智慧の言葉
 
スプリームマスターチンハイとハリ クリシュナ   
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イエスは彼が行う事は  全て 私達にも出来る 皆 神の子であると 言わなかったですか ロックフェラー氏の 子供だったとしたら 皆さんは誰ですか ロックフェラー家の 一員ですよね 父親の持つものは 何でも所有してますね ロックフェラー家の 子供達に尋ねて下さい 何を所有してるかを 皆 父親の名声を 所有しているのです 彼が残した財産全てを 所有しているのです 存命中でもです そうではないですか ところが否定の力 悪魔の力は 私達が神ではないと 信じさせたいのです

私達は罪深く 悪しき者で 行う全てが罪深いと 私達はそれを信じて それで 心から神を 信じてはいないのです 信じたくても 逆の事を信じるように されているのです こうして 私達は 神の力でなく  反対の力を信じるよう 騙されているのです それでイエスは 苦しんだのです ほとんどの人が  彼や 彼の考え方を 支持しなかったから 彼の言葉や行動や  信念の 肯定的な力を 支持しなかったから それで殺したのです

しかし少なくとも 彼は数人を目覚めさせ はりつけ後も 何世代にも渡って 影響を与え続けました ですから彼は 人類に多大な貢献をし 私達に大いなる文化を もたらしたのです それこそが 救世主 預言者の仕事です しかし 過去 現在 未来において 彼は唯一の 存在では ありません 彼が こう約束を しているからです 私が行う全ては汝らは より良く出来る と 洗礼者 聖ヨハネも 同じことを言ってます

我は水で洗礼を施す だが我より 後に来るものが 我よりも勝る者は 聖霊によって 洗礼を施す それで 後から現れた 各預言者は より強かったのです 神さま ありがとう 彼は 勝っていなかった 恐らくそうでしょう なぜならイエスはこう 誰かに尋ねられた時 「あなたはイリヤの生まれ変わりですか」 彼は黙りました 沈黙するとは どういう意味でしょう 沈黙とは はい と言う意味です でなければ 彼は こう言うでしょう 

違います おかしな 事を考えないで下さい

彼は弟子が 間違った事を言えば 教えたはずです

ですから 沈黙は 認めたということです ですから実は つまり 彼とイリヤ 彼の前に 現れた預言者たちは 少なくとも同等で 差はないのです でも我がする事を汝は よりうまくできると なぜ彼は言ったのか あるいは ヨハネは 我の後に来るものは 我より優れ 我は 彼の靴紐を解く価値は ないのかと言ったのか それは ただ彼らが 謙虚だったからです マスターは皆 このように謙虚でした また 真実を 示していました マスターが神から 地上に降りて 人間に教えるよう 任じられた時 特別な力を持っていた わけではありません ただ当時の人々の 理解と思考力と 新しい考えを 受け入れる能力が 違っていたからです

人々には神の力が あったからです 人々が支持し 理解すれば 神が支持し理解すると いう意味です 神は皆の内にいます 彼らが耳を傾ければ 神が耳を傾けるのです もし彼らが同意すれば 神が同意すると いう意味です

彼らの中の神が 同意し それで物事が起きます なぜなら 全ての 神々が来て同意したと すれば この力は 小さいと思いますか ええ それで マスターでも 強力になるには 周囲の支持や力が 必要なのです でなくて マスターが 誰も教えられず 誰も耳を貸さないなら どんなマスターかしら 役立たずですね あるいは  国全体に支持されない 王様なら  彼は無力な王様です 違いますか 或いは仮に 医師が医学的研究で 資格を取った後に 一度も患者を 治していないなら 良い医者と 呼べますか 役立たずです それでは 医師の 意味がありません

医師は 患者を治せば治すほど 有名になり 自信を得れば 得るほど  人々は信じます

とにかく物事は自ら より良くはならず 状況が 必要なのです 水は 植物が育ち 花が咲き ふさわしい季節に 実がつける為には 欠かせないようにです ですから イエスが 「汝は私がするより 勝る」と言っても 彼より勝るという 意味ではありません ただ より良い状況に いるという意味です 私達が神の智慧と 自身の内なる 受け継いだ智慧を伴い 派遣され 権限を与えられたら 私達はイエスより 勝れた事ができます

各時代を過ぎて 私達の世界は より文明化し 強くなり 知的になり 聡明になるからです

日々私達の世界が より文明化していると 分かりますね 各時代 マスター達が来て その智慧と加護と 肯定的な 知的エネルギーで 私達の地球に恩恵を 与えるからです だからたとえ 時に私達が そのマスター達と 直接対話しなくても 彼らのエネルギーや 加持は 私達の生活に まだ恩恵を与えて 状況を変え 私達の為に世界を どんどん良くします ですからイエスの言葉 「私が今する事を汝は より良くできる」の 意味はより良い状況が 私達を助ける そして 時が来ればという事で 多分 より良いのです なぜなら  マスターの理解は  やはり人々の 理解の必要へと 広げるべきだからです

例えば 大学教授が 小学校に行ったなら 自分の知識全部は 小学生には 使えません 小学生が理解する 方法で話すべきです そして もし それを続ければ 自身の知識は 最小限になって 知っている事も 忘れるでしょう そのため 教授が大学に行けば 学生がより聡明なほど その知恵は 益々深まり 生徒はより良い事を 多く要求するのです

