支援する 多くの機関が あります 例えば 冬季には貧しい人に 衣服を提供します こうして私達は 償いができます 以前犯した過ちは 何であれ 今 反対の事をすべきです また二度と同じ過ちを 犯してはならず 他者を助けるべきです 私達はこの方法で 自分が犯した過ちを 償えます 過ちを償う 正しい方法です 毎日自分を 責めてはいけません 誰をも助けませんし また自身に 劣等感を産みます

劣等感があれば 社会にとって 良くありません 大勢の人が あなたを慰めねば ならないので他の人に 迷惑になるだけです 心の中で傷を負い 自分自身で助けるべき 素早く行動し 他者に とって良い事や得に なることをするのです それであなたは 自信を得ます 自分が役に立つ者だと 感じます マスター 私が以前 他の法門を修行し 今 あなたと共に 観音法門を修行する なら 私はより多くの 障害に出会いますか または 私が懸念 すべきである他の ものがあるでしょうか これはあなたの 誠実さによります

それはあなたが以前 学んだ法門に執着して いるかどうかと 本当にマスターの パワーを信じるか どうかによります それにも拘らず また 試みるべきで それで あなたは知るでしょう 誰にも 希望はあります マスター 世界には キリスト教イスラム教 仏教 および他の 宗教があります 人がただ自分の好みに 基づいて信じる宗教を 選ぶことができるのは 正しいですか はい 皆の好きな 宗教はどれでも 皆を霊的に助ける事が できる宗教はどれでも 「好み」にマッチする 宗教はどれでも 皆はその宗教を 信じるべきです

あなたの好きな宗教が 全くないと感じるなら あなたがどんな 宗教も信じないのは 重要でありません 神は決して誰にも彼に 信じろと強制しません 私たちは善行をし 自身と社会に 有益なことをします 私たちは隣人に 親切であり助けになり  貧しい人々を助けます それも素晴しいです あなたがどんな宗教も 信じなくても 生死の輪廻から 解脱したいなら そして あなたが これ以上この世界に 戻りたくなく 衆生を助ける 偉大な力が欲しいなら あなたも観音法門を 修行できます

それも自分の信仰と 呼ぶことができます 「信仰」とは 内面の偉大な力を 信じる事を意味します 私達は美徳を信じます それは 必ず私たちが 「私は仏教徒である」か 「私はカトリック教徒」とレッテルを自分に 貼る必要はありません 分かりますか 「信仰」は私たち皆が 持っている内面の 理想を示します カトリック教徒で なくても あなたに 信仰があると信じます マスター  仏陀との縁は何ですか なぜ ある修行者は 時々「あなたは仏陀と 縁がある」と 言いますか 人は 自分の肉眼で 仏陀と縁があるか 見る事ができますか

ある人は仏陀と縁を 持って生まれますか または誰かは霊的な 修行を通じて仏陀との 縁を得られるのですか ただ何気なく話します 肉眼を使って見ることはできません 人々は他人にうまい 事を言うのが好きです 知りませんか 例えば あなたが 多くの供養をすると 「この人は仏陀と多く の因縁があります」と ある人は言うでしょう 私は本当にこれが 全く分かりません

あなたが私と共に 観音法門を修行する ようになるなら 私は 印心の時 あなたが どんな水準に達したか チェックしますので あなたが仏陀とどんな 縁があるか分かります 言い換えればあなたが 悟りの境地からどれ程 遠いか分かります マスター 私は印心を 受けていませんが あなたの化身を 瞑想中で 夢の中で または 日常生活で 見ることができます

あなたの化身が非常に 近くにあると感じます これらの現象は 実際起りますか 初日にあなたの講演を 聞いていたとき 私は あなたの全身が 黄金の光で覆われて いるのを見ました あなたの後ろに 黄色い法衣を着た 多くの僧侶がいました このビジョンは 私が前世で修行した ことを示しますか はいそれはあり得ます この場合 人々は あなたは私と因縁が あると言うでしょう 誰かが夢で または 瞑想中に私を見るのは 日常茶飯事です 見るためにあなたが 印心する必要はない たとえば 初日に あなたは 中央アメリカから 戻って来た 修行仲間の一人から 話を聞きました