私も時にさまざまな 聴衆に話していて 難しく感じます ある聴衆に対しては とてもリラックスして 何時間も 話し続けられ 疲れも感じません やる気を感じ 私の話す事は 双方にとって 大変良く 私も好きなのです 自分に話しているわけ ではないのですが それらの話は 質が高いと分かります

とても高度です 高度な悟りです

ですから聖書のこの話 つまりイエスの 教えを理解するには  私達も彼がした事を  私達も彼がした事をすべきです つまり神を沈思し 密かに祈るのです もしすでに なにか瞑想法を 学んでいるなら どうぞ続けて下さい 少なくとも 神の王国一部を 知る助けになります 私の知るところでは 私達が行っている 方法は 実は 方法ではありません というのは 書かれたものはなく 沈黙と 内なる認識力を通して 伝わるものだからです 言葉のやり取りによる ものではないのです また この種のものが最高で 最速で神の王国の 最後の扉だという事 だから 質問があれば 喜んでお答えします

どうぞ シェフ ここの聴衆の大半は 食べることや 食べ物の選択 菜食の霊的側面を 聞きます でも私は 人々は菜食になるべき 理由をもっと知る事に 関心があると思います 宜しくお願いします 理由ですか 菜食になるべきと それもまた聖書で 言っています 神曰く 私への捧げものに 雌ヤギや雄牛を二度と  殺してはならぬ 無垢な命を殺めるのを 一切やめよ さもなくば 汝の手は 無垢な血にまみれる 無垢な血にまみれる 汝が祈る時 わたしは顔を背けて 耳を傾けないだろう 一切をやめないなら 汝を許さぬであろう 違いますか そうです 他にもこうあります

腹のための肉と 肉のための腹 神は双方を滅ぼす と また他にも 酒を飲むもの 肉を食すものと 交わるなかれ 違いますか どうです 他にも 物語の中にあります ある人々が神に 食用の肉を請うと 神は激怒して 天国から 肉の雨を降らせ その後 肉を食べた者全員を 殺しました そうではありませんか まだ怖く ないのですか 他にもあります 汝の体を 死体を埋める 墓場にするなと 神は聖書で そう話していませんか 私が言ったことは 正しくないですか 読みましたか  はい でもあなたは 聞きたがらず 理解したがらず ただどんどん 聞き流したのです それに司祭たちが 全ての獣を殺し 焼いて 黒煙が天まで上り 寺院を 肉処理場にした その部分を あなたは読みました

菜食になることの 霊的な利点は 霊的な利点は 何ですか

こうして 尋ねて 下さって嬉しいです 霊的な利点だけ考え  気にかけている ということですから 大抵の人々が菜食を 語る時は 健康や ダイエットと 容姿のためです 菜食の 霊的な側面は 非常に明解です 非暴力です 汝殺すべからずです 神が汝殺すべからずと 言った時 人間にだけ 言ったのではなく 全衆生に対してです  彼は良き友 助けて  くれるものとして 全動物を創ったと 言いませんでしたか 神は全動物を私達の 保護下に置いたのです  神は 彼らを世話し 治めよと言いました

皆さんが 臣民を治める時 彼らを殺して 食べますか 他に誰もいないのに 王になりますか はい もう分かりましたね 神が言ったらとにかく しなければなりません 問う必要はないのです 神は明確に言いました でも神以外に誰が神を 理解できるでしょうか ですから今 私達は 神を理解するため  神になるべきなのです ぜひ 再び神のように 他の誰でもない本来の 自分になって下さい 神に瞑想することは 神を崇拝するという 意味ではなく 神になるという事です 自分と神は一体だと 認識する事なのです 我と天なる父は一つと イエスは言いましたね

彼と彼の天なる父が 一つであると言うなら 私達と彼の天なる父も 一つです 私達もまた 神の子だからです だから彼がなした事は 更に良く出来るのです 私達は神より優れて さえいるかもしれない 誰に分かるでしょう 神の事を何も 知らないのに なぜ 崇拝するのでしょう  盲信するのでしょう 私達は崇拝するものを まず知るべきです 結婚相手の女性の事を 結婚する前に知るべき であるのと同じです 今日では 近代化され もう面識のない者同志 結婚したりしません

それなら どうして 盲目的な信心で神を 崇拝すべきでしょう 私達には神に姿を現し 自己紹介するよう 要求する権利があり どの神に 従いたいか 選ぶ権利があるのです もう分かりましたね 聖書で非常に明白に 菜食になるべきである と 述べられています あらゆる科学的 根拠に基づいても 菜食になるべきです あらゆる健康的根拠に 基づいても やはり 菜食になるべきです あらゆる経済的 根拠に基づいても 菜食になるべきです

あらゆる慈悲の 根拠に基づいても 菜食になるべきです 「世界を救う」という 精神に基づいても 菜食になるべきです ある調査で 述べられています 西欧 アメリカの 人々が週に一度 菜食をすれば 毎年六千万の人々を 救えるだろうと 英雄になりましょう 菜食者になりましょう 是が非でも 個人の進歩上 あなたの道に接近する 嫉妬の傾向や 敵意など 繰り返し起きる傾向に あなたはどうやって それらに動かされ どう取り除きますか 難しいです

ええ 嫉妬は 自然な振る舞いです ただ嫉妬に私達を 支配させてはだめです 私達をみじめにさせ 残忍になり それは自身を 十分愛していないとか 間違った人を 愛しているとか その愛はまだ 制御されていないと いう印です 私達の感情がまだ低い レベルである印で 幸せに思って 私達はまだ生きてます 死んだ時に 嫉妬は終わります 死ぬ前ではありません ですから 誰かが あなたを妨げると つらく感じます その痛みを止めるのに 麻酔を打つ 必要はありません ただ痛みを知るのです

痛みを止めることが できなくて でも その痛みを二度と 味わわない為に自分の 体を消すとしたら それはいけません 痛みを  痛みの元を 止められないなら それを受け止め まだ自分の体が 生きていると感謝する 柔軟性がまだあります

医者があなたの 反射神経を試そうと 金づちで膝を叩いて 足が跳ねれば それは大丈夫です 跳ねなければ変です 海にはもともと 波があるのではなく 地球の自転と 風力によって 波は起こります でも 海が 抵抗すれば もはや 海にはなりません もう海ではありません

水がなく 波がなく 死んだ海です ですから 海に波があるとき それは依然として海で   海の本質を持ってます でから嫉妬心が あるのは良いのです もちろん嫉妬は 楽しくありませんが 少なくとも自分が 生きていることを知り 自分の気持ちは鋭く 人間らしいと知ります

ただ上手く制御して 他の人も恐らく自分と 同様に嫉妬するのだと 知るためではなく 相手を傷つけるために 使わせてはいけません 自身ではなく その人を幸せにする 援助をするよう 努力して下さいね 助けられるなら 原因は止まります 自己決意や当然の結末を 強く信じる者として 私は内面の平和に 達するように感じます でも本当に気にかけ 自然な過程が 起きるのを望む人が 達成することを あなたは どのようにし 何を手伝えますか またその過程でどんな 援助ができますか あなたはすでに 内面の平和に達し 誰か他の人を 助けたいのですね そうですか(はい)

それは 善意からの願いです

自分に 強制することなく

ええ ただ自然にね 誰かが聞くなら あなたは話します 聞かないならやめます 周囲の誰かに与えます 今日 私が招待されて ここに来たようにです 招待されなければ 私は現れません あなたが聞きたくなく 出て行きたいなら 私は来てあなたに 首輪を付けて引きずり 「座れ」とは言えません

私は聞きたい人だけに 話すのです そうするのです 空腹な時に食べたり 疲れた時に 可能な限り 寝るのと同じようにです もちろん時には 白黒はっきりしない 状況でも ただ委ねれば 神の意志は為されます 誰であれ神は連れて 来ます 本当です 神が誰も 連れて来ないなら カルマ(報い)から 解放され  幸せだという意味です

完全に神聖であり 同時に 完全な人間でいるのは 可能ですか ええ 完全に神聖な人物とは 完全な人間のことです 完全な人間とは 完全に神聖なのです 今私達は 単に 半人前の人間です 私達はためらいながら エゴで 物事を行います 私達の喜びのため 私達の経験のために それらすべてを 手配する神を 私達は信じません 罪と美徳を 分けているのです 私達はすべてのことに 騒ぎ立てます

また自身や人々を それによって 判断してしまいます 神がすべき事について 自身で制限してしまい 私達は苦しんでいます 実際 神は私達の 内面にあっても私達は 神を制限しています 神は楽しみ すべてを行いたいのに 私達は知らないのです ただこう言います 「そうしてはダメだ」 自分自身に言うのです それをしてはダメ これはすべきでない でもなぜ菜食なのかを あなたは私に尋ねます ええ 私は知ってます 菜食は ただ私達に 内在する神が 求めているからです

それは不殺生の理念に 反します 私達自身が殺生を したくないのです つまり自身を盗品に したくないのです 例えばですが

今私達が他の人に そうするというのは

つまり自身に反し 自分を苦しめるのです 何であれ自分の意志に 反することをすれば 自分を苦しめます あなたは自分を 打てません 自身を飢えさせては なりません 例えば 同様に 私達は殺生を すべきではありません  それは命の原則に 反するからです 自身を苦しめるので そうしないのです 自身を制限していると いう意味ではない

それは自身の命を 様々な命にまで 広げることなのです この命はこの体の中に 限られているのでなく 動物の命や 様々な衆生にまで 広げるのです それが私達を偉大に 素晴らしく幸せに 無限にします

暗黒の力の考えか何か 頭脳の中にありますか ええ 私達には 自由意志があり 白を闇と考えます 悪魔も神の王国から 生まれたと言います 神の王国は 私達の内面にあります 私達が 生命の原則 良い原則 真の原則に反する 革命を起こせば 暗黒の力の中にいて 暗黒の力の 否定的な力の道具に なってしまいます でも否定的な力も 構いません 生活をより刺激的にし 実存させます そうでないなら 私達は天国で 寝ています する事がありません でも否定的な力に 疲れたらすぐ そして 家に帰りたければ そうすべきです 常に否定的な所で 遊んではいられません