彼はそこの外交官で 印心を受ける前に 彼は多くの物に関して 彼に話しをする 私の化身を しばしば見て来ました これは最初の 例ではありません それは起こり得ます でもあなたはまだ印心 を受ける必要があり これは印心のとき 私はあなたに多くの 指示を与えるからです 毎日何をすべきか あなたが幻想を見た 場合 何をするべきか 魔を見たとき 何をすべきであるか 仏を見たときは何を すべきか言います あなたが進歩できる ように瞑想法を 説明します 毎日どのように 瞑想するか説明します 化身を見ただけでは 十分ではありません

さもなければ 私はただ化身を用いる ことだけが可能で とても疲れる講義を するか人々を教える 必要はないでしょう マスター ある人が死んだ後 彼を火葬した後に ひとつの遺品があれば 西方浄土へ行った ことを意味しますか それが本当なら そして彼が死んだ後 火葬でなく埋葬したら 彼がどうやって 西の極楽へ行ったと わかるのですか 彼は東へ行った かもしれません 私達は誰がどこに 行ったかを これらの 物理的なものを見て 判断できません

釈迦仏陀は並外れた 福報をもった人しか 西方浄土に 行くことができないと 言っていました 彼は誰かが 火葬された後に遺品を みつけたら西方まで 行ったに違いないとは 言いませんでした だから私も 彼が火葬の後に 遺品を残したとしても 東か西に行ったか どうか分かりません このことは聖典には 記録されていません あなたがこのことを 知りたければ観音法門 修行してください そうすればあなたは 死ぬ前にあなたの 行く所がわかります それは安全で より良い方法です
マスター 神は何人いるのですか どうして聖書では 「私以外にあなたは 他の神を信じることが できない」とあり それは私達が キリストだけを信じて 仏陀を信じては いけないと いう意味ですか 違います それは旧約聖書の ことですね 旧約聖書で 言っていることは 「私は嫉妬深い神で あなたは私以外の どんな神も崇拝しては いけない」 これは修行の一つの レベルの表現です これは古代の修行者の レベルで 彼が書き留めました さて 私達観音 修行者が天に行ったと します 

すると 私達のレベルは どんどん高くなります そんなようだとします それである日私達が いわゆる嫉妬の神に 会うことができます 神はあなたにも教え 「私が唯一であり あなたは他のものを 信じてはいけない」 他の神を絶対に 信じてはいけない」と でも私達はマスターが 高い場所に連れて行く ことを知っています より高いレベルに 行くと 私達は 異なった境界の多くの 神に会うことができ 彼らは異なった場所を 担当して そして 別のことを教えます

彼らが教えることは 究極の真理でないかも 後で より高い境界に 行くと私達は 嫉妬の神は低い レベルだと知ります それで彼はそのような ことを言うのです 観音法門を 修行すれば ある日あなたは 体験し 嫉妬の神を 見るでしょう 私達の教師は マスターの目を 見ることで悟りを開く だろうと言いました 本当ですか マスターどうか私達の 質問にお答えください ありがとうございます あなたの先生の事です 私に何を 言って欲しいのですか

あなたの先生が 言ったことは正しいに 違いなく なぜなら あなたの先生だから 私はあなたの先生が 間違いとは言えません マスター  私はこのはかない 世界を離れ 二度と戻りたいと 思いませんが  同時に私はこの世界に 非常に執着しています どうしてこう考えが 矛盾するのですか それは私たちの体には 多くの穴があるから 私達は自分の体の中に 留まっているのが 心地よく感じます 私があなたを上に 連れていくとき あなたは戻りたがり 隠れる穴を見つけ たがってるようです 同様に私達は この世に滞在するのに 慣れています そこに上がっても より美しい世界を 見つけることが 出来ないのを恐れます もちろん 安心は感じられません

ともあれ私達が 観音法門を修行し より長く修行するほど 私達はこの世界への 執着がより少なくなり 修行始めたばかりでも 執着はより少なく なるでしょう 例えばある学生が 私に手紙を書いて 教えてくれました 彼はすでに印心したが 彼は肉食に戻り 修行を止めました なぜなら他の人達が 私に関して悪いことを 言ったからです それでも彼はもはや テレビを見られません 以前彼はテレビを見て カラオケに行って 音楽を聴いて楽しんで 飲んで食べるのが 好きでした