私達は 時々家に 帰らねばなりません

ですから私の言葉は そんな 遊びに疲れた人や もう遊びたくなく 休みに 家に帰りたい 人のためにあります そういう事です

人生における 戒律の役割は何ですか

人を訓練します ええ 他に何でしょう そう思いませんか ええ ありがとう 長年 八年間 私は毎日二、三時間 時には それ以上 瞑想をします 断食などもしました それで大病にかかり 瞑想できず 起きて 瞑想できないのを 恐れていました それで私は唱え 神の事を考え 経典を 読むように努めました そして 八年かかって 良くなりました でもあまり強くなく また痛みがあります 毎日二時間半 瞑想ができません とても難しいのです 何かご提案を いただけますか なぜ瞑想するのに 座る必要がありますか 横になってもよく 立っても 望むなら 片足立ちも構いません 心で瞑想するのです 体ではありません 神の王国に 集中することです

唱える時も それも瞑想ですが 騒がしい瞑想です ですから静かなもので ただ横たわり自分の 方法で瞑想しなさい

瞑想は 蓮華座に 付随するものではなく 注意を集中するものに よるのです 試してみて同じですよ 横になっても 座っても立っていても サマディに入れます

どうやって自分の マスターを知りますか 一人で複数の 生きたマスターに 従うことはできますか

一人で十分と思います 一人で十分です 学ぶべきことが沢山の マスターが既に 一人いるなら どうやって二、三人 から学ぶのですか 追いつくことさえ できないでしょう 二人から学んでも 構いません 本来は地球上に 一人のマスターがいて つまり異なるレベルの マスターがいますが 最高のマスターを知り 祈るべきです 一世で解脱するのが 最良です そうでないと 長い時間がかかります 二、三回の転生か 二、三千年 かかります 最高のものに祈れば 最高のものだけ得ます それが一番でしょう 祈りが誠実なら 神は最高の人を 送ってくるでしょう ええ 最高を求めます 私は今世で神を 知りたいだけです ですから どうか 私に神を知らせたい人 神を知るのを助ける 人を送って下さいと 神は最高を送りますよ そうでないなら 神は あなたを天国に連れて 行く人とか 不思議な力や そんな幻想のものを 与える人を送ります でも神を知りたい 一世で神だけを 知りたいと祈るなら 神は最高で最速で 最強の人を送ります

瞑想は 開悟するために 最も早い方法ですか はい でも 瞑想の種類によります 私達の瞑想は そう 即刻です たちまち 神に 関することを知ります 聖書で説いている ように 最初に言葉があった 振動があり  言葉は神であった 言葉は神と共にあった 私たちの法門を 修行するなら神である 言葉を聞くでしょう

そして神を知ります でも最初のしるしは 恐らくあまり確かでは ないかもしれません 言葉 神への瞑想を 繰返した後で それが確かに神だと 知るのです またあなたは神と 一体だと知ります 次の質問です 観音法門とは 何でしょうか それは神の言葉に 気づいた者が 直ちに神の言葉を 言葉とは神だと 認識する手伝いを することですよ

悪魔は個人化された 悪のように見えます でも邪悪な衆生や この世をうろつく鬼は 現実にいますか 又は 私達に内在しますか 内在の世界と外の 世界にもあります ですから私達には うまく分けられません 頭脳の中に表面上 通常現れるものは 何でも  ですから ほら 同じ部屋にいる 二人の人は 彼らの周りの環境と 雰囲気について 異なる認識を 持っています

一人が死ぬほど惨めで もう一人が 毎日か その瞬間 天国の楽しさの中に いることもあり得ます

ですから私達は自身の 内面に悪が存在するか 否か言えず 両方です それは神のように 内面にも外面にも どこにでも存在し 私達の認識次第です 私達の認識によって 神か悪かを出現させる ということです

私達の概念と認識です 自分の概念を 変えねばなりません 神のように考え 神の道を修行するなら 私達は常に 神の存在の中にいます 悪の方法を修行し 邪悪を考えれば

私達は常に悪魔の 存在の中にいます 悪魔とは人でも 個性でもなく

性格でもありません それは 私達の否定的な思考 行動 言葉から 放たれる力です

至る所に存在します でも私達が 神の王国に入れば 悪魔のことなど 知る必要はありません 私達は 神の王国に調律すれば 神の王国の中に いるのです 私達が悪の王国に 調律すれば 暗闇の世界にいます すべては 私達の概念と 中に入る能力次第です だから 瞑想をする時 私達は神の王国に 調律を合わせる テクニックを知り 常に神の王国に いるのです

ラジオのように 異なるチャンネルに 合わせられるのです 魂とは何ですか それ自体は瞬間にだけ 現れますか あるいは 絶えず認識されますか 繰り返し気付くことで 瞑想によって 繰り返し 魂 精霊に 気付いていることで 絶えず 認識されます 常に 魂に気付くことを 習慣にすれば やがて 自動的な過程のように なり それで 常にその中にいます どこにいようが 何をしようが 関係ありません 例えば禅ではこう言う

「食 寝 歩行すべてが 禅である」そんな感じ
この人物は瞑想法を 知っていたのですか

簡単です ただあなたの注意を お金や他の事ではなく 神に向けるように 変えるだけです あなたにはすでに 瞑想能力があります そうでないなら そこに集中しないなら ご自分の仕事ができず 子供の世話も できないはずです だからただ神の王国に 注意を傾けるのです でも私達は 時間を 数時間かけて 更に正確に教えます

開悟は 時間がかかるのでは ありません

ただその手続きすべて 印心の前も 間も その後も 私達は全て 話さねばなりません ここから 天国への道は いくつもの領域や 意識のレベルを 経るのです 話す必要があります そのために 長い時間がかかります そうでないなら ただ目を閉じれば すぐ開悟します 菜食の食事についてと それが世界平和に どう貢献できるのか 話して下さい 分かりました 私はいくらか 詳細を話しましたが お望みなら 更に話します いいですね この世界で起こる ほとんどの戦争が 経済的理由によります

経済的理由は 様々な国の飢餓や 食糧難で食物の不公平な分配によって 更に差し迫ったものと なります

皆さんが雑誌や 菜食の研究を 注意深く読めば非常に よく分るでしょう 肉用に牛や動物を 飼育することが あらゆる面で経済的破綻を引起こし 世界の飢餓を 引起こしているのです  少なくても第三世界に 私が言っているのでは ありません アメリカの市民です 彼らが研究調査を行い こんな本を書きました 皆さんは書店で菜食の 研究調査を読めます 食物が出来る過程を 研究した本を 読めるのです ジョンロビンス著の 「生き延びるための 食事法」などです

彼は非常に有名な アイスクリーム英雄で アイスクリーム富豪 彼は菜食者になるため すべてを放棄しました 彼は一族の 伝来事業に反して 菜食本を書いたのです それは 彼にとっては 金銭 名声 仕事を 失うことだったのです でも彼は真理のために 行いました  その本は大変素晴しい ですが他にも沢山の本 雑誌が出ています それらは菜食が 世界平和に 貢献できるという 沢山の情報と事実を 提供してくれます 私達は地球の資源を 食物のために 牛を育てるために 破綻させているのです

どれ程の量の 蛋白質 薬物 水 人力 車  トラック 道路建設が 必要かお分りでしょう 一匹の牛が一回の 食事に足るくらいに 育つまでに 何十万 エーカーの土地が 無駄にされているか 全てこうしたものが 未開発な国々に 公平に 分配されれば 私達は飢餓の問題を 救えるのです ある国がいったん 食料に困ると 他国に 侵略するかもしれず 単に自国民を 救うためだけにです けれど長い目で見ると 悪い因果を作ることに なったのです

「蒔いた種は 刈らねばならない」 私達が食料のために 誰かを殺せば 後に ある別の姿になって 食料のために殺され 次の生まれ変わりの 時にです 大変聡明で文明化して いるのに残念です まだ私達のほとんどが 隣国の苦しみを 知らないでいるのです それは私達の 味覚のために 胃袋のために 単に一つの体を養い 与えるためにです 沢山の衆生を殺し 衆生仲間の人間をも 飢えさせているのです 動物のことなど 言うに及ばないのです

この罪意識のために 意識的に 無意識的に 自分の良心に加重し 沈めてしまっています それで ガンや結核 他のエイズ等といった 不治の病で 苦しんでいるのです 自問してみて下さい なぜ私達の国  アメリカ人が 世界最高の発癌率で 苦しんでいるのかと たくさんの牛肉を 食べているからです 他のどの国よりも 多く食べているのです

研究者達が  そう述べています 魚は食べられますか あなたが菜食主義になりたいなら 魚は 野菜ではありません あなたは 仏性は丹田にあると 示しましたが 魂の中心は 眼の後ろ側の 額の真ん中に 位置します いえ いえ そこは示していません それは内側で 何重にも覆われた 魂を引き出す象徴的な 方法だと言ったのです

まずここに引き出し ますが 私はここで 瞑想について話し 智慧眼について 話したのであり 丹田ではありません

私が尋ねるのはそれが 私には重要だからで 私のすべての動き 感じるすべてが 丹田にあるからです

私には関係があり  子供に説明できます 私が手紙を読むとき(ええ 正しいです) 子供の気持ちが分り それであなたの本で それを見て言いました 「ああ本当だ」(いいえ)違いますか 違います ではどうしようもない つまるところ 感情的な体は 仏性については なすすべがないと いえ いえ いえ 仏性はそこには ありません それは至る所にあり 智慧眼でもありません でも仏性を知りたい なら 智慧眼で 探さねばなりません そういうことです 智慧眼を通して はっきりと仏性の 場所が分るのです そういうことです

ここにいる間に 他の個人的な質問を しても良いですか(ええ どうぞ) 音についてです 音が聞こえる時 音が体全体に 渡って来るのは 良いことですか 額にだけ来なければ なりませんか それは体全体を 通ってきますが あなたを引き上げる ために智慧眼に集中 すべきです それで 体から出るのです (はい)そういう事です

ありがとうございます でも体全体から 聞こえても良いです それも良いです ええ とても良いです

この方の質問です なぜここに居るのか なぜいけないのですか 私達は居るから 居るのです でしょう あなたは神ですか あなたは違いますか

肉を より消費する社会は 肉の消費が 少ない社会より 攻撃的だと思いますか ええ そう 比較できます より多く 肉食をしてる国を 比較できますよ

そうすれば 違いが分ります 皆さんには分ります 肉食の動物は 草食の動物よりも 攻撃的です 違いますか 動物世界でさえも 違いがあります

あなたは小冊子の中で 人生のすべてで 勉強してきたと 話しています あなたは聖書を勉強し 東洋哲学を勉強し すべて学んでいます しかしここまで 到達するには マスターが必要で 読んだものはすべて 無意味でしたが マスターが必要です どうしてそんなに 探し回ったのか 教えていただけますか