今の彼は違います それ以上のものに 興味を持ちません 彼が修行するのを止め そしてそれ以上 私を信じず 他の人の言葉を信じて 肉食に戻りましたが それでも彼は 依然としてこのような 世界を手放せました 自然に世界を 手放したのです それは私が皆さんの カルマ(報い)を きれいにしたからで 突然皆さんはこの世へ 執着がないと 感じます  でないとこの世界を 手放せません 意味が分かりますか それは皆さんが 縛られているからです

今私がこのように 鉄の鎖を断ち切った ので皆さんは自然に 自由になるでしょう 観音法門を修行すれば 皆さんはもはや この世界に 執着しないでしょう マスター  あなたの講義が 毎週日曜日の夜に  台湾ラジオ局の 「マスターの開示録」 の番組で 放送されていますが たったの三十分だけで 短すぎます 番組の放送時間の 延長は可能でしょうか 皆様はどう思いますか 私は検討してみます テレビで三十分 放送されれば 既に 長いと言えませんか ラジオ局にとっては かなり長いはずです

私は検討してみます マスター 私は 生れ付きの陰陽眼で 自然と鬼神が見えます 大変煩わしく感じて いますが どうしたら 良いか解りません それらの存在を 見ないよう いかに 克服すればよいですか それはあなたの天眼が まだ開いておらず 代わりに鬼眼が 開いているからです 方法があります 眼にテープを貼って 覆ってしまうことが 出来ます ええ あなたのような 人々がいます 昔 私のマスターで 彼は正しい法門を 修行する前に 間違った方法で 自己流で瞑想しました そして彼は滅茶苦茶な あらゆる物を見ました

それで彼のマスターに 頼んでこの眼を塞いで それ以後 彼は 見えなくなりました 彼は観音法門を修行 し始めてからでさえも これらのものに 邪魔されました 彼はここに座っていて 台南で彼らが何か 悪事をしていることや それらの鬼神達が 何を知ったか 見ることができました これは私達にとって 何の役にも立ちません 私達には幾つかの 解決方法があります 観音法門の修行も その鬼眼を 塞ぐことができます マスター あなたの言及される 観音法門とは 六祖慧能が五祖弘忍に 尋ねた法門ですか あるいは六祖慧能が 五祖弘忍から伝授され 開悟した 

その法門と 同じでしょうか はい 同じです マスター私はしばしば 私の前に神がいると 感じますが これは私の幻想ですか あるいはそれは何かの 暗示なのでしょうか 幻想かもしれません マントラを唱え それが去るかどうか 試せます 放っておいて下さい 放っておけば良いです マスター 私達は 慈善を行う時 報いを 求めるべきでないです しかし私は善行を するとき その瞬間は それを考えませんが しばらくした後 これらの情景が 心に 浮かぶことがあります なぜこうなるのですか どう克服できますか 大丈夫です

想い出したなら 返済を 求めない限り 思い出しても 構いません 思い出すたび ただ それ以上やりなさい 分かりますか それ以上やることを 思い出せるものです マスター 私は印心を 受けていません  しかし 幽体離脱の 体験を二回もしました 先ず足から痺れて ぶるぶる震えます それからエネルギーが 頭頂のチャクラまで 上がってきました 魂が離脱した際 耳にすごく大きな 振動がありました しかし 頭から離脱 したと感じていました 最初離脱した時 私は怖いので 引き戻しましたが 二度目は 楽にさせました

その時 釈迦牟尼仏  観世音菩薩を見ました ただ 彼らは 何も話しませんでした 何で起こったのか 教えて頂けますか 時々 正式な印心が 不必要です 分かりますか 沢山の種類の印心が あると以前からも 話しました 時折 化身マスターによって 印心を与えられます 時折 あなたの祈りで 印心を受けられます 時には 面と向かった 正式な印心です それは完璧です ある人は私の講義を 聞いただけで霊的な 体験がありました 分かりますか 彼らも釈迦牟尼仏を 見ることができます しかし 何か深刻な 体験を言う 必要はありません