鍵が必要です そういう事なのです

鍵が必要です ええ つまりマスターとは あなたをマスターに する鍵を持つ人です そういうことです あなたもマスターで あなたと神は 一つであり あなたと あなたの父は一つだと 理解させることです それだけがマスターの 役割であり 私は誰も美化したり 宣伝したりしません ご自分では できなかったのですか 本を読んだりですか できるなら ええ できたらして下さい いいえ 分りません あなたはできますか あなたの本では あなたのような マスターがいないと できないようでした

イエスさえヨハネに 洗礼を受けねばならず イエスは偉大だと ヨハネが知っていても その手順を行わねば なりません あなたはとても上手に 英語を話せるとして 彼の下で勉強した時 たぶん英語の先生より 上手でも まずは彼から 教わってから 後で自身の才能を 開発させていきます そういうことです ありがとうございます どう致しまして 山上での垂訓で イエスは数千人に 魚とパンを提供し その上結婚式に イエスが出席して ワインを飲みました 既に知っていますよ それで何が問題ですか

彼らはここで矛盾を 感じたと思います どんな矛盾ですか

つまり魚を食べては ならないと言っても 聖書では魚を食べると けれどその魚の種類を 考えるべきです 五千人の人に たった二匹の魚ですよ

それはただの神業で 紙の魚です イエスの超能力です 空気から作られました

空気を食べると 言っても良く 本物の魚でありません

ワインは 水からできていて 本物のワインではなく ただの水です ええ その秘法とヨガ行者の 技を学べば作れます もしあなたに 時間があり この種のことを 学びたいなら 空気からバラが作れて 水からオレンジ果汁 サヤインゲンから スイス時計ができます こういったことを 追い求めればですが すべきではありません 永遠の神の王国を 追求すべきです 最も賢い智慧の王国 するとすべてを得ます すると それらを 欲しいとさえ思わず 私達にとってただの 子供の玩具だからです

でないと これらが 欲しいと思い続けると 物質領域に自身を 束縛してしまいます

すべての奇跡はなぜ 使うべきでなかったか 神通力を使うように 仏陀は勧めません 印心の時にも 超能力を使わないよう 言っています 私達を物質領域に 束縛して これらの秘法を 使いたい欲望や これら物質の豊富さの 具現を見たいという 欲望がないように させたくないからです

つまり私達のレベルは まだ物質世界にある そういうことです より高く上るべきです イエスは緊急事態で そうしました  強いられたのです そうしたくはなく ワインを作った時 マリアがすべてを 手配しました 彼は 彼女でさえ叱りました 彼は言いました 「なぜこうさせるのか なぜこう言ったのか」 そうではないですか 彼は見せびらかしたく なかったのです 小事だと知ってたので 病気を癒すことは ええ 私もします でもエゴではしません 行為なき行為で 外面の行為ではなく ただ 私を通しての 神の力と加護です

私は何もする必要は ありません 癒されたなら 癒されます

「フーラーハッ」と ツボに触れたり オーラに 手印を切ったり 磁場を乱したりなど 何もしません 私は何もしません 全く何もしません 私の中の父が そうするのです

ですからイエスは 同じ方法でしました

彼は言いました 「私がしたのでなく 天の父がした」

ですから 彼は本当に 開悟していました 彼はそれが言える それを知っている 真のマスターです 偽のマスターは このことを知らず こう言う人です「私がした 私が呪文を唱えて あなたを癒した あなたのツボに触れ 病気が消えた」と それは低いレベルです 実際 神の王国では 時が来れば すべてが自動的に 行われます 完全なる献身とは 神の王国で必要な すべてなのです 偉大になるためには 無になるべきです 全能になるには ゼロになるべきです エゴがゼロにです すると神と一体です 神はあなたを通して すべてを行います 障害もありません

理解し難いですが 試してみて下さい

旧約聖書や ユダヤ教について どう思いますか 良いです 良いですが 救世主を 待たないで下さい 常に来ているからです ずっと来ています 現在の救世主を 認識できるよう祈り あなたが待っている 救世主を待つように 祈らないで下さい 彼は決して来ません あなたの思うように 期待しても 彼は決して来ません イエスが来た時 彼らも救世主が来ると 期待していたのに 手中にしたその人を 殺したようにです 私達は 皆同じ 愚かなことをします ユダヤ教が 悪いのではなく私達が 無知だからですね イエスさえ精霊を 送ると約束しました

つまり彼が去った後 誰かが来ると 私達を癒してくれる 彼と同等の人 という意味です

けれども私達はすでに 二千年も待ちました 沢山の救世主は 行き来していて 私達はまだ 空から 来る人を待っています この方法で待つなら 彼は決して来ません

どう思いますか イエスは再び来ますか イエスは再び現れると 聞いていますね どのように来ると 思いますか 翼やあごひげがあり それとも十字架付きで それで見分けますか 彼が来たら どう見分けますか イエスの様相さえ 私達は知りません 当時いませんでした または たぶんいても 二千年前です そんな記憶の良い人は いるでしょうか イエスは外観でなく 魂の中に入ってきます イエスは 十分に 明敏な人の所へ 正しい門を開ける人の 所へ行きます それで私達は イエスのようになり 彼のようになり 天父のようになります