だから「即刻開悟」と 言うのです 確かにある人は 即座に悟りを開けます 私が講演するたびに 常に霊的な体験を 持つ人がいます ある人は釈迦牟尼仏や 観世音菩薩を見たと ある人は智慧眼が開き ある人は光を見たと ある人は化身 マスターを見たと これらはすべて 悟りの体験です おめでとう 問題ありません しかし 印心を 受けるべきです マスター 親孝行の お嫁さんがいて 彼女は家族のために 一生懸命働いて お金を稼いでいます 彼女は朝から晩まで ずっと忙しく 友人や親戚は 皆彼女のことを 良く言っています

しかし 彼女は 姑に乱暴に扱われて 死ぬように呪われます 苦しく生きている 彼女にとって 他人から どうすれば 彼女を助けられますか 彼女のことを悲しく 思うけど どのように 助けられますか あなたができることは 何もありませんよ 嫁姑間の問題は 昔から根深い問題です 以前もお話した ことがあるし 皆も知っています これは最も 悲しいことですね 引越しすれば 引っ越して 姑にお金を与えて またはしばしば家へ 帰って彼女を助ける のはどうでしょう たぶんこのように 二人とも無事に 過ごすでしょう

このように 姑も良く眠れますし お嫁さんも ほっとするでしょう さもなければ 彼女は 何もできません 引越ししても それほど遠くないです フォルモザ(台湾)は 小さいので 二人はばったりと 出会うかもしれません このような話は 沢山耳にしました

私達の状況に 耐えるべきです 我慢してください 世界はこのようなので 私達ができるのは 我慢することです 私達はカルマを 返済せざるを得ません 他人に物を負うから 観音法門を修行し

私達はこの生涯で 自由な魂になって この世界に二度と 戻りません 私達はこれ以上に 苦しむ必要が ありません それで大丈夫でしょう マスター あなたの講義を 聞くは初めてです とても嬉しいです 私は結婚してから 何回も妊娠しましたが 流産してしまいました 流産してしまいました 胎児は2~3ヶ月で 死んでしまいました 私は子供が大好き なので子供が欲しくて たまらないです 私に何か過ちが あるのでしょうか どうすれば良いですか ええ 家へ帰って 養子を貰って 育ててください 時々 養子を 迎えたら自分の子が 生まれることがあり 時折皆そうします

そういうことです 子供がいないので 他人の子供を  養子にしたら それで 急に2、3人の 子供ができたのです というのは 既に 物が存在すれば それは他の物を 引き付けるからです 何もなければ 何も起こりませんから マスター 私の家族は 沢山の 悪い事をした人達が 菜食をすると 思っています 私は印心を 受けたいですが どうしたらいいですか 自分で決めて下さい どうしようも ないです 私達がどんな事を しても人は非難します 彼らが何を言うか 気にしないことです

どんなよい事をしても 彼らは十分いいと 思いません 私が言ったように 何をするにしても 気持ちがよく 誰も傷つけなければ それはいいことです 私達が菜食をするのは 誰かを傷つける ことではなく 彼らを長生きさせて いるのです これは悪い事をするの ではないという事です フォルモサ(台湾)の 人々は一つの風習が あります つまり 両親が亡くなると 一ヶ月間菜食します その功徳を彼らに 上げられます 前大統領も これをやりました そうですね

前大統領も 菜食者だったと 思います そうですね 少なくとも時には お母様が なくなった時 彼は菜食をしました これは菜食は いい事だという 意味です 一ヶ月菜食するだけで すでに良いのですから いつもすると 両親にもっといいでは ありませんか なぜ悪い事なのですか その理由が見て 分かりません 論理的ですか(はい) 理に適ったことを すべきで 後は気にしない事です

マスター ここ数日あなたの 講義を聞きました 本や テープも買って家で 読み 聞きました 私は全て受け入れる ことができます そして毎回あなたが 講義を終えて 会場を退場する時の 音楽を聴くと 感動で涙が あふれます 私は少し前 一貫道の弟子になって あるマスターの教えを 受けています あなたの経の講義を 聞いてから 霊修行の必要性を つくづく感じました マスター 私は 印心を受け観音法門を 習うべきでしょうか そうです 私達は 一貫道の教えと 対立しません あなたは引き続き 一貫道にいていいです ただ観音法門を 加えればいいのです