するとその時 イエスは再び戻ります

彼はずっと 戻っています 用意ができればいつも 彼はやって来ます 彼は彼の強力な力を 宿す  どんなマスターを 通してもやって来ます

その人もイエスです

髪型は違うけれど たぶん ハイヒールでも それでもイエスです

マスター どうか 私達の地球からずっと 離れないで下さい おやまあ なぜそう言いますか ここでもっと 私達に教えて下さい

なぜそう言いますか 大変速く学んでいて 私達はただ心配です 私が離れれば 他の誰かが来ます あなたは今日 感情的に見えます あなたらしくないです

前までこんなあなたを 知りませんでした あなたはいつも静かで 何の質問もなく 発言もしませんが 発言もしませんが 今日はどうして 今日の気分なのです ただ今日はそんな気分 なのね いいでしょう 神が望むだけ 私は留まるのです 私の判断ではないです 時には自分で 判断したいと思います 本当です

留まるには少しエゴを 保たねばなりません 全部なくすのでなく でも私のすべきことは 常に神が決めるのです 仕方がありません 私にはもう 選択肢がないのです 必死に頑張っても できません

時には 留まりたいと 思いますが そう すべきか分りませんね 様子を見ましょう 私が行っても  他の誰かが来ます どうぞ泣かないで アメリカンボーイ でも 構いません 泣きたいなら それも良いことです とても良いことです あなたがとても幼い 若いと言う意味です 魂が泣けるほど若い ということです 泣くのは良いことです 子供のようになります 「子供のように なること以外  神の王国には 入れない」と 神を知るには 自然で 無意識であるべきです 神の手配が何か 試そうと思います 神の 神の意志以外で 去ろうとは思わないし 行きたくありません 仏陀の話を聞きますね だからです

仏陀は弟子に 自分は永遠に留まれる と言いましたね ヨギの技を学んだので ババジのように 留まれると たぶん皆さんババジの 話は知っていますね でも今現在  人をこれほど 長く生きさせる 手配はないと 思います ババジは生きてますが 生身ではないです 私のようにここへ来て 皆と握手したり 一緒にフライド ポテトを食べるなど 見たことないでしょう もしこうして 生きているなら 私は自然界の法則に 従うべきと思います そうでなかったら 人々は 肉体的存在の 延長を望むがために 私の所に来て 神の 探求を忘れるでしょう

私は 私達が精神のために 肉体を放棄するよう 物質的存在の はかなさの良い例を 示さねばなりません

私は 他の一般的な人よりも この時代に 長く滞在するという 例外を作るべきでは ないと思います こんにちは 質問ですが  私が調べた 多くの東洋の宗教は 私は少しそういう事を 探求していたのですが 肉体は ほとんどゴミのように  放棄されるものと 見る傾向があります 私は何となく この体に入る時 できる限り大事にする  と誓約書に記し 今 この世界に暮らす為に 機能させるように 感じます ある人はあなたの 意味するような 精神的な力 神の力があります しかし 両方の世界に 充実して長く住むには 均衡の取れた見方が 必要ではありませんか そうあるべきです よりバランスがとれる はずです 宗教書が意味するのは 私達は  肉体的感覚と欲望に 寛大過ぎず 精神を忘れては ならないという事です

あなたの聖典の解釈は 本当に物事の バランスをとるか  物を排除するかですが そのうちに誇張される かもしれません ええ そうです ありがとうございます 時々 個人に対して その時だけ言います または その説明が 必要なグループにです

そして それが後に 一般的指針になり 意味の一部が 失われるのです それをそのグループに 言った時は とても強く迫力があり 正しいのです ところが その後 記録され 他の団体に 渡った時には 正しくなくなります

好きな様にして下さい どんなことも 夢中に なりすぎないことです どうやって 肉体を忘れるのですか 体を飢えさせて 瞑想などできません 体は保つべきです

つまり肉体の世話を 常に重視し過ぎては いけないという 意味です 精神を 世話する時間が なくなりますから そういう意味なのです そんな人もいるのです ですから その話は 彼らのためなのですよ イエスも精神のために 肉体を放棄せよと 言いましたが 食べ 着ています 体の管理のためには できるだけそうします

マスターになるには 自分が行為者でないと 気づき 自分がしていないと あなたは説明します 貴方は神の道具ですか マスターはみな この 認識を持つべきですか 価値あるマスターに なるためにはそうです