悪くないと 思います そうですね(はい) 一貫道はまだ 観音法門を 教えていません 私が観音法門を 教えることは 花一輪を添えるような ものです 分りますか 花一輪を添えて あなたのフラワー アレンジメントを もっと美しくします マスター  皮靴を作る仕事は 間接的な 殺生ですか 少し関連があります なぜ少し 関連があるかというと ほとんどの場合 動物を殺すのは皮を 得るためではないです 意味が分りますか 動物を殺すのは 肉を食べるためです 人々は動物の肉を使い 残った皮で 靴を作ります だから少し関連が あると言います しかしその仕事を する場合  沢山修行すると 動物の苦しみを 感じて 続けてやりたく なくなります

マスター  テレビによると インドのガンジス河は とても汚れていて きれいに整備する とのことです その聖なる河は 本当に清潔なのか どうか聞きたいです ある所はとても汚く 信じられないほど 汚いです 分りますか 耐えられないほどです 見るに忍びません とても汚いです しかしある所は とても清潔で 美しいです とても清潔です あんなにきれいな 河を見た事がないです というのは 河の水はとても高い 山から流れるからです 余りにも高くて 人が入れない所から 流れた水です 私はそこに行きました ガンジス河の源に 行ったことがあります

雪解け水が河に入り 一滴一滴 一回に一滴ずつ滴り とても美しいです それを飲むと なんて素晴しいことか そこが神の地か 聖地か分りませんが とても元気になり 爽やかさと純粋さは 皆さんに伝える ことができません 自分で行って 見ると分ります 下流 一番下流に バナラシという 鹿の公園があります そこは汚いです なぜかと言うと 皆がそこに 死んだ犬 人間の死体 豚 牛の 死体を捨てるからです 人間の死体も 半分焼かれたものです インドには火葬する 風習があります 死体は 何でも火葬します

古代から このような信仰と 風習がありました 彼らは 人が死んだら 鹿の公園や バナラシ近くで 火葬すると 魂は高い 天国に上ると 信じられています それは彼らの信仰です そこで老いも若きも 男も女も 貧しい人も富める人も 皆が死体を そこで火葬します ある人はお金が ないので焚き木を 買うことができず 死体を一部だけ 燃やし 残りはそのまま ガンジス河に 捨てます というのは 人々はガンジス河に 捨てても 魂は超昇すると 信じるからです これらの 死体のために 河は汚れています 多分テレビはそこだけ 映したと思います

写真を撮るために 山頂まで上る勇気は ないと思います そこはとても寒いです そこに上って 帰らなかった人もいて 私は行きましたが とても危険です 車は入れません 歩くしかないです あんなに高い山を かなり歩きます 河は信じられないほど 深いです 分りますか 雪は山の高さと 同じぐらい深いです ある所は 車が通れますが ただ雪の中央に 経路を作る必要が あります  車は小さく 雪はとても深いです 分りますか 実際車は 大きいですか  雪道を走る時 小さく見えます ただ夏にしか 通れません 冬には通れません

誰も冬には 入れません ガンジス河の源流の 所には誰も入った ことがありません 人間の足跡もなく 人家もなく 文明もなく 汚染もありません ガンジス河の半分は 素晴らしくきれいです その水を 飲んだ時 本当に加護の力を 感じます とても冷たいからです インドは大変暑いです そこに行くには 歩くしかありません 車は通れません 体が暑くなり のども渇きますが 周囲には人家も ありません だから ガンジス河の水を 飲むと それは聖なる河だと 信じるわけです あんなにきれいな 水が見つかって とても幸せです

その水で顔を洗うと 清清しいです 水は一年中冷たいです インドがどんなに 暑くても河の水は 熱くなりません とても冷たいです だから皆が ガンジス河が好きです このためです マスター  功徳を使って 運命と輪廻を 変えられますか それとも生死の 輪廻のカルマと向き 合って始めて生死の 輪廻を超越することが できるのですか 運命はどんな功徳で 変えられますか 観音法門を 修行した功徳だけが それを変えられます 他の功徳は 役に立ちません マスター 社会には 二種類の人がいます 良い人と 悪い人です

悪い人は悪いカルマの 報いを受けますか 私は多くの悪い人が 善良な人よりいい 生活をしているのを 見ました なぜですか それはカルマです その人が前世で よい事をしたので 今生で福報が 報われているのです 今悪い種を 蒔いたものは いつかは自分の身に 戻ってきます 例えば 大分前に何かを 植えたとします 今 花が咲き始めています 花は独りでに咲くわけ ではありません 大分前に誰かが植えた 花が咲いたのです 分りますか マスター この世界の 魔をどう消滅 しますか 今が 末法の時代だとすると その期間は どれぐらいですか

末法の時代とは こういうことです これは古代の 修行者達の言い方に よるものです 彼らによりますと 世界が創造されてから 大変長い期間 栄光の世界でした 人々は善良で 世界は平和でした 人々は欲しいものは 何でも手に入り 懸命に働く 必要もなく 皆が道徳的で 長生きし 数百年 数千年 生きたといいます その時代を 黄金時代と呼びます その時代の後 世界の栄光は 減少しました 寿命も短くなり 道徳も 減少しました

これを 銀の時代と呼びます 分りますか 後で鉄の時代に 退化しました 今の時代のことです この時代を カリユガと呼びます カリユガは サンスクリット語です それを末法の時代と 呼びます なぜなら私達は余り 道徳的でないからです 私達が使っている ものの多くは鉄です 昔は金や銀で 宮殿を造りました 宮殿を造りました

今日では鉄で造ります 例えばこうです 分りますか

これを鉄の時代または 末法の時代と呼びます 末法の時代 人々の 寿命は短く 道徳に欠け 世界は 乱れています 例えばこうです これを 末法時代と呼びます 魔を消滅させては いけません 彼は彼の仕事をします 私達が道徳的で 霊修行をしていれば 彼を恐れることは ありません 彼は独りでに 消滅します 私達の 場合はそうですが 彼が必要な人がいます だから存在するのです 分りますか 例えば 悪い事をする人や 犯罪者 例えば政府に 税金を納めない 脱税者など 彼らは警察を 嫌います そうですね

彼らは 警察は悪いやつだ 迷惑千万だ 迷惑千万だ 脱税など大した ことでもないのに 警察と何の関係が あるのだ なぜ絶えず 迷惑をかけているのだ と言います 例えばこうです 彼らは警察が 嫌いなのです しかし一般の人は 誠実に税金を 払いますので 決して犯罪を犯さず 政府に反することも しません 警察を嫌ったりも しません 分りますか ある人には警察が 必要で そこに存在 する必要があります 魔も同じです 彼は彼の仕事をします 彼を嫌わないで 他の所を探して 住めばいいのです

マスター 今日私は 偶然市内に来て あなたの講義を聞きに ここに来ました 私は仏陀も分らず 法(真の教え)も 分らず 印心のことも 分りません しかしなぜ 今この時 胸がときめき 血液の循環が 早くなるのですか 不思議です 心配ありません 後でよくなります しばらくすると 時間がきて 私が離れると そのような 体験はなくなります

これは悪いことでは ありません 内面の振動力が 早過ぎて 入って来た ばかりのあなたの体が 混乱しているのです 後でよくなります マスター 私はまだ学生で 親の 援助を受けています 両親の仕事は 殺生と関係あります どうしたらいいですか 私もどうしたらいいか 分りません ただ早く 卒業して 就職してください そして両親に 引退してもらって あなたが養うことです これがいいと思います いいですか

マスター 印心後 修行に励まない場合 または時々 毎日の日課を 忘れたりすると 信念が弱まりますか これはあなたの レベル次第です その可能性もあるし そうとも限りません 霊修行を すべきです 真剣にすべきです 修行仲間と 一緒に修行し 私の本を読みよく私に 会いに来ることです するとたとえどんなに レベルが低くても 信念が弱まりません 全ては私達が解脱を 願うかどうかに よります いいですか マスター 霊修行は 時間が沢山かかります 沢山の仏教の経典を 読むほかに 瞑想も しなければなりません