そうでなければ ある程度の 一種の哲学の教師で あるだけで マスターではないです マスターは無力な 赤子の様に甘やかされ 両親に世話されます

子供は赤ん坊のように なります

皆さんは悟りを開き もう仏陀でしょうか

皆さんと 話せて嬉しいです

愛について どうお考えですか 私達が人間として それをここにもたらす 能力ですか 愛するための神の愛か 私達にはできません 神を知る以外には 神の愛の様に 愛する場合のみです それなら真の愛です そうでなければ ただ愛の一部 その一部です 神の愛の一部が 男性と女性の間に 現れて結び付け  彼らを幸せに するのです 神の愛の一部が 母と子の間に現れ 彼らを 特別な結び付きに 感じさせるのです 同じように この愛の一部が どの生き物にも 人間と人間でない ものの間にも現れ 結び付け 彼らを 幸せにするのです 全てがあなたの中に  どっと流れ込み 全世界に 放たれることを 想像できますか だから 人々は マスターを 通して流れる 神の愛のもとでは 心地よく感じるのです だから 古代から 人々は このようなマスターを 崇拝するのです だから皆  迫害にも関わらず  イエスに従ったのです だから皆 仏陀を 崇拝したのです

人々が彼と 接触した時 彼らのレベルが この全き愛を 受け取るに十分な時 そこに浸り 享受できるのです  別れたがりません 聖典を読むと 人々が 仏陀を見た時 皆 彼から目を外せなく なったとあります 彼の愛情のためで 夢中になったのです この愛は 誰の中にもありますが 私達は自らの観念に 制限されているのです いったん 全ての 観念から自由になると 愛が開花します エゴがなくなると 私達はイエスや 仏陀のように 愛情あふれます すると何千もの 人々が魅了され 決して別れたがらず 同時に 彼らは 自らの愛を 認識する能力を 見出すのです

その前に 彼らは 神の愛で 開花した者を 愛します それで人々は この愛ゆえに自分の マスターを愛すのです 愛全体が マスターの体の中に あるのです

こうして奇蹟が 起きるのです  愛の法則は カルマ (報い)の法則も含めた  全法則に勝るからです ですから マスターは 彼を信じる全ての人を カルマ(報い)から 解放させ 皆を自由にし 天国を開き 愛ゆえに その人にとっての 地獄を全て破壊して  自由にするのです 愛は全てを消し 悪い事を破壊します

全ての境界を消滅させ 罪をみな浄化します こうして イエスは 愛により 弟子の罪を 浄化したのです 彼は  地球にいた時この愛を 宿していました

仏陀が 地球にいた時  彼がした様に 私達が 愛を享受し学ぶ為彼は 愛を宿していました 愛を育むために 私達は学んでいます 認識しあらゆる制限を なくすために学び  自分の愛を 再び 自由にするのです

こうして 彼らは 手本を見せたのです だから 人々は 他でもない 自分の マスターを愛すのです 彼らは見かけは悪い かもしれません 若いか あるいは 高齢かも知れません マスターはああであり こうであるべきと言う ことはナンセンスです 何でも有りなのです 背中が曲がっていたり 足が一本なかったり 目を失っていようと 関係ありません それでも愛は体の中に 完璧に残っており それを保管しており それが人を魅了します 私達は内在にその愛を 宿しているからです

ですから私達は 似た物や もっと多く あるのを見ると 飛び込んで手に入れ 体中をこするのです それだけです あなたがこのような 科学を始めていたら 自分の無限の愛に 気付くでしょう 懸命に修行し 信心があれば 神のご加護があり イエスが持ったような 愛を持つでしょう 彼のようになれます ミニスカートを履いた イエスになれます ハイヒールを履いて アフリカの髪型のです 誰に分かるでしょ いいですか よろしいですか 他にありますか なければ肉体的に お別れしましょう 精神的にではないです いつでも必要なら 呼んでください

しかし私達の苦境が 非常に重大であっても 私達が今すぐ行動する なら間に合います 解決策は依然として 非常に単純です 殺さないこと 虐待しないこと これ以上 動物実験をしないこと 食肉のためや いかなる目的でも 動物を飼育しないこと 動物を保護し 愛し 面倒を見ること以外は スプリームマスター テレビジョンで 一月五日の火曜日 テレビ会議の 再放送の 第三部をご覧下さい 「スプリームマスター チンハイの新刊 先行発表会 気高い野生動物 ドイツ語フランス語版 ドッグインマイライフ ポーランド語版」は 智慧の言葉にて 本日のスプリーム マスターテレビで テレビ会議の 再放送をご覧下さい 「スプリームマスター チンハイの新刊 先行発表会 気高い野生動物 ドイツ語フランス語版 ドッグインマイライフ ポーランド語版」は 智慧の言葉にて 私達が 自分の子供達の胃に 詰め込もうとしている 動物や魚の 肉の一片は 彼らの知性も 減少させ 彼らの愛の品性 人間性も減少させます ですから子供に最高の 物を与えてるつもりで 最低の物を与えてます あらゆるものの中で 最悪なのは肉食です

スプリームマスター テレビジョンで 一月五日の火曜日 テレビ会議の 再放送の 第五部をご覧下さい 貴賓としてスプリーム マスターチンハイを お迎えしておくる 「スプリームマスター チンハイの新刊 先行発表会 気高い野生動物 ドイツ語フランス語版 ドッグインマイライフ ポーランド語版」は 智慧の言葉にて

本日のスプリーム マスターテレビで テレビ会議の 再放送をご覧下さい 「スプリームマスター チンハイの新刊 先行発表会 気高い野生動物 ドイツ語フランス語版 ドッグインマイライフ ポーランド語版」は 智慧の言葉にて

 
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