コンピュータ専門家で コンピュータの 仕事をしています 時々仕事で 疲れ果て 健康状態も よくありません しかし一つのことに 集中することは 社会にとってもよく 積極的な 態度だと思います 私達は自分で 修行すべきだと 思います マスターの力に頼る ことは不公平では ありませんか 私は マスターの力に頼る よう教えていません 家に帰って 毎日二時間半 瞑想するよう 教えています 沢山瞑想するほど 元気になります 分りますか 皆が懸命に働きます あなただけではなく あなたはコンピュータ 仕事で忙しく  他の人は別の仕事で 忙しいのです

あなただけが忙しい わけではありません 私は社会に貢献する ことは教えてませんが もっと大きな 貢献ができる 方法を 教えます 幸せで 健康でストレスがなく 悪いカルマ(報い)の プレッシャーがなく 社会にもっと大きく 貢献ができます 意味が分りますか 小さなコンピュータの 仕事は社会に対する 貢献はさほどではなく 日本では多くの工場は 従業員を禅師の所に 習いに行かせます 無料で行かせます 社長がお金を払います

なぜでしょうか それは社長は 従業員が そこで瞑想を 習ってからもっと 良い従業員になり もっと誠実で 考えも もっと早くなることを 知っているからです 生産高が 何倍も 増えることもあり それだけの値打ちが あるのです だから 従業員にお金を 払って禅師について 数週間瞑想を習い 静修して もらうわけです それから 従業員は戻って 仕事をします 私達は いつも人間の 限られた力に頼り 霊修行の 驚くほどのパワーを 知らないのです

霊修行者こそ 国に対し 何倍も多くの 貢献をしています 私達出家者も 誰かに頼って生活して いるのではありません 霊修行は 個人的なことで 人に迷惑をかけては いけないからです 分りますか たとえ出家した としてもやはり 手仕事をします 大衆に奉仕する ためです 自分で生計を維持し 人からのお金に 頼っていません 皆さんが仕事で大変 忙しくしていることを 分っているからです

皆さんは国や親 親戚友人の面倒を 見なければならず 私達の面倒まで みるとなると それは不公平です 私もそう思います ですから私も 手仕事をします 皆さんからの供養を 待っていません この事は言って おきたいです マスター 普通の人 つまり印心を受けて いない人が 瞑想する場合 心をどこに 集中したらいいですか 何を考える べきですか またどんな 禅問答を すべきですか 開示をお願いします

こうすべきだ ああすべきだなど すべき事が多いですね 観音法門の修行は ととてもシンプルです なぜこれを 修行しないのですか なぜこんな複雑な 質問が多いのですか だから私は観音法門を教えているのです とても簡単だからです とても簡単だからです 皆さんは 歩くも休むも座るも 寝る時もできます どんな仕事をする時も 修行できます そんなに複雑化する 必要はありません 他の法門を教える こともできますが 皆の時間を浪費し そして危険で 大きな結果が 得られません

結果は小さいです 私は観音法門が 最もよく 簡単で複雑でない ことを知っています そしてこれを 習うのに特別な条件を 必要としません どんな法門を 教えるにしても 時間がかかります 私達は瞑想を 習うのです キャンデーを買う 速さではありません キャンデーを 買うにしても 待たねばなりません 人々が時間かけて ここに来る時も 金と時間が掛かります 瞑想を習いに来た人を いい加減にあしらう わけにはいきません 例えば皆さんが私に 「時間がないです 時間がないので 五分ぐらいかけて 瞑想法を教えて」と 言っても 私にはできません

マスター私はもうこの 世界に未練がないです 本当に 出家したいです しかし両親は まだ健在で 私が出家すると 彼らを扶養する ことができません どうしたらいいですか いいでしょう 両親に 出家してからも 手仕事をしてお金を 稼いで両親を扶養する と言ってあげなさい これで 出家すると同時に 両親も 扶養できます 良くありませんか マスター 私は若い時 とても貧しかったです しかし楽しかったです 今生活は ますますよくなり 子供達も成長して 大学にいっていますが 私はますます幸せで なくなりとても 悩ましいです 私は 幸せになりたいです マスター  解脱するには どうしたらいいですか 観音法門を 習うことです

 
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